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2026-01-28 23:01:36
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【十二信】By the side of the one I love

《十二信》オメガバースパロ。信一と番になると心に決めている十二のおはなし。完結。オメガバース設定ですが、オリジナル設定が多くあることご注意ください。

『運命の番』という都市伝説めいた眉唾を、十二は信じていない。

 しかし幼馴染の信一の性が『Ω』であることについては、一切の疑いを持たなかった。

 例え、年頃になった信一がバース性検査報告を『β』だったと告げ、それを龍兄貴が認めても、だ。

 十二が城砦に来たばかりの時。苦しい闘病生活と慣れない新環境に、精神的にも肉体的にも追い込まれていた頃のこと。苦しむ十二を抱きしめてくれた信一から知った香りがある。十二はそれを命一杯吸い込んで、記憶するように自身にたっぷりと沁み込ませた。そうして十二は信一の匂い……つまりはフェロモンが分かるようになった。信一の香りはいつだって十二のことをフンワリと包んでしまう。甘く優しく惹きつけて、十二の心をユルリとしめつけたり、チクリと刺激したりするのだ。

 十二の信一への恋心と一緒だった。

 信一は、Ω。

 自分のバース性は知らないのに、十二は”知って”いた。

 だから検査結果が分かった日の午後だって、信一が「自分じゃαだと思ってたんだけどなぁ」とボヤくのを見つめながら「ふぅん」と気のない返事をした十二は、信一から漂ってくる甘い香りにバレないように鼻をひくつかせ、ダンマリを決め込んだのだ。

 信一と龍兄貴が信一の性を『β』だと明言すれば、それは真実になる。

 九龍城砦で最も強く、守護者であると同時に権威者でもあるボスαの龍捲風の言うことは絶対だ。

 信一はまだ性が確定しない子供の頃から、龍捲風に匂いづけをされ守られてきた。九龍城砦住民の信一に対する「αっぽい」という印象は、龍捲風の匂いに基づいてのものだった、という見解はあっという間に広まった。信一がβだからと言って、彼が龍捲風の優秀な右腕であり、馴染みの九龍城砦福祉委員会副会長であることに変わりはない。それ以上を追求する必要がないのだ。

 ただし、十二以外は、の話だ。

 これは十二の嗅覚が感じ取ったのみ。それでも言葉に言い表せぬ確信があった。十二は考えた。Ωという性は生き辛いのが現実である。九龍城砦が人情でコミュニティを形成する場であったとしても決して安全ではない。第一、黒社会では全く通用しない。

 でも龍捲風は信一を番にする判断をしなかった。信一は『Ω』ではなく『β』と偽る人生を選択したのだ。理由は分かる。一般でもよく使われている手法だ。弱い立場のΩの公表は、番がいなければ利点がない。

 だが十二は、信一が不可抗力に『偽る人生』を強いられるというのが気に入らなかった。

 十二は真実を確かめるようなことを、城砦の2人に尋ねたりはしなかった。代わりに十二がまずしたことは、第二の性とりわけ『Ω』『β』『α』のそれぞれの性の特徴について猛勉強をすることだった。図書館に通い異なる意見の文献や諸説を見比べ、一般論との乖離や認識のズレを正し、すでにバース性が明らかである知り合いに聞き込みをした。

 Ωという性は、一般論からすると「ヒート」と呼ばれる周期的な発情期に翻弄され、一定期間は生活がままならず、周囲とりわけαの本能に大きな影響を及ぼす。社会的に高い地位に立つαの観点によって動いていく社会では、正反対の位置にいるΩの立場は理不尽にも弱かった。

 一方で、子供を作ることができる貴重種で、ヒートを愛の形として分かりやすく主張するΩの健気な性質を、αは愛し受け入れ、保護すべきという動きもあった。

 この嫌悪と庇護という相反するα社会の動きは歴史的に常に両立していたが、十二からすればどちらもαに都合の良い解釈にしか見えず、情報として物足りないものだった。

『Ω』『β』『α』に性差はあるが、それによって上下が決まるわけでなはい。十二は信一が龍捲風の秀でた右腕であることを知っていたし、恋心抱くよりもっと前から幼馴染の人間性を好いていた。

 しかし性の特徴からは逃れられないことは確かだ。それに否定するものでもない。ヒートに翻弄されるため信一が苦しむのであれば、コントロールできるように支えてやればいい。十二がやりたいのは、信一が信一でいるために自分ができることを総ざらいすることだった。

 架勢堂にて仕事に勤しみ、時間が空いたら勉強する。信一と遊んでいた時間の一部を当てがったため、時折に信一は同じ時間を過ごした。バース性についての書籍や論文を机に積み上げて、片っ端から真剣な顔で読む十二を見て、信一は最初は不思議そうにした。

「坊ちゃんが勉強なんて珍しいよな。どっちかっていうと嫌いじゃん」
「必要ならするだろ。自分のためになるなら苦じゃねぇもん」
「必要……?お前に?うーん、つかその黒縁メガネなに?お前、目、悪くねぇだろ」
「伊達眼鏡。レンズなし」
「形から入るタイプ!」

 最初は気まぐれか、ちょっとした調べものだと思っていたらしい信一は、勉強会が回数を重ねるごとに神妙な顔つきへ変わった。そしていつかにポツリと呟いた。

……お前が番になるΩって幸せだな」

 信一がそんなことを言うので、十二は本から視線を一度外した。メガネから真剣な眼差しを向けて信一と目を合わせ、腕を強い力で引っ張る。無理やり自分の隣に座らせて、ズイっと本を2人の真ん中で開いた。

「お前も読め。すごく大事なことだろ」

 目をパチクリさせた信一が十二の顔を凝視する。十二はそれ以上何も言わずに書籍へと目を戻した。信一はしばらく怪訝な顔をしていた。けれど十二が机の下で、隣り合う手の甲にそっと自分の手の平を重ねれば、信一はピクリと小指を動かすも沈黙を守り、十二に倣って書籍に目を戻した。

 部屋にはページをめくる音だけが静かに響いた。

 何も言葉を交わさない。なのに和む穏やかな空間が生まれる。十二はお互いのことが、その未来までよく分かるような気がしていた。信一もそうだろうと信じてもいた。

 だって重ねた手は逃げたりしない。

 ページが送られて行く度に、甘い香りが広がって濃度も強め、十二を包み込んでいくのも証拠だ。甘ったるいのにくどくはなく、十二を心地よさへと誘う優しくて懐かしい香り。

 十二は自分が『Ω』か『β』か『α』か、まだ検査をしていなければ自身でもどれとも判断はついていなかった。希望は『α』だ。そうしたら『番』になれる。できる選択肢の幅広がるし、動きやすい。信一のフェロモンに包まれると興奮ではなく安らぎを感じることが、何を示しているのか十二には分からない。そもそもバース性が決まっていないのに、信一のバース性だけ分かると言うの妙な話だ。

 運命など知らない。
 でも俺の意思はある、と十二は思う。


 だから、今日。


 虎兄貴に「休みをやるから今すぐ検査に行ってこい」と言われ、素直に従い、十二のバース性検査結果が『α』であると判明した今。

 十二は真っ先に虎兄貴へ報告をすると、急ぎその足で九龍城砦へと向かったのだ。

 ちょうど自室で帳簿をつけていた信一は、あまりにも勢いよく部屋に入って来た十二を見て、面倒くさそうな目を向けた。

「おいおい……うちのドアを壊す気かよ」
「αだった」
「あ?」
「だから、俺、αだった」
……そうだろうともさ」
「信一、番になるぞ」
……俺、βだって言ってるじゃん。番は対象外だよ」
「おめー、俺が今まで何のために勉強してきたと思ってんだ。ずっと隣にいただろうが」
「知ってるよ、お前の番となるΩのためだろ」
「そうだ」

 だから、お前と番になるためだろ。

 それを聞いた信一は伺うような目を十二に向けた。喜ぶも怒るも、疑問すらも浮かべていない、冷静な視線。十二の発言の真意を推し測ろうとしている様子だった。やがて「ふぅ」と息をついて、手に持っていたボールペンを静かに机に置く。年下の幼馴染を注意深く観察するように見つめて、一言。

「なぜ?」と言った。

 信一の静かで淡々とした視線に対し、十二は一切怯まずに雄々しく宣言をする。

「信一、お前、俺がαだったって言ったら”そうだろう”って言ったよな。お前、俺がαだって知っていたんだろう?俺は自分の性も知らねえし、お前も兄貴も信一のことをβだって言ったけど、違うって知ってた。お前はΩだ」
「だから?」
「番になる」
「それが理由?お前がαだから、そばにいる俺を番にするのか?」
「ナメてんのか」

 十二がイライラしたような顔で、唸るような低い声を出した。この分からず屋め!とでも言いたげに十二が剣吞な目つきに変わっていく。グルグルと威嚇の喉が鳴りそうな様相に、先ほどまで冷淡な視線を向けていた信一の方が、突然に表情筋を和らげてプッと小さく噴き出した。

「αとΩが番になるかどうかなんて、生涯を共にするかどうかのプロポーズに等しい、ロマンティックな盛り上がり所だろう」

 何でこんなケンカ腰でピリピリしてんだ、と頬杖をついて皮肉るように笑う。

 揶揄うような上目遣いが十二を見つめた。突然に砕けたような姿勢をする信一を見ても、十二の方は怒ったような表情を崩さない。机を挟んで信一の目の前に立つと、机を手で叩き、ダンッと大きく音を立てた。

「そうだ。それかαがΩを服従させるための烙印を押すようなもんだ」
「ふふ、そういう雰囲気にさえ近いな。でも俺はお前がそういう男じゃないことを、よくよく知っているよ架勢堂の十二少」
「俺だって藍信一がどういう男かよくよく知ってる。それにお前は今も十分”うまく”やってる。でももっと欲張ったっていいだろ。お前だって俺と番になる未来を見たはずだ」
「おいおい、まさか運命論なんて持ち出してくるんじゃあるまいな」
「知らねぇよ、そんなの。調べたけど眉唾だし、判別も根拠もない。でもどうでもいいことだろ?俺たちが番うのに、運命でもそうでなくても関係ない。俺はお前と番になりたい。そうしたらお前だってお前のままでいられる」
「俺のまま……
「だから、お前の気持ちも言葉で聞かせろよ」
「気持ち?」
「衝動とか本能とかで番うんじゃない。俺達にはそりゃ後からついてくるもんだ。しっかり自分を持ってる時の”告白”がいる」
…………俺の全部が欲しいか」
「妥協なしだ。それがなきゃ、お前にかかってる龍兄貴の保護を解くことはしない。お前は龍捲風の匂いに包まれてるβだ」

 その二つに一つしか選択は認めない、と息巻く十二に対し、信一はどうにも気乗りしなそうだった。十二の射抜くような視線と、信一のいなすような視線。睨み合いが続いてから、しばし考えるようにして、信一が観念したように口を開いた。

……だが十二、先に言うが『俺』はなかなか大変だぜ?きっとお前の手に余る」
「手の内に大人しく収まってることなんて望んでねぇ。お前がΩだと客観的答えも持たずに決めつけて、せっせと準備こしらえてこうやって、αと判明した当日に迫ってるようなヤバい男の掌中を超えられるって言うなら、やってみりゃいい」

「俺はとっくに腹くくってんだ」と、やけに晴れがましい顔をして十二は言った。瞳には強い意思が宿っている。やりたいことは決まっているのだ。自信に溢れた姿は堂々として、まっすぐに信一へ気持ちを向けていた。信一はそれをまるで眩しいものを見るように見つめた。

「お前を、偽らなくていいお前に戻すんだ。お前がお前のままでいる。俺にはそれができる」

 十二の声が凛と部屋に響き、それから数秒の静寂が部屋を支配する。

 やがて信一が頬杖を解いて背筋をピンと伸ばし、姿勢を正した。

「うん」

 信一が少しだけ目を伏せて、穏やかな表情で頷いた。すぐに信一は顔を上げ、自分も真っすぐに十二の瞳を見つめる。それからゆったりと口をひらいた。

「さっき”衝動とか本能とかで番うんじゃない”と言ったよな?」

 俺も賛成だ。フェロモンなんかに翻弄されない、俺たちの意思と覚悟がいる。聞かせてくれよ、十二。それから、俺に証明しろ。

「俺たちが俺たちのまま一緒にいられるってのをさ」

 信一がうっとりとした顔で、軽やかに歌うように言った。その微笑みはとても華やかで十二の目を強烈に惹きつける。視線を奪われて動けない。ゾクリと悪寒さえする。十二は期待に満ちた感情が高ぶって、目を爛々と輝かせ無意識に口角を上げた。その顔を見た信一が続けて言う。

「俺もお前と番になりたい」
 だから。
「言えよ、十二。どうしてそんなに俺と番になりたい?」


「お前のことだが好きだ、藍信一。性が何だとか関係ない。そんなの知らない子供の頃から、ずっとずっと変わらずに好きだった。大切にしてやりたい。大切にするにはどうしたらいいんだろうって、たくさん考えて考えて、出た答えがこれだった。番だ。俺とお前が一緒にいれば、すべてうまくいくって俺は思ってる。……だから」


 なぁ、俺にその”うなじ”を噛ませてくれよ信一。


 信一の瞳が星を宿したようにキラリと輝き、口元は花がほころんだように笑った、その次の瞬間だった。

 突如、むせ返るほど濃厚な甘い香りが一気に匂い立つ。

 それが信一から発生していることに気がついた時には、その匂いは瞬く間に部屋中へ行き渡り充満してしまう。重厚だった。いっそ猛威だ。まるで重力が下がったかのような体の酷い重さが十二を襲い、同時に体は発火するほど熱を持った。毛穴から汗が吹き出し、息が大きく乱れる。

 思わず信一に顔を向ければ、十二と同じように呼吸を荒げ、顔を赤らめ、汗を額に滲ませながら、気だるげにも色っぽく十二を見つめていた。彼の薄っすらと笑んだその唇は、声もなく十二の名前を呼ぶ。トロリと涙で潤む瞳が、呼吸さえ奪う香りが、ペロリと唇を舐める舌が、そして高圧的なほど美しい微笑が、目の前のαを逃がさないと妖しく艶めいた。

「がっ……ぁ」

 今日にαと判明した十二にとって、初めて直面したΩのヒートであった。

 文献で読んだ作用と対処を思い出そうとし、どうしても考えることが困難で失敗に終わる。

 頭を占めるのは信一の存在全て、とりわけ芳醇な香り、抑えても引きずりだされるような信一への苛烈な性的欲求。

 とても良い匂いだった。知っている香りだ。信一の隣にいて、毎日嗅いでいた親しみのあるもの。いつも十二を癒すものだった。

 それなのに今は、いつものような心地の良く揺蕩う優しさが欠片もない。鼻腔から毛穴から口から入り込んだ刺激物が直接に脳へ響き、思考をキュウと狭めてしまえば、同じように視界もギュっと狭まる。

 目の前に、信一がいる。
 机を挟んだだけの、向こう側。

 目の前のΩを「抱く」という断定的かつ短絡的思考に支配されそうになり、なけなしの理性が十二自身を嘲笑う。

「なる、ほど」

 こりゃ、すげぇや。

 世界がグニャグニャと歪んで行く。その中で唯一しっかりと目視できるのは、淫らな悪魔のように誘うその匂いの元。

 くったりした様子で椅子にしな垂れている信一だけだった。

 口の端から零れている唾液の。
 額から零れる汗の。
 その、なんと甘そうなことか。

 あの美味そうな肌に牙を立てれば、なんと、幸福、な。

(ま……ずい……っ、よくせい……ざ)

 場所を知らない。あの様子では信一も動けないだろう。十二は口からダラダラと唾液が溢れてくるのを止めどなく飲み込んで、膝からグラリと体を揺らした。

 机を挟んで、信一がいる。フェロモンの作用に負けて机に乗り上がってしまえば、おそらく一貫の終わり。歯止めは効かず、自分を失って襲ってしまう。

 ぐぅ、と喉を鳴らして爪が食い込むほどに拳を握りしめる。目の前の信一が十二を見てフニャリと優しく、嬉しそうに笑った。普通のαであればその甘ったるい微笑みに最後の理性を崩御されるであろう。飛び掛かるきっかけとなったに違いない。しかし十二は見惚れるように呆けた後、ピタリと動きを止めた。信一がどうして微笑んだのか理解しているからだ。

 耐える自分を信一が愛し気に見つめている。それに見惚れているうちに、信一が右腕をゆったりと前に伸ばす。目を見開いた十二は、信一がこちらに助けを求めてきたのかと思ったが、その指先のうちの一本が十二の後ろを指差したので、残るありったけの思考力を総動員した。

 信一のヒートが強すぎる。九龍城砦の薄い壁や脆いドアでは、おそらく外まで匂いは漏れている。

 だとすれば、この匂いに誘惑されて九龍城砦にいる他のαが寄ってくる。

 一瞬で血の気が引いた。体が熱いのにその芯が冷えるような奇妙な感覚。この状態で城砦の理性を失った複数人のαを相手にするのは分が悪すぎる。しかもそのαたちが九龍城砦を取り仕切る立場の信一に対して、どのような感情を……羨望や劣情を抱いているかも分からない。貪られてしまう可能性が大だ。だからこそすぐに対処がいるというのに、自分の身も信一のフェロモンによって場に縛りつけられたような状態であった。

 発情する信一は上げた腕をパタリと落として、肩を大きく上下させながらふうふうと息をついて、具合が悪そうに目を閉じる。十二は緩慢な動きで首を上の方に傾けると、大きく息を吸い込んだ。ポッカリと開けた大口からフェロモンが流れ込んできて、度数の高いアルコールを大量に飲み干すような眩暈に襲われても、できる限り、大きく取り込む。同時に机の縁を両手で掴んだ。

 それから十二は。
 勢いをつけて頭を振り下ろし、目の前にある信一の机へと自慢の石頭を叩きつけた。

 ガンッというあまりにも痛そうな音が天上まで響いた。ピクリとした信一がその正体を探ろうと細く目を開ける。十二は悶絶しないどころか一声も上げずに、机に頭を擦りつけたまま固まっていた。その数秒後、勢いよく頭を上げると、強張った表情筋と剣呑な瞳をして口をムッと引き締める。不機嫌そうな瞳は先ほどまでのようにグルグルと回ってはいない。額から何かが垂れてくる感覚があったが、十二は気にしなかった。痛みと引き換えに思考力と理性を大幅に取り戻すと、ひるがえってドアの方へと縺れる足で向かう。

 十二は全身を使ってドアを抑えつけるように背中を押しあてた。部屋の外が騒がしかった。外にはすでに人が集まっている。このドアを突破されたら大惨事だ。信一の読みは正しい。ドアが5回、強く叩かれる。十二は数秒の間で何が最適解かを考えあぐねた。自分が廊下に飛び出して、歯止めるか。現実性がなさすぎる、という見解をゴリ押しで打ち破るしかない……と気持ちが固まり始めた時。

 十二と信一にとって救世主が現れた。再び、ドアが荒々しくノックされる。十二が舌打ちしたのと同時に、ノック主が聞き慣れた声を発したのだ。

「おい!信一、何があった」
「うぉおおお!四仔ぃい!」
「十二!?」
「おっ、洛軍もいるのか」

 十二は思わず笑顔を溢した。強制的な痛みで辛うじて保っていた理性が、友人の声でますます呼び戻される。弾んだような十二の声に「お前はそこで何をしてるんだ」と戸惑いの声が返ってくる。しかしすぐに四仔から焦ったように言った。

「おい、ソ……そいつに抑制剤を飲ませろ。ベッド横の引き出しにある」
「無理っ。ドアを抑えてるので限界っ。動いたら俺の理性崩れそうっ」
「え?」
「俺、あるふぁっ、今日、判明!!」
「はぁ!?」
「内側からドア抑えてるから、そっちに集まってるαなんとかしてっ」

 十二の叫びに対し、怒髪冠を衝くが如くの最大級『仆街』が聞こえてきて、十二は(こえぇ……)と口の端を上げた。

 四仔と洛軍がいるならば外は問題ない。Ωのフェロモンに脳を犯されて興奮し、我を忘れたαなど、手練れで冷静な判断に長けるβの2人の敵ではない。しかも四仔は怒ってる。何に対して怒っているかなど怖ろしくて考えたくもないが、高飛車なα共が「そんな医者もβもいてたまるかと」と叫ぶ暴れっぷりをしてくれるだろう。洛軍がいるのはその意味でも助かった。ああ見えてトリックスターのような男だが、その分状況把握能力には長けている。

 ならば、問題はこちらのみ。

(信一っ)

 信一が椅子の上から姿を消していた。ずり落ちて、下に転がったらしい。呻くような、喘ぐような声だけが小さく聞こえていた。十二は頭をブンブン振って意識を紛らわせると、焦点をベッドの脇棚に絞りヨタヨタと足を動かす。

 3つの引き出しがついた、小ぶりなサイドチェストだった。上から引き出して中を引っかき回すように探すが見つからない。三段目だけ、鍵がかかっていた。「こんな重要な薬を鍵でしまうとかバカかよ!」と苛立ちながら乱暴に揺すったが、さすがに力任せでは壊れない。

 外では相変わらず人間たちが暴れている音がしていた。途方に暮れている場合ではない。急がないと。どこかに叩き割る棒とかないのか、せめて信一のナイフとか……

 そう目を部屋をキョロキョロと見まわした時、ガラッという予想外の音が鳴って十二はそちらを向いた。

 信一の部屋に2つある窓のうちの1つ。

 バルコニーではないため内側からのみ開閉する窓であるが、不思議なことに勝手に開いたのである。上からニュっと二本の足がのびてきて、随分と軽やかかつ手慣れた動きをした龍捲風が入って来た。降り立った龍捲風は部屋の様子を一瞥すると「ふむ」と頷き、まずは窓を閉めて鍵をかけた。それから十二を見ると、いつもと変わらない落ち着いた様子でぼやいた。

「ほぉ、どこのバカが手を出したのかと思ったが、予想外というか予想通りというか……。そういえば虎仔がお前を検査に行かせたと言っていたな。信一の言う通り、やはりαだったか」
「龍兄貴……

 どっこから入ってくんの……、とは言えなかった。廊下は乱闘中。”落ちなけば”外壁を上った方が楽だ。龍捲風は部屋の空気をものともせず、信一の方へとスタスタ歩いていく。

 龍捲風は「引き出しに抑制剤はない。引き出しの上の本と本の間に挟まっている」と十二に言った。慌ててブックスタンドの辺りを探せば、確かにトローチに似たオレンジの粒が白い紙袋にいくつか入っている。

 すぐ取り出せる必要があるが、隠すべきもの。

 見つけたことに喜んで、すぐに信一に届けようと十二が振り向くと、龍捲風が床に伏してグッタリとしていた信一を抱き上げたところであった。αであるはずの龍捲風はヒートしているΩの信一を当たり前のようにベッドに運ぶ。

 白い紙袋を握りしめたまま固まっている十二を無視して、龍捲風は優美な仕草で信一をベッドに寝かせた。幼い子供の熱を測るように手のひらを額に当ててから、次に手の甲で信一の頬を撫でる。

 信一の匂いがぐっと収まったような気が十二はした。無くなりはしないが、幾分か呼吸もしやすい。龍捲風が自分のαのフェロモンを使って、信一の過剰な発散を宥め、効力も弱めている。

 信一の閉じていた目が薄っすらと開いて自分の兄を見つけた。あどけない表情をした信一は、見るからに安心した様子で頬を龍捲風へ健気に擦りつける。

「哥…………
「俺の保護を破ったか。ワルい子だな、信仔」
「っぷいを……ぉこ……ないで」
「怒りはしないさ。他人である十二には破れない。破れるのはお前の意思だけだ」

 龍捲風と信一の優しい声と甘えた声のやりとりが聞こえる。蚊帳の外に出された十二はひたすらに黙っていたが、龍兄貴と信一の様子を注意深く観察した。

 龍捲風の馴れた手つきが信一の肌を滑っていく。手の動きに合わせて信一がゴロゴロと体勢を変えた。耳を柔やわと触ってその裏まで、くびれには念入りに。膨らみ、染みを作っている下半身へは手は伸ばさない。熱の発散ではない。あくまで発情を抑えるのが目的であり、優しくして安心させてやるのが最重要。

 苦しいばかりであった信一の顔が、ポヤポヤとした気持ちよさそうな雰囲気に変化していく。赤らんでいた頬も桃に色づくまでに落ち着いてきた。呼吸が正常に戻っていく。ぐったりとしているのは変らないが、自然な眠気に誘われて目を閉じようとしている。

(αのΩへの匂いづけは、ああやってやる)


 次からは俺がするんだ。


 龍捲風が信一から目を外さずに、手だけ十二に寄こして催促をしたので十二は大人しく紙袋を渡した。龍捲風は袋から薬を取り出して、分かっていたと言わんばかりに既に開いていた信一の口へと放り込む。信一は口をもごもごとさせながら薬を舌で転がしているが、ほとんど眠っているようだった。

「完全にフェロモンが引くまでは30分、といったところだ。今のうちに部屋を出ろ十二」

 やっと龍捲風が視線を十二に戻した。十二は素直に首を振った。

「ありがとう龍兄貴。でも俺は傍にいてやりたい」
「なんだと?」

 龍捲風の声音が氷点下まで冷たいものに切り替わった。

 信一に向けていた温かい視線とは180度違う、鋭く刺すような視線に十二はギクリとする。しかし反応を見せてはならないことを十二は承知していた。怯んだことがバレれば、侮られて話すら聞いてもらえない。ただでさえ龍捲風に信一のことを意見するのは骨が折れるし、時には”危険”すら伴うのだ。

 十二が意識をして睨むような強い視線を返すと、龍捲風は肩眉のみをピクリと上げた。

「αがΩの部屋に居座るというのは前代未聞の愚行だろう」
「そうですね。でも俺と信一はそれでも一緒にいる選択をしたんです」
「理解し難い」
「俺は信一に証明しなくちゃいけない」
「何をだ」
「俺が信一を傷つけないってこと」
「なんのための証明だ」
「ずっと一緒にいるための、だってば」
……信一がそう言ったのか?」
「俺が一緒にいる、って言った。信一が証明しろ、って言った」

 龍捲風はこの上ないほど眉間に皺を寄せて、実に嫌そうな顔をした。十二は真剣な顔のまま龍捲風の返事を待つ。ジロジロと十二の様子を観察した龍捲風はまだ苦味つぶしをかんだ表情で、ほとほと呆れたような声を出した。

「2人揃ってずいぶんと無防備なまま体当たりをするものだな。若気の至りは痛い目をみる」
「兄貴だってαなのにいつも信一のそばにいるじゃん。今だってそう。取り乱したりしない」
「自分にもできると?」
「兄貴、勃ってもない」
「お前は勃ってるな」

 十二は興奮ではなく羞恥で顔をカッと赤らめて「そういうことを言うの良くない!」と抗議した。「お前が言い始めたんだろう」という龍捲風の真顔と正論を聞き流して、十二は続けた。

「理性的でいることと本能を剥きだすこと、それを自分でちゃんとコントロールできる。信一が起きるまでそばにいる。だから龍兄貴に相談なんだけど、机の脚とかクローゼットのパイプとかどこでもいいからさ、俺のことを紐かなんかで縛ってくれない?」
……お前の言うことはさっきからさっぱり分からんな」
「意識のない信一を絶対に襲ったりしねぇよ。でも用心にこしたことはない。兄貴の言う通り俺、信一を見て勃つからさ!」

 ハッキリと宣言したと同時に、ゴンッと龍捲風からゲンコツを食らって、十二はその場にしゃがみ込んだ。

「いってぇ!俺、さっき頭机に打ったばっかりっ」
「どこぞの虎の骨と信一を同じ空間に入れるわけにはいかん」
「龍兄貴の義兄弟の架勢堂さんちの坊ちゃんじゃんか!どこが正体不明なんだよ」
「お前は……そんな具合悪そうな顔しておいて何をダダこねている」
「ヒート凄かった。だからこそ信一との約束を守らないと」
「まだ早い」
「だからぁ、縛ってって言ってるじゃんかぁ!」

 十二は本当にダダっ子のように叫んだあと、もう一度スッと顔をを真剣に戻して龍捲風を見た。

「信一に手を触れるようなら、その前に舌を噛みきるよ。でも場所からも動かない。もし俺の手首に解こうとしたり引きちぎろうとした紐の痕がついているようなら、信一とは距離を置く」
……勝手なことだな。信一も嘆くだろう」
「俺は今、信一ではなく龍兄貴に覚悟を示してる」

 龍捲風は今日何度目かに十二の顔をしげしげと見つめて「ふむ」と言った。それから再び拳を作ると、流れるような美しさで型をとり、十二が反応をする前に深刻な様子の若者を勢いよく吹っ飛ばした。

「ぎゃっ」

 構えてもいなければ、予想すらしていなかった十二は、面白いほど軽快に体を宙へ飛ばし、カエルが潰れたような声を出してながらドアに背中を叩きつけて、下へ落っこちた。

 マジで容赦ねぇじゃん……!と恨み言を心中に押しとどめれば、龍捲風が相変わらず優美な所作をしてゆっくりと信一のベッドに座った。それから煙草を一本取り出すと、むくれている十二を眺めながらたっぷり時間を取って一服する。

 美味そうな顔をした龍捲風が、煙草の煙を細く長く天上に向かって吹くと、信一の香りが再びズクンッと重くなった。最初のヒートよりは強くない。それでも十分、理性の崩御を企むような濃厚さを持っている。信一の方はまだスヤスヤと眠っていて、影響はなさそうだった。つまり部屋の香りの効力を抑えるαの加護の分量に、影響があっただけ。

「縛り上げる必要もない」
 自身のフェロモンを抑えた龍捲風が、大人げなく愉快そうな笑みを口元に浮かべ、十二を見た。
「もしお前がその場所から動いたら、俺が直々に廊下へ放り出してやろう」

 龍兄貴は笑っているが、目は全然笑ってないことに十二は少し身震いをした。身体はあちこち痛いし、疲労でヘロヘロであるし、思考力はあらゆる原因のせいで鈍いし、龍兄貴はイジワルで怖い。

 それに香りは相変わらず甘やかに誘ってくるし、1人だけ落ち着いて眠っている信一は可愛いしで、十二は(こりゃ本当に大変だ)と思った。

「む!」と口を一文字に結んで気合を入れると、両腕む組む。テコでも動かないぞという意志を込めて、その場にあぐらをかいた。

 顔を上げれば、龍捲風と目が合う。

(気まずい……

 冷や汗がでそうで(縄よりよっぽど効力のある怖ぇえ縛りだ……)と十二は思ったが、これはこれで龍兄貴の優しさなのかもしれない……と考え直してから目を閉じた。

 信一の穏やかな寝息が聞こえる。愛しかった。部屋にまだ豊富に漂う香り。どんなに刺激的でもやっぱり好きな香りだった。

 十二は信一の寝息と纏わる香りに集中した。そうして精神統一を行うと、その場にジッとするように努めたのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
 ペタリ、と何かが頬を触った感触がした。

 いつの間にか意識を手放していた十二は、突然触れてきた何かに閉じている瞼をピクピクと動かす。

「十二」

 今度は名前を呼ばれた。それは耳に馴染んでいる声で、十二は起きなければ……とぼんやり思考を動かし始める。

「んっ……

 精神統一した時の体勢のままゆっくりと目を開けると、目の前に信一がちょこん、としゃがみ込んでいた。一気に目が覚めた十二は、自分の位置をすぐさま確認した。龍捲風に吹っ飛ばされた位置のまま、全く動いていない確認して一安心する。機嫌が良さそうな信一がニコニコと笑っているので、十二はホッとした後に、ひょいっと体を傾けてベッドの方を見た。龍捲風の姿はない。

 信一が十二の意図するところを理解して「兄貴なら俺が起きたから理髪店に戻ったぜ」と言った。

「そっか。……お前、大丈夫なのかよ」

 十二は信一に視線を戻した。信一は相変わらずご機嫌で、晴やかな顔をして笑っている。美しい顔がとても明るくて、それに信一からする香りもいつもの穏やかで癒されるような匂いに戻っていたので、十二は幼馴染の可憐さにフェロモンとは違う意味でクラクラとしそうだった。いや、可憐さではなく物理的に頭を数回打ったがための眩暈かもしれなかった。でもそう冷静にはなれぬ、浮かれた気分がジワジワと広がる。

「こっちのセリフだろ。兄貴容赦ねぇなぁ、怪我人だってのに」

 信一はそっと気遣うように十二の額に触れた。髪の毛が額にかかってしまわないように爪の先で避けてやる。

「起きてたのか?」
「バタバタする音だけ聞こえてた。あ、こりゃ兄貴がやったなって」
「吹っ飛ばされた。義父に娘さんをくださいって言った気分だ」
「ハッ。そうならこんなモンですむわけないだろ」

 普通に恐ろしいことを信一は明朗に言い放った。ですよね……と同意せざるを得ない十二が遠い目をする。

「俺のフェロモンに耐えたαはお前で2人目だ」

 十二の様子は無視して、信一が嬉しそうに言った。信一の方が自慢げな顔をして十二の肩をパシパシと叩く。

「試すようなことして悪かったな」
「いや、論より証拠だろ。それはお互いの話だし……。ちなみに、耐えた1人目ってのは?」
「兄貴に決まってんだろ」
……気になるんだけど、お前これまでにΩのフェロモン使ったことあるわけ?」
「そりゃ、俺に都合が良ければ。兄貴には内緒」
……危な過ぎる。二度とするな」
「ナイフで首元を掻っ捌けばただの骸さ。死んじまえばフェロモンも何も関係あるもんか。隙が多いんだ、俺のフェロモンに溺れたα様ってのはさ。俺を犯し潰す気で、先に俺のフェロモンに潰されちまうんでね」
……それでもするなよ」

 十二が真摯に言えば、信一が「ああ」と和やかな表情ですぐさまコクコクと頷いた。調子の良い様子に(ホントに分かってんのか……)と心配になった十二は、当初の目的を思い出した。

「信一、番になるぞ」
「そうだけど、今?」

 信一が首を傾げれば、十二が首を振った。

「いや、その前にやることがある。まずはちゃんと兄貴たちに”認めて”もらわねぇとな」
「奇遇だなぁ、俺もそう思ってたとこさ。でも……その前に十二の頭冷やそう」
「はぁ?もう、落ちついてるっての」
「バーカ、違うって。頭から血ぃ出てるから手当をしないと」

 だって、もう1回吹っ飛ばされるかもしれないだろ?それに1回かも分からないし。

 真っ当すぎる信一の意見を聞いて十二は眩暈を起こした。少しだけ眠ってしまったとはいえ、今だ体もクタクタで回復が足りていない。信一が動けない十二をやんわりと抱きしめた。

「おつかれ、十二」
「おう」

「俺を番に選んでくれてありがとう」
「それは俺のセリフだろ」

 全てが報われた気がしたし、第一歩であるという気もした。

 十二は今日一番ホッとして幸せな気分になって、懐いてくる信一の背中に手を回すと、恋人の香りを思いきり肺に吸いこんだのだった。