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刀剣乱舞


デザイアの憂鬱

長谷部×御手杵
重傷表現有り


『第一部隊帰還!』
 本丸内に、部隊帰還を知らせる見張り番の声が響く。通信機を通したその声は厳しいもので、本丸内の空気が一瞬にして張りつめたものへと変わる。非番の男士たちが、一斉に通信へ意識を集中させたのだろう。
『重傷三口! 手隙の者は手入れ部屋の準備を! 繰り返す――
「主! お待ちください!」
 放送よりも先に執務室を飛び出していた羽織の背中を追いかけながら、へし切長谷部は己の指先が冷たくなっていくような感覚に眉を寄せた。


 御手杵率いる第一部隊が検非違使との交戦後に帰還したのは、夕餉の近い日暮れの頃であった。
 練度上げのために編成されていた源清麿・水心子正秀、そして部隊長の御手杵の三口が重傷であり、自力で立っている新々刀の二振りに比べ、部隊長である御手杵は最も損傷が酷く、重傷の身体を副隊長である蛍丸に支えられながらの帰還となった。
「みんな!」
 新刃以外の本丸所属男士の練度が安定していたこともあり、近頃は全ての部隊で大きな傷を負うことが少なかった。久方ぶりに感じる血のにおいと緊迫した空気の中、玄関から飛び出すように出迎えた審神者は、折れる寸前といった様子の槍に悲痛な声を上げながら彼に駆け寄る。
「御手杵くん……ッ」
……あるじ……面目ない……
 顔色を蒼白とさせた主の姿を視界に映すなり頭を下げた御手杵の視線は虚ろだった。意識が朦朧としているようだが、それでも部隊を率いる長としての意地だろうか。彼は己の失態に厳しい表情を浮かべていた。
 審神者の命で控えていた長谷部は、共に命を受けた加州清光と共に、新々刀の二振りへと駆け寄りその身を支える。指示があれば即座に動けるよう待機しつつその光景を見ていた。
 水心子を支えている指先の感覚が酷く鈍い。まるで真冬の水に長時間手を浸していたかのようだった。
「御手杵! しっかりしろ!」
 酷く出血している御手杵の腹を包丁藤四郎が手拭いで押さえている。見張り番の彼は、仲の良い槍の惨状に悲鳴を上げて止血を行おうと試みたらしいのだが、すぐさま深紅に染まっていく布にぐすぐすと泣き出してしまった。
……泣くなよ、包丁……だいじょうぶ、だよ……
「お゛て゛き゛ね゛~!」
 泣いている包丁の頭を撫でてやろうとしたのか、腕が少し持ち上がったが、力が入らないようで結局だらりと下げられた。すでに意識を保つのが辛いのだろう、ぐらぐらと御手杵の頭が揺れている。
「手入れ部屋へいきましょう。蛍くん、すみませんがそのまま御手杵くんの補助をお願いします」
「わ、わかったっ」
「俺も手伝う」
 傷に響かないように声を抑えて審神者が蛍丸に指示を出し、頷いた蛍丸は傷になるたけ障らないよう慎重に歩き出す。蛍丸と同じくかすり傷だった骨喰藤四郎が駆け寄り、見張り番を続けなければならない包丁と入れ替わるように御手杵に寄り添った。
「キネ、しっかりしろ」
…………わりぃ、な」
 普段の彼からすると随分と気安い態度で、骨喰は御手杵に話しかけた。彼は同田貫正国と共に、御手杵と三口でよくつるんでいる。馬鹿騒ぎをするような面子ではないが、脇差と打刀と槍、補い合う刀種同士気が合うらしい。
 今回の出陣部隊もこの三口が共に編成されていたので、指揮官である審神者も、彼らの連携に期待しているのだろう。
 新刃を気にしたのか、微かに振り返った御手杵と視線が交わる。長谷部の視線を受け止めて、御手杵は力なく笑った。
……ッ」
 今にも倒れ込みそうな背中を見送りながら、なにかが胸から込み上げてくるような不快な感覚に、長谷部は眉を寄せた。
「長谷部くんと加州くんは、そのまま水心子くんと清麿くんを連れて手入れ部屋へ向かって下さい。同田貫くん、お疲れのところ申し訳ありませんが、移動しながら部隊報告をお願いします」
「はっ」
「りょーかい」
「おー」
 御手杵程ではないが、重傷の新々刀 かれらは刀装もすべて失い、酷い傷を負っている。加州も珍しく心配そうな表情で「歩ける?」と源清麿へ声をかけたが、
「ありがとう、僕らは大丈夫。自分で歩けるよ」
「ああ、我らは問題ない――我が主」
 源清麿が大丈夫だと首を振った。それに同意を示しながら、水心子が審神者に声をかける。
「水心子くん、どうしました?」
 長谷部の支えを断った水心子は、報告の為審神者の傍へ駆け寄った同田貫を追うように――しかし痛む体を引きずっている為――ゆっくりとした歩みで審神者に近づく。心配そうな表情で彼の傷ついた身体に触れた審神者に、
「隊長殿は我々を庇いながら戦ったのだ。此度 こたびの責は我らにあり、彼に非はない」
 どうか叱責はご容赦を。そう嘆願しながら水心子は頭を下げた。下げた頭から、穴の開いた軍帽がぽとりと落ちる。
「僕ら、検非違使と遭遇する前にこうなってしまったから」
 時間遡行軍との戦闘で刀装兵を喪い重傷を負った自分たちを、ずっと庇ってくれていたのだと、源清麿が苦笑を浮かべながら告げた。
「主、御手杵は撤退指示を出したんだ」
 新刃二振りの言葉を補足するように、同田貫が不愛想ながら口を開く。
 軽傷ならば進軍、中傷は現場の判断に任せ、重傷者が一振りでも出れば撤退というのが、審神者の定めたこの本丸での約束事だ。
「だが奴ら、撤退経路 ゲートを開く寸前に出やがった」
「丸腰の僕らを確実に仕留めようとしたのかもしれない。最初は重傷だった僕らを執拗に攻撃してきたから」
 同田貫の報告を引き継ぐように話す源清麿は、だけど、と言葉を切る。その先を、頭を下げたままの水心子が引き継いだ。
「奴らは、我らを庇った隊長殿……御手杵殿が司令塔だと認識したようで、すぐに彼を集中的に攻撃し始めたのだ」
「検非違使が?」
 加州が驚いたように目を丸くして小さく呟いた。その動揺は長谷部も理解できるものだった。
 検非違使とは、歴史改変を狙う時間遡行軍も、歴史の守護を目的とする刀剣男士も、一切の区別をつけずに斬り伏せようとする存在である。
 彼らに対話は意味を成さず、彼らには意思も思考も非ず、歴史を乱すものを排除する『歴史の修正力 システム』であると認識されていた。
 それが、「重傷者」や「部隊長」を認識して攻撃を仕掛けたとすると、今までの意思も思考も持たない機械同様の存在とは齟齬が生じてしまう。加州の動揺はそこからくるものだ。
御手杵 あいつは、自分よりも蛍丸と『二刀開眼 おれら』のが戦力になると判断した。俺らにゃ応戦指示出して、自分は援護にまわるからと」
 確かに、攻撃範囲の広い大太刀と、確実に仕留めることのできる二刀開眼は戦力として申し分ない。また、御手杵の生存値と統率値は極めたことで大幅に強化されている。盾兵は装備できないが、この部隊編成では盾として不足はないだろう。
 そして、部隊長は破壊されない
 このシステム自体が覆されない限り、囮として部隊長 おてぎねほどの適任はいない。
 これは戦争だ。時間遡行軍も検非違使も、手加減などしてくれはしない。破壊されない己を囮に、全員が生存するために下した指示だ。御手杵の判断は、部隊長として正しい。
「御手杵の判断はあの場では最善だった。処罰があるなら連帯にしてくれ」
 加州の動揺を受け止めながらも報告を続けた同田貫は、最後に水心子同様に頭を下げた。源清麿も軍帽を取り、彼に倣う。
 新刃二振りと古参の打刀の嘆願に目を丸くした審神者は、ゆっくりと屈みこんで軍帽を拾い上げる。彼の人は柔らかな苦笑を浮かべていた。
「同田貫くん、水心子くん、清麿くん。頭を上げてください」
……っ」
 落ち着いた優しい声に、おずおずと顔をあげた水心子の頭に軍帽を被せた審神者は、安心させるように帽子の上からぽんぽんと彼の頭を撫でる。
「処罰なんてしませんよ」
 ――我々の声に応え、日々戦って下さっているあなた方を、罰するなんてするわけないじゃないですか。
 言い聞かせるような穏やかな審神者の声に、硬い表情を浮かべていた水心子がほっとしたように目元を和らげた。
「出過ぎた口を利いて申し訳ない」
「いいえ、仲間を想う気持ちは大切です。御手杵くんを庇ってくれたこと、とても嬉しく思います。あなた方が、この本丸に来てくれてよかった。……同田貫くん、適切な報告をありがとうございます」
 水心子と源清麿の傷だらけの手をそっと握る審神者は、穏やかで優しい笑顔を浮かべている。彼らを癒そうとするように、柔らかく心地良い霊力が彼の人から溢れ、周囲を包み込んでいた。

  ◯

 審神者と共に新々刀の二振りを連れて手入れ部屋へ急ぐと、城内放送を聴いた男士たちが集まっていた。蔵から資材を用意する刀、御手杵を介抱する刀、手入れ部屋を整える刀と、各々で役割を分担して動いている。
「遅くなってすみません!」
「あ、主!」
 骨喰と共に御手杵の止血を行っていた獅子王が、審神者に気がつくとほっとしたように破顔した。
「御手杵、主が来たぞ」
……ん」
 獅子王が声をかけると、微睡んでいたのか御手杵が眠たげな声で小さく頷く。立ったまま――座り込むと動けなくなるのだろう――壁に寄りかかっている長身を温めるように巻きついていた鵺が、するりと離れて獅子王の肩に落ち着いた。
 ありがとな、と感謝を伝えるちいさな声に短い鳴き声を返す鵺は、気にするなと言っているかのようだ。
「主、札を」
「ありがとう、加州くん」
 加州が差し出した手伝い札を受け取りながら、審神者が御手杵を呼ぶと、
「おれは、さいごでいいから……先に、ふたりを、なおしてやって、くれ」
 極めた槍は資材と時間を食うことを意識したのだろう。そう言って御手杵は、新々刀の二振りへ視線を向けると表情を緩めた。
「隊長殿!?」
 驚いたように声を上げる水心子を安心させるように緩い笑顔を浮かべた御手杵の表情は、普段浮かべる陽だまりのような穏やかさとは正反対の苦さを含んでいた。
 部隊長としての責任か、部隊に損害を出してしまった後悔か、検非違使に後れを取った悔しさか、あらゆる感情をないまぜにしたような複雑な表情。『御手杵』と言う槍はこういう表情もできるのだと、長谷部は彼のその表情から視線が外せなくなる。
 いつも穏やかな槍の、刀剣男士としての矜持だろう。血と泥に汚れ、傷だらけの身体を引きずり、苦い表情を浮かべながらも倒れ込むことなく背筋を伸ばす槍を、美しいと思う。
「蛍くーん」
「はーい」
 その槍を一等可愛がり大切にしている審神者が、にっこりと満面の笑みを浮かべてかすり傷の手当てをされていた蛍丸を呼びながら手入れ部屋の襖を開ける。呼ばれた蛍丸は、とてとてと軽い足取りで御手杵に近づき、大太刀の名にふさわしい怪力で、傷だらけの長身を担ぎ上げた。
「うわっ!? ちょ、ほた……!」
「そぉーれ!」
 ぶおん、と屋内でありながら強く風を切る音と共に、本体の槍を抱えたままの御手杵の身体が手入れ部屋へ投げ込まれる。
「あいたぁ!」
 どこかにぶつけた鈍い音と悲鳴が聞こえたが、
「手入れ部屋は四部屋あって、手伝い札もたくさんあるんですから、あなたは遠慮しなくてよろしい!」
 と、室内に言い放った審神者は涼しい顔で襖を閉めた。ぴしゃりと乱暴な音を立てて閉まるそれに、彼の人の苛立ちが込められているようだった。
「あちゃー、今ので生存減っちゃった」
 部屋番号の下に表示された男士名と修復時間を見てそう言いつつ「ごめん!」と謝る蛍丸に、
「いいんですよ。世迷いごとを言うあの子が悪いんですから」
 おしおきです。と爽やかな笑顔を浮かべながら審神者は手伝い札に霊力を込める。札を持つ手がふわりと淡く発光し、札に吸収されていった。
 霊力を存分に込めた札を札掛けにかけると、困惑の表情を浮かべていた新々刀の二振りも手入れ部屋へ入らせて、同じように霊力を込めた札をかける。
 要救護者が落ち着いたところで、審神者がふうと息を吐く。疲れはないが、一度に三口分の霊力を消費したため一息ついたというところだろう。
 カチリ、と手伝い札により省略された時間が手入れの終了を知らせた。
……
 しばらくして、控えめに開かれた襖から、おずおずといった様子の槍が顔を出した。先程まで見せていた、第一部隊長としての表情はすっかりと鳴りを潜め、叱られる寸前の短刀のような不安げな表情を浮かべている。
「御手杵くん、おつかれさま」
……ああ……うん」
 にっこりと、それはそれは優しい笑みを浮かべた審神者が、手入れ部屋から顔だけを出して出てこようとしない御手杵の頭を撫でる。その笑みに気圧されたように、綺麗に修復された槍を両手で握りしめて、御手杵はしょんぼりとした様子で小さく呻いた。
 続いて手入れ部屋から出てきた新々刀の二振りが、部隊長のしおらしい様子に驚いたように目を丸くしている。
「ほーら。いつまでも部屋を占拠してないで。蛍くんたちの手入れもあるんですよ」
 呆れたように苦笑を浮かべた審神者が、御手杵の腕を引く。
「あるじさーん、俺はかすり傷だからいーよ」
 蛍丸が元気よくぴょんぴょんと飛び跳ねる。その様子に、骨喰も小さく頷いた。
「俺も平気だ。……たぬきは大丈夫か?」
「ああ……俺ァそれより腹が減った。つかたぬきって言うなよ」
「? 田貫はたぬきだろう?」
 骨喰と同田貫のやり取りに笑った審神者は、御手杵の腕を引いたまま、
「それじゃあ、あなたたちは今晩手入れ部屋で休んで下さいね」
 と妥協案を出した。手入れ時間が短く済む損傷の場合に、この本丸で行われている手入れ方法だ。
 夜に寝て、朝起きれば修復が終わっているというような短時間の場合に適応される。手伝い札の節約になり、就寝中は審神者の霊力に包まれて眠れるため、短刀や脇差が密かに好んでいる手入れ方法なのだと、以前博多藤四郎が言っていた。
 妥協案に同意した三振りに頷いた審神者は、集まった男士たちを労わると「それじゃあ食事にしましょうか」と笑った。途端に、ぐぅ、と大きな腹の音が空腹を主張し、審神者が目を丸くして己が掴んでいる腕の持ち主に視線を向けた。
「ちょっとぉ~御手杵ぇ~!」
「う、うえぇ……
 溜息をついた蛍丸の呆れたような声色と御手杵のうめき声に、笑いの沸点が低い獅子王が耐えきれずに破顔した。
「あっははは! 戦に出たら腹減るもんなあ!」
 けらけらと笑いながら駆け寄った獅子王が御手杵の肩をつつく。陽気な太刀の明るい声と気安い態度に、御手杵はふにゃりと眉を下げた。
……はー、締まんねぇなあ……
「キネ、慣れないことはするもんじゃない」
「うへぇ……
 骨喰の一言に完全に力の抜けきってしまった御手杵が情けない声をあげる。いつもの彼らしい緩さに、審神者がほっとしたように笑みを零した。
「丁度夕食時ですからねえ」 
 今日はからあげですよ、と御手杵の手を引きながら審神者が笑う。やったあ、と獅子王と蛍丸が同時に歓声をあげた。
「ああ、そうだ」
 わいわいと雑談を交わす男士たちを微笑まし気に見ていた審神者が、思い出したように呟いて、出陣していた第一部隊の男士の名を呼ぶ。少しの緊張を含ませて返事を返した彼らに、審神者は「遅くなりましたが」と優しい笑顔を向けた。
「みんな、おかえりなさい」

  ◯

 夕食後、湯浴みを済ませた長谷部はいつも通り就寝のあいさつをするため審神者の部屋を訪れた。
「それでは主、おやすみなさい」
「うん、おやすみ――あ、長谷部くん、ちょっと待って」
「はい?」
 柔らかな笑顔を浮かべた審神者は、あいさつを済ませた長谷部に近づき、その頭を撫ではじめた。刀を振るうことのない指が丁寧に髪を梳き、長谷部よりも狭い手のひらが湯上りの髪を撫でつける。その仕草はとても優しい。
「主?」
 普段はされないその行動に対して首を傾げた長谷部に、何も答えない審神者は優しくもあいまいな、それでいてどこか申し訳なさそうな笑顔を浮かべて「おやすみなさい」と長谷部を送り出した。
 部屋を辞した長谷部は、彼の人の行動に首を傾げながら御手杵を訪ねた。障子から温かな明かりを零す部屋に声をかけると「どうぞぉ」と少し眠たげな声。
「いらっしゃい」
 炬燵に潜り込んで本を読んでいた御手杵は、長谷部が戸を閉めると同時に栞を挟んだ。読みかけの本を文机に置く彼は意外にも読書家で、歴史書やら大衆小説やらが積み上げられている。
 手にしていたものは随分と分厚く、表紙は無骨なものだった。
「それは、兵法書か?」
「ん? ああ、うん。基礎を、見直そうかと思ってさあ」
 今日の俺、かっこ悪かっただろ。と何処かの太刀のようなことを言って苦笑した御手杵は、文机に置いた書の表紙をさらりと撫でる。
「あるじにも、叱られちまったからなあ」
 ぽつりとつぶやくその様子を見た長谷部は、不機嫌そうに眉を寄せた。
「主がお怒りになられたのは、そこではないだろう」
 審神者の怒りは出陣の結果ではなく、自身をないがしろにする御手杵の態度に向けられているのだ。それが分からぬ彼ではないだろうに。
「ん……うん。そうだな……そうなんだけど、さ」
 歯切れの悪い返答をした御手杵は、もごもごと誤魔化すように曖昧な笑みを見せた。その笑みに、ああと長谷部は合点がいく。
 それは長谷部も覚えがある、叱責を欲する表情だった。
 自身の失態に対して、叱責や罰を与えてほしい。それは失態を犯した者への救いでもあるのだが、優しく賢い審神者は無闇に罰を与えない。状況と過程を正しく吟味し、与えるべきものが労わりか叱責かを正しく判断する人だ。
「今回は事故のようなものだ。お前は納得いかないかもしれないが、主がそう判断されたのだから、弁えろ」
……ああ」
 しゅん、と眉を下げた御手杵の顔を見ながら、長谷部は先ほど会ったばかりの審神者を思い出した。
 いつも御手杵を近侍に固定している審神者は、重傷で帰還した身で近侍の仕事は辛かろうと彼を部屋へ帰したので、本日の近侍は加州清光だった。
 不寝番は今剣で、普段私室には立ち入らないこんのすけも座していた。
 ――近頃、順調に進みすぎて慢心していましたから。私も反省しないと。
 初期刀の加州と、初鍛刀の今剣と共に、初心に帰るのだと審神者は困ったように笑いながらこんのすけを撫でていた。隊員達の抱いた検非違使への違和感も、政府に報告書として提出するのだと。
 加州清光と今剣。
 審神者は長谷部を頼りにしてくれるが、大切な時にはこの二振りを最も頼る。それが、長谷部は少し羨ましかった。
 審神者が一等大切にしている御手杵には抱かない仄暗い想い――『嫉妬』というのだと、人の身を得てから知った。御手杵は、審神者の『最愛』であっても、初期刀でも、初鍛刀でもない。
 だから、加州清光と今剣は『特別』なのだ。
 初期刀にはなれないが、初鍛刀だったならば、と何度思ったことだろう。
「長谷部、考え事かぁ?」
 どこか眠たげな声の御手杵に長谷部ははっと我に返る。きょとんとした表情の御手杵が、不思議そうに首をかしげていた。
 悪い癖が出た、と長谷部はきまりが悪そうに視線を逸らした。ふとしたことで思考の海に沈んでしまうことが多々あるのだ。
 へし切長谷部という刀剣男士が皆そうなのか長谷部には分からないが、この本丸の長谷部はそうらしい。審神者の霊力によって顕現される刀剣男士は、少なからず審神者の影響を受けるという。長谷部のこの癖も、審神者の影響なのだろうか。
……ずいぶんと、本があるな」
 話題を変えるような器用さを持ち合わせていない長谷部が、積まれていた大衆小説らしき本に視線を向けると、御手杵は首を傾げた姿勢のまま柔らかく笑った。その柔らかさは、審神者の笑い方によく似ている。
「これ? 続き物なんだよ」
 妖や付喪神が出てくる物語なのだと話しながら、炬燵まで戻ってきた御手杵は、座布団を長谷部の隣へ寄せてから炬燵に入り込む。身体の大きな長物に合わせて造られている炬燵は、二口が並べるほどの幅があるのだ。とはいえ、槍と打刀が並ぶと、さすがに少し狭い。
 御手杵は、普段は一定の距離を保つくせに時折こうして距離を詰めてくる。
 無意識なのだろう。故にいつも唐突で、何の心構えもしていない長谷部には思考の隙が与えられない。
 だので、隣に座って嬉しそうに笑う槍を、愛いやつだ、と素直に思ってしまうのは仕方のないことなのだ。そんなことだから、御手杵の長谷部に対する無策の奇襲はいつも彼に軍配が上がる。
 そんなことはまるで知らない御手杵は、にこにこと無邪気に笑っていた。
「青江がな、面白いよって貸してくれたんだ。つっても、主が現世から持ってきた本なんだけどな」
 審神者は書物を愛する人で、絵本から専門書まで蔵書の全てを持ってこの本丸へやってきた。蔵書とはいっても趣味の範囲の冊数であり、内容も審神者の好みに偏っていたので、今でも男士たちの好みに合わせて定期的に書物を購入している。長谷部も近侍を勤めた折に蔵書一覧の整理や購入手続きを行った覚えがあった。
「絵巻の付喪神は退治される妖だったけど、数百年違うだけで人と共存する存在になってんだぜ。人間の思考って面白いよな」
「時代によって人の思考も変わるものだ。でなければ戦乱の後に太平の世が続くこともなかっただろう」
「そりゃそうだ。俺は出番がなかったし、蔵にしまわれたのは不満っちゃあ不満だったけど……無用でも鉄に戻されず大事にしてもらえたのは、やっぱり嬉しかったよ」
 柔らかな笑みを浮かべた唇から零れたそれは、家宝として人に願われて生まれた槍らしい、優しい言葉だった。
 どことなくしんみりとした空気に照れくさくなったのか、それとも自然と出たのか、御手杵が眠そうに欠伸をしながら机にうつ伏せたので、長谷部は「眠いのか?」と問いかけた。
「風呂上がりって眠くならねえ?」
 顔を長谷部へ向けて、眠気からかどこか水気を含んでぼんやりとした栗色がふにゃりと柔らかな弧を描く。動きに合わせて揺れる髪に思わず触れると、少し頭を傾ける仕草をするのが気まぐれな猫のようだ。
 指先の感覚はまだ鈍いが、乾いたばかりでしっとりとした、風呂上がりらしい手触りの髪を梳いてやると、くふくふと小さく笑う声。眠たいながらもご機嫌らしいその姿は、ますます猫のよう。
「最近は、上手く眠れているか」
「はは、お陰様で。ちゃんと寝てるよ」
 顕現した頃、上手く眠れずに苦労したことを思い出したのか、御手杵は少し苦い表情で笑った。中傷以上の傷を負った日は必ず変な夢を見るのだと寝ることさえ嫌がっていた時期もあり、穏やかで優しい槍の不眠を心配した短刀や脇差たちがよく共に寝ていた。(なお、御手杵の不眠を最も心配した審神者の同衾は、男士総出で阻止された。)
 修行に出る前まで不定期に続いた夢見の悪さは、修行を終えた後はすっかり鳴りを潜めたらしいが、短刀や脇差に甘やかされた結果独り寝が少し苦手になってしまった槍のために、小さな刀たちは今でも時折布団に潜り込んだり自分たちの部屋へ招いては健やかな睡眠を提供しているようだった。
 知己の博多藤四郎が言うには、穏やかで身体の大きな彼と寝るのは小さな刀たちにとっても心地いいらしく、同衾は不定期ながらも順番制らしい。
「でも、たまにはあんたと一緒に寝たいな」
 そう、屈託のない笑顔で言うものだから、長谷部は思わずその頬に手を伸ばした。
 親指で頬を撫でると、風呂上がりのしっとりとした肌は吸い付くように長谷部の手に馴染む。御手杵はおとなしくされるがままで、それどころか長谷部が撫でやすいように頭を少し傾けて、栗色の目を柔らかく細めた。
 その仕草は酷く婀娜やかで、細められた栗色がまるで誘っているかのようにも感じられる。
……
 身を乗り出すと、心得たように瞼が降ろされた。薄くも柔らかい唇は、長谷部よりもあたたかい。触れ合うだけのくちづけは心地よく、ついばむように何度か触れると、御手杵が呼吸だけで笑った。
 同じ人の形をしているのに、肌触りも、体温も、唇の柔らかさも、何もかも違う。くちづけどころかそれ以上だって、何度も何度も交わしているのに、毎回長谷部は思うのだ。人の身は不思議だ、と。
「はせべ」
 御手杵が、ゆるゆると長谷部の名を呼んだ。
「今のは、お前が悪い」
 少し気恥ずかしくなって悪態を吐くと、御手杵はにんまりと満足げに口角を上げる。悪戯が成功したときの鶴丸国永のような表情だった。
「へへ、グッときたか?」
「ああ……グッときた」
 問いかけられたそれに同じ言葉で返す。機嫌よく笑顔を浮かべていた御手杵は、「じゃあ」と少しだけ迷うような様子を見せてから、口を開いた。
「じゃあ、さ――そんな顔、するなよ」
 伸ばされた御手杵の大きな手に両頬を包まれて、長谷部はぽかんと眼の前の槍を凝視した。御手杵の、普段は上向きの整った眉が情けなく八の字に下げられている様は、どこか心細いような、不安を抱えているように見える。
……いや、違うな)
 不安なのではない。この表情は、御手杵は、多分――多分などとあいまいな言葉は使いたくないのだが――、心配、しているのだ。
……御手杵」
「うん」
 頬に添えられた手に、己の手を重ねる。普段は長谷部よりも低い体温の御手杵の手が、今はとても温かい。
「俺は、どんな顔をしている?」
 問いかけると、御手杵はくしゃりと悲し気に眉を寄せた。
「泣きそうな顔、してる」
 ――今日、おれが帰ってきてから、ずっと。
 そう言う御手杵のほうこそ、今にも泣きだしそうな表情を浮かべるものだから、なんだかおかしくなって長谷部は小さく笑った。
「はせべぇ、ごめんなぁ」
 御手杵はしょんぼりと悲し気な様子で、「泣くなよお」と長谷部の乾いている頬を撫でる。槍を振り回す分厚い指の皮が頬を往復する感触がくすぐったい。
……泣いていないぞ」
「うえぇ……そうなんだけどぉ……そうなんだけどさぁ……
 泣いてないけど、泣いてるだろ。と御手杵は眉を下げた情けない顔で長谷部の眼を覗き込む。この槍の言葉は、たまに謎かけのように抽象的すぎて、よくわからない。
 目尻の下がった眠たげな栗色が長谷部を映すが、自分の顔が御手杵の言うような表情を浮かべているのか、長谷部にはわからなかった。
「心配かけて、ごめんなあ」
 御手杵の悲しげな声で紡がれた言葉に、長谷部ははっと意識を向ける。
「ああ、そうか……
……はせべ?」
 思わずこぼれた呟きに、御手杵が小さく首を傾げる。
 御手杵の手や唇がいつもより温かく感じたのは、己の体温が下がっているからだ。
 体温が下がっているのは、長谷部の身体――この場合は精神 こころだろうか――が極度の緊張状態だからだ。
 親しい槍の折れる寸前の姿に、強い衝撃 ストレスを受けたからだ。
「おてぎね」
「うん?」
 吐息のような小さな呼びかけを、優しい槍はきちんと拾って頷いた。
「俺は、多分……恐ろしかったんだ」
 重ねていた手に力を込めて、しかし柔らかな栗色の眼を見ていられなくなり、長谷部は視線を逸らす。
「お前が折れてしまうのではと、不安で、心配で……怖かった」
 御手杵の表情に不安や心配を感じたのは、長谷部がそう感じていたからだ。
 らしくない、と内心で長谷部は思う。この槍が傷を負って帰還するなど、今までに何度もあったはずなのに。俺はこんなにも弱い心を持っていたのか。
 そもそも、心とは何だったろう?
「はせべ」
 長谷部の頬から温かな手が離れていく。思わず視線を上げると、眼前には広げられた両腕と、穏やかな笑顔があった。
「はせべ、おいで」
 情事に誘うような甘さはないその仕草や笑顔は、短刀たちを構う審神者や一期一振のそれに似ていた。
 小さな刀を愛でる人の子や、弟刀を愛しく思う太刀と同じ。人の言葉で『慈しみ』というらしいその感情を、御手杵は長谷部に向けているのだろうか。
 けれども、悪くない、と思う。
 甘さの含まれないそれは無邪気なものだが、長谷部には酷く魅力的な誘いだった。
 隣に座り距離はほぼないのだが、長谷部は誘われるがまま彼の広い懐に潜り込んだ。即座に長い腕が背後に回され、優しい手が慰めるように背を撫でる。
 長谷部よりも厚みはあるが、他の二槍に比べると薄い胸板に耳を当てると、とくとくと一定の間隔で刻まれる命の音が聞こえた。
 御手杵の、命の音だ。
「ああ……生きているな……
 生きている。俺たちは刀で、槍で、鉄の塊のはずなのに。赤い血の流れる身体があり、鼓動があり、体温がある。
 生きているのだ。
 背を撫でていた御手杵の片手が、そろりと長谷部の頭に添えられる。
……うん。ちゃんと、生きてるよ」
 ちゃんと、帰ってくるよ。
「ちゃんと、長谷部のとこに、帰ってくるから」
 長谷部を包む温かな身体は、大きな繭の様だ。優しく、穏やかで、心地の良い、蛹を護る柔らかな檻。
 ずっと抱きしめていてほしいような、それでいて激しく掻き抱き、全てを暴いてしまいたいような。相反する感情を持て余しながら、長谷部は長谷部は御手杵の背に手を回す。
 感覚のなかった指先は、いつの間にか温かくなっていた。

2021.04.04

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