河童の皿箱
2025-12-18 08:51:54
5371文字
Public 遊戯王:短め(2025年度)
 

真空管より

真空管から救出されたブルノがP.U.N.K.に預けられるだけ




 その男がここに越してきてから、それなりに時間が経過した。かの男は時折粗暴な振る舞いを見せるが、それまで自分が何をしていたのか、何者であったのかの記憶はすべて失い、戸惑いを見せることも多かった。経験の積み重ねと、毎日の日常の繰り返しに、なれてきたようではある。サイキックの力の制御も上手く、特段サイコキネシスが得意であるようだった。絵師はある長老から託された情報に、改めて目を通す。
 彼の名はブルノ。彼がかの真空管から解放された際に身に着けていた服飾品や、戦い慣れをしている様子を見るに、おそらく遠い昔に存在していた傭兵団、X-セイバーの物であるだろうと推測されている。だが、それが確かに存在していたと断言できるのは、長老曰く幼少期よりもさらに少し前。侵略者を退けるために同盟を結んだうちのひとつ、という認識でしかなく、それ以降、彼らX-セイバーは何をしていたのか、どこに行ったのかは誰も知らないのだという。彼らの面影を見たのも、死を衣として纏う者たちが魂を呼び寄せ、力のみを具現化させたその時だけ。その力すら、最後に戦い続けた剣聖たち――再編後にリーダーを務めたガトムズをはじめとする、XX-セイバーのもののみ。保護された男に関する手掛かりとなるものはなかった。
 しかし、長老は彼のうちにある超能力を見抜いていた。だからこそ、彼は似たような力を持つ長老らに保護され、教育され、そしてこちらに越してきた。長老の見立て通り、彼の力はこちらとの相性がすこぶるよく、能楽師たちとの連携も実にうまくこなしてくれる。レクリエーションを通したコミュニケーションは上手く行き、記憶喪失による不安はおおよそ払拭できた、ようには見えるが。
 「それでも、心配は心配だよな」。絵師が頭をかけば、襖がトントンと叩かれる。それからすうっと開いては、そこに居たのはとある里の長らから任された、御巫の少女。「おやつの時間ですよ」と、茶とまんじゅうを持ってきてくれた。「おぉ、フゥリ。ありがとな」と一口貰えば、ジンと熱く、けれどやけどするほどではない、ちょうどいい温度と、やわくほのかな甘味がふんわり広がって、肩の力が抜ける。
 「あの人のことですか?」。御巫は尋ねた。絵師は答える。「あぁ。ちょいと複雑な事情があってな。いや、複雑っつっても、あいつ自身がというか、あいつの世界がというか」。

 おそらく彼は、彼の居た世界で、彼を保護した長老が誕生する以前に死亡している。けれど、黄泉返りとも言える肉体の再構築が果たされたのは、やはり彼の居た世界の理が成すものだろう。死者の魂が木へと返り、輪廻転生を果たす神話的で、論理的で。嘘のようだけど確かにあった、神々の生命への権能。彼を保護した長老のかつての相棒も、苛烈な争いの中で命を落とし、その後に生命の木より持ち出された真空管の中から、同じように帰還を果たした。
 長老の相棒は、長老のことを覚えていたのだという。それはもしかしたら、長老たちの部族が揃っていたから、相棒の記憶を呼び覚ましたのかもしれないし、死からの期間が短かったから、というのもあり得るかもしれない。だがそれは、今ここで励んでいる彼が記憶をなくした原因の推測に過ぎず、少なくとも彼の仲間と思われる者たちは、そしてその記録は、散逸してしまっている。

 孤独なのだ、彼は。自分が何者なのかもわからないのに。

 「なるほど。でも、です。いっこ、思うことがあるんですよ」。御巫は笑い、絵師は首を傾げた。「複雑な事情があるのって、割とみんなそうじゃないですか? わたしだって、ねぇ」、なんて。御巫は意地悪く笑って見せた。「それもそうだな」と、絵師は肩をすくめて「でも」と付け加えようとして、やめる。「……いや、これも推測に過ぎないな」、と。「そこまで行って止めますか? 気になるんですけど」と困り顔で問われれば、絵師は頬をかいては目を泳がせた。「俺はな、あー再構築されあー……その、哲学的なことを気にしてるんだ。哲学的で重大で或いは無意味かもしれない曖昧なことをな」。そんな奇妙な言葉に、御巫は眉をしかめた。「全然わからないんですけど」、と。「あいつが悩まなけりゃいいって、そんだけだよ」と頭を撫でれば、「まあ、そういうことにしておいてあげます」と微笑んだ。

 「それはそれとして。今日のお稽古、もう少しで始まりますからね。遅れたら容赦しませんから」と、食べ終わった器を回収し、御巫はぴゅうと歩いて行った。そうか、もうそんな時間かと時計を見れば、その通りだった。絵師は数々の情報をしまい込み、立ち上がる。

 ただひとつ。あの男の素性を知る手掛かりが、こっちにはある。力の相性もあるが、長老がこっちに寄越したのは、それが一番だろう。それが口を割るかどうかは、わからないが。