2026-03-27 20:42:58
15998文字
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同じ春を見たかった 1・2・3

七月頒布予定の現パロ転生雑伊。
弁護士36歳×大学生18歳。
※モブ出てくる
※伊作に家族がいる
※前世の死の描写あり
※ハピエン

ーーー
【あらすじ】
大学進学を期に上京してきた伊作は、名刺を頼りに弁護士である雑渡のもとを訪ねる。雑渡は伊作を「恩人」だと言うが心当たりはなく、記憶にあるのはある事故のことだけ。
ある出来事からふたり同じ屋根の下で過ごすことになる、春の話。

一,恩人

「まもなく、二十三番線に東京行き新幹線がまいります」
 
 伊作は息を吐いた。白く淡い輪郭を描いて、線路の方へと消えていく。空の隅にはまだ夜の名残が残っていて、目が醒めるような冴えた空気が頬を刺す。
 大きなスーツケースを二つ引いたあの親子連れは、帰省だろうか。お揃いのパーカーを着て賑やかな声をあげる学生たちはきっと、遊園地に行くのだろう。
 反対ホームをぼんやり眺めていると、伊作の太ももにスーツケースがぶつかった。思わず「すみません」と言うと、人混みの向こうからも同じ言葉が返ってきた。小さく会釈を返してスーツケースを引き寄せた瞬間、乗せていた豚まん屋の手提げ袋がずり落ちた。
――まったく、相変わらず不運なんだから」
「大丈夫」
 隣に立つ女性がそれを拾おうとするのをそっと制して、伊作は袋を拾い上げた。手でばさばさと汚れを払う姿を見て、女性は眉根を寄せてため息を吐いた。
「もう、本当に心配」
「そんなに心配しなくても、僕は大丈夫だよ」
「うん……。気をつけてね、伊作くん。いや、――
 言いかけた言葉を掻き消すように、轟音とともに新幹線がホームに滑り込んだ。鼓膜が鋭く揺れて、伊作は思わず息を止めた。
……あの方に、よろしく伝えてね」
 新幹線が残した風に、ワンピースが揺れる。お腹を重たそうにさする手を見つめながら、伊作は小さく頷いた。
「行ってきます、養母かあさん」
 返事の代わりに背を向けた。
 頷いたはいいものの、『あの方』になにをどうよろしく伝えていいのか、まだ見つけられないでいた。

 伊作は列車内に乗り込み、予約した荷物置き場にスーツケースを置いた。少し迷った末、豚まんはスーツケースの上に置いたままにすることにした。今日の夕飯になる予定だ。
 スマートフォンで予約を確認しながら狭い通路を歩く。やや前方、左側の窓際。東京に行くのは修学旅行以来だ。せっかくだから、富士山が見える方の席を選んだ。席に腰掛けると、養母の姿は通路に立つ人の影に隠れて見えなくなった。手を振ろうと思っていたが、それは叶わないまま発車のチャイムが鳴った。
 伊作は前の座席からテーブルを出すと、膝の上に置いたリュックの中から、ポーチを出して膝に乗せた。少しくすんだ半透明のビニール生地が、窓から差し込む朝日をきらりと反射する。
 伊作は中身を取り出して、テーブルの上に並べていく。――緑色の通帳、新聞の切り抜き、そして名刺。

 『弁護士 雑渡昆奈門』

 少し色褪せた用紙の上で、黒いインクが艶々と光っている。
 伊作は、名刺と新聞をポーチに戻すと、通帳を手に持った。表紙に印字されている少しだけ他人行儀な名前を指でなぞる。今生での名前だ。――漢字が一文字だけ違う。いまだ馴染まず、呼ばれてもすぐには返事ができない。
 伊作は周囲の目を気にするように左右を見回し、通帳をそろりと開いた。
 十年前から、毎年八月に印字される半角カタカナの「ザット コンナモン」と、百十万円という数字。伊作は唾を飲むと、勢いよく通帳を閉じてリュックの中に押し込んだ。
 リクライニングを倒し、目を閉じて大きく深呼吸をする。額の右側に残る火傷痕がちくりと痛んだ気がして、思わず癖っ毛の前髪をかき分けて指でなぞった。
 先週、十八歳の誕生日に養父母から手渡されたあのポーチ。
「伊作くんに恩があるんだって」
 そんなこと言われても、すぐに飲み込めるはずがなかった。恩なんて思い当たる節がない。むしろ、『あの方』こそが命の恩人ではないのか。
 だって、あの日――
 
「まもなく、新横浜です。新横浜を出ますと、次は品川に停まります」
 伊作はぱちりと目を開けた。
 (……新横浜?)
 慌てて窓の外を見ると、背の高いビルが所狭しと並んでいる。――しまった! 富士山、見逃した!
 肩を落として一つため息を吐くと、伊作はリクライニングを起こした。リュックからコンビニの袋を取り出し、食べ損ねていたおにぎりとお茶をテーブルに並べる。おにぎりのフィルムを取ると、海苔の端っこがビリビリと破れてフィルムに巻き込まれた。伊作はそれを慣れた手つきで救出し、剥き出しになった米に貼り付ける。
――雑渡昆奈門さん、か。どんな人なんだろう)
 東京駅に着くまでに食べきらなくてはと大きな口を開けておにぎりを頬張った。

 おにぎりを食べ終わると同時に、いよいよ東京駅への到着を知らせるメロディが車内に響いた。リュックの肩紐を握りしめる手のひらが、少し湿っている。窓の向こうでは、高層ビルのガラスが日差しを受けて煌めいている。
 スーツケースを取りに荷物置き場へと向かうと、載せておいたはずの豚まん屋の袋はいつの間にか姿を消していた。
(うう、楽しみにしてたのに……!)
 豚まんの行方を考えて出たため息は、乗客の慌ただしさの中に消えていった。伊作もスーツケースを抱えて、乗車口へと並ぶ人の波に乗る。降りると同時に冬の忘れ物のような空気が頬を撫で、思わずぶるりと肩をすくめた。少し先まで歩いてから、重たいスーツケースを下ろすと、すうっと息を吸い込んだ。新大阪駅より、少し寒い空気が肺を刺すが、どこか気分がいい。
 さよなら、豚まん。何はともあれ、大学生活の第一歩だ。
 
 まずは新居であるアパートに向かおうとしたら、これが最初の試練だった。
 乗り換えアプリに「東京駅」から乗車だと入力しているのに、なぜか「大手町駅」から乗車と出てくる。よく分からず駅員に聞くと、「あっちですね」とだけ言われてしまった。標準語で話されると、余計に冷たく感じてしまうから不思議だ。
 人の波を縫って地下鉄に乗り、なんとか最寄駅に到着した頃には、すっかり汗だくになっていた。駅から地上に出たら、高層ビルはなく、少し古めいた雰囲気の暖かい街並みがあった。
 駅から十分ほど歩いて、目印の青いレトロなタイルが飾られた小さなアパートを見つけた。古い物件と聞いていたが、それなりに手入れされていて、雰囲気は悪くない。隣は取り壊し工事中のようで、ショベルカーが元気よく働いている。立てかけてある「ご迷惑をおかけします」の看板と目が合って、なんとなく小さく頭を下げた。――こちらこそ、なにかご迷惑をおかけするかもしれません。
 しばらくすると、管理会社の担当者がやってきた。
 ディンプルキーを受け取ると、手のひらの中で鈍い銀色が日差しを弾く。滑りの悪い鍵を回して、木目調の重いドアを引く。二階の角部屋、明るい床のワンルーム。廊下のキッチンには前の住人が置いていった二口コンロがついていて、多少狭くても問題なく暮らせそうだ。正面の奥に大きな掃き出し窓、右手には角部屋だけについている腰高窓。採光も換気も十分、悪くない。
 ガスの開通手続きをしている間に、家具屋の配達が来た。カーテンやベッドのシーツ、タオルケットが入った大きなダンボールが次々と運び込まれる。
 そういえば、合格発表から少しして、養母がカタログを見せてくれて選んだ気がする。ベッドや棚は業者が組み立てをしてくれるらしく、その間にカーテンに取り掛かった。
 空になった段ボールを畳んでいると、ふいに伝票が目に入った。注文者の欄に「雑渡昆奈門」と印字されている。
 そうだ、挨拶。リュックからポーチを取り出して、名刺を出す。雑渡昆奈門と印字された面を裏返すと、そこにはさらりと整った字で住所が書かれていた。スマートフォンで地図アプリを開いて住所を入力してみると、ここから地下鉄で二駅しか離れていないらしい。
 「善法寺さーん」という業者の声に顔を上げると、ちょうどベッドと本棚が組み立て終わったようだった。
 
 手土産を片手に地下鉄の改札を出ると、その駅にあるらしい神社への案内の看板が目に入る。雑渡の住むマンションもその近くのようだった。駅の階段を登れば、国道の傍に出た。神社があるおかげか、街は派手さや騒がしさからは少し離れて感じる。国道を背にして、緩やかな坂を登った途中に、目的のマンションを見つけた。
 自動ドアをくぐり、エントランスホールに入ると、オートロックのドアの横にインターホンがあった。なんだかやけに喉が乾いて、リュックからペットボトルを取り出してお茶を口に含む。緊張ごと飲み下すと、ぐっと鳩尾の下に力を入れて、部屋番号を押した。
 出てほしいような、出てほしくないような気持ちが腹にぐるぐると渦巻いて、唇に力が入る。時間がやけに長く感じ、もう帰ろうと踵を返したときだった。
……はい」
 インターホンから、低く響く声が聞こえた。
「あ、あの! こんにちは! 善法寺です!」
 思わず声が上擦った。大きな声がしんとしたホールに響いて、さっと頬に熱が差す。
……あぁ。雑渡です、どうぞ」
 淡々とした声のすぐ後に、かちゃりと機械音がして、自動ドアのロックが外されたことが分かった。中へ進むと大判タイルの壁と足元に飾られたグリーンを間接照明が品よく照らしていて、場違いに思えて一瞬足が止まりそうになる。
 エレベーターで最上階の5階まで上がる。雑渡の部屋は一番奥にあるようだった。一歩進むごとに心拍数が上がる。伊作は息を詰めて早足で部屋を目指した。
 たどり着いたドアの横には部屋番号の書かれた金のプレートが埋め込まれていて、その下に「Zatto」と筆記体で書かれた小さな表札がついている。
 えい、とインターホンを鳴らすと、驚くほどすぐにドアが開いた。
 
「はい」
 
 黒い影が現れた、と思った。
 すぐにはっと顔を上げると、黒く鋭い眼と視線がぶつかる。スウェットに包まれた広い肩幅と厚い胸板が、黒い影のように思わせただけだった。切れ長の目、すっと通った鼻梁、横幅のある薄い唇。黒い革の眼帯が左目を覆っていて、周囲の肌は赤茶に変色している。
 ――火傷の痕。
 伊作はさっと頭を下げた。
「あ、あの、色々とお世話になっております。僕、善法寺です」
 弁護士というものだから、インテリを絵に描いたような人物を想像していたのに。用意していた挨拶の文句もどこかに飛んでいってしまって、情けないくらいにしどろもどろだった。
「よかったら、どうぞ……
 頭を下げたまま、焼き菓子の入った紙袋を差し出す。差し出しておきながら、果たしてこの体躯の人に焼き菓子というチョイスは正しかったのだろうか、と急に不安になってきた。雑渡に頭からつま先までをじろりと見られて、心臓がばくばくと早鐘を打つ。光を吸い込むような黒い瞳はすべて見透かすようで、悪いことをしたわけでもないのにその場に縫い止められたようになった。
……そっか。大きくなったね」
 雑渡がおもむろに紙袋を受け取り、伊作は思わずはっと顔を上げた。視線がぶつかるが、黒い瞳にはただ眉根を下げる伊作自身が映るだけだった。返す言葉を選んでいる間に、雑渡が大きくドアを開けた。
「まぁ、とりあえず上がってよ」
 促されるまま、伊作は家の中に入ることになった。黒い大理石調のタイルが光る玄関は、伊作のアパートの玄関の二倍はありそうだ。「おお……」と、つい声が漏れる。廊下に並ぶドアの数からすると、ファミリー向けのマンションだろう。家族と一緒に暮らしているのだろうか。よく考えてみたら、名前と弁護士であること以外は雑渡のことを何も知らなかった。
「お邪魔します」
 玄関に腰掛けて、スニーカーを脱ごうとしたとき、パーカーのポケットの中でスマートフォンが震え出した。途切れない振動から電話だとわかる。しかし雑渡の手前取れず、そのうちに振動が途切れた。
 雑渡の案内に続いてリビングへと入ろうとしたそのとき、再びバイブ音が鳴り響いた。
「出ていいよ」
 伊作がそわそわと身じろぎをしたのを見てか、雑渡が目線でポケットを示した。小さく頭を下げてからポケットのスマートフォンを取り出す。
 画面には、養母の名前があった。
……もしもし、どうしたの」
「あっ! やっと出た! 伊作くん! ニュースつけて!」
 スピーカーにしなくても聞こえるほどの慌てふためいた声に、伊作は思わずスマートフォンを耳から遠ざけた。すかさず雑渡がローテーブルの上に置いてあったリモコンを手に取り、テレビをつける。
 六十インチほどもある薄型テレビ画面に中継の文字が映しだされる。そこには、ヘリコプターから撮られているであろう燃え盛る炎の映像。
――激しい炎が上がっており……
 火事がどうしたというのだろう。
 雑渡の方をちらりと見れば、同じく戸惑っているのか、口元に手を当てて眉間に皺を寄せている。
――工事現場の地中にガスボンベが埋まっていたものと見られ……隣接するアパートに……
「あ!」
 工事現場の前に「ご迷惑をおかけします」の看板が落ちている。その横で炎に包まれている、見覚えのある青いタイルのアパート。ということは、今まさに燃え落ちようとしている角の部屋は。
……ふっ、」
 上から、息のような声が聞こえた。
 聞き間違えかと雑渡の顔を見上げると、堪えきれなくなったのか喉奥でくつくつと笑い出した。
「ははは」
 ついには大きな口を開けた雑渡に、笑いごとじゃないと怒るべきだったかもしれない。
 
――この人、こんな風に笑うんだ……
 
 先の尖った犬歯から目が離せなくなったのは、現実離れした状況に混乱していたせいだろうか。
 雑渡はすぐに平静な表情に戻ると、伊作に手のひらを差し出した。
「え?」
「貸して」
……え?」
「電話、貸して」
 雑渡に言われて通話が途中だったことを思い出した。
 伊作がまごついている間に、雑渡が手からスマートフォンを掠め取った。
……はい、はい。ちょうど挨拶に来てくれていて。無事です。こちらは大丈夫ですから。新しい家が見つかるまでの間うちで預かりますので、ご安心ください。ええ、心配なさらないでください、お体に気をつけて。それでは」
 切電ボタンを勝手に押して、スマートフォンが返された。そしてポケットからスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけだした。
……ええ、雑渡です。はい、ニュースで。みなさんはお怪我はないですか。……そうですか、よかったです。善法寺くんはうちにおりますので、私の連絡先は先般の書類のご確認ください。では、また後ほど連絡します」
 唖然としている間に電話は切られた。
 まるで外国の歌でも聞いてるかのように、話は右から左へ流れていった。うちで預かるってなんだ。荷物のことだろうか。
「ということで、次の部屋が見つかるまで、うちに住んでね」

 
――え!」

  
 返されたスマートフォンは、伊作の手をすり抜けて足の小指の上に落ちた。