柳堂知羽@一次創作
2026-03-20 20:30:09
11556文字
Public ⬛︎みえナい
 

そうして今日もみえナい【サンプル:通販あります】

何も起こらなかった、彼が知らないだけで。何も知らぬまま、ハヤテの日常は続いていく――。



控室には他のエリアを担当している同時期に入った同僚が先に休憩していた。ちなみにこのスタッフは、ハヤテに今回の仕事を融通した仕事仲間の友人らしい。そのためか顔を合わすとちょくちょく仕事仲間の状況を教えてくれる上に、自身が知っている不思議な話や都市伝説関連の噂を話してくれる。きっと仕事仲間から事前にハヤテについて聞いているに違いない。
話を聞く限り、この同僚と仕事仲間は本当に仲が良いのだろうと思う。好んでいるものの系統や、進もうとしている道が似ているからだろう。だからこの同僚には警戒することなく、フラットに話をするようにしていた。
そして、今回もまた何か新着情報でも教えてくれるのかなと思ったのだ。なに、控室に入った時からずっとハヤテに何かを話したくて仕方がないような顔をしているのが丸わかりだったから。
―― ねぇ、こんな話知ってる?
同僚はいつもこの語り口から話を始めるのだ。
「表に出していない上にリストにも入っていない。なのに何故かいつも展示されてる変な絵があるんだって」
知ってた?と、どこか挑戦的な表情を浮かべる同僚に、ペットボトルのお茶を飲みつつ、一つ瞬きを返した。
目の前に座る同僚はそんなハヤテの様子に満足げに目を細める。きっと、ハヤテの目の中に好奇心の色が浮き上がったのが分かったのだろう。この人はある意味ハヤテに近しい部分があるから、どういうものに心をときめかせるかについてよく理解しているに違いない。トラがこの場にいたら盛大に眉を顰めているだろうが、今のハヤテは話の続きが気になって仕方がないのだ。
鞄の中からチョコレートの包みを取り出し、すっと差し出す。これはスーパーで少しだけ安くなっていた大容量パックのチョコレートで、アルバイトの休憩中の甘味摂取にちょうど良いと重宝している。同僚はちらりと机の上を見やると、片眉だけつい、と上げた。なるほど、なるほど、とハヤテは観念したように鞄からもう一つチョコレートを取り出して差し出す。すると同僚は花がほころぶような笑みを浮かべてチョコレートを受け取り、早速口に放り込んだ。どうやら小腹が減っていたらしい。
もう一つ追加でチョコレートをおくと、やっと話の続きを喋る気になったようで、そのことにハヤテはほっとしつつ全神経を目の前にいる人物へと向ける。
その目はトラ曰く「好奇心の化物」の名にふさわしい熱のこもった温度で揺らめいていた。

**

「あれ、トラさん」
結局今日も件の鏡の濁りは綺麗にならなかったし、学芸員から聞いた絵も見つからなかった。これらは継続して探すとして、今日新たに聞いた話については明日から探すぞと息巻いている。
アルバイト先で面白い話がぞくぞくと出て来ているのは僥倖である。やはり、ここには何かあるのだ。ハヤテの厄介な勘が告げたここは当たりだという言葉に偽りはなかった。――多分。
まだ何も見つかっていないから、多分としか言えないのも事実である。なんて、晴れやかな心地で美術館を後にしたら、道中でトラに出会った。
「労働お疲れさん」
「お疲れ様です!労働頑張りました」
トラは駅までの道の中でひときわ大きな木にもたれかかりぼんやりとどこかを見つめていたが、ハヤテを見かけると目に光を取り戻しながら顔を向ける。すると途端に眉間に皴が寄るから、ハヤテは心配になってしまった。こんな綺麗な顔なのに眉間の皴が癖になってしまったらどうしようか、と。
どこかずれた心配をするハヤテを気にすることなく、トラは大股で近寄ると昨日と同じく首筋に鼻を寄せる。すん、という音が耳元で聞こえてくすぐったい。こういう時、ハヤテの脳内には巨大な猫が思い浮かぶのだ。切れ長の目をした黒いツヤツヤとした猫。そんな姿を思い浮かべながら、ハヤテはこそばゆさに身を捩る。
ここ最近思うのは、トラは犬よりは猫に近いということだろう。どこまでも気まぐれで、つんけんしているようで、そのくせ情が深い。ああ、でもサイズ的に猫ではないな、とまたもや思考が逸れていく中、トラの顔が離れていく。
その整った顔は不審げな色に満ちているものの、どこか戸惑いすら感じているように見えた。
「オマエんとこの職場、昼間に肉が出んのか?」
「え、何ですかその素敵な職場」
またですか、の代わりにハヤテは目が輝かせて斜め上の返答をする。実際素敵だと思うのだ、昼ごはんに肉を出してくれる職場なんて。
そんなハヤテの思考くらいお見通しなのだろう。トラはついぞ深々と溜息をついた。その上でガシガシと乱暴に自身の頭をかくとくるりと背を向けて歩き出す。その背中を慌てて追いかけ隣に並ぶと、いつものように自分よりも高い位置にある顔を見上げた。
今日もトラはぶっきらぼうだ。黙っていれば強烈なまでにうつくしい男なのに、その幻想を進んで打ち破るような破天荒っぷりすらも見せつけてくる。
美術館の噂は確かに面白いし、三ヶ月の間でできる限り全てを確認するつもりではある。だがそれらの噂よりも、なんだかんだでこの男の横にいる方が面白いとハヤテは感じている。そうでなければ、この心の跳ねようを説明できないのだ。
それに、ハヤテの勘はこうも言っている。そうだその直感は正しい、と。トラが厄介だと宣うハヤテの勘は正しく「面白い」を認知するのだ。
「そうそう、今日面白い話を聞いたんですよ」
――あの美術館に怪しい絵があるんですって。
ハヤテの歓喜に満ちた声にトラが目を大きく見開く。
夜になったからか街灯が照らす駅までの道は明るいけれど暗い。その明暗がくっきり分かれている場で、切れ長の目が黒と紅にグラデーションになっていることにハヤテは気付かない。
その呑気な大きな目は駅に続く道に向いている。行き先は明るいのに街灯で照らされていない部分は夜に呑まれている。少しでもルートを外れれば溶けて消えてしまいそうだ、なんてハヤテは考えない。そもそも、体が闇に溶けてしまいかけても構わないのだ。いくら周囲が常闇に支配されていても、光に向かってただがむしゃらに、真っ直ぐに歩き続けてしまう。それが涼風ハヤテなのだ。
「見る人によって描かれているものが変わる、そんな″面白い″絵があそこにはあるんですって!」
トラの目が紅く染まる。だが、目の前の道だけを見つめるハヤテはそのことに気付かない。ただただ、その大きな茶色の瞳は好奇心に突き動かされて熱く揺らめいていた。