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織音
2026-02-11 22:46:47
11202文字
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Thistle.
『触れてくれるなと、自ら遠ざけた指先が触れてくれることを願っている。今の僕は、貴方を傷付けることしかできないのに。』
⚠︎首絞め、破損表現あり
電磁パルス減衰リングに夢を見て、違法機体のリーと指揮官の話。捏造しかないです。リーに電磁パルス減衰リングをとにかく着けたかった。薊の花言葉は『触れないで』。
1
2
3
「
――
ひとまず、一時的に状態は安定した」
呆然と科学理事会の白い床を眺めていた意識は聞き慣れた声に現実へ引き戻される。黒い靴先と揺れた白い服の裾が視界の端に映り込んだ。最早それが誰かなどわざわざ視線を上げて確かめるまでもない。
「今は再起動と機体の安定化に努める。その後に機体アルゴリズムを調整したら緊急看護室に帰しておくが
……
今回のスリープは長くなるかもしれんな」
アシモフが視線を向けているであろう先、空洞が目立つ機体ポッドが並ぶ中の二つ
――
同じ顔をした機体が眠るカプセルに何人かの技術者が集まっているのを遠目に眺める。片方は未だ裂けたバイオニックスキンが修復されないままの超刻機体。もう片方は首元に枷が一つ掛けられた傷一つない機体。
機械の中に横たわる彼の表情に先ほどのような苦痛の色は残っていない。ただ、静かに眠る姿がそこにあるだけ。
「
……
お願いします。いつも通り、意識が戻ったら連絡してください」
ここから先、僕はできることはただ待つことだけ。それ以外、何一つないのだ。機体が横たわるカプセルから目を背けるように反対の方向へと足を進めた、瞬間。
「お前さん、ずっとそれを続けるつもりか?」
酷く冷えた声が背中に刺さる。それは氷というよりも無機質な金属のようで、現実から目を逸らすことを許さないという意思が透けて見えて、鋭利な切先で心臓の真上を捉えられているような感覚に陥った。振り返った先、そこにあった赤い瞳は声と同じくらい酷く冷たい。
「
……
首席技術官に指摘されるようなことが多すぎてわからないのですが、どれのことですか」
それを受け止めた僕の目は酷く疲れ切っていたのだろう。自嘲するように口角だけを上げて答えるが、正直何かに答えられるほどの気力もない。
「自隊の隊員とはいえ、危険と分かっていながらいつ暴走するかもわからない違法機体と何の装備も無しに面会して、挙句暴走状態の機体に付いた電子パルス減衰リングをわざわざ手動で起動するなんざ馬鹿のすることだ。リーのアルゴリズムが調整されているとはいえ、お前じゃなければとっくに死んでてもおかしくはないだろうな」
――
お前も分かってるだろ、暴走状態に陥ってしまっている時にリーがお前のことすら認識できていないことくらい。
見ないふりをしないまま、目を逸らさないでちゃんと向き合っている事実が改めて深く突き立てられて、未だ手に触れた彩度の高い青色の温度が鮮明に焼き付いたままの手を強く握りしめる。
「
……
わかってますよ。それでも、僕は彼の指揮官ですから」
硝煙の匂いが満たした戦場がフラッシュバックのように脳裏を過ぎる。あの時、目の前に転がっているのは誰かもわからない焦げた肉塊だった。循環液とも血液ともつかない液体が足元で川のように地面の凹凸に沿って流れていく。体を満たした痛みのせいで歩くことすらままならなければまともに動くことすら叶わない中で見た世界はそんな姿をしていた。凄惨で、ありふれた戦場の光景。
パニシング側による座標干渉によって、本来爆撃される地点から大幅にズレた結果が引き起こした惨状。今回の作戦で使われる爆弾は周辺に保全エリアがないことから威力と規模が大きなものが使われていたはず。直撃は免れたものの、暴風でこの威力ならば着弾地点にいた部隊は
……
いや、それよりもまずは指揮系統の立て直し
――
そんなことを考えながらやけに重すぎる体を起こした瞬間、何かが音を立てて地面に落ちていった。
振り返ったそこにあったのは大破した機械人形の姿。散った青い循環液の中で転がっていたのは無機物の球体だった。循環液とよく似た色をした、虹彩の機構を持つ、球体。
砕けた腕の形をしたケーブルがエネルギーの供給先を失ってバチバチと音を立てている。塵で汚れた金糸の髪、焼けたジャケットの裏地に描かれた盾と翼を象るロゴマーク。それだけで、どれだけ理解したくないと拒んだ思考でも自分を爆撃から庇ったのが『誰』か、理解してしまう。
「
…………
リー」
いつものようにはい、とまっすぐな返事が返ってくることはない。しかしかろうじて繋がったままの意識リンクが、彼の微かな呼吸音が。こんな姿になっても尚、彼が生きているという証明だった。
パニシングの干渉が続いているのか、周辺のパニシング濃度が低い割には通信のノイズが酷い。孤立無援、なんて言葉がよぎるが唯一救いがあるとするならば、爆撃のおかげで周辺の敵性反応が全て消失したことだろうか。とはいえ、赤潮から近い場所だ。異合生物が絶対にいないなんて断言はできない。鏡面に似た循環液の海が思考を急かす。
それからのことは、あまり良く覚えていない。どれほど経ったのかすらわからない。救援信号を送り続けて、支援部隊とルシアが合流した頃には自分の意識すら朦朧としていて、いつ意識を手放したのかすら覚えていない。
次に目を覚ましたのは消毒液の匂いに満ちた空気の中だった。意識が途絶える寸前の硝煙の匂いや凄惨な戦火がまるで悪夢だったかのように、カーテンを通して柔らかくなった夕刻の光が病室を照らしている。
……
この光は、所詮偽りに過ぎないのに。自分が立っていた戦場の光景を悪夢と勘違いしかけて、すぐに負傷した部位が発する痛覚にあの光景はは紛れもない現実だったのだと突き付けられる。
「
……
目が覚めたようだな」
白すぎる病室の、ベッドの傍らに立つ人物をぼんやりと捉える。部屋の純白とは正反対の黒いスーツに身を包んだ、荘厳とした雰囲気を纏う老齢の男性。珍しい来訪者に急いで体を起こした。
「失礼しました、ニコラ総司令。いらっしゃるとは知らず」
「構わん、意識が戻ったばかりだろう」
「ですが、総司令がわざわざ出向かれるほどのことでしょう」
「大したことではないと言えば嘘になるのは確かだ。他でもないリーの話をしにきたからな」
「!」
急に動いた体のあちこちが痛む。しかしそれすら気にしていられなかった。
リーはどうなったんですか、生きていますか。幾つもの問いが喉奥でつかえて言葉にならない。
「知っている通り、超刻機体の破損が激しい。救命措置としてアシモフ主導で一時的な機体換装を行ったおかげで一命は取り留めた
……
本来なら指揮官である■■に同意を得る必要があったが、今回はリーの救命措置としてその機体に換装させてもらった。ただ、換装した機体に問題がある」
「リーが助かったのならそこを問うつもりはありません。問題とは?」
「
……
彼が延命措置として換装した機体は黒野が開発した違法機体だ。本来であれば、公に存在していてはいけない」
酷く、喉が渇くような感覚がした。違法機体、その言葉が頭の中を滑っていく。
「
……
黒野には公になっていない研究や機体の開発記録があることは知っているな?今回リーが換装した違法機体も秘密裏に開発研究されていたものの成果のうちの一つと言って差し支えないものだろう」
構造体技術が確立する前に改造された真理機体のような非合法改造機体の存在は知っていたが、総司令はわざわざ『違法』と言い切った。非合法も違法も意味合いに大差はないが、おそらく事態は良いわけではないのだろう。
「それに、リーが換装した、ということですか」
貫かれる沈黙が肯定だった。つまりこれは、既に済んだ話。超刻機体が修復されるまでの確定事項。覆しようは、もちろんない。
「アシモフは、なんて、言っていましたか」
やっと口にしたのはそんな問いだった。
「『乱数機体の準備を待っていたら確実に間に合わない』そうだ。長期間使用していなかったせいで不具合が生じていたらしい。黒野の違法機体ではあるが
……
特例として、機体換装を議長が許可した」
「換装後の様子は」
「まだ目を覚ましていない。今はアシモフが機体アルゴリズムの調整を行っている最中だ。目を覚まし次第、人目を避けるために緊急看護室で過ごしてもらう予定だ。もちろん超刻機体の修繕が終わるまでという限定的な措置であるがな」
冷酷さすら感じるほど、至極当然の事実たちが心臓に針を刺す。救命措置であったとしても違法機体に換装し、緊急看護室で機体が修復されるのを待っているという事実を知る者は少ない方がいい。ましてや黒野の違法機体だ、安全性の保証すらないものをおいそれと放つわけにもいかなければ、任務につかせるわけにもいかない。妥当な判断のはずだろう、そう、妥当。
「
……
超刻機体の修繕は、どれぐらいかかりますか」
「最速で三ヶ月。長ければ半年はかかるというのがアシモフの見立てだ
……
質問はそれで終わりか?」
まだ喉奥につかえたままの多くの質問を見透かすような眼差しに、僕は目を逸らす。
「
……
面会は、許されますか」
「緊急看護室という場所にいる以上、頻繁な面会は厳しいだろうな」
「不可能ではないんですね」
「
……
言っておくが、お前が会う相手はリーであったとしても、お前の知る『リー』ではないことを理解しておけ」
警告はした、そう釘を刺すような言葉と総司令の後ろ姿を見送るように視線を向けた先、未だ蛍光灯のつかない病室の中には衰えていく夕刻の光が招いた夜の闇があった。黒いスーツは薄闇に溶け込んで、輪郭が曖昧になる。
「話は以上だ。あとは指揮官が好きにすればいい、それが議長からの言伝だ」
そうやって後ろ姿が扉の向こうに消えて見えなくなるのを眺めたのがおおよそ三ヶ月前。そして機体換装後に初めて面会できたのが、二ヶ月半前。
最初のうちは何も起こらなかった。『安全装置』という名目でその首に掛けられた電磁パルス減衰リングの必要性を疑ってしまうほど、いつも通りの会話、いつも通りの微細な表情変化。機体が変われど何一つ変わらない彼に安堵した。安堵、していた。
――
異変が訪れたのはちょうど五回目の面会の時だった。緊急看護室に入室した直後、状況を理解できないまま閉じた扉に押しつけられた体が悲鳴をあげた。
目の前で揺れたのは金糸。隙間から覗いて見えたのはいつもの冷静な表情ではなく、奥歯を噛み締めて、耐えるように歪んだ表情。
「ッ、リー、」
「指揮官、電磁パルス減衰リングの起動を。間に合わなくなる前に、はやく」
震えた声が遮るように落ちる。ギシ、と軋んだ音を立てる関節と浅い呼吸、そしてその言葉で差し迫った状況だと理解するには十分だった。
「使い方は、わかりますね」
彼の首に掛けられた鈍色の枷
――
電磁パルス減衰リング。『白夜』の時にも見た無骨な枷。『安全装置』として意識海に作用して無力化する枷は起動キーさえ入力してしまえば、容易に起動する。起動しなくてはいけない、理性はそう警鐘を鳴らしているのに思考だけがついていかなかった。
「指揮官」
声が、急かす。白に染まる思考を置き去りにして、声に導かれるまま枷に触れた。
カチリ、と硬質な音がやけに耳に響いて、苦痛に呻く声がそれを掻き消す。思考だけが呆然としたまま、リーが床に崩れ落ちていくのを眺めていた。何一つできないで、眺めていた。
「リー」
意識を失う寸前の、リーの柔らかな眼差しを覚えている。怒りでも憎悪でもない、傷付けずに済んだという安堵。そして疲れ切ったように瞼を閉じて、動かなくなった。
その瞬間、何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。いや、きっと最初から崩れていて、それを認めたくなかっただけだったのだろう。
――
機体が暴走すると、何も分からなくなってしまうこと。
頭ではわかっていたつもりだった、事前に説明だって受けていた。ただ破壊衝動だけが意識を満たして、目の前の存在へ息をするように手をかける。それがたとえ命に代えても守りたいと願った存在でさえも、衝動に塗り潰されて、判別すらできなくなること。それを未然に防ぐための『安全装置』として電磁パルス減衰リングがその首に掛けられていること
……
違法機体ゆえに、暴走した際に安全性が保証できないのは本人だけではないことも。
「次は躊躇わずに起動してください。貴方に危害が及んでしまうよりも前に」
訪れた六回目の面会。帰り際、放たれた約束紛いの言葉に、僕は縛り付けられている。
僕が傷付かないこと、それが願いならばと。躊躇わないようにと暴走の度に苦痛で上書きした。指先が震えても、何度も。
――
そうやって彼の暴走を苦痛で上書きしたのはもう何度目だろうか。暴走する度に互いに傷付いていく。片方は傷付けてしまったと心に深く刻み付けられた傷、片方は傷付けられたと体に印として残る傷の痕。違いと言えば、その傷が見えるか見えないかの違いでしかない。
結局彼の願いを叶えてやれないまま。一体いつになれば終わる?機体修復の最短の目安は疾うに過ぎ去ってもまだ、超刻機体の修復は完了しない。待つことしかできないのが、こんなにも精神を擦り減らす。どれほど感じている苦難を共に背負おうとしても、僕には何もできない。
「議長はお前の好きにすればいいとは言っているが、命の危機は流石に看過できんからな」
アシモフの声で意識は科学理事会の床の上へと戻ってきた。上の空、と形容するのが正しいであろうこちらの様子に、アシモフは眉間に深い皺を寄せる。
「
……
流石に、あの程度じゃ死んだりしませんよ」
「だとしても、毎回背負う無駄なリスクは減らすことはできるはずだ。電磁パルス減衰リングは遠隔でも起動できるのに、わざわざリスクを背負ってまでお前が手動での起動にこだわる理由は知らんが
……
スリープ明けの誰かさんに機体アルゴリズムの調整について散々要求されるのはもうたくさんだからな」
「
……
ああ、そういうことですか」
暴走を繰り返すたびに、リーが出力できる力が少しづつ弱くなっていることには気付いていた。
そっと、ぐるりと首輪のように残った赤紫色を指先でなぞる。先ほどの暴走を止めた時にできた痕。殺されかけた、という確固たる証拠。
あまりにも鮮やかなそれは見る者の目を引くだろうが、本来、彼の機体アルゴリズムが調整されていなければできるはずもない痕。
構造体が出力できる力は、人間のおおよそ二十倍以上。あれほど躊躇いもなく首を絞められてしまえば気管よりも先に耐えられなくなるのは間違いなく頸椎だ。もし機体アルゴリズムを調整していなければ、頸椎が耐えられなくなってその先は
……
想像に難くない。そしてその結末は、アルゴリズムを調整した今でも全く起こり得ないわけじゃないことも。それでもそれを続けるつもりかという問いに、僕は微かな笑みを溢す。
「理由なんて、大層なものじゃない。ただの自己満足ですから
……
笑っていただいて構いませんよ」
「その自己満足とやらで命を落とすかもしれないのにか?」
「
……
どう言われたって構いません。リーの身体が違法機体だろうと超刻機体だろうと、どうだっていい。僕は
……
彼がどんな姿であっても、彼であるなら」
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