honeyhoneylaboratory
2026-01-25 17:46:01
14032文字
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忌書堂五条へようこそ

愛しの教え子VR2026での無配です。レンタル呪具屋の店主五条と、高専新入生の恵のお話。

プロローグ
 
「へえ、珍しいお客さんだ」
 五条悟は顔を上げた。
たった今ガラスの引き戸を開けておずおず入ってきた少年は、目の前に広がる光景床にうず高く積まれた古書、食べかけのスナックの袋とチョコレートの空き箱、そして差し込む光にちらちら光る埃に顔をしかめている。
 初めて来た場所で寛ごうと思っていたわけでもないだろうが、きっと思っていたのと違ったというところだろうか。緊張と警戒が混ざった顔つきで神経質に店内を見回す様子は、まるで知らない場所に連れてこられて不満な家猫のようだ。
 少年は、まだ新しいサージの制服を身に纏っていた。その襟元には、校章があしらわれた金ボタンがついている。それはこの世界で生きてきた大人ならよく知る学校の、つまり呪術高等専門学校の校章である。彼は今年の新入生なのだろう。
「いらっしゃい」
 五条が声をかけると、少年は肩をびくりと震わせてあたりを見回した。
「こっちだよ、上見て、上! ほらほら~、天の声じゃないよ、グッドルッキングガイの声だよ~」
 階上からひらひら手を振る五条に、少年は目を丸くする。それから慌ててぴょこんと頭を下げた少年に、五条はいたずらが成功したときのような楽しい気持ちになった。
「やあ、君初めてだね」
「そうです、あの、俺」
「待って待って、今降りる! 逃げちゃダメよ~、新鮮なお客さんは貴重なんだから!」
 五条は軋む階段を、やけに軽やかな足取りで降りた。そして少年の前に立つと、その長身を傾けて顔を覗き込む。
 理知を感じさせる切れ長の瞳に長い睫毛、そして陶器のように肌理が整った頬。暑苦しい男臭さが滲み始めておかしくない年だろうに、清廉さを備えたきれいな子だ。頬に残る丸みに幼さが見えるが、それも含めて大事に育てられた子だという印象を持った。十五、六歳の子どもにしては高身長で、成長に体重が追いつかないのか、高専の制服は少しゆとりがありすぎるようにも見えた。
 青年期の少し手前、若葉の頃というやつ。ここからの数年間、彼はきらきら輝く大事な季節を過ごすことになる。
 鼻先が触れそうなほどの距離に、少年が一歩後ずさった。
……あの、近いです」
「あれ、照れてんの? ねえ君って睫毛すっごい長いねえ、僕と同じくらい長い。マッチ何本乗る?」
 軽い調子で話しかけながら、さて、と五条は考える。自分の恩師はなぜこの子をここに送り込んだのだろう? ふむ、と考えながら跳ねる黒髪に触れようとしたら、少年は五条からスッと身を引いた。うわ、やっぱり猫ちゃんだ! なんだか面白くなりそうな気配に、五条はひそかにテンションを上げた。
「あの……?」
 少年は怪訝な顔つきでこちらを伺っている。あまりエキセントリックに振舞ってこのまま逃げられたら面倒なので、五条は後ろで腕を組んで胸を張るとコホンと咳払いをした。
「夜蛾さんに言われてここへ来た。だよね?」
「はい。あなたが五条さんですか?」
「うん、そうだよ。僕が五条悟。ここの店主だ」
「初めまして。高専一年の伏黒恵です。おっしゃる通り、夜蛾先生がこちらへ伺えと言うので来たんですけど……
「理由は言われなかった?」
「いえ、呪術師になるうえで大事なことを学べるからと」
 まっすぐこちらを見上げてそう言った少年の眼差しに、五条はまだ無垢なままの魂を感じた。伏黒恵と名乗ったこの少年がこの先歩もうとしている道は、残念ながら大変な悪路である。その過程で離脱する者は珍しくないし、中には壊れてしまう者もある。そういう彼らの魂は失敗した折り紙のようにくしゃくしゃになってしまううえ、一度そうなってしまうと、どんなに丁寧に伸ばしたところで輝く絹のような美しい存在に戻ることはない。
 では、伏黒恵の魂はどうだろうか? 削れてしまい、ざらついて、挙句くしゃくしゃになってしまうのだろうか。
 呪術師になるうえで大事なことを学べる。この子の先生であり五条の恩師でもある夜蛾は、そう言ったのだそうだ。これまで経験してきたこと、物の見方、考え方。そして、なぜ今ここにこうしていることを選んだのか。そういう、五条悟という人間を構成する要素のほぼすべてを知っている夜蛾が、この少年をわざわざ五条に託すのだと言う。
「夜蛾さんも人遣いが荒いなあ」
「すみません、でも断られそうになったらしつこく居座れと言われてきてます」
「うわッ、言いそう。やだねえ、元生徒だからって雑に扱うんだよ」
「五条さんも高専出身なんですか?」
「そうだよ。夜蛾さんが担任でね、僕らの学年の生徒は三人だった。君は?」
「今は俺だけです。本当はもう一人来る予定なんすけど、家の事情でまだ入学できないらしくて」
「そっかぁ。このタイミングで僕のとこによこされたの、そういうタイミングだからってのもあるかもね」
「教えてくれるんですか?」
「条件はあるけどね」
「条件?」
「うん。こう見えても僕って結構忙しいの。世界救ったり、最強業務こなしたり、おやつタイムを充実させたりさ」
 五条は新しいチョコレートの箱を開けながら答えた。
「だからなかなか本の整理にまで手を付けられないんだよ。ここへ来るときは手伝ってよ。もちろんバイト代は出すからさ」
「お掃除とか整理整頓とかですか?」
「そうそう。あとは目録の管理とかね。あ、これ食べる? 新作なんだけどめっちゃおいしいよ」
 チョコレートの箱を差し出す五条に、恵は首を横に振った。
「遠慮しないでいいのに。甘いもの食べないと頭回らないよ? 僕なんか一日これ三箱いけるから」
……体に悪いです」
「でもおいしいは正義でしょ?」
 恵は呆れたように溜息をつくと、諦めたようにチョコレートを口に入れてから「よろしくおねがいします、バイトの件ですけど」と投げやりに言う。それを聞いた五条はニィッと笑うと、両手を広げてわざとらしく店内を指し示した。
「恵、忌書堂五条へようこそ。呪術師養成課外授業コース、講師は世界最強のオプション付き。お得だよ?」
 五条が茶目っ気たっぷりに言えば、恵は小さくぷっと吹き出した。


 五条悟は呪術師である。
特殊な目と珍しい術式の抱き合わせで生まれ、呪術御三家の一角を成す五条家当主であり、特級を冠する自他ともに認める現代最強である。五条を形容する言葉としてはここらが適当だろうが、もし「今」の五条を一言で説明しろと言うのであれば、それは「店主」であった。
 ここは「忌書堂五条」。表向きは呪術関連の文献を多く扱う古書店だが、その実は呪具を「貸す」ことを通じて呪術界の均衡を保つために一役買っている呪具店である。
 売らない。
 譲らない。
 所有させない。
 使う責任だけを、一時的に預ける。それが忌書堂五条のルールである。店主は五条悟。世界を背負って戦ってきた最強が、世界を壊さないように守り、見守っている場所だ。