【創作|馬子軸 if√|試し読み】Mの喜劇 -THE FARSE of "M"ajesty-

これを「異世界転生ファンタジー」と言い張る俺よ。来年もよろしくお願いいたします。
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 ハイド・パークは、ナイルの知る姿とは随分違っていた。手入れがされていない。それどころか、最早樹海である。鬱蒼と茂る木々、外と内では光の届き方すら異なっていて、奥へ踏み込めば帰れなくなるような不穏さに溢れていた。
 ヤードを呼んだという山羊の獣人が、果たして本当にこんな場所に暮らしているのか──ナイルは懐疑的だった。しかし前を行くギネヴィアが迷いなくずんずん奥へ進むので、ナイルもまた必死についていかざるを得ないのだった。
 森は確かに多くの生物を支えている。赤い毛色のリスが地面を走り、すぐさま木へ登っていく。遠くからは鳥の鳴き声が響き、地面を蹴る二人分の足音──正確には、一名は蹄であるから、足音と蹄の音なのだが──だけが異質な音を奏でている。
「ほんまにいてるんかいな、こないなとこに……
「いるはずよ」 ギネヴィアは亡識むしきを眺めながら言う。「この亡識は地形測量が得意みたいだわ」
「ああ、エリエザーのとこに落ちてたやつ」 ナイルはギネヴィアの手元を覗き込む。「そっか、日常的に地図の案内を頼ってたんなら、こんな訳わからんところに住んでても困らんわな」
 ギネヴィアは頷く。「盲の可能性もあるけれど……そうではないみたいだわ」
 彼女の視線の先には、弱弱しい雰囲気の山羊の獣人がいる。苔の生えた岩に腰かけ、少し曲がった木の杖を手に持っていた。
 獣人っちゅうか、二足歩行の山羊やな。ナイルはそんなことを思いつつ、
「ばあちゃん」 無遠慮に山羊を呼んだ。「そないなとこで何してん」
「あら、まあ」 山羊はゆっくりと振り返って、「あら、それ! あたくしの亡識! まあ、お嬢さんが拾っていてくださったのね」
 山羊はやわく微笑んで耳をぴこぴこと動かす。
「貴女は、エリエザーの死を目撃なさったのでしょう」 ギネヴィアは亡識を差し出さず、一歩下がる。
「ええ、ええ!」 山羊は狼狽えながら言う。「驚いたわ……あたくし、かなり生きてきましたけど、死を目撃したのは初めて……エリエザーは動かなかったあたくしが何度呼びかけても、身体を揺すっても……そしてね、気付いたの
「気付いた? 何に」 ナイルは山羊に近づく。
「エリエザーは死んでるって。だって空っぽだったの。それで、もうここにはいないって……
 ナイルは山羊の声を制する。「どういう意味や、それ」
「言葉通りの意味よ。エリエザーは空っぽになっていたのよ」
「なんやねん。このばあちゃん痴呆になってんとちゃうん」
「ナイル」 ギネヴィアは蹄の先でナイルの脛を小突いた。「ごめんなさい、わたくしたちでは、そこまでは」
「あら、そう。ねえ、よかったらお野菜いかが?」 山羊はそっと籠を差し出す。「こんなところまで来てくださったんだもの」
「はあ? 何言うてんねん。今はそんなこと言うとる場合や」
「い、いただくわ。ありがとう」
 ギネヴィアがナイルの代わりに籠をさっと受け取る。「ナイル。……ちょっと」そして腕を無理やり引っ張り、
「貴女が少しどころか、随分とずれているのは、もうよく分かりました」
 ギネヴィアは籠を抱えたまま軽く首を振る。籠の中にある野菜は艶を放っており、明らかに新鮮そのものだった。この重い空気には全く似つかわしくないが。
「いいこと? 事件を積極的に解決しようなんてふつうは思わない。貴女が言うとおり、わたくしたちには時間が余るほどある。だから過ぎたことにいちいち執着しないわ
「せやろねえ。そうやなかったら、あの場でさっさと埋葬の手配せえなんて言わへんもん」
「何をおっしゃりたいのかしら」
「別にギネヴィア、あんたは間違ってへんよ。けど──」
 ナイルは左手を軽くかざし、その手の中に黒い杖を出現させる。
 ハンドルの部分が黒い馬の脚を模している。ギネヴィアはぎょっとした表情になって杖とナイルの顔を見比べる。
「あんた、なんか隠してるやろ」
 ギネヴィアは亡識を握りしめる。ナイルは畳みかけるように顔を彼女へ寄せ、
「何であのばあちゃんに亡識返してやらんかったん? 知ってたんとちゃうん。この連続殺害が実際は亜人や獣人の自由意思によるものではなく、亡識が関係してるってこと」
「そ、れは……
 ギネヴィアはくるくると頭の馬耳を動かした。聞かれては困る話なのか、それとも単純に聞かれたとてどうしようもないからか──或いはその両方か。ナイルは軽く目を細め、倒れた巨木に腰を下ろす。
「当てたろうか」 ナイルは唇を釣り上げた。
「不要よ。貴女の推測は正しい。エリエザー殺害以前の二件……アンジュとフィオレンティーナの死においても、殺害現場から亡識が回収されているわ」
「やから禁書架の管理人ハイドノーブルが出張ってきてるんやねえ。成程……ようやっと腑に落ちた」
「あら。いつ家名を名乗ったかしら」
 虚勢の隠しきれない声で言う。ギネヴィアはつんとした表情でナイルを見下ろした。
「青毛の馬子はだいたいハイドノーブルやん」 ナイルはつづける。「まあそれはどうでもええねん。で? 何でわざわざ隠してるん、それ。もし亡識がなくなったって、別に困らんのに」
「隠しているわけではなくてよ」
 ギネヴィアはそう言って目を伏せ、袋から亡識を取り出す。白い手袋に覆われた細い指が透明な板に触れ──ギネヴィアはその両端をそっと掴む。そして力任せにそれを圧し折った。
 ぱき、と軽やかな音を立てて亡識は壊れる。回路からは色が失われ、真っ二つになった板は何もかもが透明に変わり果てた。
 ギネヴィアは静かに亡識を見つめている。そこには憐憫すらなく、淡々とそれが機能を失ったという事実だけを認めていた。ナイルは片足を膝の上に乗せる。
 彼女の手の中で黙する黒い杖は、アルナイルの身体を巡る魔力を一身に浴びていた。ただ待っている。アルナイルが再び魔術をこの世へ、その身一つで呼び出すことを。
「貴女が今、自分で言ったじゃない。亡識がなくなっても困らない。別に欠陥があっても、それを知らなくても、大部分は困らないわ」
……
 ナイルは黙ったまま、ギネヴィアの手の中でさらさらと砂に変わった亡識を視線で追った。
「けど、もしそれでこれから先、もっと魔女やら他の亜人やらが死んだらどないする気なん。ブリタニアがどうなってもええわけ?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
 ギネヴィアは心底わからない、といった雰囲気で言った。
「わたくしたちには余りある時間がある。その端で死が現れても、ブリタニアは何も変わらないわ……
 ナイルは杖を指先で弄ぶ。くるくると黒い杖が右手の上を踊り、二人の間に横たわる沈黙はさらに重みを増す。ギネヴィアはこの話は終わりと言いたげにナイルから視線を逸らした。
 亡識だけを回収して、遺骸は魔女らの方法に則って埋葬する。
 それで十分だと──本気で思っているのだ。ナイルは深々と息を吐き出し、つづけた。
「よく考えてみ、お嬢さん。確かに亡識がなくなっても困りはせんやろな。せやかて、私言うたよな。この殺害は、亜人や獣人の自由意思によるものではなく、亡識が関係してる、て」
「待って。亡識が亜人を操って殺害行動を誘発したとでも? そんなことできやしないわ。亡識は魔術を使うための補助具に過ぎないのよ。貴女だってよくご存じでしょう」
「せやけど今の状況から考えると、その仮説は排除できひん」
 ナイルは杖先をギネヴィアへ向けた。赤い焔が灯る。徐々に日が落ち、森の中は外よりもいっそう暗くなる。空中でふわふわと浮く火の玉は、申し訳程度の明かりを周囲へ齎した。だが、それで十分だった。
 森は幻想種にとって住み良い、都合の良い環境に改変されている。その証拠に、キノコが光っていた。
「第三者が亡識やあれへんて断じられるだけの証拠があんの?」
 ギネヴィアは腕を組む。火の玉に照らされた横顔は憂いを帯びていた。ナイルの言葉に返す言葉を見つけられないのか、僅かに唇を噛み締める。
「ナイル、貴女、本当に『暇つぶし』のために真相を探るおつもり?」
 他の意図を勘ぐるような声音に、ナイルは思わず鼻で笑う。
「暇つぶしに、志識ししきの真似っ子したらあかんって決まりはあれへんやろ」



──続く