タロ文庫の作品置き場
2025-12-09 10:03:21
35365文字
Public 作品
 

食事中は他事厳禁

2020-12-25--2021-01-03
吸血鬼ウィンと好奇心旺盛ティーム。
吸血鬼が人外では無く更に人間と共存する世界での、付き合ってない二人がくっつくまでの話。




 ティームは軽度の貧血を起こしていた。
 一口分とはいえ初めての吸血は緊張もあって採血よりも負担が大きかったようだ。
 ぼんやりする頭で覚えているのは、ウィンが部室の冷蔵庫からスポーツドリンクのパウチを取り出しティームの口に突っ込んだこと。リュックと車の鍵を勝手に持ち出してティームを寮まで連れて帰り、部屋のベッドに放っていったことだった。
 次の日、意を決して鏡でウィンに噛まれたところを確認すると皮膚は完全に塞がっており、うっすらと点が二つ見えるか見えないかの色でついていた。
 それから一ヶ月はウィンの行動を注意深く見ていたが、何も無かったかのように今まで通りティームに接して、指導は厳しくアドバイスは的確に、部活が終われば人の悪い綺麗な笑みで揶揄ってくる。いつものウィンだった。
 なんだよ。意識してる自分が馬鹿みたいだ。じゃあもうアレのことは献血みたいなもんだったと思おう。そうしよう。
 ティームが自分で出した結論にうんうんと頷いていると、まるでその時を狙っていたかのようにウィンがポンと肩を叩いて耳に口を寄せて来た。
「話がある。帰りに俺の部屋に寄っていけ」
 肩を叩いた指がもうすっかり跡形も無くなった傷口をなぞるようにティームの首筋をさすり、ティームは奥歯を噛んでウィンを睨みつけた。
 
 
 
「悪かったな」
 初めて入ったウィンの部屋は自分のところと同じ間取りのはずなのにとても落ち着いた雰囲気だった。小さなダイニングテーブルに向かい合って座ったウィンは開口一番に謝った。そしてティームの前に小冊子をポンと置いた。
 何をされ何を言われるかと身構えていたティームは、ポカンとしてウィンと冊子を交互に見る。
 冊子は保健省のマークが入っていて可愛らしいパステルカラーの丸文字で『はじめての吸血ガイド』と印刷されていた。
「人から血を吸ったのが初めてで加減が分からなかった。お前、貧血になってたろう。その後も部活でタイムが縮まってないし調子を崩したんじゃないか」
「あー
 確かに軽く貧血にはなった。だが次の日には普通に動けたし食事と水分をしっかり摂ったので問題はなかった。
 タイムの伸び悩みはウィンの態度にモヤついて最近よく眠れていない睡眠不足がたたったせいだが、自分だけ意識していることがバレたくなくて口をつぐむ。
 そもそもティームが自分で血の味を確かめろと言ったことが起因なので、吸血についてはティームはウィンを責める気はなかった。無かったことにしようとした事に腹が立ったのである。
「飲み物と同じ感覚で吸っちまった」
 ウィンはティームの前に置いた冊子に手を伸ばして中程のページを開ける。長い指がとんと指したところには『他人の血を吸う時は貧血にさせてはいけません』と太字で記されていた。
「『全血献血と同じく十分~十五分ほど時間をかけて吸血し相手への負担を軽減しましょう。少しでも気分が優れなくなった場合は速やかに中断しましょう』って」
「まぁ吸われる方にとっては献血や採血と一緒だよな」
「先輩はおれのこと飲み物だと思ったの?」
「そういうわけじゃないけど、結果飲み方としては間違ってた」
 だからごめん、とウィンは少し顎を引いて目を伏せている。ティームはそんなウィンの姿を見たのは初めてで、慌てて目の前で手を振った。
「や、もういいです。おれ大丈夫だったし。飲んでみろって言ったのおれだから」
 だからあれは合意で、お互い初めてのことだったから間違えることもある。気にしてない、と言い募ろうとしてティームははたと気づいた。
 この言い方、何かに似てる。
 他の話をしているような気がして口には出せずモゴモゴとしているとウィンが顔を上げてティームをじっと見つめた。ティームは手慰みに冊子をペラペラと捲る。
「俺はもともと血に興味がなかった」
 イラストも多く取り入れられている冊子の『吸血鬼にとって血はご飯? 普通の食べ物と何が違うの?』という見出しをちょうど見つけた時にウィンはポツリと口を開いた。
「吸血鬼って言っても他の人間と一緒の食べ物も食べるしそれだけでも栄養は摂れる。それでも成長期を超えると身体が栄養不足に陥るからと血を飲むように推奨されるんだ」
「そうなんだ。確かに先輩も普通に食堂で食べてますよね」
 ティームの友人のパームが水泳部の部長と付き合っていてその部長のディーンとウィンが親友なので、この四人はよくランチを共にしている。ウィンの食事はティームにとって何ら違和感のないものだった。
 ティームは生まれ育った北の小さな地方都市では吸血鬼に出会うことがなく、その生態についてあまり多くの知識を持っていなかった。そういう『人間』が居るとだけ思っていて、でもそれは他の多種多様性と同じだとティームはフラットに考えている。
 人口が少ない吸血鬼は出会うことはないと思っていたから、ティームはウィンの口から語られる吸血鬼の話にじわじわと興味が出てきた。
 じっと見つめる先のウィンの口の中はやっぱり他の人間と同じで、そして綺麗な歯並びをしている。
「おれ、吸血鬼って血を飲まないと生きていけないと思ってた」
「うーん昔はそうだったかもな。今ほど他の食べ物で栄養が摂れないなら血を飲むしかないわけだし」
「じゃあ逆に全く飲まなくても生きていけるってこと?」
 ティームが開いた冊子にはもう目をやらずウィンに対して黒目を輝かせ始めたので、ウィンは小さく鼻で笑って徐に立ち上がった。
 冷蔵庫からオレンジジュースの缶を取り出してグラスと一緒にティームの前に置く。ティームが小さくワイをしてプルタブを開けてグラスに注いでいるとウィンはキッチンの奥に入ってガサゴソと何かを手に戻ってきた。
 トンとテーブルに置かれたのは血液パックだった。ティームはその赤さにギョッとしてウィンを見上げる。
 ウィンは再びティームの対面に座り両手をテーブルの上に置いた。
「お前にわかりやすく説明すると、俺にとって血はお前にとっての米だ。普段食べている食べ物は、菓子パンやエネルギーバーみたいなもの。食料には違いないが、そればっかり食べてたら栄養が偏るだろう。でも米が嫌いな人間がいるように血にそんなに固執しない吸血鬼だっている。栄養補給にしぶしぶ口にする時がある、くらいだ」
「炭水化物が嫌いな人間がいるの?!」
 ティームにとって米は自分になくてはならない大事なエネルギー源だ。ポテトチップスも大好きだけどご飯も大好きである。
「だから先輩は身体が薄っぺらいんだよ。もっと血飲まなきゃ」
お前さり気なく失礼だぞ」
 例え話はティームにとってわかりやすかったのか、即座に反応が返ってきてウィンは文句を言う割に楽しそうに笑った。
「三日に一回くらいは飲んでるよ。あと試合や記録会の前とか。吸血鬼にとって血液は栄養補給であってドーピングじゃないからな。これは実家から定期的に送ってくるんだ」
「あぁ、おれんとこにレトルト食品やパックの米が送られてくるのと一緒ですね」
「そうなのか」
「一週間くらいでなくなっちゃうけど」
 どこの親も「ちゃんとご飯食べてる?」の宅急便を送ってくるのは変わらないんだな、とティームは笑った。
 てらいないその笑顔にウィンは一瞬目を瞬かせて、それから一緒にふわりと柔らかく笑う。
「お前ちょっと食い意地張りすぎなんだよ。俺のは家がずっと馴染みにしてる病院から買ってるんだけどな実家にいる時から飲んでるんだけど正直飽きた」
「血の味は血だもんね。それ、不味いの?」
「いや多分血液パックの中では品質が良いとは思う。けど所詮食用に精製されて保存が効くようにしてある血だから」
「??」
「あー米だってピンキリだろ。新米と備蓄米だって味が違うしブランドで味も違うだろ。輸血用の血とは別に吸血鬼の食用に政府がストックしてる人間の血や生理食塩水でメーカーが作ってる」
 世間的には〝献血〟と大きく括られているが、精製された血は医療輸血用と吸血鬼食料用に分けられていた。あまり明確に提示すると吸血鬼に血を渡したくないという輩が献血自体から足を遠のかせてしまう為に言っていないだけだと、ウィンは言った。
 ティームはへぇええと、今日だけで蓄えられていく吸血鬼についての知識に深く感銘を受けていた。話題が〝食〟なので飽きずに聞いていられるのかもしれない。
「さっきも言ったが俺はもともと血が好きじゃない。ガパオライスの方が美味いと思ってるから別に味なんてどうでもいいんだけどな」
 ウィンが血液パックの蓋の部分に人差し指を乗せてくるくると回す。ティームはその一見栄養補助食品のゼリーと同じように見えるパックを飲んでみたい好奇心にかられるが血液だということを思い出して首を振ってその考えを追い出した。ウィンが食べ物として扱うからティームもそうだと思えた。
 くるくると回っていた血液パックをぱたりと横に倒して、ウィンの指が離れる。それをじっと見ていたティームは次のウィンの言葉にハッと顔を上げた。
「それでもお前から直接吸った血は、格別だった」
 チリッと首筋がくすぐったくなった気がしてもう無いはずの噛み跡を指先で探る。
「さっき米で例えてたよな。この血液パックが備蓄米だとしたら、生きてる人間から直接吸う血ってのは、ジャスミンライスみたいなもんだ」
「ジャスミンライス」
 このひと月で癖のようになってしまった噛み跡探しをしながらティームは煮炊きしたばかりの艶々のご飯を思い浮かべていた。
 ウィンは指の背に顔を当てて頬杖を突きながら、首をさするティームを見ている。その目がゆっくりと瞬きをして、柔らかく細まった。
「お前はゴールデンフェニックスだったって言ってんだ」
「ちょっと先輩! 例えがおかしい!」
 ティームはジャスミンライスの中でも最高級品質のブランド名を出されて、混乱して顔が熱くなった。
 脳が何か勘違いしそうになっていて、思わず手元にあるオレンジジュースを直接缶から一気飲みする。ごくごくと飲みながら、程よい酸味と甘さが美味しくて、自分の血が美味しいと言われた事に対する衝撃がより倍増されてしまい冷静になるどころか逆効果だった。
 お前は美味しいと言われたようで照れてしまった。
 違う違う。食べ物の話をしていたんだ。ウィンにとっては生き血も食べ物で、それが血液パックと違って美味しかったと言ったんだ。
 ティームは気まずそうに唇についたオレンジジュースを手の甲で拭うとチラチラとウィンを伺った。ウィンはそれはそれは楽しそうに笑っていて、揶揄ったというよりは感心しているようだった。
「本当に血には興味なかったけど、あんなに美味いとクセになるな」
「ウ、ウィン先輩が通り魔や暴行事件の犯人にならないことを祈ってます」
「おぉい! なんで俺が犯罪者になるんだよ! 人からの吸血は合意が基本中の基本だ。その本にも最初に書いてある」
 やるからお前も読め、とウィンは身体を伸び上がらせてテーブル越しに冊子をティームの胸に押し付けた。確かに吸血鬼には興味があるからありがたく貰っておく。
 胸の冊子を両手で受け取ると、伸ばされっぱなしのウィンの手がふよりと動いてティームの首元に置かれた。長い指が四本、筋にひたりとあてられる。
「それに俺はお前以外から飲む気はないから。お前が嫌じゃなければ」
「へっ??」
「ティーム」
 指は確実に頸動脈にあてられていて、トクトクと脈打っているのがウィンに伝わる。ゆっくりと呼ばれた自分の名前の向こうに、思ったよりも真面目な顔をしたウィンがいた。
「またお前の血が飲みたい」
 
 
 
 今度こそ顔だけでなく首まで熱くなって、ティームは思わず首からウィンの手を払った。
 ドッと心臓が強く血を押し出して動悸が早くなる。
 ウィンは払われた手を引っ込めて曖昧な笑みを浮かべた。そのまままた椅子に座って小首を傾げてティームを見る。
 いま口説かれたのか? と勘違いしそうになる空気感にティームは眉を顰めて、バクバクする胸の前で持っている冊子を強く握った。
 さっきまで食べ物の話をしていたはずだ。いや、ウィンは今でも食事の話をしている。センシティブな部分を一介の後輩に晒して、ティームにも分かりやすくタイ米に置き換えて説明してくれた。
 ティームだって、栄養補給のための食事ではなく美味しいご飯を食べた時の方が幸せだ。ウィンはまたそれを食べたいと言ってるだけなのに、思わず手を払ってしまった。
 口元に笑みを浮かべてるだけのウィンが諦めたように見えて、切なくなる。
「時間をください」
 ティームはウィンをぐっと強く見て、手元の冊子を開いた。
「ティーム?」
「先輩が美味しいご飯が食べたい気持ちは分かるからちょっと気になるところだけ確認させて」
「時間が欲しいって、今かよ」
 ティームが目次を指差しながら目で辿っているとウィンが呆れたようなため息混じりの呟きを吐いた。
 何だよ、と横目で見ると先程とは変わってニヤけた顔で首を振りながら立ち上がった。
 血液パックを持っていき代わりに同じオレンジジュースとグラスを持って帰ってくる。ティームのグラスと自分のグラスに注ぎ、舌でチロチロ舐めるように飲み始めた。
 その舌先から目を逸らして、ティームは該当の項目を探す。
 あった。『吸血されると人はどうなるの? 吸血中の心構え』
 ページを捲って、分かりやすく図解されているイラストをティームは隅から隅まで読み込んだ。
 ティームの吸血鬼に関する知識は薄い。
 その中でも高校の時に友達同士の猥談で聞いたある下世話な話が、ウィンに噛まれてからずっと頭にチラついていた。思い出しもしなかったのに、吸血の実経験がティームを探求に駆り立てた。
 こうして〝次〟がきてしまったからには、吸われる側も知っておかなければならない。
『なぁティーム知ってるか? 吸血鬼に血を吸われる時って、ヤッてる時と同じ感じでイイらしいぞ』
 細かいことは忘れてしまったがそんな事を言ってた気がした。その後AVでそんな設定のがあると別の友達が言い出し見よう見ようみたいな話になって部活があったティームはその映像を見ることなく有耶無耶になっていた。あの時もっとちゃんと真偽を調べておけば良かった。
「確認したいことってなんだ?」
「うわっ」
 目元が熱くなるのを感じつつそれっぽいことが書かれてないか見ていると、ウィンが冊子の上に指をかけてティームが見ているページを上向きにしようとする。ティームは慌てて手元に死守して横向きに座り直る。
「こっちはいいから、先輩はちょっと寛いでて」
「いいけどそれって飲めるのはもう確定ってことで良いのか」
「確認中!」
「はいはい」
 冊子で顔半分を隠しながらティームはしっしっと手でウィンをベッドの方に追い払い、ウィンは肩をすくめてベッドの上で雑誌を捲り始めた。もうこっちには来なさそうなことを確認してから、またページを見てみる。
『まずはリラックスしましょう。背もたれのある椅子やベッドに寄り掛かり身体の力を抜きます。血管のどの部位からでも吸えますが牙が挿さりやすい箇所を選びましょう。吸う方も吸われる方も楽な体勢でのぞみます』
 イラストは献血の時のようにベッドに寄り掛かる人の側に座り手首の内側を噛んでいるものと、向かい合って座って首を噛んでいるものが例として載っていた。
『吸血鬼の唾液には、麻酔のように皮膚や血管を貫通する痛みを緩和する成分が含まれており、吸われる方は痛みはほぼありません。吸血中も牙を通して成分が浸透し抜き終わるまで効果が続きます。※男女ともに第二次性徴期に分泌が始まる為、小学五年生の身体測定にて唾液を採取し吸血鬼鑑定を行います』
 ここだ。
 ティームは補足説明にある検査をそういえば受けたな、あれは吸血鬼かどうかの検査だったのかと薄ぼんやり思い出しながらも該当箇所をじっくり見つめた。
 だがいくら読み返しても〝痛みを緩和する成分〟としか記載がなく、その下の成分表は経済学部のティームには一つも理解できない単語で表記されていた。きっと麻酔の成分と比較しているのかもしれない。
 確かに注射針を入れた時のチクリとした痛みよりも痛さに関しては少なかった。
 それじゃあ、〝同じ感じ〟というのはデマか。自分があの時感じていたのは極度の緊張からくる震えだったんだな。
 ティームはよしと呟くと大きく頷いて冊子をパタンと閉じた。
「ウィン先輩、お待たせ。確認終わったよ」
 吸われても変な風にならないなら問題はない。ティームにとっては献血を直接相手に提供するようなものだ。
「で?」
 ベッドに寝転がりバイク雑誌をめくっていたウィンが身体を起き上がらせて見上げてくる。その顔にコクリと頷いてやる。
「大丈夫そうだと思う」
「分かった」
 ウィンは少しほっとしたような顔をして胡座をかいている自分の前をポンポンと叩いた。
「え、ベッドでするの?」
「万が一なんかあった時にその方が良いだろう? 椅子に座って吸って具合悪くなったお前を運ぶの重そうだし。こっちならしんどくなったらそのまま横になれるから楽だ」
「そっか」
 お邪魔します、とティームはそろそろと遠慮がちにウィンのベッドに登って同じようにウィンの前に座った。同じ寮のベッドなのにウィンのベッドはシーツの手触りがとても良くて掌に触れたそれをさわさわと撫でてしまう。スラックスから出ているくるぶしに触れる部分も気持ちがいい。
 手や足で触り心地を楽しんでいると目の前でウィンがふっと噴き出した。
「リラックス出来たか?」
 笑ったまま向けられる目が柔らかく細まって、ドキリとする。ダメだ、まずはリラックスって書いてあった。ティームは深呼吸をするとウィンの目を真っ直ぐ見つめて口を開く。
「うん。もう吸っていいよ」
「気持ち悪くなったらすぐに言えよ」
 頷いたティームの制服のネクタイに指をかけて、ウィンはゆっくりと解いていった。
 
 
 
 座ったまま向かい合うウィンの足がティームの両脇を囲ってジリジリと近づいてきた。
 長めに吸うから血が垂れてもつかないようにと、制服の襟をいつもに増して広げられて片方の肩口を曝け出す。
「先輩、手首とかからでも吸えるって書いてあったけど」
 だからわざわざこんな身体を密着させる吸い方をしなくても。
「手首だと吸ってる間ずっと持ってなきゃいけないだろ。疲れそうなんだよな。それにこっちの方が口に近くていい」
 折角の助言を却下されて、ウィンの顔が首元に降りてきた。手の置き場所に困って腿のスラックスを何度も握ってしまう。
「いただきます」
 律儀にも呟かれた言葉が暖かい呼気と共に肌に滑り、ひたりと唇を付けられた。薄く開いたままくっついた口の間から舌先がティームの肌に触れる。
「うわ
 熱くてぬめる感触に肩が上がりそうになり呼吸をゆっくりすることで気を逸らした。ぬるぬると乾いた皮膚にウィンの唾液が塗り付けられて少しずつ範囲を広げられる。
 これは針を入れる前のアルコール消毒と一緒! そう、だから、おかしいことは何もない。
 ティームは必死に思い込んで、温かいウィンの咥内で動く舌の動きをやり過ごした。視界にウィンの金髪や肩や背中を入れないように壁のポスターの英単語を意味もなく眺め続ける。
 そう、だから、このジワジワとねぶられてるところから甘い痺れが背中や胸に広がっていってるのも、アルコールでスースーしますよと言われるのと同じ。冊子にも〝痛みを緩和する成分〟が分泌されると書かれていたじゃないか。
 たっぷり舐められて濡れた肌から一度ウィンの口が離れる。
 はぁと吐き出された息が熱い。余分な唾液を拭うように小さく吸いつかれ、そのチュッという小さな音にティームの息が上がった。
「ふっ、ぁ」
 ゆっくり呼吸してリラックスすることを心がけたからか、前回と違って心構えが出来ているからか、心臓は激しく動いてはいない。
 だがじわりじわりと首元から侵食していく甘い痺れに軽い疼き加わり、ティームの体温を上げていった。
 まだ吸われてないのに少しぼんやりするし肌はピリピリする。
 丁寧に前段階を進めていくウィンにティームは少し焦ったくなってきて、腿の上に置いた手をギュッと強く握りしめた。背中に当たる制服のシャツの掠める感覚すら気になって、小さく身じろぐ。
 ウィンの唇が濡れそぼった肌の上を撫で、また食まれる。その時前歯が当たり、人間の歯のまま軽く甘噛みされた。
「っ! せんぱいも、いい」
 うなじから尾骶骨までゾクゾクとした寒気が走り、ティームは咄嗟にウィンの背中に手を回してシャツに縋る。
 もう噛んで。
 口から出そうになった懇願をティームはすんでのところで言わずに済んだ。ウィンの吸血鬼の歯がつぷりと突き立てられたからだ。あと少しでも遅れていたら、声に出してしまったかもしれない。
 皮膚に潜り込む衝撃に耐えるようにシャツを掴んだ手に力を入れる。緩く着てるせいでずるりとズレてウィンの首元の肌を晒した。ティームは視界に入ったそこに顔を押し付けてウィンが入ってくる感覚に耐える。
 痛くないどころか、これを望んでいた。
 浅い息を繰り返すティームに口を離すことが出来ないウィンが宥めるように背をトントンと叩いてきた。しばらく身を任せると過敏にざわついていた感覚が少し落ち着いた気がする。乱れていた呼吸をまた意識的に深めに繰り返す。腰が抜けるような疼きは残っているものの頭の隅っこに思考が戻ってきた。
「先輩ごめん、ありがとう大丈夫そう」
 食い込んだ栓がわりの歯がほんの少し抜かれてゆっくり溢れ出る血をウィンの咥内に送り込む。口から出ないように舌で断続的に舐め取られて、たまにウィンの喉がこくりと鳴った。
 飲まれてる、んだよな。
 背中を叩いていた手はいつの間にかひたりと肩甲骨の間に押し当てられて、その熱をじんわりとティームに伝えている。ティームもウィンのシャツから手を離し、そのまま背中に軽く添えた。
「ウィン先輩は大丈夫? その美味い?」
「ん」
「そ、それなら良かった」
 自分で自分が美味しいか訊くのも変な感じがする。ウィンが微かに笑ったようで歯が皮膚に擦れて、ピリッと甘く痺れた。
 献血をイメージしているとはいえ血が抜かれている感覚は全くなくて、むしろ噛まれたところから温かいものが注がれている感じがする。前回や噛まれるまでのような急激な衝動はないものの、ティームの身体はとろとろと蕩けて温まってきた。温度が低めの設定で肌寒かったウィンの部屋のエアコンがちょうど良く感じる。
 普通血が抜かれると寒くなるはずなのに、吸血鬼の成分って凄い。あったかい。
 抱きしめてくるような体勢になってるウィンのぬくもりや良い匂いもあって、ティームはだんだんウィンに身を任せた。
 しばらくそのままコクリコクリと吸血と嚥下を繰り返していたウィンがティームの背をポンポンと叩く。
「え、何?」
 いつの間にか目まで瞑っていたらしくティームがうっすらと目を開けるのと同時にウィンの牙がずるりと抜かれた。
「ん、ぁ
 抜かれる感覚とすぐに舌で蓋をしてくる動きに小さく震えて、ティームはまたウィンのシャツをキュッと掴む。暫くするとウィンの舌がペロリとティームの肌を舐めて離れていった。久しぶりに空気に触れた肌がエアコンの冷気に冷やされる前にウィンの掌でぐいっと拭われた。
「十五分くらいかかったか? でも献血もこんなもんだよな」
「先輩、おしまい?」
「あぁ、美味かった」
 ご馳走さまと小さく笑ったウィンが目の前で唇をペロリと舐める。ティームはそれを目で追ってそのままウィンの唇から目が離せなくなった。
 おれの血、本当に飲んだんだ。
 初めてじゃないのに改めて思ったらまた胸がドキドキしてきた。
 これは失った血の分を身体に巡らせる為に心臓が頑張ってるんだ。
「ティーム? 具合悪いのか?」
 頭の片隅はそう考えているのに、自分の名前を心配そうに呼ぶ唇と隙間からのぞく少し赤く染まった舌先がティームをどんどん麻痺させてくる。
 吸血鬼の唾液には痛みを緩和させる成分がある。経皮吸収であんなに甘く蕩けるなら、キスをしたらどんな風になるのだろう。
「ティーム?」
 背中に置いていた手をそろりと持ち上げてウィンのうなじに両方の指先をあてる。
「先輩気持ち良かった」
 自分もウィンの真似をしてペロリと乾いた唇を舐めてみる。ウィンのアーモンド型の目が丸くなって同じように口もうっすらと開いた。
 ティームは指先に少し力を入れて、そのまま後ろ向きにベッドに倒れ込む。触り心地の良いシーツに包まれるように沈み、真上にいるウィンを見上げた。
「もっと」
 ウィンがじっと穴が開くほど見つめてくる。そのまま何も言わずにティームの顔にゆっくり濃く影を落とす。ウィンの首にかけている腕をウィンに合わせて折り曲げながらティームは目を閉じた。
 キスしたら、どんなに気持ち良いんだろう。
 ティームの唇にウィンの息がかかる。微かな鉄の匂いと、ウィンの匂い。その息を飲み込むように口を開く。
 だがウィンの唇はティームの顔から逸れて、喉に柔らかくあてられた。
 チュッと小さなリップ音がして、ティームはハッと我に返った。
 急激に理性が頭に戻ってくる。
 ウィンがしていたのは〝食事〟だ。
 喉と頤に小さく繰り返されるキスに、ティームはウィンの肩を思いっきり押してベッドから転がり降りた。
「やっぱ終わり!! これ以上は貧血になるから!!」
 ウィンが何か言おうとしたのを振り切ってティームは鞄と靴をひったくり、ウィンの部屋を飛び出した。
 急に動いたせいで頭がくらくらする。フラつく身体を叱咤してひとつ下の階の自分の部屋に転がりこむ。
 入るとすぐにあるベッドに仰向けに寝転んだ。
 ウィンに触れられた首が熱い。噛まれたところじゃなくて最後にキスをされたところだ。
 ティームはそこを手で押さえながら、大きくため息をついて天井を仰いだ。