もち粉
2026-01-22 12:08:43
8613文字
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どんな策を弄そうか


ミスカブに見えそうなカブミス
当て馬モブがいます


やがて予定通り、休憩の時間が訪れた。
カブルーたちメリニ一行は一旦退室する。書類をまとめ、席を立ったところで、豪商がにこやかに声をかけてきた。

​「カブルー君、若いのに大したものだ。顔合わせの時も聡明そうだと思ったが、会議の流れをよく見ているね」

​その掌が、どん、と肩に置かれる。分厚く温かい、取引の場で数えきれない握手をしてきた重みのある手だった。
​彼は元々「島」で商売を広げていたが、メリニ建国の混乱に乗じて貿易業に乗り出し一気にのし上がったやり手だ。今や国内で最も勢いのある商人の一人であり、宮廷での人脈構築にも余念がない。このままいけば遠からず「政商」となるだろう。
その存在の是非については、政治を学び始めたばかりのカブルーにはまだ判断できない。

​だが、四十をいくつか越えてなおスマートな体型を保ち、茶目っ気と余裕を崩さないこの豪商は、艶福家としても有名だった。奥方はいないが、愛人は男女合わせて八人とも十二人とも噂されている。

​(うん、うん、これはもう、当て馬役にうってつけだな!)

先日の顔合わせ以来、カブルーを気に入ったらしいこの人は、何かと距離が近い。会話の度にどこかしら触られるし、やたらと人の目を見つめてくる。普段なら「外交相手の前でやることか!」と心の中で毒づくところだが――今回は大歓迎だ。

​案の定、室内の空気がゆるんだ途端に肩を抱いてきた。
いつもならさりげなくかわすところだが、今日は演技の見せどころだ。豪商の手はそのままに、カブルーは照れたように肩をすくめ、感激したように声を震わせてみせた。
​「い、いえ……身に余るお言葉です」

​(――ほら、俺が奪われそうですよ?)

​ドアをくぐりながら、ちらりと横目でミスルンを見る。想定通りだった。
書類を揃えかけていた手が止まり、わずかに目を見開いたままこちらを凝視している。
ドアが閉まる直前、まつ毛の奥で感情が収束するように目が細まったのを認めたカブルーは、廊下に出てから内心でガッツポーズを取った。


​廊下を歩きながらも、豪商は続ける。
「いや、本当に君が我々の補佐についてくれて助かってるよ。西方側の補佐、ずいぶんと頼りなかったね」
「新人と言ってたな。いつもは生真面目そうな若い女エルフが来るんだが」
前を歩いていた大臣が振り返りながら言った。

「しかしミスルン大使ご自身も、ずいぶんとお若いですな。大したものだ」
……いえ、彼はあなたの四倍以上生きていると思いますよ」
​笑いを飲み込み、丁寧に指摘したカブルーに、大臣と豪商は顔を見合わせ、
「いやはや、他人種の年齢はやはり分かりにくい」
「特にエルフはねぇ」
と嘆いてみせた。


 ✗✗✗✗✗

​休憩後。
豪商と連れ立って部屋へ戻ったカブルーに、ミスルンの面白くなさそうな視線が突き刺さる。しかし、目が合う前にふいと新人補佐の方を向き、何事か話し始めてしまった。

その横顔を見ながら、カブルーは気分上々で椅子に腰を下ろす。

​(ふふん、よし。作戦第一段階、成功……意外とチョロいな、ミスルンさん)

​メリニからは「西方の要望を受け入れる用意はある。ただし、その代わり関税の割合を見直してほしい」と、結果の見えている押し問答が繰り広げられた。
やがてミスルンが根負けしたかのようなふりで条件に応じ、握手が交わされる。
あとは事務方同士の細かなすり合わせを経て、正式な調印へと進むだけだ。


豪商の提案で、会談の場となった彼の屋敷のラウンジにて、ささやかな打ち上げの席が用意された。

ラウンジに設えられたバーカウンターに横並びに座った豪商は、カブルーを褒め称えながら、さりげなく肩や腕に触れてくる。
まるで長年の友人のように自然で、触れ方も不快感より親しみを感じさせる絶妙な案配だ。
豪商は軽妙な調子で場を盛り上げつつ、身体への距離をじわじわと詰めてくる。もはや芸の域だ。

カブルーは、豪商の話に愛想五割増しで大げさに相槌を打った。時には自分から彼の腕に触れてみせれば、背中にミスルンのじっとりとした視線を感じた。
よし、釣れてる。ここはもう一押ししたい。
カブルーは豪商に向かって、年上の男を籠絡するときの鉄板ネタを繰り出した。 

​「僕は、父の顔を覚えていないものですから……あなたくらいの年齢の方ってなんだか親近感を感じてしまうんです。父親って、こんな感じかなって……

グラスに視線を落とし、声の調子を一段階落としてみせる。この時、少し声に笑いを混ぜると照れてるように感じさせられる。豪商はハッと胸を突かれたような顔をした。
すぐにそっとカブルーの手に自分の手を重ね、身を寄せてきた。

​「私のことを、父と思ってもよいのだよ」

​重ねた手に、さらにもう片方を添えられ、両手で握りしめられる。完全に乗ってきてしまったようだ。
明らかな意図を持って、膝と膝が触れ合わされた瞬間、さすがにカブルーの顔が引きつりそうになった。

――あ、やべ。ちょっとやりすぎたか……!?

​「うわぁ、嬉しいなぁ。もちろん、今だって頼りにしてますよ。あなたの協力がなければ、こんなに早く今回の話もまとまらなかったでしょう」

​焦りながらも習い性で勝手に顔が輝き、はにかんだように青い目に柔らかな光が宿る。そういう時の自分の顔が魅力的に映ることを、カブルーはよく理解していた。
豪商のやたらとふさふさしたまつ毛に縁取られたきらめく瞳に見つめられながら軽く手を引いてみるが、ますます強く握り込まれただけだった。

​その時、背後でグラスが置かれる乾いた音がした。

​「失礼」

​割り込んできた低い声に豪商が気を取られた瞬間を逃さず、手を引き抜く。振り返れば、ミスルンが立っていた。
普段めったに感情を窺わせない彼にしては珍しく、眉間にわずかな皺を寄せ、唇の端が硬く結ばれている。チラリと撫でるように向けられた視線に、確かに独占欲を読み取ったカブルーは内心ほくそ笑んだ。

――ちょっと危なかったが、作戦第二段階も成功だ。
そう、そうやって俺を欲しがってくださいよ、ミスルンさん。

ミスルンは豪商に「大臣が呼んでいる」と告げた。
「行ってくるよ」と豪商はカブルーの背を撫でる手に未練を込めながら、ゆっくりと席を立った。入れ替わるようにミスルンがその椅子に腰を下ろし、バーテンに新しい一杯を注文した。

​「ずいぶん会話が弾んでいたようだが」
「ええ、彼は話しやすいので、つい」
……何を話していた?」
「色々です」

​意味深に含み笑いをしてみせると、ミスルンはむっつりと黙り込んだ。

​いいぞ、いいぞ。
カブルーは横目でミスルンを観察しながら、口元が勝手に緩むのを止められない。

​ミスルンはグラスの縁を親指でなぞり、何度も口を開きかけては閉じた。やがて指先が白くなるほど両手で強くグラスを握りしめ、ぽつりと小声をこぼす。

​「……ああいうのがいいのか?」

​カブルーの心臓がドクンと跳ねた。
今のは、どう聞いても「俺以外の男に心を寄せるのか」という響きだ。
え、え、ちょっと待って、それって、つまり彼氏ヅラでは!?

​次の瞬間、喜びが全身を駆け巡る。

​よっしゃああああああ!!!
今の気分といったら、もうメリニ中の人間とハイタッチしたいほどだった。
豪商はMVPとして特別にハグくらいしてやってもいい。――いや駄目だ、ミスルンさんが焼いちゃうからな。ここは感謝の気持ちを仕事の成果で返させてもらおう。

そろそろタネ明かしをしようか。
でも、まだ職務中だし、もう少し焦らしてやるのも悪くない。何せこっちは何年も想ってきたのだ。
夜にじっくり「話し合い」といこうじゃないか――そうウキウキと今夜の予定を取り付けようとしたその瞬間、豪商が戻ってきた。

​「ただいま、カブルー君。なんだか楽しそうだね、何の話をしていたんだい?」

​(おいもう、あんたに用はない。もうちょっと大臣と話してればいいものを)

だが、政商候補に塩対応はさすがにまずい。

​「色々ですよ」
​愛想よく答えたカブルーに続けるように、ミスルンが口を開いた。

​「ええ、色々と――あなたのことを」

​(は?)

思わず横をうかがうと、ミスルンは普段の仏頂面が嘘のように、目元にわずかな笑みを滲ませていた。
視線を斜めに滑らせ、ふわりと持ち上がった口角からは、滅多に見せない艶が零れる。​

​「先ほど彼が言っていた通り、今回あなたのお陰で話が早く進んだことは間違いない。私からも礼を言わせていただこう。
――ところで、外交官としてではなく、私の家業の方でお話をさせていただけるだろうか? ……個人的に」

​「!! もちろんです、喜んで!」

​ミスルンの実家は世界的に有名な投資の家系で、海運業にも出資している。
これからますます事業を拡大していきたい豪商としては、喉から手が出るほど欲しい縁だろう。
​豪商はカブルーを置き去りにすると、さっさとミスルンを別室へ案内してしまった。
椅子に一人取り残されたまま、視線だけが彼らを追う。

――おいおいおい。こういう時ってさ、普通は俺のほうを連れ出して「ふたりきり」になるんじゃないの?