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2026-01-28 23:01:36
43327文字
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【十二信】By the side of the one I love

《十二信》オメガバースパロ。信一と番になると心に決めている十二のおはなし。完結。オメガバース設定ですが、オリジナル設定が多くあることご注意ください。


 十二と信一が正式な番になってから、次のヒート時期が来るまでに日数は要さなかった。

 信一は自己管理が苦手ではない。もともと四仔から体調管理について口酸っぱく教え込まれているし、そもそも龍兄貴に心配をかけることもしない。信一の意識は高く、十二も気を配っていた。日頃であれば少量の薬で整えながら触れ合い、それから気持ちの良いセックス。十二は信一がフェロモンの作用で不安定にならず、健やかに過ごしていることに満足していた。

 だから”ヒートが不安定になる期間”が近づいて信一が「そろそろかも」と言った時も、十二のアパートは受け入れ万全であったし、ワクワクとさえした。十二が黙ったままご機嫌であるのを、信一は苦笑する風にして楽しそうな眼差しを向けていた。

 信一が十二のアパートで待っている初めての日。
 
 十二は夕方には仕事をキレイに片づけて、真っすぐアパートへ帰った。ドアノブを回して少し開けたドアの隙間から、あの甘い香りが漂ってくるのを嗅ぐ。そして一気にソワソワとした。十二が最初に受けた強烈な刺激とは違い、もっと軽やかで十二を優しく手招きするような匂いだった。誘われるように鼻をヒクつかせながら部屋奥へと入っていく。一番奥にある寝室へ辿りついた。

 番になった祝いだと虎兄貴がプレゼントしてくれたダブルベッド。信一はその中央に膝を抱えるように丸まっていた。十二の匂いが染みついた、ずっと使用している枕を膝と胸の間に抱き、少し赤い顔でボンヤリとしている。十二は立ち尽くして信一を凝視した。信一の目がゆっくりと動いて十二を見る。

「おかえり、坊ちゃん」
「こっ……
「こ?」
「これが巣作り……!」
 
 はわっ、と感極まったように十二が口元を手で抑える。いつもよりも水分量が多い瞳をもう少しだけ大きく開き、信一が小さく首を傾げた。

「巣じゃないだろ、これ」
「慎ましいけど、俺のもんを囲ってるんだから、巣だろ」
……枕だけじゃん」
「超、良い」
「うーん」
「もっと俺の服を引っ張り出しゃぁいいのに」
「部屋グシャグシャになる……片づけんのたるい」
「別に良い、可愛いじゃん。片付けなんて俺やるし」
「俺の匂いつくし、汚しちゃうだろ」
「いいって。お前のくせに気を遣い過ぎる」
「フェロモンに振り回されないって、そういうことだろ」
「でも理性と本能の出しどころを選択できるってのも、また理性じゃん」

 本能に振り回されるのが嫌だってだけで、否定してるわけじゃねぇし。
 
 むしろ、お前が本能的に俺を求めてんの、マジたまんねぇ。

 ニンマリと十二が笑った。広いベッドの上にそっと乗り上がる。ベッドが軋むのと一緒に信一がのっそりと起き上がった。枕だけは胸にしっかり抱いたままだ。十二は信一と向かい合うように座った。

「俺、憧れてたんだよな」
「憧れ?」
「巣作り。Ωがする愛情表現の中でもかなり好きでさ」
…………

 しばらく思案するような顔をした後、信一はさっきよりも蒸気した顔でポツポツと喋った。

「なんか……このベッドすごく良いんだけど」
「おう」
「新品だからお前の匂いがまだ薄くて」
「そうかも。でもこれから俺の匂いがしっかりつくし、お前の匂いもつくよ」
「そうだな。でもまだ、足んねぇから。それにベッド、1人だと広いしよ」

 信一の匂いがブワっと濃くなった。十二は目をキラキラとさせて喜び、魅力的な芳香ごと息を吸いこんだ。

「だから、枕だけ昔からお前が使ってるやつだから……
 
 十二はコクコクと大きく頷いた。

「最高。なぁ、でもさぁ。俺が来たんだから今日は枕のお役目は御免じゃね?」

 十二は今日一番のニッコリ笑顔をすると、胡坐をかいた体勢のまま両手をパッと広げた。

 弾けたように飛び掛かってきた可愛い番に、十二がひっくり返されるのは、その数秒後のことだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
 信一が城砦から十二のアパートへと帰ってくる1週間は、周りも十二に気を使うためか揉めごとが起きにくい。いつもよりも早い時間帯に帰宅するが、信一の方はそれよりも早いことが多かった。午後まで九龍城砦でいつも通り仕事をしているらしいが、それ以上働こうとすると、逆に追い出されるらしい。

 「しかもさぁ、送迎付きなんだよ。別に良いってのに」

 前に信一はそうぼやいていたが、いかにも過保護な九龍城砦らしいと十二は思った。そもそも九龍城砦福祉委員会副会長である信一に休日や業務終了などと言う概念はない。それこそ年中無休だ。周りからすれば、龍兄貴のセーブに頼らずとも、信一を休ませる口実になるのかもしれない。

 ところがその日、十二がアパートに帰ると部屋に信一の姿がなかった。まだ戻っていない……とは思わなかった。なぜなら十二の部屋からは、昨日よりも明確に強い信一の香りが漂っていて、十二に纏わりついたからだ。アパートの外にいても香ってくるほどであった。

 番になって良かったとホッとするのはこういう時だった。Ωのフェロモンは番になってしまえばパートナーのαにしか作用せず、他者には大きな影響を与えないと言われている。自分だけに主張してくる健気で甘いフェロモンが愛しくて、十二は思わずニヤケた。キョロキョロと家を見渡しながら鼻をヒクつかせる。

 匂いの濃さにより、信一がどこに行ってしまったのか見つけ出すことは難しくなかった。十二は1つの場所を凝視する。十二はオシャレをするのが好きだ。だから自分の給料の割には奮発したクローゼット。言うほどには立派なものではない。部屋の雰囲気からはみ出さないように見た目もこだわったが、素材は薄い板でできている安物。強度はない。それでもそれなりにハンガーの本数はかけられる。十二の洋服が一堂に集まっている場所だった。

 十二は静かに近づき、驚かせないようにゆっくりと戸を開いた。クローゼットを開けた瞬間に、濃厚な香りが鼻だけでなく脳を刺激する。十二は少しだけ目線を下に向けた。両膝を抱えるように座り、大きな体を小さく丸める信一が目に入った。熱に浮かされたような潤う瞳が、上目遣いで十二を見つめてくる。その”あざとさ”に心を鷲掴みにされながらも、十二は平静を装おうと努め、口角を意識して上げた。

「見つけた」
……おかえり」
「大丈夫か?狭くね?」
「狭い」

 そりゃそうだ、と十二はあっけらかんと笑った。信一は少しだけ黙ってしまったが、十二も黙ったままなので仕方なしといった風にまた口を開いた。

「お前がさ、巣作りが好きだって言うから作ってみようかと思って」
「サンキュー」
「服多いし、作りたい放題だなって思いながらクローゼット見てたら、なんつーか……、どれもこれも知ってる服ばっかりだからどれにしようか迷ってさ」
「なるほどな」
「そんでずっと悶々と考えてたら、こう、その」
「うん」
「どっとヒートが強くなっちゃってさ……

 もう、ここに入っちゃえばいいんじゃね?

 そう思ってよ……と言う声が消え入るのと同じタイミングで、十二は顔を両手で覆った。

「かわいいっ」
「いや、さすがに……雑で悪ぃ」
「雑っていうか、大胆」
 
 「お前って時々おおざっぱだよなぁ、普段は細かい方なのに」と十二が指の隙間から目だけをのぞかせて言うと、信一は少しむくれたような顔をした。

 「雑多の方が落ち着くんだよ、城砦みたいで。合理的、って言って欲しいね」
 「違いねぇわ」

 雑という反省を忘れて信一が威張るので、十二は首を縦に何度か振った。それからクローゼットを今一度見て、少しだけ甘えた声を出した。

「なぁ」
「なんだよ」
「俺もクローゼットの中入ってもいい?」
……いいけど狭いぜ?」
「知ってる」

 信一から許しが出たので、十二はクローゼットに足をかけようとした。信一が体育座りから体勢を変えて、少しでも入る隙間を空けようとする。

「おじゃまします」
「おじゃまじゃないだろ。お前のアパートで、お前のクローゼットじゃん」

 
 ……それから俺、他人じゃないし。

 
 十二は片足をかけたまま、ピタリと動きを止めた。込み上げる歓喜の気持ちが噴出しそうになる。まるで十二の胸の奥にある強烈な熱の塊が一気に溶け出し、血液と一緒に体中を駆け巡るようだった。ちょっと恥ずかしそうな表情をしながらも、より匂いの濃さを強めた信一が小さく笑ったのも堪らない。

 急に瞳をギラつかせた十二に気がついた信一が「は?」と驚いた。次にはグイグイとクローゼットに遠慮なしで入り込んできた番に「うぉっ、ちょっと待て?!」と悲鳴を上げたが、興奮しているにも関わらず優しい最初のキスにうっとりした。
 
 十二は内側から扉を雑に閉めた。
 狭いクローゼットには、十二と信一しかいなかった。
 あまりにも濃密な空間は、2人を幸福へと溺れさせた。
 
 そうして夢中になっているうちに、クローゼットはガタガタと揺れ始めた。

 やがてクローゼットは中の暴れる動きについて悲鳴を上げるようにゆっくりガタン!と倒れてしまった。床と扉がくっついたので、もう出られないのではという心配は、今のところ誰も思いついていない有り様だった。もはや、興奮材料ですらあったのかもしれない。

 それにクローゼットの本当の無念は、一時間ほどしてから背をぶち破られることで達成されることとなったのだ。

 
 次の日、十二は虎兄貴たち義3兄弟の食事会に参加した。いつもであれば信一も参加するのだが、昨日に盛り上がり過ぎた結果とヒート期間も作用して”けだるげ”だったので大事をとらせたのだ。

 十二は兄貴たちの会談に混ざって愛嬌よくニコニコと楽しい時間を送っていた。雲行きが怪しくなってきたのは、虎兄貴の酒が思ったよりも進み始めてからだった。話題はループし、もう何度目かの十二と信一が番ったのはめでたい、ちゃんと順序を踏んで番になったのは感心だ、という話になった時「そういやぁ」と虎兄貴がご機嫌にクローゼット事件のことを披露し始めた。

 どうしてそれを知っているのかという驚きと、龍兄貴と秋兄貴に件を知られた恐怖に、十二は思わず「ぎゃっ!」と小さく声を出した。今までにないくらいに冷や汗をかく。龍兄貴の方は見ることさえできなかった。秋兄貴についても固くて礼儀にうるさい兄貴のことだ、まさか最中に興奮しすぎてクローゼットを壊したなどと知れれば、眉を顰められるに違いない。

 しかし予想外にも秋兄貴は楽しそうに話す虎兄貴の内容に大笑いをしてみせた。十二は胸をなでおろし、勇気を出してチラっと龍兄貴を盗み見た。でも呆れたような目を十二に向けていたので、そちらはすぐにそらした。顔を赤くしていれば、秋兄貴が悪戯っぽい目線を寄こした。

「若いな。仲が良くて何よりだ」
 景気よく酒を一杯煽り、面白そうに言った。
「そういえば、まだ祝いの品を贈っていなかったな。新しいタンスを買ってやろう」

 
「それが……これ?」
 
 さらに次の日、信一と十二も馴染みがある秋兄貴の側近たちが”番い祝い”をトラックに乗せて運んできた。ドアから入らないじゃん……と全員で困ってバルコニー側から運び込んだその仰々しい新クローゼットを、十二と信一は並んで見つめた。

 部屋の中で明らかに浮いている、大きくて立派で、引手の部分に品よく金の虎と龍の模様があしらわれたクローゼット。
 
「特注だって、秋兄貴が言ってた」
「そうだろうな……。え、スピード感どうなってんの?」
「秋兄貴だからなぁ。謎すぎる」
「らしい、っちゃぁ、らしい」

 部屋に不釣り合いなそのクローゼットは、我が物顔で鎮座していた。十二は神妙な顔をしたまま言った。

「一昨日、ちょっと暴れ過ぎたよな」
「ふふ……。マジで。濃過ぎて孕むかと思ったぜ」
「それはいいだろ」
 
 なんでもないように十二が即答したので、信一はチラリと隣を見た。数秒だけの間が生まれて、信一はまた豪奢なクローゼットに視線を戻した。
 
「これ、見慣れるのか?」
「まぁ、いつかは馴染むだろ、たぶん」

 それから信一と十二は、ヒート状態であればクローゼットを見る度にうっとりし、そうでない時は恥ずかしさを思い出して、しばらくは赤面し続けるのだった。

 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
 
 ヒート期間のための束の間の同棲とはいえ、外すことのできない任務はある。

 そして九龍城砦に所属する信一と、架勢堂に所属する十二は組織が違う。情報を常に共有するわけにはいかない。それでも九龍城砦と架勢堂の関係は懇意であるし、どちらも黒社会に属する。だから信一は、今日の十二の仕事がどういう内容かは知らないが、いつも以上に深刻な事態に身を置いているだろうことは感じていた。
 
 十二が今日、何時に帰ってくるかは分からない。深夜かもしれないし、明け方かもしれなかった。そもそも真っすぐアパートに戻ってくるかも分からない。1人ポツンとアパートで待つ信一は、しばらく大きなベッドの上に転がっていたが、気分が落ち着かずに起き上がった。

 なんとなく、子供の頃のことを思い出していた。幼い信一が寝静まった後、こっそりといなくなる龍兄貴の気配を本当は気がついていた時の不安。日頃は気の良い仲間たちから騒めきを感じ取り、大きな抗争が起きていると悟った時の、言い知れぬ感情。そういうものに近かった。今は、信一だって置いていく側の人間だ。自分だって龍兄貴や十二に同じことをしている。それでも待つだけの立場というものは、いつになっても慣れなかった。

 信一は少し考えると十二のクローゼットに向かった。秋兄貴の結婚祝いはかなり大きかったので、十二の服は余計に増えたし、信一の服だって着替えをいくつか入れていた。

 信一はハンガーにかかっている洋服はもちろん、下にある引き出しからも目的のものを引っ張り出した。眺めて吟味して選んだり、直感で選んだりして衣類を集める。十二の匂いがして、十二がお気に入りで、信一も思い入れがあるもの。十二が信一との日常を思い出すようなアイテムが最良だった。

 選んだいくつかの十二の衣服と、自分が置きっぱなしにしている服。丁寧に積み重ねて巣の形を整えていく。

 今日の巣は、完璧が良かった。

 整然としてしっかりとした巣が、帰って来た十二を迎え入れるのだ。

 信一は窓を少しだけ開けて、夜空を見上げながら煙草を一服した。信一の匂いと言えば、煙草の少し苦みある匂い、それから香水で纏う優しい花の香り、自身の甘いフェロモン。煙草をもみ消した信一はベッドには戻らず、自分が作り上げた巣の中に入って、コロリと転がった。重いヒートは感じなかった。しかし巣作りへの熱は重いヒートと同じくらいに高かった。

 静かに目を閉じてから、どれくらいの時間が過ぎたのかは分からない。

 静寂の中に、カチャリという音が遠く響く。とても遠慮がちな音だ。ドアノブが回った音はすれど、ドアが開いた音はしない。でも間が空いてからドンという音が暗闇から届いた。信一がゆっくりと目を開けて待つと、誰かが部屋に入ってくる気配がした。どうしてか電気がつかないので、外から入ってくる月明かりや電光掲示板を頼りに目を凝らす。

 信一と巣から少し距離をとった場所で、十二が立ち止まっていた。

 微動だにしないまま、鋭い視線だけが突き刺さる様子は、猛獣が繁みから得物を虎視眈々と狙いすます緊迫感に似ている。興奮している様子は見られないのに、目は血の滾りを隠し通せてはいなかった。それに本当に十二が落ちついているのならば、こんな秘密めいた帰り方はしてこないだろう。

 でも信一は瞬きすらしない血の気を失った無表情から、怯えや緊張も一緒に感じ取った。

 十二の服装は整えられていて、血がついていないどころか血の匂いすらしない。きっと、事務所かホテルに行き体を清めてきたのだろう。朝と服装が違っているから、着替えを持って行ったに違いない。きっと計画的なのだ。だから一見は、いつもの十二少だった。

 しかし信一には十二の葛藤がありありと伝わっていた。まだ闇が抜けきっていない危険な香りがする。黒社会特有の、血を浴びた男の匂いだ。そして十二自身がそれを自覚して、アパートに帰って来たものの戸惑っている。

 信一は少しずつ体をずらして巣の右側に1人分の空白を空けた。広い巣だ。十二と信一のものだけで作った、大人2人が無理なく入れる、大きくて完璧な巣。

 闇を裂くほど鋭かった十二の瞳が、自分の居場所を見つけてすぐに揺れ始めた。戸惑いが深くなったのは、期待や安堵が盛り返したからだ。それでもまだ様子を伺っていたが、やがて恐る恐ると言った風に近づいてくる。信一は何も言わずに十二の動きを辛抱強く見守った。十二は絶対に巣を壊してしまわないように、とても慎重に足を延ばした。まるで触れてしまったら、そこから崩れてしまうと思い込んでいるかのようだった。

 そんな柔い巣なんて、俺は作ってやしないのに。

 そう信一は思ったが、抗争の熱が今だ下がり切らない状態でも、信一と巣を守ろうとする姿勢はいじらしいものがある。十二はゆっくりと横たわり信一と向かい合った。

 目と目が合う。十二が大切な言葉を噛み締めるように呟いた。

「ただいま」

「おかえり」

 信一は優しい瞳をすると、穏やかなフェロモンを出して十二を包み込んだ。十二が大きく深呼吸をする。瞳はもはや、いつもの愛嬌ある猫目に戻っていた。十二の腕がおずおずとのびてきて、やがて信一の頭を捕まえると腕の中に大事そうにしまい込んだ。また十二が息を吸いこむ気配がして、それから息が頭部にかかる。信一はくすぐったさで少し笑った。

「ありがと」

 十二がポツリ、言う。

「おかえり」

 信一は噛み締めるように、もう一度その言葉を繰り返した。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
 朝、十二が目を覚ました時、隣はもぬけの殻だった。

 しかし、それどころではない。昨晩は信一が床に作った巣の中で一緒に眠ったはずだった。

 ところが、いつのまにかベッドの上に移動しているし、巣は綺麗に片づけられ跡形もない。

 十二はむっくりと上半身を起こした後、寝ぐせたっぷりの頭をどうにか働かせ、最後にムゥ……と拗ねた顔をした。

 壁時計を見ればもう10:30近い。信一はすでに城砦へ行っただろう。昨日の仕事が深夜に及んだ十二は、休日だった。抗争とまではいかないが、それなりに血生臭い荒仕事だったためだ。
 
 モソモソと掛布団から這い出すと、改めて部屋を見まわす。

 信一が十二を起こさず、盛大に巣作りした状態……身も蓋もなく言えば”散らかり放題の部屋”の片づけを先にしていったのは、疲れている十二を気遣う優しさである。十二もそれは十分に承知していた。しかし一言でも良いから朝も喋りたかったのが本音だし、目が覚めたら何もないというのも寂しい気持ちだった。

 ふとテーブルに目を向けると、ラップされたエッグタルトが目に入る。それだけで十二は簡単に機嫌を直した。馴染みの形をした手作りのタルトだった。龍兄貴のお手製。信一の大好物で、十二も子供の頃からお気に入り。

 番になる前から信一と行動を共にしていたし、寝泊りだって日常茶飯事だった。どちらかといえば九龍城砦にある信一の部屋が多かったので、十二の持ち物の多くは今でも我が物顔で置きっぱなしである。しかし”一カ月に一週間”という限定であったとしても、十二のアパートを生活拠点に移してからというもの、信一の痕跡が十二の住処にも如実に表れ始めたのだ。持ち物だけではない。エッグタルトのような信一の気遣いや生活の跡が、である。それは番になった実感と共に、むず痒いような嬉しさを引き連れていた。

 顔を洗ってからエッグタルトを食べ、歯を磨き、クローゼットから服を取り出す。それから髪を念入りにセット。朝の準備を終えて特にすることがなかった十二は、再びクローゼットを開いた。

「うーん」

 十二は感心したように唸った。昨日、巣に使われていた服たちが美しくハンガーにかけられている。トップスとボトムスのセットが”十二のお気に入り”でちゃんと組まれているのは、さすがは信一というところだ。

 十二はもう少しだけ思案すると、今度はクローゼットから服を引っ張り出し始めた。信一が十二のお気に入りを知っているならば、十二だって信一のお気に入りを知っていた。

 昨日の巣は、完璧だった。

 美しく形が整えられていたし、洋服の1つ1つにエピソードが思い出せるようなチョイス、そして信一が信一らしい香りを纏って、十二のことを待っていた。急かすわけでも、責めるわけでもなく、ただ横に十二の居場所を空けて迎え入れてくれた。

 十二は「今日は俺が巣を作ってみよう」と考えた。時間はまだたっぷりある。もしも信一がその巣を気に入ってくれたとして、床だと体が痛いかもしれないからベッドの上にこしらえてみようか。

 そう思い立った十二は、嬉々として素材を吟味し始めた。


 夕方の用事があったので、十二がアパートに戻ってきたのは18:00過ぎだった。

 玄関にはすでに信一の靴が揃っている。ヒートを起こした信一がタンスに引きこもっていた時と同様、人がいる気配は薄い。しかし穏やかな馴染みの香りはちゃんと部屋を満たし、信一がどこかにいることを教えてくれる。

 十二は特に理由もないのにこっそり部屋へ足を踏み入れた。驚かせないための気遣いというよりは、期待の現れの方が近かった。十二はソワソワとしながらベッドの方を見る。すると十二が番のために作っておいた巣の中で、信一がスヤスヤと気持ちが良さそうに眠っていたのが視界に入った。

「!」

 十二は目に映った光景に対し、スッと無表情にも似た冷静な表情をしながらも、ものすごい早さでベッドに近づいた。ピタっとベッドの縁まで来て止まったが、足が少しだけぶつかってベッドが揺れたので、信一が起きてパチリと目を開けた。

「あ、おかえり…………なんで怒ってんの?」
「ただいま。怒ってねぇ。可愛すぎて脳内処理が追いついてない」
「うわ、怖っ」

 呆れたような顔をした信一は「そういうこと、よく真顔で言えるよなぁ」とボヤいた。「お前だって割というじゃん、キザったらしく」「女の子の前でだけじゃん」「確かに、それと一緒にされたくねぇな」「何でだよ。本心だぜ?」「それはそれでウゼェんだけど」などととりとめのないこと話していれば、信一が痺れをきらしたように、自分を見下ろす形で立ち尽くしている十二の腕を少し引っ張った。

「お前、いつまでそうしてんの?」
「いや、なんかハマりそうって思って」
「何が?」
「巣作り」
「ふぅん」
「どう?俺の作った巣の居心地は」
「好き」
………………
「なぁ、それもういいよ」

 またもやローディングモードに突入した十二の腕を、信一は今度は遠慮なく引っ張った。「うぉっ」とつんのめった十二がベッドに腕をつくと、ニヤリと悪戯っぽく笑う信一の瞳と目が合う。興奮するのか落ち着くのか、今ではどちらとも言える絶妙な甘い香りが強く鼻をくすぐってくる。
 
「お前も入ったら分かるじゃん、この巣の良さがさ」
 
……違いねぇ」
 
 十二もニヤリと笑い返した。

 そしてそのまま信一の上へと乗り上がり、キスを1つ落としたのだった。


 その次の日。

 午前中の外回りに出た十二は、廟街の雑貨屋で気になるものを見つけた。架勢堂の『若頭』には不釣り合いとも言えそうなソレが頭から離れずいったん通り過ぎるも、Uターンしてウィンドウの飾り棚を凝視する。あまりにもマジマジと見ていたからか、店の中から店主の奥さんが出てきて、話を根掘り葉掘り聞かれる始末だった。

 結局のところ十二は、大きめの紙袋をぶらさげて機嫌よく架勢堂に戻った。そして虎兄貴に挨拶と報告を上げてから少し休憩を挟むと、今日の夕方までに仕上げなければならないデスクワークに勤しみ始めた。

……なんスか若頭。そのお腹に抱えているものは」

 ノートを広げてから一時間ほど。架勢堂の事務室にある自席で集中していた十二は、声がかかって久しぶりに顔を上げた。外回りで廟街の他のエリアを担当していた同僚と後輩が、きょとんとした顔で十二を見つめていた。

「おう、おつかれ」
 十二がニッと笑って労うと、2人は不思議そうな顔をしながら返事をする。
「お前もおつかれ」
「ただいま戻りました。それで、ソレなんです?」

 後輩であり十二の直属の部下である俊昊は、パッチリとした目をさらに見開いて疑問を投げかけた。どうしても気になるらしいソレを指を差すと、十二は目線をキョロっと真下に動かした。十二の膝の上、両腕の中、つまり机と十二の腹の間にはLLサイズほどの虎のぬいぐるみが挟まっていた。デザインは可愛いものの、それなりの大きさがあるため邪魔そうでもある。頭頂部がちょうど十二の顎の位置にあって、十二がポスンと虎の頭に顎を乗せた。グリッと顎下を擦りつけたので虎の耳がペシャリと潰れた。

「番の」

「信一さん?」
 
 俊昊が聞き返したのを、十二が肯定するよう頷く。隣に立っている志豪が、納得したようにも呆れたようにもとれる表情をした。口元はヘラリと笑っている。

 「さすがは愛番家の十二坊ちゃん」
 
 十二は自分より少しだけ先輩である部下の顔をチラリと見たが、反論はしなかった。本人のその自覚ぶりが面白かったのか、志豪は調子よく続けた。

「あの藍信一と可愛いぬいぐるみを紐づけようなんて考えるの、お前くらいのもんだろ」
……信一の巣に良いかもと思って」
「せっせと素材作り?」
「いや、俺が今日の巣に使おうかと……
「は?お前、信一の巣を作ってんの?」
「信一さん、巣作り苦手なんですか?」
「いや、上手に作る時は上手に作る。ヒートの状態とか気分で、巣の形が変わる。雑ぅっ!て思う時もあるし、丁寧に綺麗な巣の中にいる時もあるし、俺のツボつく芸術点が高い時もある」
「何だ、そのシェフの気まぐれオススメコースみたいなのは」
「ちょっと若頭、止めてくださいよ!信一さんのこと思い出してだらしない顔するの」
「むっ」
 
 ジトリ、と21歳の自分よりももっと若い俊昊に睨まれて、十二はさっと顔を引き締めた。確かに勤務中に惚気ているのはおかしいか……と思いつつ、円らな瞳が愛くるしい、オレンジと黒の縞模様をズイっと手前にさし出す。部下たちと布素材の子虎がしばし見つめ合った。泣く子も黙る黒社会・架勢堂に珍妙な光景が生まれていた。十二は何でもないように堂々と言った。

「巣作りは俺が楽しいし、信一が喜ぶ」
 
 俊昊と志豪は改めて「ほー」と感心したように頷いた。

「えっ。でも若頭、まさかそれ抱っこして廟街を練り歩いたんじゃないでしょうね!?」
……ダメかよ?」
「ダメでしょ!架勢堂自慢のカッコいい若頭じゃなくて、可愛いアイドルになっちゃいますよっ」
「俊昊は十二に憧れてるからなぁ。まぁ、荒らしにナめられるのは困りもんだな」
「ナめられる?俺が?」
 十二は鼻で笑うと、口元は緩めたまま目だけを意味深がましく細めた。

 「俺が大切にしてるモンを、俺が大切にして何が悪い」

 十二の纏う温度感が唐突に下がった。自分たちに向けられたわけではないと知りつつも、少し身を震わせた俊昊と志豪が動きを止めると、十二はすぐに数秒前までの調子を取り戻して、腕の中にいるフワフワした虎を優しく抱きしめた。
 
「と言っても、俺もさすがにそれはしなかったけどな。俺は何だって良いけど、架勢堂や虎兄貴のイメージには合わないからさ」

 ホッとしたような顔をしたのは俊昊で「それも気になってました」と口に出した。

 「その可愛い虎さん、大佬なんか言ってました?っていうか、報告に持って行ったんです?」
「いや、この机に置いてから報告に上がろうとしたんだけど、大佬がたまたまこっちにきてさ、バッチリ見られた」
「それで?」
「面白そうにニヤニヤして、ご苦労さんって言って、俺の肩を2回叩いて去ってった」
 
 これ、絶対に虎兄貴の口から龍兄貴にバレる……とその時に十二は思った。むしろあのまま龍兄貴に電話をしに行った可能性さえある。虎兄貴はそうでもなさそうだが、龍兄貴は今回の初めてのヒート期間同居を気にしているようだった。だからと言って信一に根掘り葉掘りと聞くことはできないだろう。信一の方がペラペラと自分から喋りまくっている可能性はあるが。

「ぬいぐるみは架勢堂の中でもかっこつかないけど、大佬が良いならいいですね」
「事務所内じゃ、他所ものに見られるわけじゃないしな。カチコミされたらアレだけど」
「目を剥くでしょうねぇ、相手」
 
 俊昊が「うんうん」と頷いた。志豪は「しょーがねぇなぁ」というと「お前の報告書提出、手伝ってやるよ。そしたらもう少し早く帰れるだろ?」と言った。

「え、いいよ。自分の仕事はちゃんと自分でやるし。そうじゃないと立場としても示しがつかない」
「今日は正直、穏やかなもんだよ。それに大佬がもう労ったんだろ?」
「示しなら、一昨日の夜に相当つけましたよ。ぶっちゃけオーバキルなくらい」

「信一よりも早く帰ったら、お前が巣、作れるじゃん」

 十二は志豪が指さした自分の膝元を見た。
 キュルン、とした黒い虎の瞳が十二を期待するように見つめていた。
 

 十二が予定より少し早くアパートに戻ると、信一はまだ城砦から戻っていないようだった。十二は昨日のようにクローゼットの前に仁王立ちすると、スムーズに洋服を取り出していく。昨日とはまた違う服やクッション、タオルなどを重ねていった。

 そして巣の真ん中に、虎のぬいぐるみをポスン!と置いた。

 十二が満足そうに腕を組んだと同時に、玄関の方でガチャリという音がした。ハッとした十二は、急なことに驚いていらぬ慌て方をした。寝室から出るタイミングを逃したと思った瞬間に、空いたクローゼットの中に飛び込む。扉は閉め切らずに細い隙間を開けるとベッドの方向をひっそりと覗いた。

 トントンと軽やかな音を立てながら信一が部屋に入ってくる。何やらゴソゴソと動いている音がしていたが、途中でパタリと止んだ。少しの間があって足音が再び鳴り、十二の目の前を真っすぐに通過していく。向かう方向は決まっている。十二はもう少しだけ、慎重に隙間を大きくする。

 ベッドの前に立っていた信一は、ベッドの縁に座ると虎のぬいぐるみを首根っこからむんずっと掴んだ。信一と虎の顔が同じ位置で向かい合ったので十二からは信一の顔は見えない。信一はそのまま手を左右に揺らしてぬいぐるみをムニムニと潰したり広げたりして十二をギョッとさせたが、次にはぬいぐるみの柔らかい布地に顔を圧しつけた。

「なぁ、坊ちゃん」

 ぬいぐるみのお腹に顔を埋めたままの信一が突然話しかけてきたので、再び驚いた十二は、そろぉっと遠慮がちに扉を開けると頭だけひょっこりと出した。

「なんでしょ?」
「時々に思うんだけど、お前って俺の年齢とか分かってる?」
「23歳成人、オス」
「ああ、うん、そうだよな」

 信一も顔を出した。ぬいぐるみを膝に乗せると十二の方に虎の正面を向けて、その頭を撫でる。

「こいつさぁ、お前がまだ城砦にいた頃、抱えてたぬいぐるみになんか似てるな」
「そぉ?」
「Ωに自分っぽいぬいぐるみを持たせようっていう思考そのものが、ちょっとガキっぽくて可愛いらしいのか、それとも意図的でとんでもなく重いのか、計りかねるところがお前っぽい」

 十二は何とも言えない顔をしてクローゼットから出てきた。それを見た信一が虎を胸に抱いたまま後ろへ上半身をバタンと倒した。十二も隣に座るとバタンと上半身を倒した。自分が作った巣から、自分の匂いがする。そして隣から信一の匂いだ。信一は虎をクンクンと嗅ぐと、十二の方を向いた。お互い、横寝で向き合う。

「まだ、お前の匂いが薄い」
「今日買ったばっかりだからな」
「揉んでみたけど中までは染み込んでないな」
「なんだ、潰してイジメてたのかと思ってた」
「優しいこの俺が?まさか!」

 お前がプレゼントしてくれたのに?と抱え込む信一の仕草と表情は”あざとさ”がたっぷりであった。分かっていてやってる、というのは理解すれど「たまんねぇな」と十二は思った。

「これ、番になってからお前が始めてくれた物だな」
……そう改めて考えると、一発目ぬいぐるみは普通にキモいな」
「まぁ、まかせておけよ。何でもサマになるから。俺ってば」
「おおー、さすが信一だぜ。似合いすぎて逆にうぜぇ」

 信一は受け流してフフンと笑うと「なぁ」と続けた。

「ヒートの波、だいぶ落ち着いてきた。明後日の朝、城砦に戻ろうかと思う」
「そうか」

 十二は心の中で2秒だけ息を止めると「分かった」と言って、信一の横髪を耳にかけてやった。十二の指先が”こめかみ”に触れたのがくすぐったかったのか、微笑を浮かべたまま首を竦める。そして寝転んだまま、十二との距離を詰めた。信一と十二の間で、柔らかい虎がやんわりと潰れる。

 信一のフェロモンが強くなった。引き出されるように、自分のフェロモンも強くなっているだろうと十二は思った。俺たちが混ざり合う匂いってどういう匂いなんだろう。十二はふと思った。

 信一がぬいぐるみの頭にポスン、顎を乗せた。

「この虎坊にお前の濃い匂いをつける、手っ取り早い方法があるだろ」
「お前の匂いも同じくらいつきそう」
「いいじゃんね。ハッピーじゃん」

 信一がケタケタと楽しそうに笑うと、虎のぬいぐるみも揺れる。

 十二は信一が言う通り、たまらなく幸せな気分になると、ケラケラと笑って虎ごと信一を抱きしめたのだった。

 
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 今月のヒート期間、最後の夜。

 十二がアパートに戻ると、信一は2人のためのダブルベッドの中央に膝を抱えるように丸まっていた。部屋を見渡しても、どこも乱れたところがない。服一枚すらどこにもなかった。十二は一週間前の同棲初日を思い出した。1つだけ違っているのは、信一が膝と胸の間に大切そうに抱いているものが枕ではなく、虎のぬいぐるみだったことだ。十二が近づくと、信一の目がゆっくりと動いた。

「おかえり、十二」
「ただいま。今日は巣、作らねぇの?」
「巣は、待ってた」
「俺が作る?」
「そうじゃない」

 首を振る信一の頭をつかまえ、十二は額にキスをした。信一は当たり前のようにそれを受け入れると首を傾け、目の前にある目を覗き込んだ。

「巣の素材は、お前の匂いがついたもの」
 そもそも。
「俺の巣は、お前だろ?」

 十二は猫目を一度大きく見開いた後、ニパッと笑った。「んー、最高」と言いながら、まるで喉をゴロゴロさせる猫科のようにご機嫌になって、信一を抱きしめると体を擦りつける。

「ずっと思ってたんだけど、お前、なんでこんなに俺を大切にしてくれんの?」
 
 信一が静かな声音で、十二の耳に囁いた。十二は信一の肩に顎を乗せた。お腹のあたりで柔らかいぬいぐるみが潰れる感触がした。信一と虎を丸ごと抱き込むようにしてから「そうだなぁ」とゆっくり口を開く。
 
「大切にするって、先に言ったのはお前だ」
「うーん?」
「ガキの頃、ヤクの苦しさで荒れ狂ってた俺に、信一がそう言った」
「あー、あの暗黒時代なぁ。治療期間だったんだから、しょうがない」
「俺はお前を邪険にしたけど、信一の態度は変わらなかっただろ。その頃の俺に、今は本当のお前じゃない。本当のお前に戻れるように大切にするから大丈夫って、信一が言った」
「それで今、なのか?」
「そうだけど、そもそもさ、考えがシンプルで真っ当だと思ったんだよな」

 だからその時、俺も、大切なモンは大切にしようと思った。
 そしたら地獄みたいな世界でも、頑張れる気がしたんだよ。

 十二は当時を懐かしむように遠い瞳をした。信一が神妙な顔をして、十二の腰に手を回す。それに反応した十二は目の前の信一に意識を戻した。
 
「反発する俺に、信一が”俺が大切なモンを大切にして何が悪い”って言った時、俺は初めて信一の甘い匂いを知った」
……そっか」
「本能とか、衝動とか、俗に言う運命の番とか、そういうのを否定するわけじゃないけどさ」
「おう」
「信一が俺のこと大切だって言ったのは、誰から言われたモンでも、生まれた時から植えつけられたもんでもねぇだろ」
「そうだな」
「俺だって大切なヤツくらい、自分で選ぶ」
「十二の巣は、俺ってわけだな」

 微笑んだ信一は、十二の口を塞ぐようにキスをした。ゆっくりとお互いを感じ合うと、ちゅ、というリップ音が鳴って離れた後、信一が言った。

「虎坊さぁ、城砦に持って帰る」
「そう?」
「今日も、濃い匂いつけてくれよ」

 十二がいいよ、と快諾すると信一がいっそう嬉しそうに笑い返した。


 次の日の朝、信一は城砦に帰っていった。

 阿七が車で迎えに来て、いくつかの私物を車に積む。それから最後に、ぬいぐるみを小脇に抱えて自身も車に乗り込む。あっさりとした別れ際だったが、自分たちにはそれが自然だった。来月のヒート期間まで同棲は解消とはいえ、十二は九龍城砦の半住民だ。一週間より前の生活に戻るだけであるし、もともと通い夫のような生活だ。それに虎坊には定期的に匂いをつけにいってやらないと。

 十二はそんな風に考えながら、アパートの中に戻った。いつも通りに戻るだけ。なのに部屋が急にがらんどうに見えてきて、十二はセンチメンタルな自分の気持ちに苦笑した。

 明日、さっそく城砦に行こう。そういえば洛軍や四仔にも一週間会ってないし、4人で麻雀でもするかぁ、と閃いて寝室まで足を運び、気がついた。

 ベッドの上に、見知った紙袋が置かれていた。

「?」

 忘れ物かと思い、ベッドに近づいて袋の中を覗き込む。

 中身を見て十二は「あ!」と小さく叫んだ。

 ガサガサと音を立てながら、中に入っているモノを取り出す。外へ出した瞬間に、信一の匂いがブワっと広がった。知っている柔らかい手触りを堪能する。両腕を前方へ伸ばすようにして、それと目が合うように向かい合った。円らな黒い瞳はどこか自信ありげで”誰かさん”を思い出す。

 紙袋に入っていたのは、虎坊と同じ大きさの、龍のぬいぐるみであった。
 
 十二はしばし唖然とした。
 
 それから「ははっ」と幸せそうに破顔したのだった。