kaisou
2026-01-25 23:26:53
11014文字
Public 1740年コンクラーヴェ話
 

Ad limen aleae sacrae 聖なる賭場の入口で

1740年コンクラーヴェ話別視点・1

コンクラーヴェ到着直後、悪態をつきまくる話。
うちの推し枢機卿様の自己紹介として置いときます。

※歴史創作ですのであしからず

推し→プロスペロ・ロレンツォ・ランベルティーニ枢機卿(のちの教皇ベネディクトゥス 14 世)
神学者で法学者。趣味:博打(カードゲーム)。そしてお口の悪さでは大変定評あり。
エキサイトしがちなんで、各部屋に十字架を配置してクールダウン。
当時の哲学者界隈からモテるくらいには啓蒙主義。

▼1740年コンクラーヴェ話本篇まとめ
Aliquid est quod memoria mea non relinquit.
私の記憶を離れないものがある

https://privatter.me/user/kaisou_ja?category=110867

全7章/幕間含む
1740年コンクラーヴェ話の本篇その2
視点違いの2つの話のうちの1つ。

1740年3月5日・使徒宮殿前

 門の前で、プロスペロ・ロレンツォ・ランベルティーニ枢機卿――ボローニャ大司教は立ち止まった。石は相変わらず無駄に立派で、門番の顔は無駄に神妙だ。

――ああ、もうこの時点で腹が立つ。

 本命が死んだ。しかも、よりによって『全員が便利に悼める』死に方で。
 素晴らしい!ーーBravo(ブラーヴォ)!

 これ以上ないほど、『政治的に行儀のいい』死に方だ。教皇にしていい人間と、面白い人間は、だいたい別物だ。本命は、その違いをあまりにも見事に体現しすぎていた。これで誰も責任を取らず、誰も恨まず、全員が「残念だ」と言える。悔やみは形式通り、悲嘆は節度正しく、祈りは過不足なく整えられる。死が、完全に『使える状態』で差し出された。ローマ行きの途中で、その知らせを受け取ったとき、ランベルティーニは思わず舌を打った。祝意でも不満でもない。ただの反射だ。悪い札を引いたときの、それに近い。

——最悪だ。

 声に出せば、どんなに楽だっただろうか。もちろん出さない。出せるわけがない。舌が勝手に動きかけて、慌てて噛み殺す。ここで一音でも漏らせば、あとで自分が面倒になる。彼はその程度の計算はできる。できるからこそ、なお腹が立つ。
 賭場というのは、本来、入る前に条件が見えるものだ。胴元が誰で、札がどう混ざっていて、勝っても負けても、どこで席を立てるか。だが、今回のそれは違う。条件が伏せられたまま、席だけが用意されている。そして声には出さない。出せば負けだ。負けというより、余計な札を自分から切る羽目になる。彼は、そういう場でどんな顔をすべきかを、もう嫌というほど知っている。しかも、降りられない。

——ああ、来たな。

 行かなければ、逃げたことになる。逃げれば、その事実が札になる。ならば行くしかない。しかも最初から、詰んでいる。

 大事なことなので、もう一度確認しておく。本命は、もう死んでいる。
 これで確定した。場が荒れる。札が散る。均衡が崩れる。こういうときに呼ばれる人間は、だいたい決まっている。勝たないが、負けもしない顔。熱を上げないが、場を壊さない人間。

——便利な札だ。

 「コンクラーヴェだぞ」と言われても、だから何だ、である。
 信仰? 神意? 結構な話だ。だが、それを口にする連中が、同時にここまで数字に正確なのは、どう説明するつもりなのか。賭け札を並べる手つきで祈るな。祈るふりをするなら、せめて下手にやれ。
 本命が死ぬ。場が空く。均衡が崩れる。そして、その隙間を『埋められそうな顔』が呼ばれる。勝たない顔。負けない顔。誰の敵にもならず、誰の味方にもなり切らない顔。

——ああ、実に便利な札だ。

 自分の顔が、いまどういう価値で見られているかくらい、分かる。だからこそ、余計に腹が立つ。使われることより、使えると思われていることの方が、よほど不愉快だった。ランベルティーニは、自分がこの手の場に向いていないことを、ずっと前から知っていた。向いていないが、嫌いではない。そこが余計に性が悪い。勝負事は好きだ。札が回り、流れが変わり、読みが当たる瞬間のあの感覚も嫌いじゃない。だが、これは博打ですらない。勝ち負けを決める前に、席を外す自由を奪う。それは遊戯ではなく、拘束だ。

——ローマなんぞ、どうでもいい。

 本気でそう思う。
 だからこそ、来てしまった自分が腹立たしい。枢機卿だからだ。こういう時に限って、逃げ道は用意されていない。祈りは自由でも、席は指定席だ。
 ボローニャには、講義がある。学生がいる。書きかけの注釈も、未整理の写本も、山ほど残っている。学問に金を回す人間が必要だ。神学は、沈黙では育たない。議論され、噛み砕かれ、疑われてこそ生きる。沈黙で殴り合う連中の面倒を見る暇はない。ここにあるのは、議論じゃない。沈黙の配分だ。時間の浪費と、責任の押し付け合い。それでも、行く。分かっている。ここで席を蹴れば、その行為自体が次の札になる。逃げた、という札だ。

——ああ、クソ。最初から詰んでいる。

 彼は十字架に視線を投げ、ほんの一瞬だけ目を閉じた。祈りではない。罵りを飲み込むための動作だ。
……落ち着け」
 呟いてから、ふっと口角が歪む。
 落ち着けだと? 自分に?
 まるで、下手な勝負に乗る前の常套句じゃないか。

——これは賭けじゃない。
——だが、賭けの顔をしている。

 最悪の場だ。そして、最悪なことに——彼は、そういう場の匂いを、よく知っていた。彼は、ゆっくりと息を吐いた。深呼吸ではない。悪態を、再び飲み込むための呼吸だ。

——最悪だ。

 声には出さない。代わりに、心の中で札のように、何度か転がす。

 最悪だ。最悪だ。
 ……笑えないほどに、最悪だな。

——で、その尻拭いするのが俺か。

 喉の奥で、汚い言葉が列をなす。罵倒、悪態、下世話な比喩。どれも今すぐ吐き出せそうで、どれも吐いたら終わりだ。ここで一言でも滑れば、教義以前に、人生が投了する。
いけない、いけない。ここは神の家だ。少なくとも、そういう『看板』が掲げられている場所だ。口を開けば、即座に『不適格』の烙印を押される。もっとも、今さら押されても痛くも痒くもない。笑わせるな。最初から適格だと思って来た覚えはない。呼ばれたから来ただけだ。それだけの話だ。だいたい、だ。死んだ本命は、派手に金をばら撒き、芸術だ文化だと騒ぎ、愛人を抱え、子を作り、敵も味方も増やしすぎた男だ。どう考えても、教皇の椅子に座らせていい人間じゃない。

……いや、面白い人間ではあったが。そこは大いに認める。大いに。

 だが、面白いからといって、神の代理人にしてよい理由にはならない。むしろ逆だ。そんな男を担ぎ上げようとしていた時点で、周囲の神経の方がどうかしている。それを今さら、もっともらしく言い直している――その身振りが、何よりも不快だった。最初から分かっていたはずだ。不適格だと。それでも担いだ。利用価値があったからだ。それを、死後になって整理する。称賛を判断に、判断を原則に、原則を神意に仕立て直す。失敗を、最初から予定されていた慎重さだったかのように語る。――苦虫を噛み潰したようなものを、歯の奥で始末した。舌の裏で息を殺ろす。ここまで来てなお、己の手は清潔だと装うつもりか。不適格だったのは、あの男だけではない。そう扱うと決め、そう扱い続けた連中の判断そのものだ。それを今になって言い換える。それを、さも冷静な検証だったかのように並べる。その態度こそが――何より、忍耐を試す。そして、試されているのは、今に始まったことではない。死んだ途端に、「惜しい人物だった」「偉大な才能だった」と来る。

 ……便利だな。

 生きているうちは都合よく使い、死んだ瞬間に評価を整える。

 不適格?笑わせるな。

 不適格だったのは、あの男じゃない。不適格だと知りながら『聖ペテロの後継者』に担ごうとした連中の方だ。

――まあ、確かに面白かったけどな。そこだけは、否定しないが。

 才気はあった。目は利いた。金の使い道も、夢の見せ方も派手だった。退屈だけは、決してさせなかった。

——結構なことじゃないか。

 だが、面白いという一点で、すべてが免罪されるほど、この世界は甘くない。少なくとも、神の代理人を選ぶ場では。無念なのは、死んだ本人だけだろう。

 ……いや、どうだ?
 背後にいた国か?
 金を注ぎ、夢を見せ、都合よく担ごうとしていた連中か。

 都合よく担ぎ上げ、都合が悪くなれば距離を取り、最後は「惜しい人物だった」と綺麗に畳む。

——本当に、見事な幕引きだ。

 舞台の外に立っている者にとっては、だが。観客席にいるぶんには、拍手もできる。批評もできる。「あれは時代が悪かった」「才能は疑いようがない」と、安全な距離から好き勝手に語れる。どちらにせよ、俺の知ったことじゃない。

……本来なら、な。

 だが、幕が下りた瞬間、舞台装置はそのまま残り、役者だけが一人、いなくなった。場が荒れた。札が散った。均衡が崩れた。そして、誰かがその空白を埋めなければならなくなった。——拍手をしていた連中の手が、いつの間にか、次の札を探し始める。その視線が、こちらに向くまで、さほど時間はかからなかった。

——はい、次に便利な札はこちら、か。

 ふざけるな。冗談じゃない。選挙人は補修材じゃない。壊れた梁の下に放り込んで、「まあ、これで持つだろう」と安心するための楔でもない。

……いや、違う。そう思われているから、ここにいる。

 分かっている。分かっているから、腹が立つ。使われることより、使えると思われていることの方が、ずっと不快だ。口が勝手に動きそうになる。

「冗談も大概にしろ」
「勝手に死んで、勝手に混乱して、勝手に片づけ役を探すな」

——ああ、言えたらどれだけ楽か。

 だが言わない。言えば、全部が札になる。怒りも、正論も、正しさも、全部だ。ここでは、黙っている方が、よほど重い。俺は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。祈りじゃない。神に聞かせる気はない。ただ、口から出かけた毒を、もう一度胃の底に沈めるためだ。
……落ち着け」
 ほとんど息と一緒に、喉からこぼれた。誰に言った?俺にだ。他に誰がいる。落ち着いたところで、状況がマシになるわけでもないが、暴れたところで、良くもならない。最悪だ。本当に、最悪だ。それでも、門はそこにあり、俺は今、ここに立っている。逃げない。入らない。ただ、まだ——動かない。

……クソ。

 ローマなんて大嫌いだ。空気は薄いし、言葉は濁るし、全員が自分を賢いと思い込んでいる。特に厄介なのは、『決めないこと』を徳だと信じている連中だ。慎重だと自称し、分別があると胸を張り、責任を回避する技術を賢さだと思い込んでいる。決断を避け、態度を曖昧にし、時間を消耗させることを、あたかも高等な精神修養のように扱う。違う。それは徳じゃない。徳目の皮を被っただけの、処世術だ。責任を引き受けずに生き延びるための、洗練された逃げ方だ。決めない。動かない。だが、口だけはよく動く。しかも、決まって柔らかい言葉を選ぶ。「時期尚早だ」「均衡を見極める必要がある」「もう少し情報を集めよう」

――情報?
 何を、今さら、集める?
 足りないのは情報じゃない。覚悟だ。

 彼らは何も選ばないのではない。現状を選び続けているだけだ。しかもその選択を、自分では選択だと認識していない。そこが、いちばん始末が悪い。決めなかった結果、誰かが削られ、その時間の分だけ、死が積み重なる。それでも彼らは言うのだ。「我々は慎重だった」と。慎重とは、刃を研いでから振るうことだ。刃を鞘に入れたまま、永遠に眺めていることじゃない。ローマでは、沈黙が美徳になる。だがその沈黙は、祈りのそれじゃない。計算の沈黙だ。誰が先に疲れるか、誰が先に折れるか、誰が先に責任を背負わされるかを待つための沈黙。そして、その沈黙を『神の御心』などと呼ぶ。

――ああ、反吐が出る。

 もし本当に神がここを見ているなら、さぞかし退屈しているだろう。同じ顔、同じ言葉、同じ躊躇。永遠に結論へ辿り着かない議論ごっこ。それでも彼らは、それを賢しさだとおもっている。何も決めず、何も賭けず、それでいて『最も安全な場所』に立っていると信じている。……ああ、なるほど。だからこそ、この場所は腐るのだ。

——慎重?
——分別?
——聖慮?

 笑わせるな。それはただの先延ばしだ。しかも、全員で手を汚さないための、だ。集団的な卑怯。一人で決めれば責任が生じる。だが、全員で決めなければ、責任は霧散する。誰の手にも血は付かず、誰の名も記録に残らない。残るのは、「やむを得なかった」という便利な言い訳だけだ。彼らは知っている。決断は、必ず誰かを切り捨てる。だから切らない。切らないことを、慎みと呼ぶ。違う。それは慎みじゃない。覚悟の放棄だ。神を盾にするのも、いつもの手だ。「神の御心を待つ」「時が熟すのを待つ」――都合のいい言葉は、いくらでもある。

 だが、神が沈黙しているのは、彼らが動かないからじゃない。彼らが、聞く気がないからだ。本当に恐れているのは、神じゃない。失敗した自分だ。間違えた自分だ。選んでしまった自分だ。だから選ばない。選ばないまま、時間を差し出す。他人の寿命と、忍耐と、信仰を削りながら。

——それを、聖なる慎み、と呼ぶのか?

 ふざけるな。そんなものは、ただの臆病だ。しかも、自分では臆病だと認めない臆病。最も厄介で、最も卑劣な種類のそれだ。ローマが嫌いなのは、この街が汚れているからじゃない。権力があるからでも、歴史が重いからでもない。卑怯が洗練されすぎているからだ。

 祈りは正確、動線は完璧、食事は均等。

 誰一人、順番を誤らない。
 誰一人、列を乱さない。
 誰一人、声を荒らさない。

 そして、人が一人ずつ減っていく。騒ぎは起きない。名も大きく呼ばれない。ただ帳面の端に、小さな空白が一つ増えるだけだ。
 おお、なんと秩序正しい、殺し方だろうか!
 誰の手も汚れず、誰の名も呼ばれない。血も出さず、剣も抜かず、祈りと規則と善意だけで、人を静かに消していく。

——神よ、あなたは本当にこれをどう見てるのか?
——それとも帳面だけ確認して、「規則通りだな」と頷いて、あとは丸投げか?

 また、舌が動きかける。喉の奥に、言葉が列をなす。言葉を噛み潰す。どれも下品。だが正確で、ここには相応しくない。危ない危ない。激情は失点、皮肉は攪乱、正しさは最も嫌われる。駒でいるうちは、まだ盤から落とされない。削られもせず、使われもせず、ただ配置され、待たされているだけの駒。

——それが、今いちばん安全な立場だ。

 だから、噛む。言葉を噛む。舌を噛む。感情を噛む。歯が触れた瞬間、鈍い痛みが広がる。血の味まではいかない。そこまでやれば、顔に出る。いい。これで黙れる。祈りは続く。動線は崩れない。食事はいつでも等分だ。そしてまた、静かに、誰かが減る。自分は、教皇になりたいわけじゃない。断じて、ない。そんな考えが浮かぶたび、ランベルティーニは喉の奥で短く息を詰まらせた。笑いかけて、すぐに引っ込める。笑える話じゃない。冗談にしてしまえば、うっかり現実になる。そういう種類の冗談が、この街には多すぎる。あんなものは、権力と責任と呪いを、一つの袋に放り込んで縛った『粗悪な賭け札』だ。持った瞬間に、指が汚れる。切った瞬間に、背後が空く。 勝っても地獄。負けても地獄。――どう転んでも、損しかしない。
 そもそもだ。あれを欲しがる人間が、まともなわけがない。欲しがらない人間が選ばれるなら、それはそれで災難だ。どちらにしても、碌な話じゃない。
 「教皇聖下」だと?
 呼ばれたところで、何が増える?時間は減る。自由は消える。口は縛られる。勝手に増えるのは敵だけ。味方は、条件付きになる。毎朝、祈る前に札を数え、夜になれば、その札を「神の御心」と呼び直す。降りる権利のない卓に座り続け、自由だけが先に没収される。そんな勝負を、誰が好きこのんで打つ?しかも、それが死ぬまで続く。辞め時はない。引き際もない。病でも、老いでも、後悔でも、席は空かない。降りる方法は一つだけ――棺に入ることだ。生きているあいだは役目。死んでからようやく免除。これを仕事と呼ぶなら、神の冗談も相当悪趣味だ。
 ランベルティーニは、無意識に肩をすくめた。外套の襟に指がかかり、思わず強く引く。息が詰まるほどではない。だが、身体が先に拒絶していた。嫌だ。本気で、嫌だ。「やれと言われてやる仕事」じゃない。「逃げられない仕事」だ。辞表もない。任期もない。失敗すれば世界が騒ぎ、成功すれば次を期待される。そして最後は、墓だ。

……笑えない。

 俺は学者だ。議論は好きだ。異論も嫌いじゃない。だが、それは引き返せる場所があるから成立する。誤りを認められる余地があるから、学問は続く。だが教皇は違う。誤れば罪。黙れば怠慢。動けば政治。

――どこに逃げ道がある。

 ランベルティーニは、門の前で靴底にかかる石の感触を確かめるように、わずかに足を動かした。逃げるためじゃない。身体が「まだここだ」と確認するための、ほとんど癖のような動作だ。

 なりたくない。なりたくない。絶対になりたくない。

 胸の奥で、はっきりとそう言い切る。だが同時に、別の声が浮かぶ。

——だから呼ばれる。

 その事実が、胃の底を冷やした。嫌がる。逃げ腰。野心がない。ああ、なんて都合のいい札だ。ランベルティーニは、思わず歯を噛みしめた。危ない。このまま考え続けると、顔に出る。

……落ち着け。俺は、まだ門の外だ。

 まだ、選ばれていない。
 まだ、名前は呼ばれていない。
 まだ、賭け札にはなっていない。

 そう自分に言い聞かせながら、彼はもう一度、深く息を吐いた。祈りじゃない。ただの、拒絶だ。

――いや、待て。そもそも俺が候補になるわけがないだろう。

 何をどう間違えたら、誰が好んで、こんな口の悪い学者を、神の代理人に据えるのか。祈りより議論が先に出て、沈黙より皮肉が口を突く人間だぞ第一、野心がない。これが致命的だ。あの椅子に座る人間は、例外なく『欲しい顔』をしている。俺にはそれがない。あるのは、帰りの算段と、講義の予定に未整理の原稿だけだ。

――大丈夫だ。俺は札じゃない。少なくとも、今は。

 再びそう言い聞かせて、胸の奥で小さく息を吐く。自分に向かっての説得だ。誰よりも信用できない相手を、どうにか納得させるための。だが、説得は長くもたない。理屈は整っている。状況も、確率も、冷静に見れば分かる。それでも、胸の底に沈めたはずの衝動が、じわじわと浮き上がってくる。計算では押さえきれない、ただの本音だ。

――嫌だ。

 短く、はっきりとした感情。論理でも、神学でも、政治でもない。身体の側から先に出てくる、逃げたいという意思。心からの願い。
 ああ、ボローニャに帰りたい。今すぐにでもだ。あの街は、石が冷たくない。朝の空気は尖っていないし、陽はちゃんと人の高さまで降りてくる。陰鬱にはならない。湿り気さえ、どこか柔らかい。冬でも凍りつく前に話し合えるし、夏は日陰が生きている。赤い屋根と回廊は、人を追い立てない。歩けば、議論が始まる。止まれば、続きをやれる。急がなくても咎められず、遅れても置き去りにされない。声を荒らせば、ちゃんと眉をひそめられるが、理屈が通っていれば、最後まで聞いてもらえる。講義室はうるさい。学生は遠慮なく口を挟み、質問は的外れで、反論は生意気だ。だが、あれでいい。間違いはその場で叩かれ、正しさは試され、議論は終わらなくても、必ず何かが残る。金が入れば、祭壇ではなく書庫に消える。香より紙、沈黙より書き込み。聖遺物より、余白のある写本だ。

――ああ、寄付はしているとも。

 安心しろ、帳簿はきれいだ。だが奇跡を着飾らせる金と、思考を増やす金なら、俺は迷わず後者に突っ込む。神は信じている。だが、無言で飾られる神より、書き込まれて擦り切れる神の方が、ずっと生きている。夜になれば、カードを切る。イカサマは許さないが、運には正直でいたい。負けたなら負けたで、笑って席を立てる自由がある。

――それでいいじゃないか。なのに、ここは何だ。

 あそこには、役目より生活がある。肩書より顔があり、沈黙より声がある。祈りはあるが、祈りだけで全てを誤魔化したりはしない。それに比べて、ここは何だ。空気は重く、言葉は濁り、誰もが自分を『慎重な理性』だと思い込んでいる。暖かさはなく、あるのは温度管理だけだ。人が生きるための気候じゃない。人を並べ、減らし、黙らせるための環境だ。そして誰も札を切らない。誰も賭け金を明かさない。全員がイカサマをしているくせに、誰一人として『勝負』を名乗らない。勝っても勝ったと言わず、負けても負けたと言わず、ただ「慎重だった」「時ではなかった」「神の御心だ」と、札の裏に祈りを貼り付けて逃げる。ランベルティーニは、無意識に拳を握り、すぐにほどいた。石の壁を殴るほど愚かではない。だが、何かを掴んでいないと、今にも叫びそうだった。

……帰りたい。本当に、心の底から。

 ボローニャの石畳を踏み、議論に巻き込まれ、講義の時間を押し、夜更けにカードを切りながら、「今日は負けたな」と言える生活に。ここでは、それすら許されない。いればいるほど、自分が『便利な静けさ』に削られていくのが分かる。

 怒るな。喋るな。立つな。目立つな。
――黙って、座って、減っていけ。本当に、ふざけるな。

  喉の奥まで「帰らせろ」という言葉が込み上げてきて、ランベルティーニは慌てて歯を食いしばった。祈りの言葉に化ける前の、むき出しの本音だ。

 神様、頼む。いや、頼んでいる場合じゃない。だが、他に言う相手もいない。

 今すぐでなくていい。今日でなくてもいい。だが、終わったら――この馬鹿げた選挙が終わったら、頼むから、何事もなかった顔で帰らせてくれ。カードのある机に。学生のいる講堂に。負けても笑える夜に。ここは、俺の席じゃない。彼は、ゆっくりと肩で息をした。深呼吸には程遠い。逃げたい衝動を、無理やり胸の内側に押し戻すための呼吸だ。

 帰りたい。帰りたい。――帰りたい。

 その願いだけが、この石の塊の中で、やけに生々しく脈打っていた。少なくとも俺は、牙を抜いて「善人のふり」をする趣味はない。笑顔で祈り沈黙で人を潰し、あとになって「やむを得なかった」と肩をすくめる――そんな器用な真似、最初から身につけていない。怪物で結構。吠えるし、噛むし、嫌な顔もする。だが、どこで血が流れているかくらいは、ちゃんと見ている。善人ぶる連中ほど、始末が悪い。自分の手が汚れていないと信じている分だけ、人が一人減るたびに、祈りを一段丁寧にする。あれは清潔さじゃない。罪悪感の漂白だ。ランベルティーニは、鼻の奥で短く笑いそうになり、慌てて唇を噛んだ。いけない。ここで笑えば、『不敬』という便利な言葉が飛んでくる。怪物扱いされるのは、慣れている。学問に金を突っ込みすぎる。議論で手加減をしない。カードの席で顔に出す。口が悪い。感情が顔に出る。

――ああ、確かに、聖人向きじゃない。

 だがな、と彼は心の中で吐き捨てる。牙を隠している連中より、最初から剥き出しの方が、よほど誠実だろう。少なくとも俺は、『決めないことで人が死ぬ』と分かっていて、それを美徳だとは呼ばない。怪物でいい。吠える怪物でいい。だが、牙を抜かれておとなしく檻の中で数えられる側に回るつもりはない。

……もっとも。

 そう思った瞬間、胸の奥に、嫌な感覚が走る。ここでは、吠える怪物より、静かな家畜の方が、長く生き残る。その事実を、俺は、もう知ってしまっている。ランベルティーニは、舌打ちを噛み殺し、視線を門に戻した。怪物だろうが何だろうが、結局――ここに立っている。そして、立っている以上、誰かにとっての『都合のいい存在』になり得る。

……クソ。

 それが、この場所でいちばん腹の立つ現実だった。外套の内側で、十字架に触れる。冷たい。金属が指に食いつく。その冷が、逆に腹の底を焦がす。ああ、助かる。神を思い出すためじゃない。口を開かないための、ただの重石だ。指先がわずかに震える。怒りだ。それとも笑いか。どちらでもいい。今は区別がつかない。ここで一言でも漏らせば、終わる。正論でも、悪態でも、皮肉でも同じだ。この場所では、言葉はすべて札になる。切った瞬間、他人の手に渡り、都合のいい形に並べ替えられる。

——だから黙る。
——だから噛む。
——だから飲み込む。

 それを『信仰』と呼ぶなら、盛大に笑ってやる。これは祈りじゃない。生存戦略だ。無様で、卑怯で、だが一番確実なやつ。

……落ち着け

 今度こそ喉の奥で呟く。声になりかけて、慌てて飲み込む。また舌を噛む。少し痛い。いい。この程度の痛みで済むなら、いくらでも要る。最初から決まっている。落ち着く。暴れないために。笑ってしまわないために。笑ったら終わりだ。『嘲笑』は、この場で最も嫌われる贅沢だから。
 門の向こうから、鐘の音がした。一度。少し間を置いて、もう一度。ああ、分かってる。呼ばれている。祈りの合図か、それとも祝福か。冗談じゃない。「厄介な卓に座れ」という命令だ。しかも、立ち上がる自由も、席を蹴る権利もない卓。肩が、無意識に強張る。背中が重い。足先に、わずかな逃走の衝動が走る。

——今なら、振り返れる。
——今なら、何も見なかったことにできる。

 だが、しない。逃げれば、それが札になる。『逃げた』という札は、長く場に残る。何度も切られ、何度も使われ、死ぬまで返ってこない。ランベルティーニは、低く息を吐いた。深呼吸じゃない。吐き捨てだ。肺に溜まった毒と、悪態と、笑いを、まとめて外に追い出す。

——いいだろう。

 行く。座る。黙る。そして、見てやる。だが、覚えておけ。

 これは信仰じゃない。神意でも、使命でも、救済でもない。ただの、下手くそな博打だ。勝っても呪われ、負けても逃げられず、降りることだけが、最初から禁じられている。そんな賭けを「聖なる儀式」「神の御業」「責任ある選択」 と呼ぶ連中が、俺は心底、気に食わない。自分たちは賭けていない顔をして、他人にだけ札を握らせる。血を流さず、手も汚さず、「慎重だった」と言える位置に立つ。

——上等だ。

 なら、俺は俺のやり方で立つ。牙は抜かない。笑顔も作らない。敬虔な沈黙のふりもしない。黙るのは、選択だ。逃げじゃない。門は、まだそこにある。俺は、まだ動かない。それだけで、十分に抵抗だ。
 鐘は鳴り続ける。世界は急かす。だが、俺は知っている。

——一番嫌われるのは、
——急がない人間だ。

 そして今、この瞬間だけは、その役を引き受けてやる。
 笑え。祈れ。帳面を整えろ。
 俺はここで、最後の悪態を飲み込んだまま、動かずに立っている。

 そして、ランベルティーニは門を見た。見上げもしない。ただ、そこに『ある』ものとして認識する。開けば、戻れない。だが、開かずに済む選択肢は、最初から与えられていない。それでもなお、彼は一拍だけ、間を置いた。誰のためでもない。神のためでもない。ただ、自分が自分でいる時間を、これ以上削らせないために。次に動くのは、足ではない。覚悟でもない。ましてや信仰でもない。

——ただの、順番だ。

 そう『理解』した瞬間、ランベルティーニはようやく、門へ向かって一歩、踏み出した。