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2026-03-19 23:49:59
18230文字
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拝啓、『その人』ではないあなたへ

俺を選べ記念日に書きたかったスバベアのお話
CP要素はありませんが、ペト→スバの描写多めです
時系列は聖域後とプリステラの間くらい



  ◆


「それで、ベアトリスちゃんはスバルになにを買うの?」

 王都の商店街を歩きながらそう口にしたペトラの屈託のない笑顔に、ベアトリスは目を見開いて身体を強ばらせる。

「だ、誰が口を割ったのよ……!?」
「怒らないであげてね。みんなベアトリスちゃんのこと心配してたから。もちろんスバルも、わたしも。わたしなんて大慌てで厨房に入っちゃってフレデリカ姉様に叱られちゃったくらい」
「ふんっ、大きなお世話かしら。買い物だってなんだってベティー一人で十分なのよ」
「でもわたし、ベアトリスちゃんとこうしてお買い物できるのすごく嬉しいよ。ベアトリスちゃんは嫌?」

 うぐっ、とベアトリスが言葉に詰まる。素直な眼差しを前にすると自身の捻くれた性格が際立って気まずかった。
 背丈もさほど変わらないというのに、なぜかいつもペトラには強く出られない。別に弱みを握られているようなことはないはずだけれど、にこにこと笑いながら手を引いてくれるペトラの存在はベアトリスにとっても戸惑い半分、心地良さ半分といったところだ。決して嫌なわけではない。

……スバルは、」
「うん」
「ベティーにたくさんのものをくれたかしら」

 誰に言うわけでもなく、ベアトリスは語る。
 朝起きたときの陽の光は、眩しくて煩わしいだけのものではないこと。
 晴れの日は外に出ると気持ちがいいこと。
 靴下に付いた泥汚れはなかなか落ちないこと。
 タマゴを上手く割るには『コツ』がいること。
 会話は日常に彩りを添えること。
 花冠は見よう見まねでもそれなりに編めること。
 おやすみと言い合って眠りにつくと、きらいだった『明日』が楽しみになること。
 握る手が、いつだってあたたかくて優しいこと。
 名前を呼ぶといつだって嬉しそうに笑ってくれること。

「だからなにかひとつでも恩返しができたらって……そう、思ったかしら……

 認識阻害ローブをぎゅっと握りながら、ベアトリスが俯く。
 ローブを被っていようと、横にいる人物がベアトリスだと認識しているペトラに阻害効果はない。だから、しっかりとその落ち込んだ表情が見て取れた。
 きっとベアトリスは、スバルから日常に散らばるたくさんのきらきらを教えてもらったゆえの感謝を伝えたいのだろう。それもできればスバルがありったけ驚いて、喜ぶような方法で。となれば、やはり贈り物一択と考えたのも頷ける。ベアトリスの突飛な行動にもこれで合点がいった。

「でもなにを贈ればいいかわからなくて悩んでる、と……

 こくりと控えめにベアトリスが頷く。
 ――スバルのことだから、どんなものでもベアトリスちゃんがくれたものなら大喜びしそうだけど。
 そう言いかけた口をペトラは慌てて噤んだ。求められている答えはきっとそれじゃない。し、ベアトリスもそんなことはわかっているのだろう。わかっていて、それでもスバルのためになにかしたくて堪らないのだ。
 ベアトリスがこれまでどんな境遇にあったのか、抱えた暗い思いのすべてをペトラは知らないし本人が口にしないことを知ろうとする気もない。けれど大切だと思う人に――スバルになにか気持ちを伝えたいという衝動だけはペトラにも覚えがある。だからこそこうしてベアトリスの助けになりたいと自分から動いた。

「ベアトリスちゃんは、スバルのことだいすきなんだね。だからありがとうって伝えたいんでしょ?」
「だ……っ!?」
「わたしもスバルのこと大好き。おんなじだねっ」

 どちらかというとお嫁さんにして欲しい、のほうの好きだから多分、ベアトリスちゃんとはちょっぴり違う『好き』だけど――
 反応がないことが気になり、ふと覗き見たベアトリスの横顔がリンガのように真っ赤になっている。どうやらベアトリスはスバルに対する特大感情を今この瞬間に自覚してしまったらしい。

「ベティーは、スバルのことが、だいすき……
「うん」
「スバルはベティーのことがだいすきで、ベティーもスバルのことがだいすきかしら……?」
「うんうんっ」

 ひとつずつ、花が綻ぶようにベアトリスが解を掴んでいく。
 ベアトリスが言うように、スバルはベアトリスのことが大好きだ。本当に純粋に、なんの混じり気もなくスバルはベアトリスを心から愛おしく思っている。
 そのことに対してペトラが嫉妬を覚えたことはない。ペトラの好きなスバルは、いつだって誰かのためにまっすぐで、誰かを本気で愛している。その誰かのうちのひとりになるべく、ペトラは今日も今日とて恋する乙女道を堂々と突き進んでいるのだ。そんなの、可愛くないわけがない。

「ねっ、ベアトリスちゃん。スバルにそれ、伝えてみない?」

 はたと閃き、ペトラは未だに頬を上気させているベアトリスの小さく柔い手を取った。

「つたえる?」
「そう! スバルに、ありがとう、だいすきってお手紙を書くのはどうかな? ここになら可愛い便箋もたくさんあると思うし!」
「て、手紙なんて書いたことないかしら。うまく書けるかわからないのよ……
「うまく書こうとしなくてもいいんじゃないかな。ベアトリスちゃんの気持ちがこもったお手紙なら、スバルはきっと大喜びだもん」

 でも……とやはりベアトリスの瞳が迷いで揺れる。そんな彼女を前にペトラは莞爾として笑い、そうして「それなら!」ともう一段階強くその手を握った。

「それなら、わたしはベアトリスちゃんにお手紙を書くよっ」
「ペトラが……ベティーに?」
「うん! お手紙って不思議でね、普段は口で言うのは恥ずかしいことも、お手紙なら結構すらすら書けちゃうんだよ。わたしは時々お父さんとお母さん、あとフレデリカ姉様にもお手紙を書くの。あとは村のみんなのお誕生日会のときにも! だからベアトリスちゃんにも、わたしが書いたお手紙受け取って欲しいな」

 ぱちぱちと青空を瞬かせながら、ベアトリスはゆっくりと時間をかけてペトラの言葉を飲み込んでいく。
 包み込む手が、優しさが、ベアトリスの強ばった身体と心を解していくようだった。

「それにお手紙なら読むまでどんなことが書いてあるかわからないから、ベアトリスちゃんが言ってた……さぷらいず? にもぴったりじゃない?」

 名案とばかりに片目をつむり人差し指を立てたペトラに、ベアトリスは素直に頷く。
 伝えたいこと、言いたいことが心のなかにたくさんある。ありがとうも、ごめんねも、だいすきも、愛してるだって。
 ありったけの言葉をいつもスバルは余すことなくベアトリスへと注いでくれるけれど、そのうちのどれだけの気持ちを返してあげられているだろう。
 距離感がうまく掴めなくて、さっきみたいに勝手に怒って拗ねて、スバルの優しさを突っ返してしまうことだってある。
 あんなに長いあいだ禁書庫に独りでいたのに、もう一人で一日を過ごすなんて考えられない自分がいる。
 人間の一生は人工精霊であるベアトリスにとってはほんの一瞬だ。それなのに、スバルがくれるあたたかさに慣れちゃいけないと思ってはいても、ずっといつまでもそこにあると勘違いしてしまう。

「ペトラ、」
「どうしたの? ベアトリスちゃん」

 ようやく最近、躊躇いなく口にできるようになったその名を呼んで、ベアトリスは再び潤み始めた瞳で懇願するようにペトラを見つめた。

「ベティーがどんな我儘を言っても、きっとスバルは本気で怒らないかしら。でも、だからこそ……ずっと、ずうっと一緒にいたいって……もしもベティーがそう言っても、スバルにはベティーのことを嫌いにならないで欲しいのよ……

 今でもたまに、差し出されて取ったその手をスバルのほうから離される悪夢を見る。
 それは母の言いつけを破り、約束さえ守れなかった自らの罪悪感からくるものだとわかってはいても、夢とはいえスバル本人から冷たい視線を向けられ拒絶されればどうしても心は軋んだ。
 いつかスバルはベアトリスを置いていく。それはきっとスバルの意志とは無関係に、けれども必ずその日は訪れる。だからこそスバルもベアトリスも一日一日を噛み締めて、大切に生きているつもりだ。
 ただお互いがそうあろうとしているだけで、決して約束を交わしたわけじゃない。ベアトリスがスバルに対して『ずっと一緒』を願ったわけでもない。
 ベアトリスがその願いを口にしてしまったらスバルの枷がひとつ増えてしまうことはわかっているし、それをスバルが嬉しく思うことだってちゃんと理解している。
 でも、でも。ベアトリスは、スバルに――大嫌いと、そう言ってしまった。
 孤独を諦める勇気も禁書庫から引きずり出される覚悟もなかった時分だったとはいえ、寄り添おうと気を揉んでいたスバルへ心ない言葉をたくさん、たくさん浴びせてしまった。
 そんなベアトリスが語る『だいすき』に、どれだけの重みがあるというのだろう。

「ベアトリスちゃん……
 
 ぽろぽろと涙を落とす少女の頭を、ペトラは先ほど想い人がしたように優しく手のひらで撫でる。
 いつ、どんなときだってやさしい人でありたい。憧れ恋い慕っている、夢も運命さえ変えてくれたあの人みたいに。

――ベアトリスちゃん、わたしね。スバルの優しいところが大好き。優しすぎるところはちょっぴり心配だけど、でもそれがスバルだから、わたしはスバルのことが大好き」
……ペトラ」
「それとね。わたし、ベアトリスちゃんのことも大好きっ。最初はあんまりお話できなかったけど、でも今はこうして名前を呼んでくれて、たくさんお話もしてくれて……本当に嬉しい! ありがとう、ベアトリスちゃんっ」
「そん、な……ベティーはお礼を言われることなんてなにも、」

 ううん、とペトラは静かに首を振った。そして、

「そんなことないもん。わたし、ベアトリスちゃんとお友達になれてすごく、すごく嬉しかったから。だから『ありがとう』でいいんだよ」

 目を見て、まっすぐにベアトリスへと感謝を伝える。その笑顔は太陽の光をたくさん浴びて育った花のようで、ベアトリスには少しだけ眩しかった。

……べ、ベティーも、ペトラのことがだいすきかしら……

 喉の奥からベアトリスが懸命に声を絞り出す。たどたどしく紡がれたその言葉を理解したペトラは一呼吸遅れて目を見開くと、次の瞬間、満面の笑みを湛えベアトリスに抱きついた。
 勢いに押されよろめきつつもしっかりと少女を受け止めたベアトリスは僅かに口角を上げて自身のなかにあるペトラとの思い出を振り返る。
 なかなか名前を呼べず馴染めないベアトリスを気遣ってか、ペトラが自室に呼んでお泊まりをさせてくれた夜があった。
 健康優良児の彼女と言葉を交わす時間はそんなに長くはなかったけれど、それでもあの夜はベアトリスにとっても特別で、あれがあったからこそベアトリスはペトラに対して壁を取り払うことができた。だから、

「ありがとう、なのよ。友達になってくれて」
……うん、うんっ! こちらこそ!」

 ペトラの嬉しそうに咲いた笑顔が、かつて親しかった友達と呼びたかった子の笑顔と重なる。
 もっと早くに素直になれてたらなにか違っただろうかと思いつつ、けれど、スバルが連れ出してくれた今の自分だからこそ言えた言葉がこれなのだろうとベアトリスは目尻に残ったままの涙を指先で払った。


  ◆


 それで! と、自身の右手とベアトリスの左手を繋ぎ、揚々と歩きながらペトラは声を上げた。

「お手紙を書く便箋、どのお店で買おっか?」
「オットーによく立ち寄る文房具屋を教えてもらったかしら。そこに行くのよ」
「そうなんだ。オットーさんのおすすめなら間違いなさそう! ……それで、ね。そういえばベアトリスちゃん、お金って持ってるの?」

 そう。ペトラは、ずっと疑問に思っていた。
 というよりも若干の焦りを抱えてすらいた。
 なにを隠そう、今のペトラは金銭の類を持たされていないのである。そもそも一人で街に行くのは危ないからと買い物は同じメイドの先輩であるフレデリカやラムと赴くことが多く、二人の手が空いていなければスバルやオットーが着いてきていた。今回も例に漏れずお金はスバルが所持している。
 そのため、もしもここでベアトリスが一文無しだった場合、ペトラたちはここまで歩いてきた結構な距離を手ぶらで折り返しスバルのもとへ走るしかないのだ。あんな分かれかたをしておいて、さすがにそれは些か間抜けだろうと思う。

「心配無用かしら」

 しかしそんなペトラの心配を他所に、ベアトリスは懐から得意げに金貨袋を取り出した。
 じゃらりと音を立てるその袋にどれだけの金貨が詰まっているのかを想像するだけで、もともと町娘であるペトラの目は自ずと輝いてしまう。労働の対価として金銭を得ている身である以上、こればかりは仕方がない。

「ベアトリスちゃんってお金持ちだったんだ……!」
「ふふーんなのよ。これはロズワールからかっぱらってきたものかしら」
「えっ、それ旦那様のお金なの?」
「もともとはそうだけど『ベアトリスにもたまにはお小遣いが必要だろうからねーぇ』ってくれたものだから、今はもうベティーのお金なのよ」

 身の丈以上のお金を与えられてちょっとばかし興奮したベアトリスが袋を振るたび、なかの金貨がじゃらじゃらとその価値を主張する。
 ペトラはその様子を眺めながら先ほどから漂ってくる好物の香りと、お金の出処と、お腹の空き具合と、その他諸々のロズワールへの感情を天秤に掛け――

「ねえベアトリスちゃん。わたし、ベアトリスちゃんと一緒に食べたいものがあるんだけど……

 己の欲望に忠実になることにした。訂正。可愛い小悪魔になることにしたのだった。

 

 

「ん〜〜! やっぱりおいしいっ、あまーい!」
「は、初めて食べたかしら……! こいつ、こんなに大きいくせに口に入れたらなくなるのよ……!?」
「しゅわって溶けちゃうよね! お屋敷で働くようになってから最近は王都からこっそり買い寄せてもらってたけど、やっぱりここで食べるフワフワは特別に美味しいっ。ベアトリスちゃんと一緒に食べてるからかも!」

 店の横にある椅子に二人並んで座り、木の棒に巻きついた綿雲のような細い飴の塊を頬張りながら、ペトラは上機嫌に眉を下げ頬っぺたを押さえる。
 一方でベアトリスは一口ごとにその食感に驚き、口内に残る甘さを目を丸くしながら堪能していた。

「アーラム村にいたときにね、商人さんが王都から持ってきてくれたの。初めて食べたときからずっと大好きなんだ」

 フワフワは王都でも有名な菓子のひとつだ。一口食べてペトラを魅了したそれは行商人が村へと持ち込んだという背景もあり決して頻繁に食べられるものではない。
 そうして久しく食べる機会を失っていたが、ロズワール邸で働くようになってから取り寄せができると知り、ペトラはたまにこっそりと自身の給料で買い寄せている。こればかりはほんのり癪ではあるが、ロズワールに感謝だ。ほんのり癪ではあるが。

「オットーさんがおすすめのお店もここのすぐ近くみたいだし、ちょうどよかったね」

 ベアトリスの持ち金を自身の好物のために使わせるのに罪悪感がなかったと言えば嘘になるが、本来の目的であった文房具屋の場所を菓子屋の店主から聞けたのは大きな収穫だった。寡黙という名の引っ込み思案であるベアトリスの代わりにペトラが話を聞いたので、それで貸し借りなしになったと思いたい。

 商人であり、陣営の内政官としても日々業務をこなすオットーが勧める店なだけあって、文房具屋の品揃えは目移りしてしまうほど豊かだった。
 迷いながら、時には相談し合いながら、ベアトリスとペトラはそれぞれ思いを綴るための装飾紙とペンを購入した。

「フワフワのお金も払ってもらったのに、わたしのぶんまで買ってもらっちゃってよかったの?」
「いいもなにも、これはベティーなりのお礼のつもりなのよ。受け取ってくれたらそれでいいかしら」
「えへへ、ありがとうベアトリスちゃん。わたしこれでたくさんベアトリスちゃんにお手紙書くねっ」

 ペトラの言葉にベアトリスが照れくさそうにそっぽを向く。素直になれない彼女の顔は、しかし嬉し気に綻んでいた。それを見てペトラもますます気分がよくなる。

「それ、スバルすごく喜ぶと思う!」

 ベアトリスの手に握られた綺麗に包装された小箱を指差しながら、大きな瞳を輝かせたペトラがはにかむ。
 なかには先ほど文房具屋で見つけたハンカチが入っていて、黒を基調とした上質なそれは公の場で使っても浮かないだろうとベアトリスがスバルへの贈り物として購入したものだ。

「ハンカチかぁ……ふふっ」

 ペトラもハンカチにはちょっぴり思い出がある。
 旅の無事を祈って相手の手首に巻くという古い風習で贈った白いハンカチは、両親が結ばれるきっかけになったのはもちろんのこと、自身が想い人であるスバルへと渡したことで彼が約束どおり無事に聖域から帰ってきてくれたことを意味する。
 命の危機に面して名前を呼んだ刹那に駆けつけてくれたあの夜のことをペトラはずっと覚えているし、生涯忘れることはないだろう。むしろあの日の感情はひとつ残らず覚えていたいとさえ思う。
 それはスバルに対する純粋な恋心だけでなく、ロズワールに対する複雑な感情もまた忘れたくない気持ちのひとつだ。
 誰かが許しても、いつかみんなが許しても、ペトラはロズワールを許さないと決めている。スバルのように優しくありたいとするペトラに、許すことと優しくすることは同等ではないとオットーが教えてくれた。
 だからそれでいいのだと、同じくロズワール許さない同盟を結ぶオットーから在り方を認めてもらったペトラは、今も変わらずロズワールを許してはいない。

「ねえねえベアトリスちゃん。そこの喫茶店のお外の席を借りて、紅茶を飲みながらお手紙を書くのはどうかな?」
「奇遇かしら。ベティーも今そう言おうと思ってたところなのよ」

 どちらからともなく二人の手が触れる。
 ベアトリスは左手を、ペトラは右手を差し出し、しっかりと繋ぎながら上品な香りが漂う喫茶店へと、足を踏み入れた。