honeyhoneylaboratory
2026-01-25 17:46:01
14032文字
Public
 

忌書堂五条へようこそ

愛しの教え子VR2026での無配です。レンタル呪具屋の店主五条と、高専新入生の恵のお話。



第一章 禍招き

 東京の下町の細い路地を通ったその先に、その古書店はある。色褪せた看板には、墨でこう書かれている。

『忌書堂五条』

 忌書堂というのは、避けるべきものを集めた場所、という意味だと教えてもらった。ここを初めて訪ねてから一週間。なぜか恵は放課後の日課としてこの古書店でアルバイトをしている。
 店主は五条悟。随分と背が高くて、室内でも色の濃いサングラスをかけている。白髪に碧眼、整った顔立ち。大変美しい男だが、実は五条に対する第一印象は「胡散臭い」だった。
 思い返すとため息が出るが、最初の数日はただひたすら埃との戦いだった。五条が「ちょっとそこらへん片付けといて」と軽く言った「そこらへん」が、恵の想像をはるかに超える混沌だったからだ。
 床に積まれて整理を待つ古書の山は天井近くまで伸び、あろうことか本の間には菓子の空き袋が挟まっている。そして格子窓手前に置かれた古い椅子の上には、得体の知れない呪具らしき物体が無造作に転がっていた。
「確認ですけど」
「なあに」
「ここって呪具屋なんです?」
「表向きは古書店だね」
 五条は立ち上がり、店内を指差した。壁一面の書棚。古文書、術式理論書、呪具目録。そして書棚の隙間に確かに感じる異質な気配。
「呪術関連の本ばっかりだからお仲間しか来ないけどね。けど、古風な術式大好きなお爺ちゃんたちが喜びそうな、魅力のラインナップさ。ただ、本当のところはレンタル呪具店」
 呪具という言葉に全然しっくりこないレンタルという言葉がくっついていることに、恵は眉をひそめた。
「売らないんですか?」
「売らない」
 即答だった。
「呪具はね、所有させると碌なことになんないの。だから貸す。期限付きで。責任付きで」
 五条はサングラスをぐっと下げて恵を見た。空のような宇宙のような、遠くまで広がる蒼色の瞳が恵の顔を映す。なんとなく不安な気持ちになって、恵は視線を逸らした。
……片づけます」
 逃げるように言うと、五条は小さく笑った。


「五条さん、これって全部貸し出し用なんですか?」
 恵が指差したのは、動物の皮で装丁された不気味な手記だった。近づくだけで肌が粟立つような悪寒が走る。
「そうだよー。それ、特級スレスレの呪物が挟まってるから気を付けてね♡」
 五条は最後の大福を頬張りながら、長い足を組んだまま答えた。
「そんなもの、誰かに貸したりしたらマズいんじゃないですか。祓うか封印すべきじゃ」
「正論だね、高専でもそう習った?」
 五条は指先についた粉をぺろりと舐めとると立ち上がり、ゆっくりと恵の方へ歩いてきた。長身の影が、恵と手記を覆う。
「恵。呪術師の仕事は『マイナスをゼロにする』ことだ。呪いを祓い、日常を守る。それは正しい。でもね、世の中には『ゼロにできないマイナス』っていうものもあるんだ」
 五条は躊躇いなく手記を手に取ると、軽くページを捲った。パラパラという音と共に、黒い霧のようなものが漏れ出す。だがそれは、五条の周囲にある不可視の壁に阻まれて霧散した。
「強力すぎる呪具。あるいは、人の業が深すぎて祓えば持ち主の命ごと消えてしまうような呪い。そういうものを、ただ壊せば解決すると思う?」
……壊せるなら、その方が安全です」
「壊したあとの反動は? 力の空白地帯ができれば、そこにはより強い呪いが流れ込む。そうしてバランスを保つのが自然の摂理だ」
 五条は手記を棚に戻すと、真剣な声音で続けた。
「だから、ここは貸すんだよ。所有させるわけじゃない。使う責任と、その重さを一時的に背負わせるんだ」
 その言葉の意味を、このときの恵はまだよく理解できなかった。


 その日の客は、中年の術師だった。スーツは手入れがされておらず、ネクタイなしで着ているシャツはどこかくすんだ色をしている。眼の下には濃い隈があり、抱えている紙袋からは薄い呪力が漏れ出していた。
「いらっしゃい」
 五条が階上から声をかけると、男は落ち着かない視線で店内を見回した。
「あ、あの……ここ、その……借りられるって」
「うん、うちレンタル屋さんだからね。目的は?」
 五条の声は、いつも通り穏やかだ。しかし男は言い淀み、緊張を紛らわすように唇を舐めた。彼の周囲には、薄黒い靄が纏わりついていた。怨嗟、諦念、焦燥。その向こう側には、おそらくどろりとした憎悪が潜んでいる。
……部下が、呪われました。もう三人目です。私とチームを組んだ者ばかり……。偶然だと思いたいですが、さすがにもう無理で」
 震える手で、男は紙袋を差し出した。中からのぞいたのは、古びた招き猫だった。片目が欠け、足元には赤黒い染みがこびりついている。
「これ、その部下がネットで買ったものなんです。使うと運が向いてくるんだそうです」
「うちは、買取はやってないんだけどなあ」
「ああ、すみません。そうじゃないんです。これ、たいして効果ないと思います。それは私にもわかります。でも、これと組み合わせて使うことで効果が出るような何かがあれば……
「で、ここに来たんだ?」
「はい、知人にここを紹介してくれた人があって」
 五条の表情からは、感情の色が消えていた。ただ静かに、男と呪具とを見比べている。
「恵」
 呼ばれる。視線がぶつかった。
「どうする?」
「え?」
「この人に、その猫を強化できる何かを貸すかどうか。任せるよ」
 一瞬、呼吸が止まった。これまでは大人の五条の管轄だった「選択」が、突然、現実の重みを帯びて恵にのしかかってくる。
「条件は一つ。呪術師として判断すること。感情論でも、道徳でもなくね。呪術的リスクとこの人の現状を考えあわせ、最善だと思う選択をしなさい」
 恵は唇を結び、招き猫に意識を集中させた。客の言った通り、これは弱い。少なくとも、今ここにある状態では。
「このままならたいして害は出ないでしょ。せいぜい持ち主の運気を偏らせて、小さな不幸を周囲にばらまく程度だ」
「でも、五条さんが強化できる呪具を貸したら、もっとはっきりした効果が出るようになります。望み通り、周りの人の運を吸い取って全部この人に振り分けることだってできる」
「で、恵はどうする?」
 呪術として判断し、最善だと思う選択をすること。五条の言葉をもう一度思い返し、恵は答えた。
……貸しません」
「理由は?」
 五条の声は淡々としている。恵は一度深呼吸すると、努めて冷静に、けれども男の方を見ないようにして口を開いた。
「この人はもう、自分と周りが助かりたいあまり、第三者の犠牲は仕方ないものだという考えに蝕まれています。ここで結果が出てしまったたら、自己中心的、利己的な考えがこの人の中に固定されてしまいます」
「ふむ」
「そうなったら、たぶん次も、その次も、何かが起きたとき、他人を踏みつけにして助かる以外の選択肢を選べなくなる。だから、ここでそういう成功体験は与えるべきじゃない」
五条は、ふっと笑った。
「じゃあ、代わりに何を貸す?」
……え?」
「貸さないという選択は、見捨てることにもつながるよ? 店主としてこの人に何も渡さないなら、呪術師としての恵は何かを渡すべきじゃないの?」
 ここに至って、恵は初めて男を真正面から見た。男の目は、沈んでいた。希望と絶望の境界線で、ぎりぎりのところに立っている。
「俺は……、俺が貸せるのは、物事の捉え方です」
 自分でも何を言っているのか分からないまま、言葉が口をついて出た。
「運が向いてくる呪具じゃなくて、運が悪いと嘆くだけじゃなくて、そこから這い出ようと足掻けるものの見方を貸します。下を向くより前を向く丹力だとか、状況に振り回されず、冷静に観察する目だとか……。ここはレンタル呪具屋ですけど、呪術の本だってたくさんありますから」
「いいねぇ、店員っぽくなってきたじゃん」
 五条は満足そうに頷くと、棚から薄い冊子を取り出した。
「『人から呪われない私になる・初級編』。読むとね、これを知らずに生きてきたのかって怖くなると思うよ。そして、今後の振る舞いが具体的にイメージできるようになる。言葉の使い方とか、任務の受け方とかね」
 男は目を大きく見開くと、最後に「……借ります」と呟いて深々と頭を下げた。冊子を大事そうに抱えて店を出て行く背中に向かって、恵は言った。
「あの、その猫ちゃん。目は欠けちゃってるけどかわいいですよ。お家で足の汚れを洗ってあげたらどうでしょう?」
 頷いた男の表情は、随分柔らかかった。


 静寂が戻った店内で、恵は五条を見上げた。
……ごぉぉぉかぁぁぁくッ!!」
 爆音だった。五条はパンパンパン! と派手な拍手を打ち鳴らしながら、恵の肩を軽く叩く。
「いやあ素晴らしい! 僕の目に狂いはなかったね! 恵、君は今日から晴れて『忌書堂五条』の正式バイターだ!」
「は……? え、何がですか?」
「初・店員試験。ついでに、初・呪術師としての選択テストもかな。ぱちぱちぱち~、世界最強認定!」
 五条の指が上機嫌に恵の頬をつついた。顔を顰めてそれを振り払い、恵は説明を待つ。
「通称禍招き。正式名称は禍運招来呪物・猫型第参式。あの招き猫のことだけど。それを……ぷっ、猫ちゃんて君……ぷふふ、洗ってきれいにしてあげてって……あはははは!」
「だって、猫はかわいいでしょ」
 思わず反論すれば、五条は破裂するように笑った
「いや~~~、君ほんと最高。禍運招来呪物を『猫ちゃん』呼びする一年生、絶対伸びるわ」
「なんでそんな笑うんすか」
 恵が口を尖らせると、五条はようやく目尻を拭う。そしてごめんごめんと謝って、ひとつ咳ばらいをした。
「レンタル屋のくせに貸さないのかって怒るかなーって思ったけど、平気だったね。あれを貸したところであの男が欲しいだけの結果は出なかっただろうけど、貸せば、借りて使ったって満足感は持てただろうから。まあ、大事なのは、君がちゃんと考えて選んだってことだ。誰かに押し付けられた正義じゃなくて、自分で決めた線引きを一つ持てたっていうこと」
「線引き……
「うん。恵、自分の判断に責任を持とうとしたでしょう。重かっただろ? でもね、君はこれからたくさん線引きをして、そのたびごとに責任の重みに耐えて、呪術師としての自分を形作っていくんだ。ここでは、そのための練習をしてもらうつもりだから」
 五条はカウンターの下からチョコレートビスケットの袋を取り出すと、ぱん、と軽く叩いて開けた。
「ほら、初仕事のご褒美!」
「あれって仕事扱いなんすか」
「もっちろん。君が選んだことで、ひとつ呪いの芽が摘まれたかもしれない。そういうのを積み重ねる場所にしたくて、僕はこの店やってんの」
 恵は胸の奥に残るざらつきを舌の上で転がすように、菓子を口に運んだ。
 ――選べる自分。
 言葉はまだしっくりとは馴染まない。けれど、さっき確かに、自分は「選んだ」のだ。誰でもない、恵自身が、自分なりの線を一本引いた。
 この店で、これからどれだけの線を引き直すことになるのだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、恵は机の上の帳簿を見た。記帳された一行一行は、人の「選び方」と「選べなかった結果」の記録である。と同時に、それが貸した側の責任の記録でもあることも、恵は理解した。
「さ、続きやろっか、店員くん」
「はい」
 恵は新しいラベルシールを一枚剥がすと、背表紙にそっと貼り付ける。文字を書く手は、ほんの少しだけ昨日より迷いなく動いている気がした。
 恵の中で、今日確かに小さな変化が起こった。忌書堂五条の午後は、静かに、しかし確実に、恵の中の「選び方」を変えていく。それが店主の導きによる成長の、最初の一歩だった。
 

 後日。
 帳簿の整理をしていた恵は、ある欄に目を留めた。
「貸出拒否」
 その横には、五条の字で短い注釈が添えられている。

 ※この判断は、呪術師を守る。

 恵は唇を引き締めて、しばらくその文字を見つめた。これは、自分の判断によって人の命が左右されるということ。
「五条さん」
「ん?」
「売らないのって、苦しくないすか。だって、あとのことまで考えなきゃいけない」
「アハ、気づいちゃった?」
「対価を貰って売る……、その場限りのほうがよほど楽です」
「それでも、僕らは売らない」
 僕ら、と五条が恵のことも混ぜた表現をしたことに、顔が熱くなった。まるで、価値観を共有していると言われているようだ。うれしい。
「昔ね、呪具も人も、使えば使うほど強くなるって、本気で思ってた。……でも違った」
 五条は苦く笑った。
「人は、壊れるんだよ」
 その言葉の重さに、恵は何も言えなかった。五条が何を見て何を聞いたのか、その記憶はきっと冷たくて寂しくて、酷く気落ちするものに違いない。
「だから、貸す」
「責任ごと?」
「そ。逃げられないけど、それが術師を守るからね」
 こぽこぽこぽ、と五条が茶を淹れる音が響いた。呪いが人を傷つけようと、それに抗う人が叫ぼうと、日常は歩みを留めない。残酷な摂理だ。
「恵」
「なんすか」
「あの日、あれを貸さないって判断したの、僕と一緒だった」
「そ……、すか」
 口元が緩むのを、恵は抑えきれなかった。