雪解けの熱
長谷部×御手杵
へし切長谷部率いる第二部隊が遠征から帰還すると、きゃらきゃらと楽し気な声が門の内側から聞こえてきた。大方、非番の短刀や脇差たちが庭で遊んでいるのだろう。
「おう、おつかれさん」
「おつかれさま、です!」
門を開いた見張り番の同田貫正国が、片手を上げて出迎える。同じく見張りを任されていた五虎退もぴょこんと頭を下げて、懐から取り出した機械を操作しはじめた。
薄い板のようなそれは、
審神者 の執務室へ繋がっている通信機である。出陣や遠征からの帰還や、外部からの来訪者──または敵襲──を審神者と近侍へ知らせるため、見張り番の所持が義務付けられているものだ。緊急時には本丸全体へ通達することもできるのだが、その機能は今のところ長期出張していた審神者の帰還を知らせる以外の用途で使われたことはない。
審神者と近侍への連絡を五虎退に任せ、長谷部を先頭に第二部隊の面々が門をくぐると、そこは一面の銀世界であった。
「
……寒いな」
暖かな日差しの遠征先から、白銀に覆われた本丸への転移による急激な気温の変化に吐く息が白く曇る。慣れたとはいえ寒いものは寒い。白い吐息で狭まる視界に眉を寄せながら、長谷部は思わず呟いた。
その言葉を聞いてか、五虎退の虎が一匹、長谷部の脚をよじ登り始めたので抱き上げてやる。首もとにすり寄る小さな毛玉は、温かいが少々くすぐったい。
雪と同じ真っ白な、けれども雪とは違い温かな温度を持つ虎を撫でてやりながら、長谷部は庭へと続く垣根に植えられた赤を視界に入れた。
白銀の中に浮き上がるように咲き誇る深紅の椿は艶やかで美しいが、生憎と長谷部は雅を愛する歌仙兼定のように、花や景色を愛でては歌を詠むほどの趣は持ち合わせていない。陽の光を浴びて輝く雪にも負けず劣らずに凛と咲く花は、確かに美しく好ましいと思うが、それだけだ。
「いつ見ても綺麗だねえ」
その名の通りにっかりとした笑みを浮かべたにっかり青江が、花に気を取られ足を止めた長谷部を覗き込む。君も花を愛でるんだねえ、そう意外そうに笑う副隊長を軽くあしらっていると、がらりと玄関の扉が開かれた。
「よぉ、おかえり。おつかれさん」
大きな籠を抱えた近侍の槍
――御手杵が、人懐こい笑顔と共に第二部隊の面々を労わる言葉を口にする。
「だいにぶたい、ただいまもどりましたよ~!」
「おかえり、今剣。元気だなあ」
真っ先に口を開いた今剣が、こちらへ近づく御手杵に飛びついてまるで馬に乗るような身軽さであっという間に彼の肩に落ち着いてしまった。小柄な短刀とはいえ両手が籠で塞がれているにもかかわらず、危なげなく肩車をしてやる御手杵は、日頃長く重たい槍を振り回しているだけあって平衡感覚も抜群のようだ。
眩しささえ感じる雪景色の中、御手杵の朽葉色の髪や濃緑と赤の衣服が、長谷部の目にはそこだけ秋を残しているかのようにぽっかりと浮いて見えた。
「御手杵、みてください! たいりょーですよ!」
すごいでしょう、と今剣が胸を張り、馬に運ばせていた戦利品を指差す。
「おー、本当だ! すごいなぁ~、主も喜ぶぞ」
「ぎねくん、ボクたち頑張ったんだよ! ね、秋田!」
「はい! 頑張りました!」
乱藤四郎と秋田藤四郎がにこにこと無邪気な笑みを浮かべながら濃緑のジャージを引っ張る。何かを期待しているようなその仕草に、御手杵はにっこりとおおらかな笑顔を浮かべ、片手で籠を抱え直した。
「ありがとうなあ、疲れただろ?」
「これくらい平気だよ!」
槍を振り回す大きな手が、小さな頭を優しく撫でる。交互に撫でられた粟田口の二振りが嬉しそうに歓声をあげ、それを見て自分もと今剣が騒ぎ出した。
じゃれつく短刀たちを労りながら、御手杵は手にしていた大きな籠から部隊の刃数分用意されている手拭いを差し出す。
「ほら、長谷部と青江も」
「ああ
……」
「やあ、ありがとう。べたべたして気持ち悪かったんだ
――汗のことだよ?」
「はいはい、青江もおつかれさま。風呂沸いてるぞ」
青江の冗談を爽やかな笑顔でさらりと流した御手杵は、短刀たちを労わった時と同じように彼の頭も撫でる。短刀たちと同じ扱いを受けるとは露ほどにも考えていなかったらしい黄金色が、きょとりと丸く見開かれ、少し間を置いてから困ったように細められた。「どうにもくすぐったいねえ」と呟く青江は、満更でもないようだ。
のんびりとした雰囲気の大身槍につられてふわふわしている大脇差を傍目に、長谷部は抱き上げていた虎と引き換えるようにして御手杵から受け取った手拭いで汗や埃を落とす。蒸されたそれは温かく、汗が引いて冷えた身体にじわりと染み込む柔らかな熱が心地良かった。
「御手杵」
「んあ?」
幾分かさっぱりとした気分で、長谷部は今剣を肩に乗せたまま同田貫と五虎退へ差し入れの軽食を渡している御手杵に声をかけた。
「あ、そうだよな。長谷部もおつかれさま」
「いや、俺はいい
……いいと言っているだろう」
「長谷部もよく頑張りました~」
「御手杵ッ!」
気の抜けるような笑みと共に大きな手が頭を撫でる。手のひらの大きさに反して骨張っている長い指が、長谷部の髪を豪快にかき混ぜるのを見ていた青江が、耐えきれないように吹き出した。
「
……ッ、主は執務中か?」
悪意のない手のひらをやんわりと降ろさせて、長谷部は審神者の様子を問う。
本日が提出期限の報告書を昨日の昼に発見したらしい審神者は、近侍にできる仕事はすべて御手杵と加州清光
――初期刀である彼は何かと審神者に頼られている
――の二口に任せてパソコンに噛り付き、結局昨夜の夕食どころか今朝の朝食時にも姿を見せなかったのだ。
――男士 には扱えない内容らしいから、くれぐれも手伝いに行かないようになあ。
夕食時に近侍と初期刀からの連絡として審神者の状況を知らされた折、食事を放置してすっ飛んでいきそうになった長谷部の額を指で抑えながら釘を刺した御手杵の忠告を思い出し、長谷部は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。指一本で立ち上がれなくなってしまった謎の力も屈辱的であったことまで思い出して、ますます眉間に皺が寄る。(後に聞いたところによると、てこの原理というものが関係あるらしい。長谷部が貧弱なわけではないらしく、少々ほっとした。)
「長谷部ぇ、顔こわいぞー」
不機嫌そうな顔をする長谷部に首を傾げた御手杵は、空になった籠を脇に抱え、じゃれつく虎を懐に入れてジャージのファスナーを上げてから、空いた片手で長谷部の眉間をぐりぐりと押さえた。
「な、御手杵ッ」
「そんなに心配しなくても、主ならちゃあんと仕事終わらせて仮眠取ってるよ」
「えっ! あるじさまおしごとおわったんですか? やったあ!」
御手杵の上で話を聞いていた今剣が嬉しそうに声を上げ、粟田口の短刀たちも表情を明るくさせる。
短刀はその役割故に人と触れ合うことを好む物が多い。頭を撫でてもらいたがるのもそのためだろう。小さな刀たちが半日といえども審神者の姿が見えないことで寂し気に肩を落としている光景は、審神者以外には厳しいと言われる長谷部でさえ気の毒に思ってしまうほどであった。
「御手杵、あるじさまはおきたらあそんでくれるでしょうか?」
「ボクの髪結ってくれるって約束、あるじさん覚えてるかなあ」
「乱兄さん、主君は約束を反故にしたりしませんよ!」
嬉しそうにはしゃぐ彼らの様子に、御手杵は柔らかく笑いながら乱の背中に手を添えた。
「主が起きたらちゃんと訊いとくから、そろそろ中入りな。飯も風呂も用意できてるんだぜ」
先に風呂な、と促した御手杵の言葉に、はぁいと三振りの声が重なる。
「ぎねくん、ちゃんとあるじさんに訊いといてね! ね!」
「おー」
いつの間にか肩から降りた今剣と秋田を伴い、乱が手を振って屋敷内へ駆けていく。無邪気な背中を見送りながら、御手杵は青江から馬の手綱を受け取った。
「あとは俺がやっとくから、あんたらも休んでくれよ」
「ああ、ありがとう。その子もちゃんと休ませてあげてね」
「分かってるよぉ」
馬当番が苦手な御手杵を揶揄いながら、ひらひらと手を振り短刀たちの後を追うように青江が背を向ける。揶揄われてむうと頬を膨らませていた御手杵は、自分たちのやり取りを黙って見ていた長谷部に気が付くと、不思議そうに首を傾げた。
「あんたも休んできたら? 主はまだ寝てるから、報告なら俺がやっとくよ。あ、何か伝言あるか?」
「
……いや、遠征はいつも通りの結果だ。伝言も特にない」
不思議そうな御手杵に構わず、長谷部は彼の手から手綱を奪い、蔵へと歩き出した。慌ててついて来る長身が、困惑したような表情で長谷部を覗き込む。
「おーい、長谷部? どうしたんだよぉ」
「俺がいては問題があるのか?」
「うぇ? そういうわけじゃねぇけど、疲れてるだろ?」
懐の中でごそごそとしている小虎をあやしてやりながら、御手杵は長谷部を気遣う姿勢を見せた。遠征帰りの身を気遣われた長谷部は、少し間を置いてからふんと鼻を鳴らす。
「あれくらいの遠征など、たいしたことはない。資材の数を把握しているものがいるほうが効率がいいだろう」
そう言うと、御手杵は驚いたように栗色の目を丸くしたあとに、ふにゃりと気の抜けた柔らかい笑顔を浮かべた。
「手伝ってくれるんだなあ」
ありがとなあ、と素直に礼を言う長身の槍は、長谷部の下心などきっと気が付いていない。
「
……好いた相手と、過ごす時間を作るのが難しいのでな」
――この後お前は、主にお会いしてから短刀たちの相手をしに行くのだろう?
隣の長身を見上げ、ただの親切心ではなく自分には下心があるのだと言外に含ませた言葉をぶつける。生真面目な長谷部の、珍しく明け透けな言葉に、御手杵の目が再び丸く見開かれた。ころりと零れてしまいそうなほど見開かれた目は、綺麗に剥かれた甘栗の様だ。この大身槍は、身体だけでなく目も大きい。
素直な槍には素直な言葉を告げるのが一等効果があると長谷部は知っている。この槍が顕現したときから一撃で敵を屠れるようになるまで、世話をしていたのが長谷部だからだ。
顕現したばかりの頃とは違い、御手杵は近侍と第一部隊の隊長として、長谷部は第二部隊長として、それぞれ審神者から与えられた役目がある。特にこの槍は審神者に大層気に入られて可愛がられている
――それは武器としてであり決して惚れた腫れた等ではない
――し、そのおおらかな性格からか短刀や脇差にも懐かれよく遊びに誘われている
――そして彼はその誘いを断らない
――ので、いつも誰かが傍にいる。長谷部は長谷部で遠征やら新入りの練度上げやらで外に出ていることが多いので、互いに落ち着いて会える時間があまりないのだ。
「なんだ、その目は」
何の含みも感じられない澄んだ栗色に見つめられて、自分で口にしておいて照れくさくなった長谷部はふいと顔を逸らした。
途端、ふふ、と頭上から小さな笑い声が零れて、低く柔らかな声が降ってくる。
「あんたも、そういうこと言うんだな」
「
……馬鹿にしているのか」
穏やかな声で告げられたあまりの言い草に、思わず顔を向けた先で、長谷部はその藤色の目を見開いた。
「御手杵」
ひらり。淡い色の花びらが視界を横切る。
ひら、ひら、と誉の桜が舞い散り、地面の雪に触れる前に消えていく。
「へへ」
誉桜を散らせながらふわふわと笑う槍に、長谷部は苦い表情を浮かべた。
「長谷部も俺とおんなじかあ」
心底幸せそうに御手杵が言う。長谷部のように羞恥を感じることもなく、当たり前のように「俺も寂しかった」と長谷部への好意を言葉にする。
名家の家宝として、お家を護る不戦の象徴として、多くの人間に愛され大切にされてきた槍は、好意や愛情を向けられることに抵抗がないのだと長谷部は思い出す。
顕現した当初、人の身体を持て余し思うように戦えなかった御手杵は、槍の身であった頃の戦経験の少なさ故に「ここでも戦えなくなったらどうしよう」とよく嘆いていた。それを何度も励ましたのは、ほかならぬ長谷部である。
名前の由来から戦場で振るわれた経験こそあれど、実戦よりもお家の象徴として求められたが為に戦場の血生臭さをほとんど知らない槍は、しかし愛されるということは顕現した当初からよく知っていた。
大切に大切に、それこそ錆のひとつもないように常に美しく磨かれていた大身槍。人々に愛され、家宝として大切にされたが故に戦火で失われてしまった彼にとって、今世の主である審神者から注がれる愛情も、ただただ懐かしく、嬉しく、愛おしいものなのだ。だから戦果で返したいのだと初めての誉に桜を散らしながら照れくさそうに笑っていた。
好意には好意を、愛情には愛情を返すことを疑問に思わない槍は、長谷部の不器用な好意も素直に受け取り、同じように、それ以上に柔らかな愛情を返した。
「長谷部も同じで嬉しいなあ」
どこまでも素直な御手杵に、長谷部の頬に熱が集まる。
「お、お前というやつは
……」
「おーい! おてぎねー!」
「おてぎねさーん!」
長谷部が口を開いたその瞬間、元気な声が話を遮った。視線を向けると、鼻を真っ赤にした厚藤四郎と鯰尾藤四郎がぴょんぴょんと飛び跳ねて手を振っている。周囲には非番の短刀や脇差たちがいて、皆手袋とマフラーをしているが、服装は通常の内番着なのでどうにも寒そうだった。
雪遊びをしていたのだろう、至る所に様々な形の雪だるまが鎮座している。
「おー、どしたぁ?」
「なぁなぁ御手杵! 雪降らせてくれよ!」
「へ?」
手を振り返した御手杵に駆け寄りながら、厚と鯰尾が期待を込めた眼差しを向ける。突進してきた二振りを受け止めた御手杵が何故と問いかけると、
「かまくら作りたいんだけど雪が足りねぇんだ!」
「御手杵さんは雪を降らせられるんでしょう? だからお願いしてみようってみんなで言ってたんです!」
と、無邪気に笑った。期待に満ちた二振りの視線を受けた御手杵は、困惑気味に眉を下げる。
「そりゃ逸話だろぉ、無茶言うなって」
「ええー、そうなんですか?」
「そっかー! 無理言って悪かったな!」
切り替えの早い厚がからりと笑い、もの言いたげな鯰尾の腕を引いて遊び仲間たちの元へ戻っていく。その背中に手を振りながら「すぐに積もるもんじゃねぇしなぁ」と御手杵が小さく呟いた。
「降らせることはできるんだな」
「うぇ? あー、そりゃ、まあ
……なぁ」
うっかり零してしまったのだろう独り言を聞かれて、御手杵は気まずげに朽葉色の髪を弄る。ふわふわと揺れる髪に、懐の中の小虎が小さな前足を伸ばしてじゃれつこうとしているが当然届かない。
「
……蔵に行くぞ」
「あ、おう!」
先程の生温い空気はなりを潜めて、けれどもどこか浮ついた気持ちのまま蔵へ向かう。資材の在庫を控え、馬舎で馬を休ませる間、御手杵は始終機嫌がよさそうだった。
「長谷部が手伝ってくれたからすぐ終わったよ、ありがとな」
結局馬舎まで着いてきてしまった小虎を懐に入れたまま、御手杵が嬉しそうに笑う。柔らかなそれに長谷部も少し表情を緩めた。
「たいしたことではない。気にするな」
「長谷部は優しいなあ。
……んー、夕飯にはまだ時間あるよな
……主、多分腹減らしてるだろうし、俺は厨見てくるから、あんたは風呂に「御手杵」
――んあ?」
上機嫌に言葉を吐く御手杵を遮り、腕を引いて距離を縮める。
身長差ゆえに屈み込む姿勢になった御手杵に視線を合わせて、長谷部は柔らかな声を出すように努めて口を開いた。
「今夜、お前の部屋へ行く」
「へっ」
「寝ずに待ってろ」
ぽかんとした表情の御手杵の頭をぽんと撫でて、長谷部はさっさと踵を返した。
「あ、長谷部
……!」
待ってるなあ、と慌てながらもどこかのんびりとした声を背中に受けながら、ずんずんと歩みを進める。自慢の機動を持ってしても、相手には真っ赤に染まった耳が見えているのだろうと苦い思いを抱えながら、長谷部は風呂場へと向かった。
◯
夕食の席にすっかり元気を取り戻した審神者が姿を現すと、小さな刀を中心に歓声が上がった。身体の大きな男士たちも、ほっとした表情を浮かべて審神者の体調を気遣い、一日ぶりの主がいる食卓は明るく和やかで、誰も彼もが笑顔を浮かべていた。
一番風呂は、夜戦に強いが夜は早寝をする短刀と脇差たちに譲るのが常なので、食後に一息ついた長谷部は遠征の報告と主命の有無を問うために審神者の居住区である離れへと向かった。遠征の報告は御手杵が済ませてくれているはずだが、徹夜で仕事をした主の体調を把握するための口実として改めて利用することにしたのだ。
廊下で繋がれた離れの前に、本日の不寝番である前田藤四郎が座していた。
「長谷部さん、お疲れ様です」
「ああ、前田もな。主に遠征の報告をしたいのだが、取次ぎを頼めるか」
「はい、承りました」
丁寧に頷いた前田は、静かに襖の向こうへ姿を消した。
機密が多いであろう執務室でさえ声さえかければ常に入室を許可する審神者だが、この離れだけは完全な私室として利用している為、入室の許可が下りない場合もあるのだ。なので取次ぎを頼み、返事を待つ瞬間はいつも少しの緊張が走る。
「長谷部さん、どうぞお入りください」
「ああ、ありがとう」
静かに襖を開けた前田が、長谷部と入れ違いに部屋の外へ出る。
襖を抜けた先には一畳ほどの畳の空間と西洋の扉があり、その先が審神者の私室だった。
本丸に来るまで畳での生活経験のなかった審神者は、執務室こそ和室のままなんとか使っているが、私室である離れは洋室に作り替えている。二重扉になっているのは「襖を開けてすぐにフローリングだとなんとなく恰好悪いし、二重扉って恰好いいでしょ?」という大雑把な理由だった。何故か燭台切光忠は全力で同意していたが、残念ながら長谷部には彼らの「恰好よさ」はよくわからない。
「やあ、長谷部くん。こんばんは」
「こんばんは、主。お休みのところ申し訳ありません」
「あとは寝るだけだからいいよいいよ」
就寝前の読書をしていた審神者は元気そうで、体調の不安もないらしい。隣接している近侍部屋からは、御手杵ではない別の男士の気配がした。
遠征結果の報告と、明日の予定のすり合わせを簡単に行う。短い対話はつつがなく終わり、少しの雑談を交わしてから長谷部は退室の旨を伝えた。
「長谷部くん」
部屋を出る前に、審神者が静かに長谷部を呼んだ。
「はい?」
「あの子がまた無茶をやらかしそうだから、あっためてあげてね」
窓の外へ視線を向けている審神者の表情は、長谷部には見えない。
「主?」
「ううん、なんでもない。おやすみなさい、いい夢を」
向き直りひらひらと手を振る審神者は和やかな笑顔だったが、それ以上の追及を許さない空気に、長谷部はそのまま一礼して部屋を辞す。
「?」
襖を開けた瞬間に感じた、ひやりとした冷気に眉を寄せると、気が付いた前田が両手を擦りながら苦笑を浮かべた。
「つい先程からですが、雪が降ってきましたよ」
「雪
……?」
「ええ。天候の変わる景趣なんて初めてですね」
はらはらと降る雪の量は少しずつ増えているようだった。明日は積もるのでしょうか、と前田が雪を捕まえようと手を伸ばす。
「積もると、処理が大変そうだな」
「ふふ、そうですね。ですが、兄弟たちがかまくらを作りたがっていましたので、お掃除も案外に簡単かもしれませんよ」
「かまくら
……?」
彼の言葉に、長谷部は昼間の会話と先程の審神者の言葉を思い返した。
――雪降らせてくれよ!
――雪を降らせられるんでしょう?
――あの子がまた無茶をやらかしそうだから
――。
――すぐに積もるもんじゃねぇしなぁ
……。
「
……あいつ
……」
「長谷部さん、どうかされましたか?」
思わず悪態を吐いた長谷部を不思議そうな表情で前田が問いかける。真っ直ぐに見上げてくるころりとした丸い瞳に苦笑を返し、長谷部は緩く首を振った。
「
……いや、なんでもない」
「そうですか?」
「ああ。
……しかし、冷えてきたな。俺は部屋へ戻るが、寒くないか?」
「ええ、大丈夫ですよ。僕、寒さには強いんです」
普段から生真面目な言動の前田が、少し幼さを含んだ表情で笑った。
おやすみなさい、と手を振る前田に軽く手を挙げて応え、長谷部は離れを後にした。
この雪は一晩降り続く。優しい審神者は、きっと前田を放ってはおかないだろう。
◯
目的地へ行く前に足を向けた厨は、すでに灯りが落とされていた。
明日の朝食の仕込みだろう、出汁の香りが漂っていて、誰かがいた気配が強く残されている。コンロを占拠している大鍋の前に置かれた椅子に『つまみ食い禁止』と書かれた紙が貼りつけられていて、それがどうにも人間くさく思えて不思議とくすぐったい気持ちになった。
明日の朝食係は誰だろう。長谷部は電気ポットのスイッチを入れ、冷蔵庫から目当ての瓶を取り出しながら考える。
大所帯の本丸では食堂があり、食事を用意する式神がいるそうだが、まだ刃数の少ないこの本丸では審神者と料理好きの男士たちが模範となり皆で食事の用意をしている。そのため、この本丸の男士は簡単な調理なら皆ができるのだ。
審神者は新刃よりも今いる男士が戦力として十分働けるまで鍛えることを優先するので、新刃が加入すると皆で料理を作り、歓迎会を開き、そして当刃が成長するまで末っ子を可愛がる人の子のように構い倒すのが恒例となっていた。大所帯になっても、きっとこの慣習は変わらないのだろう。
そんなことを考えながら、長谷部は審神者から支給された魔法瓶の水筒を出して瓶の中身を適量入れ、沸いた湯を注ぐ。蓋をして軽く振ればすぐにできるそれに、満足気に頷いた長谷部は、後片付けを素早く済ませ、急ぎ足で歩き出した。
本格的に降り出した雪が、静かな庭をしんしんと覆っていく。「プライバシーは守られるべきですから」という審神者の配慮で個室ごとに防音の結界が張られている為、灯りがともっている部屋があっても襖が開いていない限り、夜はとても静かなのだ。
目当ての部屋を視界に入れるより早く、長谷部は目的の相手を見つけたことに、内心で深く溜息を吐いた。
「
……御手杵」
部屋の灯りを背に雪の降り注ぐ庭に立ち、本体の槍を掲げる長身に声をかける。ピクリとも反応しないその背に焦れた長谷部は、庭に降りてずかずかと彼に近づくと、うっすらと雪の積もっている肩を掴んで無理矢理振り向かせた。
「御手杵!」
「わっ! な、なんだ、はせべかぁ~」
びっくりした、と栗色の目を丸くして、御手杵がぱちぱちと瞬きを繰り返す。この槍が驚いた時の癖だ。
「驚いたのはこちらの方だ! 薄着でこんな雪の中にいるなど正気か!」
「うえぇ
……怒んなよお
……夜の間に降らしとけば、朝には積もるだろぉ
……」
「だから、やるにしても着込めと言っているんだ。寝巻一枚で風邪など拗らせたら、厚たちが気を使うだろう」
肩や髪に積もった雪を払ってやりながら、言い聞かせるように話す。この槍はたまにこういう危なっかしいことをしでかすので、どうにも目が離せない。そこがまた愛いのだけれども、そんなこと当刃には絶対に言わない。
「あー
……うん、そう
……そうだなあ。あいつらに心配かけちまうよなぁ
……」
風邪を引くなど考えもしなかったのだろう。槍の意識が強すぎて、人の身を持っていることをすぐに忘れてしまう御手杵は、気まずそうに小さな声で「ごめんなぁ、ありがと」と呟いた。長谷部の心配は気づかれていたらしい。
頼られたから応えたかったのだろう。厚と鯰尾と御手杵は、ほぼ同時期に顕現したのもあってか仲がいい。三口の中では最後に顕現したのもあってか、御手杵は他の二振りによく構われていたし、今でも暇さえあればつるんでいる。
元々気の良い御手杵は、脇差や短刀たちの相手をよくしている為、仲の良い彼らを喜ばせたかったのだろうこともよくわかる。だが、刀剣男士は風邪をはじめ、病気の類は手入れでは治らないのだ。専用の薬はあるにはあるが、人と同じように療養せねばならない。手入れで治るのは時間遡行軍か同じ刀剣男士につけられた傷だけだ。
叱られて気落ちしているのか、御手杵はおとなしく長谷部の手を受け入れている。雪の水分を含んだためか、いつも重力に逆らって元気に跳ねている朽葉の髪がぺたりと萎んでいる様子が、気落ちしている御手杵の様子をそのまま反映しているように見えて、それがなんとも悲し気に見えてしまった。
強く言いすぎただろうか、と長谷部が御手杵の顔を伺うために視線を上げると、悲し気な表情ではなくふにゃりと気の抜けた顔が長谷部を見ていた。
「お前
……お前なぁ
……」
「ふへへ
……長谷部の手、あったかいなあ」
ふにゃふにゃと笑いながら長谷部の手を握る御手杵の、長谷部よりも大きな手はいつも冷たい。
雪降らしの二つ名に相応しく、元々体温が低い御手杵の手は、今はそれこそ雪のように冷たかった。
「俺の手が温かいんじゃなくて、お前の手が冷たいんだ」
「そうかなあ
……長谷部はいつもあったかいぞぉ」
御手杵は、寒さゆえか少し眠たげに目を細めた。人の身は体温が下がると眠くなるのだと、以前に誰かが言っていた事を思い出す。
「御手杵、寒いんだろう。部屋へ行くぞ」
「
……おー」
冷たい手を引いて大きな体を誘導する。のそのそと素直に着いて来る長身の動きは、どこかぎこちない。御手杵が顕現して間もない頃を思い出すそれは、酷く懐かしい気持ちにさせられた。顕現したての御手杵は、今よりもずっと槍らしく、人の身を持つ刀剣男士として幼かった。
御手杵の部屋の中は暖房器具の類は出されていなかった。本が重ねられている文机
――彼は存外読書家だ
――と、小型の冷蔵庫が一つ。そして布団が一組敷かれているだけの簡素な部屋だ。
かろうじて床の間には寒椿の一輪挿しと、綺麗に手入れされている手杵の鞘が置かれている。装飾と言えばそれくらいの、『御手杵』という
槍 から受ける印象からは程遠い整理された部屋の様子は、顕現した当初から変わらない。「変な時間に腹が減って、厨に行くのは悪いから」という理由で誉の褒美に所望したという冷蔵庫だけが、妙に現代的でどこか滑稽でさえあった。
部屋に入った途端、背後の御手杵がゆったりと長谷部の首に腕をまわして抱きついてきた。冷えた寝巻の冷たい布の感触に、微かに眉を寄せると、
「はせべ、さむい」
耳元でささやくように、御手杵が幼い子のような甘えた声を出した。
「わかったわかった。風呂に行くか?」
冷たい髪をくしゃくしゃと撫でてやりながら、今ならばまだ湯は抜かれていない時間のはずだと、壁に掛けられた時計を見ながら言うと、頭上でくふくふと笑う声。
空気を含んだ軽いそれの声は楽し気で、寒さに震えているようには到底聞こえなかった。
「にぶいなぁ」
「は?」
ぎゅう、と苦しさを感じない程度だが抱きつく腕が強くなる。なあ、とささやく声に色が乗っていることに。長谷部はようやっと気が付いた。
「寝ないで待ってろって言ったの、あんただろ」
おれ、寝ないで待ってたよ。甘える声は、決して幼くなどない。
「御手杵」
「布団を敷いている意味、わかるだろ?」
どくどくと、心臓が痛いほどに音を立てている。背後の冷たい体に反して、長谷部の身体は燃えているように熱くて、体中の血液が沸騰しているようだった。
油断していた。無欲な槍はいつものんびりとしていて、こんなに艶やかに誘われたことなどなかったから。
「なぁ、はせべ
……あっためてくれよ」
嗚呼、どうしてくれようか。
冷たい腕を引き、足払いをかけ、布団に引き倒してのしかかる。さらりと受け身を取った槍は、まるで降り続けている雪のようにふわふわと笑っていた。
用意した魔法瓶が畳の上に転がる音がしたが、そんなものは後でいい。雪を降らせて寒いだろうと用意しただけの茶だ。
御手杵が所望しているのは、茶ではない。
「もういいと、泣きが入るまで温めてやる」
前後不覚になるまでぐずぐずに甘やかして、頭の頂点から足の先まで、全部温めてやる。覚悟しろと熱を込めた視線を向けると、
「そんなにされたら、とけちまうかなあ」
ふわふわした雪はすでにとろりととけていた。
「冗談でも、そういうことを言うな」
洒落にならんと呟いて、小さく笑う冷たい唇を塞いでやった。
2020.07.21
Novel top