階下から父と母が言い争う声が聞こえてくる。ここのところ毎日だ。しかもその原因は自分なのだから、ますます気が滅入る。何を言っているかまでは分からないことだけがせめてもの救いだろうか。「能無し」とか「無駄飯食らい」とか、自覚はあるが好き好んで聞きたくはない。
コツコツと窓を叩く音に顔を上げる。西日に目を細めつつ窓を開けると、花を咥えた二羽の烏が窓枠に止まった。
「今日も来たのか。律儀だな」
烏たちは毎日決まって夕暮れ時に、花や木の実を手土産にやって来る。助けた覚えは無いし、懐かれるようなことをしたわけでもない。けれど何故か好意のようなものが感じられて、嬉しかった。
「これは……デイジーかな。いつもありがとう」
袖を引く双子(勝手にそう思っているだけだ。実際のところは分からない)の頭を搔いてやる。本当に人懐っこい子たちだ。昔どこかで飼われていたのだろうか?烏は他国では不吉の象徴とするところもあるが、この国では死者と戦を統べる神の使いとされていて畏怖の対象だ。一般的に広く飼育されているわけではないが、怪我をすると教会などで手厚く保護されたりしているのでそこで人に慣れたと考えれば、まあおかしくはない。
「ほら、もう日が沈むぞ。そろそろお帰り」
袖を引く嘴をなんとか外して送り出す。空に溶け込むようにして飛んでいく黒い影が無性に羨ましくなってしまって、溜息を吐きながら見送る。
自室に軟禁されてから、また季節が変わろうとしていた。
「今日はディオンが友達を紹介してくれてね」
「そうか、その子とも仲良くなれるといいな」
「習った数式がすごく難しくて……」
「落ち着いて考えれば大丈夫。お前なら解けるさ」
今日はこんなことがあった、こんなことを習った云々。学校から帰ってきたジョシュアの話は退屈な軟禁生活における支えだった。とはいえ、あまり入り浸っていると母上が黙ってはいない。父上のいる時……父上と母上が平行線の話し合いを続けている間、ほんの少しだけとジョシュアと約束をして。それでも俺にとっては何よりも幸福な時間だった。
その時間が終わるとだいたい日が傾いてきて、烏たちがやってくる。その僅かな訪いも過ぎれば、あとはもう暗い室内で無理矢理目を閉じるだけだ。今日もそろそろ頃合いだろうかと窓に意識を向けながら待っていると、ガン、といつもと違う音がした。窓はどうやら無事のようだが、小石か何かをぶつけられたのか?割れたりしたらどうしてくれるのだろう。一言文句を言ってやらねば気が済まなくて、窓を開けて下を
見るとそこには見知らぬ青年が立っていた。年は同じ……いや、向こうが少し上ぐらいか。黒髪を無造作に跳ねさせているが、青年の雰囲気が不潔さを感じさせなかった。瞳は灰とも青ともつかぬ不思議な色で惹きつけられるほど美しいが機嫌が悪いのか、それが彼の瞳をより凶器じみたものにしていた。
「迎えをやったのに何故来ない」
表情通り、苛立ちが多分に含まれた声だった。初対面でこんなに睨まれる謂れはないし、青年の言う迎えにも心当たりがない。
「すまないが、人違いじゃないのか?俺はあんたを知らない」
「クライヴ・ロズフィールドだろう?私が間違えるものか」
名前どころか部屋の位置まで知られている。先程まで心に満ちていた怒りが急速に冷えて、恐怖が広がっていく。青年が得体の知れない、何か不気味なものに見えて肌が粟立つ。
「ッ、とにかく、あんたのことも迎えのことも知らない!帰ってくれ!」
相手が何か言う前にと慌てて窓を閉める。ベッドで子供のように毛布を被った。流石に中まで押し入っては来ないはずだ。軟禁されていることを、この時ばかりは感謝した。
*****
ガン。
ガン。
音がする。あの日からずっと。
青年は次の日もやって来た。窓を固く閉じ無視していると一日に一度だった訪いが朝と晩になり、四度になり、六度になり、今ではもうずっと、ずっとずっと、石を投げ続けられている。耳を塞いで音を遠ざけても無駄だった。あの灰青の視線をすぐ傍に感じる。
何故誰も何も言わないんだろう。敷地内にずっと居座っているのに使用人の人たちは気付かないのか?父上は、母上は、ジョシュアは?誰にも聞こえていないのか?こんなに……こんなにもずっと、
ずっと?
青年が来たのは何日前だった?父と母の怒声はいつから聞こえてこなくなった?ジョシュアとどれだけ会っていない?───俺は一体いつから、この部屋に閉じ込められている?
衝動的にドアを開けて、後悔するよりも前に素っ頓狂な声が出た。
明かりは付けられておらず真っ暗で、廊下には薄く埃が積もっている。振り返って見た自室も同じで、私物は全部空っぽ、ベッドには先程まで被っていた筈の毛布もない。そっくりな幽霊屋敷にでも来たかのようだ。
「ッ、ジョシュア」
悪い夢を見ているのかもしれないとジョシュアの部屋を開けるがそこも暗くて、空っぽで、誰もいない。
いつも両親が言い争っていた階下に降りてみても夢は覚めない。空のリビングは記憶にあるよりも古びている。引っ越してもう何年も放置されているような、そんな感じ。置いていかれた?そんなまさか。だって昨日まで、昨日っていつだ。もう何も分からない、頭が痛い。
自然と足が玄関へ向かう。あの青年のせいだ。それしか考えられなかった。
*****
「成程、これではフギンとムニンが音を上げるわけだ」
家を、家族を返せと喚く少年を見下ろす。事ここに至ってもまだ彼は理解していないらしい。稀にあることだが双子の手に負えないほど酷い事例は記憶にない。
泣いているような声だがその頬に涙の筋はない。当然だ。彼の内にはもう血も涙も存在していないのだから。ここまで時間が経っても人の形を保っているのは奇跡に近い。
「私の名に於いて、お前の苦しみを終わらせてやろう」
彼の両頬を手で包み込み、そっと囁く。
「お前は十年前に死んでいる」
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