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kumazaregoto
2026-01-28 00:42:59
9006文字
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鴻雁北
彩貴と禰津おじさんの出会いの巻
ちょっとGあり
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2
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4
「
……
何のつもりだ」
「お、良かった。てっきり話が通じないかと思ったけど、会話はできるみたいだねぇ」
冗句を交えながら穏やかに笑み、由玄は両手を軽く上げる。左腰に差した刀は抜かず、眼前に立ちはだかる刺客の赤い双眸と視線を合わせた。
しかし依然として、刺客は抜身の刀を一度もブレることなく由玄に向け続けている。由玄の額から汗が溢れ、顎先で赤色と混ざり染まって零れ落ちた。
「じゃあ会話が出来るならもう一度言おう。刀を納めてはくれないかい?僕は君と戦う気はない」
喉が微かに震える。息を吸って吐くだけでも、剣気だけで焼き切れそうになる。その顔に笑みを絶やすことは忘れず、しかし瞬きもせずに刺客と向き合う。
答える気が無いのか、刺客は刃を向け沈黙を貫き睨め返すだけだった。由玄は息を吐いた。
「事情は知らないけどさ、というかさっきまで、耳はしばらく使い物にならなくなったから聞こえてもいないんだけど。話せるんだったら話したらどうだい?」
余裕綽々の態度を崩さず、言葉巧みに誘導する。それでも由玄の冷や汗は止まる気配は無い。だと云うのに彼の口角は微かに上がり、どこか愉しげにすら見える。
駒を一つ動かすかの様に。一手打ち、次の一手を練る棋士にも似ていた。
刺客が目を細める。
「
……
見た者の感覚、時間を鈍らせ拘束
……
これは、感、の異能か」
「えぇ、もうわかっちゃったの?こんなに早くバレたことは無かったんだけどなぁ。おじさん、傷付くなぁ」
「
……
刀を抜けば、私に一太刀でも浴びせられた」
「僕は刀を抜かないよ、というより抜けない。だって異能を使ったって、僕が刀を抜くより、君が僕の手を斬り落とす方が速いでしょ」
そのぐらいはわかるよ、と由玄は目尻を下げて笑う。
「さっきも言っただろう?戦う気はない。それに、事情はどうあれ僕の窮地を助けてくれたし、礼ぐらいはさせてもらうよ」
赤混じりの透明が、地面に滴る。沈黙が続く。息を吐く時すら、もう永遠に出来ないのではないか。
そう思うほど、少年から答えを得るまでの時間が、あまりに長く気が遠くなりそうになる。
「
……
礼?」
この場を支配していた剣気がゆっくりと薄れていき、鋒が由玄から背を向けた。
鯉口がキン、と高い音を響かせる。その音を皮切りに、森の声が由玄の耳に届いた。頬を撫でる風の音のなんと心地良いことか。
風に煽られ、少年の赤い目が長い前髪の下から露になる。その目は、由玄が思っていたよりも優美な色を湛えていた。
溢れる血よりも明るく、茜よりも暗い。陽の光は木々に遮られ薄暗いが、その所為かいっそう双眼が映える。これほどまで目を惹かれる鮮やかな緋色を、由玄は織物でしか見たことが無かった。
「お、欲しかったのはもしかして褒賞だったりした?」
早口に戯けて見せる。一瞬間を置いてぎこちない笑みを作ったのを、少年は気付いていないのか。少なくとも背後で息を吐く男は、由玄の変化を知らぬままでいるだろう。
「いやぁ僕もまあ、一応一国の国主の子ではあるけどさ、庶子だし次男で追われてる身だからこれと言ってできる褒賞も、」
「いらん」
面持ちに無感情が貼り付いたまま、少年は由玄の話をどうでもいいとばかりに切る。これには笑みを浮かべていた由玄も、口と目とを間抜けに開いて言葉を失う。追手に追われた時ですら崩れなかった笑顔が、情けない吃驚の面持ちへと変わったのを無感動に少年は見据えた。
「え?」
「私は
……
私のすべきをしただけ。お前を生かすことが、後のためになる」
踵を返し、この話は終わりとばかりに少年は森の先へと進む。いつの間に鳥も戻ってきたのだろう。囀りが彼方此方と響き、樹下の血の海に似合わない合唱を奏でていた。
その中心を襤褸を着た少年と、由玄を抜いて老武者が背後に控えて歩く。戦国乱世の図として、珍しくも無い光景だ。追われて流浪の身となった主君と、その従者と屍の山。
しかしその背は毅然と真っ直ぐ、その旅の道行はどこへ続いているかもわからないというのに、足取りに迷いは無い。
(でもねぇ、)
踏み出せなかった一歩を進ませて、それから二歩三歩と足を踏み出す。思っていたより二歩目からの足取りは軽かった。
「いやいや、ちょっと待ちなさいってば。僕まだ話は終わってないんだけど」
「私は無い」
「君に無くても僕はあるの。君さあ、せっかちだとか言われない?それじゃあ女の子も寄ってこないよ」
「必要無い」
「あっ、そう。じゃあ勝手に話すけど、どこに行くつもりなんだい」
重ねて苦言を呈すると、緋色の目がじっと由玄を睨め上げた。
「お前を生かすと言った」
「いやだから、それはどういう意味かいって聞いているんだけどね?」
「
……
このまま安全な場所へとお連れします。どうか付いて来て下され」
二人の言葉のやり取りを見かねたのか、沈黙を貫いていた従者が由玄の質問に答えた。慣れているのだろうか。その面持ちは先程由玄を制した時と変わらず、無表情であった。
その間にも、少年は二人になど構わず先へと進んで行く。遠くなる少年の背を見て、はぁ、と由玄は息を吐いた。
「あー、そういうね。それならそうと言ってくれれば、僕だって大人しく付いて行ったのに」
「申し訳ございませぬ。あれでも今日は口数が多い方なのです」
「えっ、あれで?」
はい、と老武者が頷く。怪訝そうに由玄はその返答に首を傾げると、
「
……
こう言っちゃあなんだけど、君は主君を変えた方がいいんじゃないかい?」
と、男に訊ねた。
由玄にとっては冗句や、何の気も無い質問だったのやもしれない。
しかし男の、悲壮感に満ちた目がその色を消し、見据えたその視線は、相手を怯ませるのに十分であった。
「それだけは、出来ません」
穏やかで通りの良い声は、この静かな森によく似合う。簡潔かつ明瞭な答えは、いっそ気持ち良ささえあった。由玄は目を伏せる。
「
……
そう。悪いことを言ったね」
「いえ
……
」
少年は男二人の会話を気にも留めず、振り返ることもなく、ついて来いとばかりに先へ進む。進む方向には獣道ばかりが続くが、伏兵やこれらを作った獣の気配は無いのだろう。折れた木片をできるだけ避け、下草と土とを踏み進む。
危険を回避して道を探してくれているのだろう、と由玄はその背を目を細めて見つめた。
—
秋の夜明けの空を横切る、あの渡り鳥の行軍。
ふと、脳裏に、故郷の秋の高い空を思い出す。
何処かの空から渡り飛ぶ、あの鳥の群れ。その先頭を飛ぶのは、一番強い個体だと言う。
「
……
まるで、雁の様だ」
「はい?」
どうやら口に出ていたらしい。男の問いに由玄は、誤魔化す様に何でもない、と笑った。
「ただの独り言さ。それよりも君たちは僕を送って、それからどうするつもりだい?」
「
……
彼の方に、某は付き従うのみ」
男は目を伏せて口を噤む。槍を持つ左手の布の擦れる音が、由玄の耳にまで届く。
—
仲間を背に守り、空を飛ぶあの美しい鳥に似ていると言うのに、彼の背に続く者は一人しかいない。
「でも君たちには、国が無いんだろう。いつまで流浪の身でいるつもりなんだい?」
「それは
……
」
「言っておくけれど、送り届けてもらっても僕は君たちに十分な報酬は出せない。何せ嫡子殿から追われている身だからね。表立ってはあの人も僕を消そうだなんてことはしないだろうけど、僕の味方をしていると見られれば損しか無いと思うよ。だと言うのに、僕を生かすのが後の為って言うのは何なんだい?」
「某には彼の方の考えていることはわかりませぬ」
「わからないと来たかぁ」
男が申し訳なさそうに、先行く少年へと目を配らせる。少年はやはり、振り向くことは無い。このまま足を止めても、彼は男を置き去りにしても何も思わないのだろうかと、由玄は漠然と考えた。
男が沈黙の末、ゆっくりと口を開く。
「ただ
……
彼の方は、乱世を終わらせると申しておりました。その為にあなたが必要で、あの刺客は斬るべき敵だと」
「へぇ
……
乱世を、ねぇ」
怪訝そうに由玄は男を見定める。
「乱世という無明を斬る、と申しておりました。その為に蒔かれる前に種を焼き尽くす、と」
無明、と由玄は呟く。由玄は僧ではないが、その言葉には首を傾げるほど浅学ではなかった。
「その種の一つが、僕の
異母兄
あにうえ
とでも?」
「某には分かりかねますが
……
その、恐らくは」
由玄はそうかいと言ってから、くつくつと笑う。
—
乱世を斬る。
乱世を終わらせ、天下人になると曰う者は多かれど、狙いは天下ではなく乱世そのものを終わらせると言う者が、まさか自分以外にいようとは、と由玄は歓びに笑っていたのである。
「何か可笑しいことでも?」
「
……
いいや。慧眼と言うべきか、乱心と思うべきか、僕にはわからないけどね。そうか
……
」
由玄は、顎を何度も撫でて笑った。
「君、名前は?あと彼の名前も。ああ、そうだ。聞く時には自分の名も名乗っておくのが筋だったね。知ってはいると思うけど、参尾の国国主、
禰津玄信
ねづはるのぶ
が子息、禰津由玄が僕の名と立場だよ」
「
……
坂本広野、と申します。彼の方は矢神
……
彩貴様と仰います」
矢神も坂本も、どちらの名も由玄には耳覚えの無い名であった。何処かの小国であろうか。時勢を見極め、有利となる大国の下に付かなかった小国の惨憺たる結末は、由玄とて知らぬ事では無い。
「坂本くんね。雁行を知っているかい?」
「陣立の話でしょうか」
「ああ、ごめんね。渡鳥の話さ、彼らは遥か遠い北から秋を超えて冬を越す。要は越冬の為に翔んで来るんだけど、とても長い旅路だそうだ」
見えない空を見上げて由玄は目を細める。
「でも彼らも春にはまた北の空へと飛び立つ。寒さが理由で旅に出るのなら、いっそ南の土地で過ごした方がましだと僕は思うんだけどね。でも彼らは北へ戻り、そしてまた次の秋に旅に出るんだ」
坂本、と名乗った老武者が首を傾げるも、由玄の言葉を遮らず沈黙したまま次の言葉を待つ。そんな様子の男を横目で見遣り、そしてまた見えぬ空を仰いだ。
「思うに、鳥とはいえ彼らも住み慣れた故郷に帰りたいんだ。それがどんなに過酷で不毛な土地でもね。雁だって故郷に帰りたいんだから、人なんてもっとそう思うはずだ。でも天の下ではいつまでも戦が続いて、帰る場所を失う人々は大勢いる。僕だっていつ無くなってもおかしく無い」
だからね、と真剣な眼差しで由玄は広野を見つめる。
「君たちは強い、どこかに士官すれば必ず出世できるほどに。ただ、君もだけど彼も何処かの誰かに仕える気なんて無いんだろう?」
「それは
……
」
「隠さなくたって分かるさ。というか、あの子がまず信念を曲げてまで、誰かに頭を下げる性分では無いでしょう」
広野は肯定もしなければ、否定もしない。返答がどちらであっても、由玄は答え合わせを必要とはしていなかった。
「だったら
故郷
くに
を作ればいい。彼の思うがままに、そして彼の背に続く者が住まえる様な、ね」
「故郷を
……
」
先を進んでいた少年が振り返る。その面持ちがぼやけるほどに立ち話をしていたらしい。急げと急かす素振りは見せないが、遠くからじっと睨め付けているのだろう。
由玄は怒られそうだね、と言って笑った。老武者の目は微かに潤んでいる。
「さ、早く行こうか。まずは僕を送り届けてもらわないとね」
「
……
心得ております」
老武者と共に由玄は一歩踏み出す。二歩、三歩。逃亡で駆け回り、疲弊したはずの足がどうしてか軽やかでさえあった。
赤い双眸と目が合う。変わらず無表情であったが怒った様子は無い。由玄たちとの距離が一丈ほどになれば、また踵を返して前へ進み始めた。
(
鴻雁北
こうがんかえる
。果たして成し得るのか、見ものだね)
森を抜け、空の青さに目を細める。暗闇に慣れた目を労わる様にゆっくりと目を開く。白んでいた景色にようやく視界が慣れる。頭上には雲のない薄青が一面に広がっている。陽を横切る様に翔ぶ渡鳥の一群が、空に向かって鳴いていた。
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