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沁月
Public
ウ教×ハ♀ 相思相愛 読み切り
緑色した流れ星
MHRウ教×ハ♀。夫婦。
待ち遠しかった約束の日に。
1
2
3
早朝のひやりとした空気を裂いたのは、脚に
文
ふみ
を
括
くく
り付けたフクズクの羽音。
娘もウツシも、それがカムラの里長フゲンのフクズクで、急を要することが起きたのだと、寒気と共に悟った。
出かけるために早く起き、朝食を終えてその片付けも終え──これから、待ち遠しかった今日という日が始まらんとした時の、歯車を狂わせるような急報。
それはフゲンの
懐刀
ふところがたな
である、ウツシに宛てられたもの。
(まさか、こんな
……
。よりによって
……
この日に、こんな
……
)
密かに血の気の引いたウツシの心の声は、虚しく彼の内のみで木霊する。
突然のその一報によって、昨日まで──厳密には1ヶ月前から続いていた娘の至福と歓喜は、現実に打ちのめされ、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。
何を優先すべきか、ハンターとして、里の一員としての自分自身の立場も、夫の立場も分かっている
故
ゆえ
、なおさら、張り裂けそうなほど胸が苦しかった。
その苦しさを隠すように、先日ともまた異なる幼子のように膨れっ面をして、畳の間の片隅に、背を向けて膝を抱えて座りこむ。
彼女の隣には、今日のために用意された二つの革鞄が役目を果たせぬことを察したように、妙に淋しげに並んでいた。
まさか、ここまでへそを曲げられ、いや、落ち込まれてしまうとは──と、ウツシは内心、泡を食っていた。
彼とて断腸の思いで装備も道具もすっかり任務用に整えたのだが、眉を大きく八の字に下げたまま、動けないでいる。
必死に頭を回転させ、最愛の人の背に向けて、らしくない
細声
ほそごえ
を投げかけた。
「うう
……
ま、愛弟子
……
」
「
……
」
「ま、愛弟子
……
ごめんよ、愛弟子
……
! まさか今日に限って、緊急の任務が入るとは思わなくて
……
!」
告げるウツシの声にも、いつものような張りはなく、不安定で、震えていて。目の前の現実にも、その声にも、娘の胸は
軋
きし
むように痛んだ。
「
……
分かってます、ごめんなさい、分かってるんです
……
緊急ですもんね」
「う、ん
……
。ごめんね
……
今日のお出かけ、ずっと前からの約束だったのに
……
」
目を伏して謝罪するウツシ自身も、胸から全身が張り裂けそうなほどに心が痛んで止まらない。
実は娘以上に今日を楽しみにしていた彼だったが、今の痛みはその予定が
潰
つい
えてしまったことが原因ではない。
如何
いか
に予測不能な急報であったとは言え、愛する妻にこんな思いをさせてしまったこと、約束を違えることになってしまったことに、
刺痛
しつう
のような罪悪感を感じずにいられなかった。
「──愛弟子、俺、すぐに帰って来るから。王都には行き慣れてるし、明日には戻れるよ」
「
……
急ぐのは危ないです、怪我してほしくないです」
「大丈夫、基本は大切な文を届けるだけの任務だからね。命に関わるようなものじゃないよ」
「
……
。急い、だら
……
危ないんです
……
!」
娘の声音の中には『急いでほしい』という本音が微かに露呈している──が、その狭間に『怪我をしてほしくない』という想いも強く宿っている。
彼女の中で、想いと願いと欲求は混沌として、頭では何を優先すべきなのかが理解できていても、本人にもなかなか整理がつかないようで。
少しでも愛する人の心の痛みを、混沌を取り除きたいのに、どんな言葉をかけるべきなのか分からないまま、ウツシは呆然と立っていた。残酷なほど正確に時は流れ、次第に彼は悩むことさえ許されなくなる。
「愛、弟子
……
ごめん
……
! そろそろ、行かなきゃ
……
! そ、そうだ! お、お土産、買って来るよ!」
「だ、大丈夫です! いりませんっ!」
「ううっ
……
」
背中を向けられたまま娘に強く言われ、眉を下げきったウツシがどうしたものかと困り果て、言葉を濁らせる。
直後、はっとしたように、娘がようやく顔だけで彼の方に振り返った。
「あ、あ
……
! ご、ごめん、なさい、わたし
……
! あ、あなたが無事に帰って来てくれるなら
……
それで
……
!」
「! 愛弟子──」
この機を逃すまいとばかりに、ウツシはやっと振り返ってくれた娘の方に大きく歩を進めて距離を詰める。そのまま彼女の前で素早くしゃがんで、ぐっと顔を近づけると、たちまち彼女は目を見開いた。
「!? ウ、ツシ、きょうか──」
鎖帷子
くさりかたびら
に口元が覆われたままの、どこかひやりとした、もどかしい硬い感触。
それでも、1枚の薄い鉄を隔てた奥にあるウツシの唇の熱は、次第に、じわりと娘の唇にも伝わって、広がって。
(ウ、ツシ、教官
……
! わ、たし
……
わたし
……
!)
涙が零れそうになった娘の中に、ウツシへの想いと罪悪感が巡る。
彼がどれほど胸を痛めているかなど、考えなくても分かるのに、頭では分かっているのに、心配などさせたくないのに、幼稚な行動を止められなかった。
彼を想うなら、怪我をしないで下さいねと笑顔で見送るべきだったのにと、娘の心を鋭利な後悔が突き刺していく。
すぐに、ウツシの唇は離れてしまった。
名残惜しさに胸がきゅんと締めつけられ、寂しさと罪悪感と後悔で今にも泣きそうな娘の顔を、彼は申し訳なさそうな笑顔で見つめる。
「帰ったら──これも、ゆっくりしようね? 装備を外して
……
二人だけで、ゆっくり、ね?」
「
……
。は、い
……
」
軽やかに立ち上がったウツシに続くように、ようやく、娘も立ち上がる。土間に降りた彼を追いかける形で、
框
かまち
に立った。
「ウツシ教官、ごめん、なさい
……
! お願いですから、無事で
……
無事で帰って来て下さいね」
「──うん! ありがとう、愛弟子。ごめんね? すぐに帰るからね」
軽く手を振りながら、ウツシは颯爽と
玄関引戸
げんかんひきど
を滑り開くも、すぐに「あっ」と──彼自身も後ろ髪を引かれる想いなのか、これが最後と自分に言い聞かせているように、顔だけで振り返った。
「
……
お土産。ほんとにいらない?」
「あなたがちゃんと帰って来てくれるのが、一番のお土産です」
「ん
……
ふふっ
……
分かった。じゃあ、行って来るね!」
「行って、らっしゃい。本当に、気を付けて下さいね」
寂しげな光は消えない中、ようやく笑い合って、ウツシが朝陽の中へと
疾風
はやて
のように消えて行く。
娘は土間から降り、玄関先で、彼が見えなくなってもしばらくの間、彼の駆けて行った方角を見つめていた。
「
…………
」
無言のまま家に戻った娘の視界には、畳の間の二つの革鞄が。そして、暦の花丸が見えてしまって。
「
……
っふ、ぐ
……
! ううぅぅ
……
!」
がらんとした畳の間でうずくまった娘は、
嗚咽
おえつ
を漏らし、唇を噛み締め、また膝を抱えて座ってしまった。
胸の奥で、独りきりだから今だけは許してほしいと、誰に向けたものかも分からぬ許しを請いながら、彼女は
一頻
ひとしき
り、混沌とした感情をようやく涙に変え、浄化させていった。
その日の夜、
霽月
せいげつ
が輝く雲の散った王都の夜空を、
鮮緑
せんりょく
の流れ星がたった1つだけ、流れていった。
月明かりにも負けないほどの、
眩
まばゆ
い
光糸
こうし
の軌跡を輝かせながら、どんな風よりも速く。
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3
@acadine
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