世界を凌駕するお味

MHRウ教×ハ♀。夫婦。
バレンタインの、次の日。



今度は、ウツシの言葉が途切れる。

娘が飛び込むようにして彼の唇に、自分の唇を重ねたから。

全身に稲妻がほとばしったようにウツシは、心臓はぶるっと震えた感覚を味わいながら、つい目を見開いたままにしてしまった。

彼の唇にはココアパウダーが付着し、口内にもまだ溶けかけのチョコレートが残ったまま。
視界に最愛の妻がいっぱいに映る中でその呼吸をも呑み込んだ時、あまりにも幸せで、酒に酔ったように頭がくらりとして、脈がどんどん早くなっていった。

熱く柔らかに重なった感触は意識すればするほど炎より熱く、時の流れから隔離されたのではと錯覚しそうになるほど、格別で──

(愛、弟子……! 俺の、愛弟子……愛しい妻……! 俺はキミを、世界で一番……)

ごくりと、ウツシの喉仏が鳴り震える。

不意に彼の脳裏に過ぎった、米屋での会話。そこで聞いた、妙に印象に残ってしまった言葉。

(世界一の……チョコレート……)

何かを確信したかのように、とろりと至福に
ひたった様子で目尻を下げながら、ウツシが瞼を下ろしていく。
視界が遮断され、最愛の人の唇の感触をますます深く味わうことができて。

(ああ──ほら、やっぱりだ)

甘い、甘い、格別に愛おしい味。
世界一美味しいチョコレート。それは紛れもない、誰が何と言おうと、きっとこの味。

(──いや、違うな……これは……)

んふふ……と甘ったるい至福の吐息をあふれさせたウツシが口を開き、重なったままの娘の唇に喰らい付くように、ますます深く口付けた。

重ねるだけだった口付けが変化して、娘が「んっ」と驚いたように息を跳ねさせる。

世界、など、話にならない。

理性さえ溶け落ちるこの味と、永遠にみたくなるほど優しい弾力のある柔らかなこの感触には、この世の何もかなわない。

どちらからともなく、だが合図を送りあったかと錯覚するほど同時に、二人は呼吸のために微かに唇を離した。

新婚よりも熱く焦がれるように見つめ合い、清澄せいちょうな瞳に最愛の人だけを映す。

「っ、はあっ……! 愛、弟子……。可愛い、愛しい……我が妻よ……
「ん……ふ。ウツシ教官……ウツシさん……! わたしの、旦那さま」
「大好きだよ……愛してる……!」
「わたし、も……! 大好き……!」

間近に感じる熱い吐息も言葉も呑んで、ウツシは彼女を優しく抱きしめる。

娘も幸せそうに、彼からの真紅の箱を両手で持ったまま、彼の胸に身を寄せた。
今の娘が確信していることは、ウツシと『同じ』こと、『同じ』想い。

……ねえ、ウツシさん」
「ん……なあに?」
「わたしも、あなたからのチョコ食べたいな」
「んふふふふっ……かぁわいい、もちろんだよ。開けて開けて」

軽く腕の力を緩めたウツシだが、娘は調理台ではなく彼の腕に囲われたまま、自身の手の上に真紅の箱を置き、片手でリボンを解いて──そのまま一緒に蓋も開けてからその手を伸ばし、それらを調理台に乗せた。

ウツシの腕の中で、娘は瞳を輝かせて四粒のチョコレートを見つめる。

「えへへ、美味しそう。いただきまーす」
「うんうん、召し上がれ!」

躊躇ためらいなく1粒を手に取り、ぱくん、と頬張る姿に、すっかり目尻のとろけたウツシの唇がふくふくと震える。

喰らいつきたい衝動を抑えて見守っていると、不意に娘が悪戯いたずらっぽく「ふふっ」と小さく笑った。

「ウツシ教官も、食べませんか?」
「えっ……!? い、いいの? でも、お、俺はさっき……
「こっちのチョコも絶対絶対、美味しいですよ? だって『あなたの』チョコですもの」
「ッ!?」

照れもある中、娘は相変わらず悪戯っぽく、けれどとても幸せそうに微笑む。

また息を呑んで喉仏を震わせたウツシを見つめたまま、ゆっくり、とてもゆっくり、もぐもぐとチョコレートを咀嚼そしゃくして。

……食べて、くれません、か?」

ぽつりと、ねだるように娘が呟いた刹那、ウツシの心臓が、どくん、と震える。

顔を真っ赤に沸騰させた彼は片手を調理台に伸ばし、自身が娘からもらった箱の中から2粒目のチョコレートを掴むと、迷い無くそれを口に放り込んだ。

「えっ? ウツシ、教官……?」

面食らったような様子の娘を見つめながら、ウツシは不意に「ちょっと貸してね」と、彼女の手の中の真紅の箱をするりと掴み、調理台に置いた。

ぱちぱちと疑問の瞬きを繰り返す最愛の妻の様子に「ふふっ……」と甘い吐息を溢した直後、彼は緩めていた腕に力を入れ直し、改めて彼女を抱きしめる。

熱い胸の内で繰り返される、炎よりも熱い直情の言葉。


──愛してる、愛してる、愛してるよ

──好きだ、ずぅっと大好きだよ、愛弟子


「チョコレート……一緒に食べよう、愛弟子。きっと──それが一番おいしいから」

空気を低く震わせながら、チョコレートよりも甘やかに、続くように「愛してる……」と囁いたウツシの言葉。

今度はそれを理解した娘が、至福の甘い期待感に、ぶるっと体を震わせる番だった。

「ウツシ、きょうか──」

愛する人の名を紡ぐことは、当然ながら叶わない。

先ほどよりも深く、深く、ウツシは最愛の妻の唇に喰らいついた。
彼女の唇にほんのりついたココアパウダーも、口の中の溶けかけのチョコレートも、想いと共に紡ぐ言の葉さえも、何もかも味わい尽くすように。

何より愛する人に応えたい一心で、娘は懸命に彼を受け入れ、その呼吸の熱さにぞくりと身も心も震える。

彼とこのまま溶け合えてしまえたらと、甘い欲求が頭をもたげ始めて──全身が熱くなる。

甘すぎるほどの空気に、香りに、味に、頭がくらくらしてきて、こんなに甘美なチョコレートは生まれて初めてと言わんばかりに彼女の胸は高鳴り続けた。

(愛して、います──! ウツシ教官、わたしだって……こんなに……! 愛してる、愛してるっ……好き、好き、好きっ、大好き!)

何度も何度も、何度も、愛の言葉を胸の奥で叫ふように繰り返しながら、娘もウツシに想いを注ぐように喰らい付く。

必死に、口を開いたままの彼の、そこにあるチョコレートを味わおうとしたが、どうやらもうすっかり溶けてしまったようで──だが、それは娘もしかり。

世界など簡単に凌駕りょうがする史上のチョコレートを互いに求め合い続け、抱き合ったままもつれこむように、かまちから畳の間に倒れ込む。

甘い、甘い香りが、吐息が全身を駆け巡るたびに、二人は身も心もますます熱を帯びていくのを感じていた。

呼吸のため、またどちらからともなく微かに顔を離し、鼻先を触れ合わせながら「美味しいね……?」と、ウツシが鼓膜を溶かすような甘ったるい低声で、チョコレート風味の吐息と共に囁く。

娘は幸せそうに蕩けた笑顔を浮かべ、返答の代わりに、最愛の夫に、また食らいつくように口付ける。

止まっていたのかと錯覚していた時間だが、気付けば寒月は高く昇り、静かに澄んで輝いていた。




@acadine