男士は審神者に似ると云う
男性審神者と御手杵
「御手杵くん、御手杵くん」
己を呼ぶ声を耳にして、廊下を歩いていた御手杵は歩みを止めた。
声の主は気配を隠しておらず、方向を特定することは容易い。名を呼ばれたかと思えば唐突にかくれんぼの鬼役に任命してくる短刀や脇差たちのような隠蔽の高い刀とは違い、偵察など必要のない素直な
気配 は、御手杵にとって慣れ親しんだ心地の良いものだ。
無意識に口角を上げ、離れへ続く渡り廊下の先、審神者の私室へ視線を向ける。
「主」
想像通り、そこには今世の主である審神者の姿があった。
ただ、夜は不寝番の男士が見張る扉を少しだけ開き、そこからひょこりと顔半分を出してにこにこと笑顔で手招きしている人の子の姿は、逆光となった分厚い眼鏡とその長身も相まってどこか妖怪染みていた。
もちろん審神者は御手杵にとって護るべき大切な主なのだが、己とそう変わらない身の丈が
童子 染みた行動をするとこうも不気味なのかと、言動が子どもっぽいと言われがちな──御手杵自身には全く不本意な評価であるが──我が身を振り返り気を付けようと心に誓った。
「あるじ、どうした?」
「ひひひ、入って入って」
主に対して随分と無礼な思考をおくびにも出さず、おいでおいでと声なく己を呼ぶ審神者に近寄ると、普段は許可のない立ち入りを禁止されている私室に審神者自ら御手杵を招いた。
その招き方すら、さながら昔話や童話に登場する
山姥 のようで不気味だ。
……再度いうが、相手は愛すべき主である。
「小腹がすいたから作ったんだけど、作りすぎちゃってねえ」
──一緒に食べよう。
招待の言葉と共に示されたちゃぶ台には、ちいさな複数の瓶と
西洋茶器 、そしてきつね色の何かが積まれた皿が置かれている。丸いきつね色のそれは、見覚えがあるようでないような、御手杵にとってはあまり日常的ではないが、以前燭台切光忠が作ってくれた西洋の菓子に似ていた。
まだ作って間もないのか、微かに湯気をたてている。
「なんか、しゃれおつだなあ」
「そんな古い言葉、どこで覚えてきたんだい?」
和室の中、机上の異国情緒溢れる様子に思わずぽつんと呟くと、御手杵よりも少しだけ低い位置にある審神者の頭が不思議そうにことりと傾いた。
「鯰尾が言ってた」
ずおくんかあ。仲の良い脇差の名を出した御手杵に、審神者は合点がいったというような表情を浮かべて笑う。古風なのがむしろ新しいのかねえと可笑しそうに笑う声は優しげで、御手杵はむしょうに嬉しくなった。
「パンかあ?」
「うん。スコーンというパンの仲間だよ」
「あ、すこーんな。俺知ってるぜ。光忠が前に作ってたやつだ。チョコのやつが美味かったな~」
「ああ、そういえば作ってたね。光忠くんのはいろんな味があったけど、これは味付けしてないから、クリームやジャムをつけるんだよ」
こんな風にね。説明しながら手に取ったスコーンを上下に割り、用意されていた瓶の中からクリーム──クロテッドクリームと言うらしい──をたっぷりとのせたその上に、更に赤いジャム──これは御手杵でも知っている。苺ジャムだ──をのせた審神者は、それを御手杵に「はい」と差し出した。
受け取らず反射的にかぶりつくと、温かくさっくりとした生地は、存外歯応えのある食感だった。審神者の言う通り生地自体の味はあまり主張がなく、意外とさっぱりとした味のクリームと苺ジャムの酸味のある甘さがよく馴染んでいる。
「んまっ」
「うんうん、でしょう? せっかく美味しくできたからねえ、ひとりで食べるのもったいなくて、誰か通らないかなあ~って待ってたのさ」
「そこに俺が通った?」
「そうそう。食いしん坊代表くん、いいタイミングだったね」
「否定はしないけどさ、その呼び方はなんかシャクだなあ」
「とか言いつつ食べてるじゃないの」
己の手から直接食べ始めた御手杵の行動に驚くことなく、審神者はにこにこと笑って食べ終わるのを待っている。この顔は知ってるぞ、と御手杵は頬を菓子で膨らませながら考えた。
審神者の表情は、弟刀たちにじゃれつかれているときの一期一振の顔にそっくりだ。
慈しみ、というやつだろう。優しい審神者は御手杵をとてもとても大切にしてくれているから。その視線を受ける御手杵はなんとなく収まりが悪いような、背中がむずむずとして落ち着かないような気持ちになりながら、審神者の手から与えられる菓子を咀嚼していった。
飲み込む度に、ふわふわと、腹にあたたかいものが貯まっていく。審神者の霊力だ。
審神者が作る食べ物には、審神者の霊力が宿る。刀剣男士にとって、霊力とは身体を作る源であるため、審神者の手料理はご馳走なのだ。
「みんなには内緒だよ」
審神者が人差し指を唇に当て、悪戯を計画している時の鶴丸国永のような表情で笑う。
「内緒なのか?」
「だって、全員分はつくれないもの」
「そうだった」
霊力の宿る審神者の手料理は、男士たちにはたまらないご馳走だ。
だが、本丸発足当初ならまだしも、刀数が増えた現在では、男士全員分の食事を用意する作業は審神者の負担になる。そのため、男士たちは審神者がたまに振る舞う少量の手料理を食べる機会を虎視眈々と狙っているのだ。
もし、このスコーンの存在を知られたら、短刀たちを中心に「ずるい!」と野次の大合唱に違いない。運よく手料理にありつけた男士は野次の不幸を回避するために硬く口を閉ざすのが、この本丸の暗黙の了解となっている。(まあ先の会話のように、御手杵は釘を刺されないとたまに忘れてしまうのだが。)
また、男士たちの希望を叶えるため、審神者はたまに厨に立つのだが、厨では他の男士の助力があるので、純粋な手料理はこの離れでしかありつけない。
家屋としての機能がきちんと備えられてあるこの離れは、小さな厨や風呂場も存在しているため、ある程度の家事が行える審神者はその調理場でスコーンを拵えたのだろう。
「ね、内緒だよ」
念を押すように言った審神者が、御手杵の頬についた菓子の欠片を摘まみあげ、己の口運ぶ。何気なく行われるその仕草が妙に甘くて、御手杵は霊力とは違うあたたかいものを感じて、にんまりと口角をあげた。
「内緒だな」
しー、と人差し指を唇に当てた御手杵は審神者の言葉を繰り返し、顔を見合わせてくすくすと笑い合う。
「ところで御手杵くん」
「なんだあ?」
水分のない菓子で口の中が乾き、湯呑とは違い繊細な作りの茶器を慎重に手にしていた御手杵は、審神者に呼ばれて顔をあげる。
審神者は優しい笑顔のまま、とんとんと自身の肩を指で叩いた。
「食べ終わったら、ちゃんと手入れ部屋に行きなさいよ」
「ゲッ。バレてた」
わからいでか、とけらけら笑いながら、審神者は御手杵の髪を撫でまわした。
◯
「あるじ、あるじ」
昼餉を挟んだ小休憩の後、午後もお仕事頑張るぞいと気合を入れながら執務室へ向かう廊下を歩いていた審神者は、己を呼ぶ小さな声に歩みを止めた。
聴き間違えるはずのない愛しいその声に、審神者はにっこりと満面の笑顔を浮かべる。
「御手杵くん」
自室の襖の間からひょっこりと顔を出している長身の槍は、にこにこと無邪気な笑みを浮かべて手招きをしている。その幼げな動作が妙に似合う槍の誘いを断るはずもなく、審神者はうきうきとした足取りで誘われるがまま御手杵の部屋へ足を踏み入れた。
御手杵の部屋は物が多い。仲のいい男士たちが持ち込む本や遊具、趣味で刺している刺繍の作品群が、過ごした年月の分だけ蓄積されている。それらを丁寧に飾り収め、整理された部屋を作り上げているのは流石良家の槍というところだろう。なお刺繍作品のいくつかは審神者の私室や本丸の広間に飾られるが、多くは歌仙兼定へ流れているらしい。
その部屋の中央に置かれたちゃぶ台の前に座った御手杵が、にこにこと手招きをしている。
「主に土産!」
自慢げな表情の御手杵が、台に置いた綺麗な箱を開けた。
「うわぁ」
箱の中には半透明の鉱石のような欠片が詰まっていた。青、赤、紫、橙、緑
――色とりどりの鮮やかなそれは微かに甘い香りを放っている。見ているだけで楽しい美しい色の詰められた箱から視線を外し、審神者は笑んでいる愛槍の顔を覗き込んだ。
「琥珀糖だね。綺麗だし、美味しそうだ」
「へへへ。遠征帰りに万屋街で見つけたんだあ」
御手杵は嬉しそうに緑色の菓子をつまみ「あんたこういうの好きだろ?」と審神者へ差し出しながら笑った。
「うん、大好き。ありがとう」
頷いた審神者は、差し出されたそれを戸惑いなく口にした。
しゃりしゃりとした、コーティングされた砂糖のあとに続く、寒天の柔らかい食感が面白い。ふんわりと広がる果実の風味に審神者は自然と笑みをこぼした。
「美味しいねえ。梨の味がする」
「お、味も違うんだな。菓子屋のばーさんがくれたのは桃の味だったよ」
多分これ、と桃色の菓子を差し出してくる手。餌を与えられている鳥の雛のような気持になりながら、審神者は口を開く。
口に入れた菓子は、確かに桃の味がした。
「琥珀って言ってもいろんな色があるし、味も違うなんて不思議だな」
人間の作るもんってすげーなあ、と自分でも食べながらしみじみと御手杵が呟く。
「改良を重ねて今の形になったんだろうねえ」
先人の知恵はすごいねえ。などと言いつつ、しゃりしゃりと美しい鉱石の菓子をふたりで食す。
八つ時にはまだまだ早いが、静かで穏やかな時間だった。
なああるじ。ふいに声をかけられて、審神者は彼の槍へ視線を合わせた。
「みんなには、内緒だからな」
人差し指を唇に当てて、御手杵は悪戯小僧のような顔で笑った。
「内緒なのかい?」
「だって、全員分はないだろ」
全員分、買ってくるわけにもいかないし。そう言って随分と減ってしまった菓子箱の中身の残数を数える槍に、審神者は確かにと頷いた。
「うんうん、そうだね。特に歌仙くんにはバレないようにしないと」
「ああ~~、歌仙もこういうの好きだもんな~~」
風流なもの、美しいものが大好きな打刀の名を出されて、御手杵はちらと文机の上に置かれている刺しかけの刺繍へ視線を向けた。そして、刺繍が得意だと知ったときの彼の打刀の反応を思い出しでもしたのだろうか、非常に渋い顔をする。
「な、内緒だからな?」
「ひひひ、内緒ね」
ひそりと再度釘を刺した槍に、審神者は可笑しそうに笑って人差し指を唇に当てた。
2022.5.23
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