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井見
2026-01-26 22:07:04
13765文字
Public
ライドウ二次
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☕️🚬☕️3本セット
頒布中の『青い眼差し』より、表題作を含めた3本を抜粋してお届けします。
静かな夜に穏やかなひとときを。
▶︎頒布はこちらから
1
2
3
冷めた珈琲
ライドウが初めての珈琲に口を付ける。その瞬間を、俺は無神経に眺めている。別に俺が淹れた珈琲でもないのに、俺の呼吸はなぜか止まっている。珈琲の匂いが全く感じられない。喧騒も遠く聞こえる。どうやら俺は緊張している。しかし目の前の当の本人は、誰にどこで教わるのか、正しく綺麗な所作で、ゆっくりとカップを口元へ運んでいく。
*
客の訪れない真昼間、ライドウのいない時間、どうせ暇だから、とわざわざ新しい豆を買いに出かけ、丁寧に珈琲を淹れた。長めの休憩を楽しみ終わると、もう夕暮れ時である。この時間に探偵社の扉を鳴らすのは、いつもライドウだった。
少年の帰宅を迎えながら、仕事の報告を受け、適当な雑談をする。仕事と言っても今日は学校帰りの迷い猫探しで、ゴウト似の黒猫を見つけるのはライドウの十八番だった。ゴウト相手に培ったねこじゃらしの技術を披露し、すんなり迷い猫を捕獲したようだ。ゴウトがいれば、激しく抗議していたかもしれない。
一通り話を終えて、じゃあ戻っていいぜ、とライドウを促すと、彼は「はい」という反面、顔には『これは何だろう』といった興味津々な表情をつけていた。俺の机にあるカップをじろじろと見ながら。
カップの中には茶色い液体がまだ残っている。それが何って、珈琲に決まっている。匂いでだってわかるだろう、茶の類ではない。カップで飲むものなんてそう他にはない。とまで決めつけたが、俺は少し不安になって、ライドウに尋ねた。
「
……
俺がさっきまで、何飲んでたかわかる?」
「
……
珍しい玉露ですか? 強い匂いです」
まさかである。
そういえばこいつは、何処ぞの山か里かなんかでずっと過ごしてきたのだ。そりゃあ世間知らずではあるだろう。だが今日日こんなに珈琲の匂いが充満している部屋で、その存在に思い当たらないとは。
「
……
珈琲って知ってる?」
「飲料の一つですね。スペルはわかります」
「飲んだこととか、飲んでる人を見たこととか
……
?」
「目には入っているかと思いますが。言葉でしか知らないので、わかりません」
俺は頭を抱えた。
確かにこいつは特別だ。悪魔召喚士だなんて物騒な仕事に、探偵の見習いなんかもやらされている。しかし同時に、仮にも学生をやっているなら、一度くらい喫茶店に入って、女給さんに照れつつ、背伸びして高い珈琲を頼んでみたりくらいするものじゃないのか。違うのか。違うんだろうな。こいつは特別だから。
あまりちゃんと見てこなかったな、と俺は何故か反省した。監督責任というものだろうか。知っていて当たり前だろうしなんて常識の暴力は、常識の埒外にいた奴には通用しないはずなんだ。帝都に来てからだいぶ経つのに、こいつは律儀に探偵社と学校を往復し、現場に出掛けて、たまに傷だらけになって帰ってきたり。確かにいつ喫茶店に行くんだ。行くなら仕事の帰りにこっそり出掛けて
……
こいつが? そんな遊びができるほど器用には思えない。いやその方が俺にとっては有難いし、こいつの真面目具合なんて俺には関係ない。しかし世間知らずが調査に面倒な影響を与えてもらっても困る。
そんな言葉が、ぐだぐだと言い訳めいた思考が、脳内で回る。ライドウは目の前できょとんとしている。なんだか少し腹が立ってくる。
だから、と連れ出した。
俺が淹れたものじゃない、所謂店の珈琲を教えてやらねばならぬと思った。こういうものだという常識を与えてやりたかった。真っ白い紙にいの一番に書き込みたい。そんな褒められない欲もあったことは認めよう。
帰ってきたばかりのライドウを連れて多原屋へ行く。喫茶店は少し刺激が強いから、ここあたりがライドウにはちょうどいい。
少し遅いおやつの時間だ。そしてそのまま少し早い夕飯も取っちゃおう。いつものハヤシライスに、今日は食前に珈琲を頼む。ライドウは、と聞くと、いつもどおり「鳴海さんと同じものを」と答えた。
*
そして俺達の目の前には淹れたての珈琲。ほどよく湯気が立っていて、茶色の波が美しい。
「ライドウ、これが珈琲だ。
しっかり見て、しっかり嗅いで、しっかり味わってみろ」
「これが珈琲ですか」
ライドウの鸚鵡返しは、少し困っているときの癖だった。
普段は使わないミルクと砂糖を、ライドウに見せつけるように入れてやる。するとライドウもそれに倣う。
ここの珈琲はマイルドだし、ミルクも入れてしまえば、苦くて飲めないなんてことにはならないだろう。いやこの鉄仮面の少年なら、仮に泥みたいな味でも平気な顔で飲み干すだろうが。まずい苦汁だと思われてしまったらたまらない。
しっかりとミルクと砂糖を入れた珈琲を、スプーンで優しく混ぜた。ライドウも当然そうした。そして準備が終わったライドウを、「どうぞ?」と促してみる。
ライドウは顔の近くまでカップを持ち上げると、一度その手を止めた。機械みたいな正確さで数秒停止する。多分俺の指令を実行しているのだろう。見て、嗅いでから飲む。まあこいつの場合、いい匂いがするとかではなくて、対象を確認しているといった言葉が正しいか。まあ型を身につけることができれば上出来だ。
それからライドウは瞬きを二回ほどすると、徐にカップに口付けた。
白い喉が上下するのに合わせて、俺も思わず唾を飲み込んだ。表情は読めない、何も変化が無い。絡繰人形のような顔は、またパチパチと瞬きをして、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。カップの中身は少し減っている。飲んではいる
……
はずだ。
「
……
感想は?」
尋ねると少し気が抜けて、俺は頬杖をついた。答えを促すように片頬を持ち上げる。
ライドウは、ぽつりと答えた。
「少し苦みがあります」
それも真っ直ぐに俺を見ながら、だ。予想はしていたが、やはりか。
「そりゃ感想じゃない。事実だろ。
美味しい、不味い、また飲みたい、もう飲みたくない、もう少し甘い方が好き
……
とか。
お前はどう思った?」
またぱちりぱちりと瞬き。
「
……
わかりません」
「正直な感想だな」
少し大袈裟に肩を竦めてみせた。ライドウはすみません、と小さく呟いて、視線を落とした。珍しくしおらしいと思ったが、どうやらちょっと違った。
ライドウは俺の分の珈琲を見ていた。ソーサーに置いた自分のカップのハンドルを掴んだまま、じっと。
視線に気づかない振りをして、カップを持ち上げる。するとライドウも、俺を真似して、再びカップを持つ。
俺が飲んでみせれば、ライドウも飲んだ。
なるほどな、と思う。
「やっぱり美味いな、ここの珈琲」
ライドウを見守っていた分、珈琲は少し冷めていた。いつもと違う味わいも、悪くなかった。
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