ゑ/圓堂
2026-03-28 22:00:00
7283文字
Public 是空本丸
 

【刀剣乱舞】主数Twitterログ01【創作男審神者×数珠丸恒次】

Twitterに文庫ページメーカーで上げた小話まとめたかじゅず編。今年に入ってから今日までに上げたものをまとめました。
冬の白い吐息にまつわる小話『滲む、』
風邪をこじらせた隆治を数珠丸が看病する小話『献身の名の下に』
仕事道具の手入れをする隆治と複雑な想いを抱いてそれを眺める数珠丸の小話『明鏡止水の細波』
中傷状態の数珠丸に初めて遭遇する隆治の小話『瑠璃色の石榴』
の四本立てです。


【瑠璃色の石榴】

その日、是空本丸の現審神者である東雲隆治は、現世滞在を終えて是空本丸へと久方振りに戻ってきたところであった。審神者である以前に、隆治には社寺彫刻師という仕事がある。細々とした調度品や仏壇の細工パーツのみであれば、本丸に居る間でも作業が出来るのだが、寺院の建築物への彫刻になるとどうしても現世に戻らねば進められぬ。この度も馴染みの寺院から欄干彫刻の修繕依頼を受けて、暫く本丸を留守にしていたのである。
自宅の屋根裏へと通じる戸板を外して、いつしか見慣れた本丸の母屋に足を踏み入れる。どうやら雨が降っているらしく、しとしとと世界が水に浸る音が満ちている。ひんやりとした湿度の高い空気が隆治を包んだ。脚に障るな——と案じつつ、一先ず現在の本丸の食材の状況を確認しようと、隆治は厨へ向かった。

厨の入口をくぐると、既に先客の影が見えた。
幽遠な日本画の如き佇まい。優美な曲線を束ねた墨色の長い髪。
隆治はその後ろ姿に、一度は安堵する。

数珠丸さん——と声を掛ける前に、人影が音もなく隆治へと振り向いた。
驚いたように伏せた睫毛が震えるのが、隆治の目にも明らかであった。
——主、いつお戻りに……
「や、ついさっきだけど、それより数珠丸さんあんた、」
大丈夫なのか——隆治の語尾が上ずり、掠れた。眼前の数珠丸恒次の上体——肩から胸の下辺りにかけて、赤黒い穢れが滲んでいる。人形のように端正な輪郭にもそれは擦り付けられ、彼が先程まで身を置いていたらしい壮絶な戦模様をまざまざと隆治に見せつけた。
数珠丸恒次の有様を認知した途端、隆治は厨の中に満ちる濃い血の匂いを知覚する。湿度によって増幅されたその臭気は、しかし何処か甘美な余韻を秘めていた。

時間遡行軍なる強敵を撲滅せんと生み出された刀剣男士の主として、隆治が審神者に就任してから既に年単位の時が経つ。しかし、隆治はこの時初めて、刀剣男士が所謂『中傷及び重傷』の状態である様を目の当たりにしたのである。それは決して隆治が日頃、刀剣男士らを顧みないなどということではない。あくまでも現世においては一般市民に過ぎない隆治を慮って、彼らが見せぬように努めていたのだ。それは隆治も薄々感じていたことではあった。

数珠丸恒次は、珍しくありありと血に汚れた顔を曇らせ、深く溜息を吐いた。
「大丈夫です。手当は必要ですが、折れるというほどの損傷ではありません。——申し訳ありません、このような姿で厨に入ってしまい」
手入れをする前に、どうしても一杯水を飲みたかったのだと数珠丸恒次は続けて説明した。しかし、隆治が気にしているのはそんなことでは無い。それは明白だ。
「いや、そうじゃなくて……痛くないのか?」
「痛まないといえば、嘘になります。ですが、この程度であればまだ活動を続けることは可能です」
数珠丸恒次の申告は、隆治の鼓膜を無為に震わせるだけで、一向に内容が脳髄まで至らない。数珠丸恒次という刀剣男士は元来人ならざる姿形をしている——日々彼と接する中で常日頃隆治は感じているが、今この瞬間ほど、隆治は数珠丸恒次との種の隔たりを実感したことは無かった。
在りし日に触れた彼の皮膚を、体温を、言葉を交わして受け取った心を、隆治は脳裏に浮かべる。隆治が識る数珠丸恒次のどれにも、今目の前にある彼は当て嵌まらない。

余りにも——無機物なのだ。
ぱっくりと開いた鮮やかな傷口の生々しさとは裏腹に。
隆治は、えもいわれぬ倒錯に軽い目眩を覚えた。

——それでも、早く手当てした方がいい。終わったらゆっくり休んでくれ」
——、解りました。お気遣い、感謝いたします」

隆治の精一杯の気遣いに、数珠丸恒次は一先ず応えたといった素振りで、手にしていた空のグラスをさっと洗うと厨を後にした。
すれ違いざま、血潮の馨が一層強くなる。隆治は自身の内側から湧き上がる、得体のしれない感情が噴出しそうになるのを、どうにか堪えた。

数珠丸恒次の足音が完全に雨音に溶けたのを確認してから、隆治はよろめく足で調理場の椅子へと向かい、崩れ落ちるように座面に腰を下ろした。きつく目を閉じて、深々と息を吸い、吐く。甘い鉄臭さが体内に満ちる。
そうして隆治は、やがて夕餉の支度の手伝いにやってきた前田藤四郎に声を掛けられるまで、暫くそのまま動くことが出来なかった。まるで見てはいけないものを見てしまったが故に、解くことの出来ぬ呪いをかけられたかのように。

邪気を祓う瑠璃を侵すようなあの毒々しい紅を、今もこの先も隆治は、忘れられずにいる。