2026-03-27 20:42:58
15998文字
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同じ春を見たかった 1・2・3

七月頒布予定の現パロ転生雑伊。
弁護士36歳×大学生18歳。
※モブ出てくる
※伊作に家族がいる
※前世の死の描写あり
※ハピエン

ーーー
【あらすじ】
大学進学を期に上京してきた伊作は、名刺を頼りに弁護士である雑渡のもとを訪ねる。雑渡は伊作を「恩人」だと言うが心当たりはなく、記憶にあるのはある事故のことだけ。
ある出来事からふたり同じ屋根の下で過ごすことになる、春の話。



三,飛梅

 皮膚が燃えるように熱い。
 視界は暗闇に星が瞬くように明滅する。
 独り虚しさを抱えて、目から零れ落ちそうな涙を必死で堪える。
 ――お願い、置いていかないで。

 *

 それが夢だと気づいたときには、星が瞬くような残像だけが目の奥に残っていた。うっすらと瞼を開ければ、カーテンの隙間から漏れた光が伊作の顔の上に一筋の線を作っている。
 重い体を起こして、まだ荒い息を整える。ここ、どこだっけ。柔らかなタオルケットも、クリーム色のカーテンも、どれも身に覚えがない。
 (……あ。)
 伊作は急いで起き上がると、カーテンを勢いよく開けた。部屋いっぱいに眩い朝日が注ぎ込む。昨日の約束を思い出して、伊作は慌てて部屋を飛び出した。
 
「すみません!寝坊しました!」
 雑渡はキッチンに立ち、ちょうど朝食を作っているところだった。伊作は大きな背中に向かって勢いよく頭を下げる。お礼として家事をすると、昨日約束をしたばかりだった。
「大丈夫、寝坊じゃないよ。土日は私も休みだから手分けしてやろう。それにまだ、家のことなんにも説明してないしね」
 菜箸でだし巻き卵を器用に巻いていく雑渡は、もう髪まできちんとセットされていて隙がない。伊作は慌てて自分の髪を撫で付けてみるが、押さえつける手のひらに癖毛が元気よく跳ね返っている。
「よく眠れた?」
「はい、おかげさまで……
 知らない家だというのに、驚くほどぐっすり眠ってしまった。あのクリーム色の遮光カーテンのせいだろうか。実家では、朝日が登れば布団の中に潜ってやり過ごしていたのに。
「よく眠れたならよかった。ちょうどできたから朝ごはんにしよう。顔を洗っておいで」
 早足で洗面所に向かい、両手に水を掬う。勢いをつけて顔にかければ、氷を張ったように冷たい水道水が寝覚めの火照った頬に心地いい。――夢じゃない。寝ぼけた頭が冴えていくのと同時に、昨日の記憶がほどけていく。伊作は鏡に映った自分を見つめて、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
 洗面所から戻ると、ダイニングテーブルに朝食が並べられているところだった。
 ふっくらと焼かれた鮭、だし巻き卵、プチトマト、ブロッコリーがプレートに品よく並んでいる。小皿のきんぴらごぼうはつやつやとして、ごま油の香りが鼻をくすぐった。その向こうで湯気を立ち上らせている味噌汁からは、ほうれん草とえのきが顔を覗かせている。
「わぁ……! すごい、いつもこんな朝ごはんを作ってるんですか?」
「まさか。誰かと食べるのは久しぶりだから張り切っちゃってね」
 伊作が椅子に座ると、雑渡は大きな手を静かに合わせて「いただきます」と呟いた。ゆったりとした所作を真似るように、伊作も「いただきます」と小さな声で口にすると手を合わせた。
 味噌汁を口に含めば、昆布出汁の香りがふわりと広がる。肩の力が抜けて、心もほどけていくようだった。
「ん〜……!」
 油の乗った鮭は焼き加減も塩気もちょうどよく、だし巻き卵は出汁がよくきいている。それに、しっかり味付けられたきんぴらのご飯に合うこと。伊作はつやつやの炊き立てご飯を箸で大きく掬って口に放り込んだ。
「美味しい?」
 はっと顔を上げると、伊作を見つめる隻眼と目があった。
 思わず、上がりきっていた口角を元の位置に戻したが、それでも雑渡はじっと伊作から目を逸らさない。返事をしようにもご飯で頬がぱんぱんだったので、伊作は仕方なくこくりと頷いた。
「口に合ったならよかった」
 雑渡はそう言うと、瞼を薄く閉じて味噌汁を飲んだ。
 伊作は肉の薄い頬にまつ毛が影を落とすのをなんとなく目で追いながら、同じく味噌汁の椀に口をつけた。
 
 朝食を終えて部屋に戻る頃には日も昇りきって、室内は柔らかな日差しで包まれていた。窓を開ければ、カーテンが風に乗ってふわりと揺れる。
 伊作はダンボールに封をするガムテープにカッターを当てた。きっとこの家を出るときにまた使うことになるだろうと、いつもより丁寧に切れ込みを入れていく。
 実家から送った荷物は、昨日のうちにここへ届けてもらった。家電は、新しい部屋が決まるまでの間量販店で預かってもらえることになっている。それだけでずいぶん気が楽だった。冷蔵庫や電子レンジまでここに運ばれたらと思うと、さすがにいたたまれない。
 もっとも、届いたとしてこの家なら困らなかったかもしれない。
「荷物、もっと広げていいからね。いつまで住むかわからないし、使ってない棚は好きに使っていいから」
 そう言って案内された家の中には、まだ十分な余裕があった。
 伊作には、3LDKの間取りも、三人掛けのソファも、四脚の椅子がきちんと揃えられたダイニングテーブルも、誰かと住むためのもののように思えてならなかった。
 洗面台に一本だけ立てられた歯ブラシがやけに寂しく見えるこの家で、誰かと住んでいたんだろうか。それにしては、人がいた気配もない。この部屋のフローリングには、傷ひとつなかった。
 箱を開ける手を止めたその時、ちょうど窓からひんやりとした風が吹き込んで、伊作はふるりと肩を震わせた。
 気を取り直して、取り出した服をクローゼットに掛けていると、部屋をノックする音がして「お昼になる前に買い物に行こう」と声をかけられた。

「お昼ご飯、何が食べたい?」
「えーっと……そうですね……
 外に出てみれば、陽の光は春めいているのにまだ冬の気配がしっかりと居残りしていて、北風が耳をくすぐった。桜はまだ蕾をしっかりと閉じたままのはずだが、ふわりと何かの花の香りがする。あと少しで何か思い出せそうだったが、今は昼ごはんを考える方が優先だ。
……では、ラーメンとかどうですか……?」
 なんとか捻り出してみたものの、口に出した途端、急に失敗だった気がしてきた。こんなに鍛えられた身体の人は、鶏肉とブロッコリーしか食べないかもしれない。恐る恐る雑渡の横顔を伺うと、雑渡は気にしてなさそうな様子で頷いた。
「いいね、そうしよう。私もラーメン好きだよ」
 思わずほっと息を吐いた。雑渡は思っていたよりよく喋る人で、この辺で美味しいラーメン屋さんをいくつか教えてくれた。おすすめは四川担々麺らしい。スーパーは歩いて五分もかからないところにあり、そんな話をしている間にすぐ着いた。いかにも都市型スーパーといった佇まいで、少し手狭だが、日々の買い物にはじゅうぶんそうだ。
「そういえば、聞いてなかった。料理はできる?」
 ほうれん草と人参を手にした雑渡に尋ねられて、伊作はカートを押す手を止めて「うーん」と首を捻った。
「両親が共働きだったので、実家でもよく夕飯を作っていました。でも、得意かと言われると……
「いや、そういうのが一番大事だよ。毎日のことだから。調味料は揃ってるから、好きなように作ってね。ちなみに好きな食べ物は?」
「えっと、なんでも食べるんですけど……ラーメン、唐揚げ、カレーとか」
「ふふ、若いね」
 雑渡がほうれん草と人参をカゴに入れたのを見て、伊作はカートをまたゆっくりと進めた。雑渡が入れていく食材を見る限り、食の好みは合いそうな気がする。
「雑渡さんの好きな食べ物はありますか?あとは、嫌いなものとか」
「私も割となんでも食べるよ。苦手なものは特にないかな」
「辛いものも平気ですか?」
「昔は苦手だったけど、今は辛いものも平気。君は?」
「僕も。辛いもの好きです」
 雑渡はよかったと言って麻婆豆腐の素を手に取りカゴに入れた。きっと、好物なのだろう。
 そうして買った二人分の食材はそれなりの量になって、雑渡が手早く袋詰めしてくれた。別に重くもないスーパーの袋なのに、自然と重い方の荷物を持ってくれている。一歩前を歩く涼しい横顔を眺める。歩幅もきっと、合わせてくれている。
 急にひゅうと鋭い音を立てて向かい風が吹き、伊作は目を閉じた。ここに来る時にも感じた、甘い花の香りが鼻を掠めた。
「いい匂い。……梅、ですかね」
「正解。鼻がいいんだね。向こうに鳥居が見えるでしょ。神社があってね、梅の名所なんだって。今年はいつもより寒いからまだ綺麗に咲いているよ。ご飯食べたら少し見に行こうか」
 伊作はすぐに頷いた。梅は燻せば薬になる。かつての生でも、八重咲の真っ白な梅を庭に植えていたことを思い出した。

 お昼を済ませて外に出たときには、風も和らいでいて、頬に日差しの暖かさを感じることができた。
 雑渡は鳥居の前に立つと、静かに頭を下げてから中へと入って行った。無駄のない凛とした所作に、思わず伊作も背筋が伸びる。小さく頭を下げると、雑渡に続いて鳥居を潜った。
 大きく息を吸い込むと、身体中に甘い香りが満ちていくようだった。境内の中には満開の梅が咲き並び、青空に向かってしなやかな枝を伸ばしている。
「お参りしていこうよ」
 雑渡に続いて、人混みを縫うように歩いて本殿へと向かう。雑渡いわく、祀られているのは学業の神様らしい。
 賽銭箱に小銭を入れると、伊作は腰まで深く二回頭を下げてから、大きく二度手を叩いた。
(どうか無事に大学生活を過ごせますように……!)
 祈り終わった伊作は、また深々と頭を下げた。
 ふと横を見ると、雑渡はまだ目を閉じたまま両手を合わせている。セットされた黒髪を風が撫でて、前髪がぱらりと瞼に落ちた。
 ――そんなにも深く、何を祈っているのだろう。
 その瞬間、すっと切れ長の目が開いて、伊作は慌てて目を逸らした。

 本殿を背にしたときには、雑渡はもういつもの表情に戻っていた。
「よくお参りに来られるんですか?」
「そうだね、ランニングのついでによく来るよ」
「信心深いんですね」
……いや、」
 コツ、と石畳を踏む音がして、一瞬雑渡の足が止まった。
「お礼を言うところを探しているだけだよ」
「お礼、ですか?」
 伊作も思わず足を止めた。
 お参りに向かう人々が、二人を避けて進んでいく。雑踏の中で、そこだけ時間が止まったかのようだった。龍笛の雅やかな音が、遠くの方から微かに聞こえる。
……そう。ここが教会だったらミサに参加してたかもね」
 雑渡は冗談めかして言ったが、先ほど見た表情からは、あながち嘘でもないように思えた。伊作が次の言葉を探しているうちに、雑渡はこれでおしまいとでも言うように、ぱんと軽やかに手を鳴らした。
「さあ、帰ろう。……あ、」
 雑渡は遠くに何かを見つけたように眉を上げた。そして、「ちょっとここで待ってて」と言い残して、どこかへと向かって行った。
 人の波の上に浮かぶ黒い頭をしばらく眺めていると、雑渡は何かを手にして戻ってきた。
「はい、これどうぞ」
 雑渡はぱっと手を開いた。
 大きな固い手のひらの上に、二つのお守りがちょこんと並んでいる。
「こっちの青いのが学業守りで、こっちの小さいのがしあわせ守り」
「しあわせ守り?」
 白地に錦糸で「幸福」と書かれたお守りには、梅の形を模した小さな鈴がついている。雑渡の無骨な手に乗せられて、ずいぶんと可愛らしいお守りだった。
「そう。君、不運な目にばかり遭うでしょ」
 思わず雑渡の顔を見上げた。口の端には揶揄うような笑みを浮かべているが、瞳は春の陽射しを映している。胸の奥が、小さな火でも灯ったように熱くなる。
……ありがとうございます」
「さ、帰ろうか」
 小さな布地には、雑渡の肌の温もりが残っている。伊作がお守りを握りしめると、りん、と鈴が小さな音を立てた。
 雑渡は伊作に背を向けると、鳥居の方へと歩みを進めた。木陰を通り、葉の隙間から光が落ちて、雑渡の黒い上着に模様を作る。
……なに?」
 ――なぜか、目の前の裾を掴んでいた。
……すみません。なんでもないです」
 すぐに手放すと、雑渡は再び鳥居に向かって歩きだした。
 風に木々がざわめき、木漏れ日が揺れる。伊作は手のひらをじっと見つめると、それを握りしめて、雑渡の後に続いた。