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2026-03-31 00:36:07
4443文字
Public 天照
 

1話『傘の思い出』【天照】

※殺人への言及の表現を含みます
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現代サイド→1話『窮地に始まり』【雨照】

前の話→プロローグ【天照】

次の話→2話『全てを知るのは』【天照】


 クラネ=ジメントは優しい少年だった。
 彼を「臆病」と評する人間も多かったが、ワスの中では、兄は誰よりも優しい心を持つ人物だった。
 
 ワスたちの国には学校という教育機関がある。
 ワスの両親が子どもだった時代にはなく、最近になって開かれたものらしい。貴族、平民問わず満8歳から14歳の子どもが通い、文字の読み書きや国家の歴史、魔法や戦闘の基礎といった項目を学ぶ。
 生徒数は各学年およそ100人、学校全体で600人ほど。学校創設からそれほど時間が経っておらず試験的な運用で、「卒業後に騎士団、魔法研究院等の魔法を活用する王国公認の組織に入ること」を条件とした上で入学者を募っている。
 ワスとクラネも学校に通っていた。
 
 5年ほど前、ワスは10歳、クラネは12歳の時の出来事だ。
 
 その日は雨が降っていた。
 青い傘を差して、ワスは友人と話しながら学校の帰り道を歩いていた。
 雨が傘を打つ音は弱い。これなら、傘さえ差していれば足元がびしょ濡れになることは避けられそうだ。
 隣に歩く友人ととりとめのない会話をしていると、真横を誰かが足早に通り過ぎた。
 ワスと同じ金色の髪に、体の半分を覆う白いマント。ワスと同じくらいの背丈の少年。
「クラネ?」
 兄の名前を呼ぶ。彼は足を止めて振り向いた。
 快晴の空のような青色と目が合う。彼は少しだけ目を見開いて呟いた。
「あ、ワス」
 クラネはマントの下に隠すようにして、何かを抱えていた。背負った鞄に入れたって良いはずなのに、その一つだけは自分で持っているようだ。
「あれ、クラネどうしたの?」
「ん? ああ、フォルクのだよ。今日も休みだったから、学校で配られた紙とか、わたそうと思って」
 フォルク=フーザルはワスたち兄妹の幼馴染だ。クラネとは同級生。体が弱く、学校を休みがちな少年。
「フォルクの……そっか、あ、でもね、わたしが聞きたいのはそこじゃなくて」
「ん? どうしたの?」
「傘、ないの?」
 彼は片手でマントの下に書類を持ち、それを覆うようにもう片方の手でマントを押さえているようだった。つまり、その手に傘は握られていない。今朝家を出る時、母に持たされたはずなのだが。
 クラネの金色の髪はびしょ濡れで、水が滴っていた。
「ああ、こっちのこと」
 彼は緩慢な動作で瞬きをする。視線を少し下に向けて静かに微笑んだ。
「友だちに貸したんだ。忘れて困ってるって言ってたから」
「おおーー、なるほどね、そうなんだ! じゃあさ、せめてマントは被らないの? そしたらちょっとは雨防げそーじゃない?」
「紙、濡れちゃうから。ひとまずはこっちを守らないと」
「ん? 髪びしょびしょだよ?」
「え!? だ、大丈夫だと思うんだけど!」
「どう見ても濡れてるよ!?」
 クラネは慌ててマントで覆った書類を確認し、ワスは口を大きく開けてクラネの髪を指さしている。「紙」と「髪」で認識の齟齬が生じているようだが、ワスは状況に気づかずクラネの髪と顔を交互に見比べ、目を白黒させている。
…………
…………?」
 2対の青い瞳がぱちぱちと瞬かれる。暫しの間沈黙が続いた後、クラネが目を見開いた。
「あ! ワスが話してたのはぼくの『髪』の毛の話?」
「ん? そうだよ? それ以外に何があるの?」
「あ、えっとね、ぼくが話してたのはこっちの『紙』」
「かみ? かみ……あーーーー! 紙かあーー!! フォルクのやつが濡れないように、ってことかあーー!」
 ワスはまた口を大きく開けて、クラネのマントを指さした。
「はは、あははは!! 漫才みたいなことしちゃったー!」
「ふふ……話が噛み合わないと思った……
 ワスは大きく口を開けて、クラネは眉を下げて笑う。
 少し2人で笑い合った後、クラネはワスの隣にいる友人をちらりと見て、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「あ、えっと……友だちの邪魔しちゃったよね。それじゃ、ぼくは行くね」
「え、一緒に行くよ! わたしの傘に入って!」
 友人に傘を貸し、自分よりも幼馴染の荷物を雨から守り、その上でワスたちに迷惑をかけまいと雨に打たれたまま立ち去ろうとする。なんて優しいひとなんだ、とワスは感心する。周囲の温度を奪おうとする雨の中で、ワスの心はぽかぽかと暖かくなった。
「トクをつんでる、ってやつ……? 少なくとも3トク、トクトクトク……
「ワス?」
「ううん、なんでも!」
 ぶつぶつと呟いた後顔を上げて、ワスは友人の方を見た。
「ごめん、今日クラネと帰ってもいいかな?」
 ずぶ濡れのクラネの様子を見ていたワスの友人は、すぐに納得してくれた。
「もちろん、大丈夫だよ。じゃあまた明日!」
 彼女は手を振ってその場から歩き去って行く。ワスも笑顔で彼女に手を振った。
 その後で、ワスは自身の持っている傘をクラネに差し出す。
「なんか、ごめんね?」
「ぜんぜん! 謝る必要なんてないよ!」
 傘の下で肩身が狭そうに縮こまっている兄に、ワスは笑顔で語りかける。
「というかクラネってすごいね!」
「すごい?」
「自分がびしょびしょになっても困ってる人に傘貸せるし、自分がびしょびしょになっても、フォルクの荷物守っちゃうし!」
 命の危機とか、どん底の人間とか、そういったことから人を守るような派手さはないし、他の人からは地味な優しさだと思われるかもしれないが、だからこそ当たり前のようにそれを成し遂げてしまう兄を心底尊敬していた。クラネはワスにとってヒーローだった。たとえ周りの人間が、彼自身が、クラネを臆病な人間だと評しても。
 ワスに言葉を投げかけられて、クラネは困ったように苦笑した。
「そんなに、大したことはしてないよ」
「わたしにとってはしてるんだよー! かっこいい!」
 真っ直ぐな言葉をかけられたクラネは、少し照れたように頬をかく。
「あ、せめて傘持つよ」
「だいじょーぶだよ! クラネはフォルクの荷物あるでしょ? そっちをちゃんと持ってて!」
「うん、わかった」
 クラネは少しだけ歯を見せて、静かに笑った。


 クラネがずぶ濡れで帰ってきたことは、それ以降も何度かあった。
 理由を聞けば、その度に「友人に傘を貸していた」のだという。
 一度と言わず何度も頼られる兄を、ワスは誇らしく思ったし、そういった地道な優しさを飽きることなくずっと続けられる人はそうそういないんじゃないかと思う。ワスだったら「また!?」と言ってしまうかもしれない。
 だから、クラネにはワスにはなかなか真似できない優しさがあると思っている。
 ワスの中で、クラネ=ジメントは優しくて、尊敬できる、ヒーローみたいな存在だった。