タロ文庫の作品置き場
2025-12-09 10:03:21
35365文字
Public 作品
 

食事中は他事厳禁

2020-12-25--2021-01-03
吸血鬼ウィンと好奇心旺盛ティーム。
吸血鬼が人外では無く更に人間と共存する世界での、付き合ってない二人がくっつくまでの話。

 この世界には様々な機微情報がある。人種、民族、本籍地、信条や宗教に関することや性志向に身体の状態と多岐にわたるその中に『吸血鬼』という項目があった。人種の更に外の枠に、その項目はある。
 ティームの国では三十年ほど前に吸血鬼保護法が成立し、国民のIDカードへの記載が撤廃された。
 それまでは国が指定した病院で販売され世帯主しか購入を許されていなかった血液パックは、今ではサプリや加工食品の展開も多く薬局やコンビニ、スーパーでも販売され誰でも購入が可能となっている。人体からの吸血に関しては法律化はされていないが行き過ぎた行為は暴行や殺人の法が吸血鬼外と同様に適用される。
 勿論差別が全くなくなったわけではないのは他の機微情報と同じであり、世界機関は全ての人間が暮らしやすいよう日々邁進していた。『吸血鬼』という名称についても変えていこうという動きも出てきていた。
 そういう日常において、ティームは大学に入学して生まれて初めて『吸血鬼』に出会った。
 
 
 
 今日も今日とてギリギリ人の身体を保てるくらいの厳しさで水泳部の活動が終わり、一年生たちは鉛のように重くなった身体を引きずってシャワー室に向かった。
 ティームも腕が上がらなくなっていく中なんとか泳ぎ切った。最終コースで息継ぎをする為に顔を水面に出すはずが、ほとんど出せてなく塩素水をがぶがぶ飲んでしまって空きっ腹が水っ腹になったような気持ち悪さを抱えている。タオルを扉に引っ掛けてシャワーのコックをひねった。
 熱いお湯を頭から浴びると内側は火照っているが外側が冷えている身体からほっと力が抜ける。他の部員も同じらしく先程まで口を開くのも億劫だった面々は次第にお喋りが出来るくらいに復活し始めた。
 内容は主に厳しいメニューへの泣き言である。
「いやぁ今日もやばかった。オレ、泳いでる途中で何度も召されるかと思ったわ」
「見ろよ、指震えて水着が脱げねぇ」
「俺はもう水飲みすぎて飯いらねぇ今すぐ寝たい」
「わかる」
「わかるわー」
 誰に言うでもなく口々に思ったことをそのまま口に出している同期に、ティームも同じように口から思ったことをこぼした。
「おれは早く食べたい。塩素水でお腹いっぱいなんて勿体無い。ナムトックのラーメン食べたい」
 水着を脱いで備え付けのシャンプーで頭を洗いながら、ティームのその頭は豚の血やレバーの入ったこってり系のラーメンで占められていた。同期の何人かがあーと声を出して賛同して何人かはうへーと嫌がった。
「ティーム、こんな身体がしんどい中でよくそんな胃がもたれそうなもの食えるな。そんなだから血の気が多いんじゃね?」
「そうだよ。お前、今日もウィン先輩につっかかってたろ」
 右隣からの同期の声にティームは泡だらけの頭を濯ぎながら顔をそちらに向ける。睨む代わりにクリーム色の仕切り板をガツッと蹴った。
「つっかかってたわけじゃない。あの人が勝手に絡んでくるんだよ」
「担当トレーナーだろう。あんまり文句ばっか言ってるとメニュー増やされるぞ。血の気いれるんじゃなくて献血でも行って抜いてもらえよ」
言ってろ」
 〝献血〟という言葉が引っ掛かり、途端に首筋と背中がゾワリと粟立った気がしてティームは誤魔化すように身体も手早く洗い始めた。塩素を洗い流し、シャワーを止めてバスタオルを腰に巻く。
「とにかくおれはラーメンを食いに行く。お先!」
 ティームはブースの扉を開けて、ぶつぶつと思い思いに喋ってる同期に声をかけてシャワールームから出た。まだ水分を拭き切れてなかった足元に気を取られながら更衣室の方へ身体を向けると、目の前の壁にすらりとした人影が寄り掛かっていた。人がいるとは思わなかったティームはびくりと肩を上げる。
 人影は一つに結いている金髪の先端から滴っている水滴をタオルで押し拭きながら大きな口を開いた。
「ナムトックラーメンかぁ、いいな」
「ウ、ウィン先輩」
 ウィンはのろりと身体を壁から起こしてティームの横を通る。びくついた肩に大きな掌をひたりと置いて指先にゆっくり力を入れた。
「俺も食いたくなった。こないだプルック先輩に連れて行ってもらった店が当たりだったから連れてってやるよ」
「いや、おれは
「チャーハンも奢ってやるから、車まわしとけ」
 自分の持ち金だとラーメン大盛りが限度で、ウィンの提示してきた追加メニューと奢りという言葉は魅力的だった。ティームはぐっと顎を引いて押し黙るとウィンは承諾とみなしたのかニヤリと笑って、ティームの耳元に口を近づけた。
 掠れた声が低く囁いてくる。
「それとお前は確かに血の気が多いから、後で〝抜いた〟方がいいかも、な」
「っ、!」
 ティームが反射的に耳を押さえてウィンを睨むと、ウィンは面白そうに笑みを深めてシャワールームの方へ歩いて行った。
「お前ら後がつかえてるんだ! くっちゃべってないでさっさと出ろ!」
 副部長の怒声が背中に響いて、ティームはそそくさと自分のロッカーの前まで来ると湯上がりとは違う熱が上がった頬を拳で擦った。
 二ヶ月ほど前、同じロッカーに背中を押しつけられたことをティームは思い出した。
 
 
 
 水泳の特待生として入学したティームに対して、入部早々に担当トレーナーとして副部長のウィンが就いた。
 ウィンの指導はそれはそれは高校生の頃とは比べものにならないくらいの厳しさで、ティームは何度となくプールサイドや更衣室のベンチで伸びたかわからない。だがその指導は決して過剰なものではなく、勉学や不慣れな寮生活にギリギリ支障が出ない範囲でコントロールされており、悪魔だと思いつつも理不尽さにかられることはなかった。むしろ学校の先輩としては信頼がおける指導内容だったし、水泳選手としてはお手本のような綺麗な無駄のないフォームに背中の翼のタトゥーが水の中でとても綺麗に映えていて、ティームはウィンが泳ぎ始めると密かに見入ってしまうことも多かった。
 ティームはウィンをとても好いていた。部活の先輩として。
 それと共に入部してすぐにゴシップ好きの同期達の会話で、ウィンには吸血鬼だという噂があることを知っていた。あまりにセンシティブな話題にティームは眉を顰めて会話には参加しなかったが、その日更衣室で最後の二人になった時にかけられた言葉で思い出してしまった。
 なんとか制服に着替え終えたティームが寮まで帰るエネルギーを補充する為に大好きな黄色い袋にスナック菓子を貪り食べていると、 ウィンが呆れて声をかけてきた。
 こちらも既に黒い翼や腕の模様は制服に隠れていて、更衣室の施錠のための鍵を指で回しながらティームを待っている。
「お前そんなに食ってると血がポテトチップの味になるぞ。顔は芋みたいにまんまるくなるしって顔は今でもそうか」
 程よい塩気とじゃがいもの素材を生かした味に疲れが癒えていたティームは、最後の一枚を口に入れるとジトリとウィンを見た。
「うるさいな」
 それから少し咀嚼して、ティームは言葉を続けた。
「先輩さ、そういう事言ってるから吸血鬼なんじゃないかって言われるんだよ」
 ウィン自身も自分にそういう噂がある事を知っていて否定も肯定もせず飄々としているから、ついティームもそのまま口に出してしまった。
 いつも叩けば二倍返しで応酬してくるのにウィンは黙ってじっとティームを見ている。ティームはハッとして唇を指先で二、三度叩いて申し訳なさそうにその目を見返した。
 言うんじゃなかった。
 そう思って謝るタイミングを図っていたティームに、ウィンは綺麗に左右対称に口角を上げて小首を傾げた。
「そうだって言ったら?」
「え」
「お前の言う通り、俺は吸血鬼だよ」
 綺麗に笑ったまま墨色の目がティームを観察するように見つめてくる。
 ティームはあからさまに動揺してしまい、黒目を細かく揺らして手に持っていた空のスナック菓子の袋をくしゃくしゃに丸めた。
 その真っ直ぐな反応にウィンは堪え切れずぷっと噴き出して大きく口を開けて笑う。ちらりとのぞく歯は人間と変わりなく、ティームは揶揄われたのが分かって思いきり口をへの字に曲げた。強く握った袋をロッカーの中の赤いリュックに乱暴に突っ込む。
「痛っ!」
「どうした?」
「中に入れてたレポートの紙で指切った」
 リュックから手を抜くときに鋭い痛みが走り、中指の腹の付け根に皮が切れて出来た斜めの線が入っていた。見ていると少しずつ赤い線に変わっていく。紙で指を切ると地味に痛くて、ティームは少し苛立った。
「おっちょこちょいだな。ちゃんと絆創膏貼っとけよ」
 誰のせいで切ったと思ってんだ。
 ティームは患部を見せつけるようにウィンの目の前に手を突き出した。
「ウィン先輩、さっきおれの血がポテチだって言ったよね? 吸血鬼だったら確かめてみてよ」
 自分の好いている先輩が良いように暇潰しのネタにされていて勝手にちょっと嫌な気分になっていたところ、本人は揶揄いの材料にしてきたのがムカついた。
 突然血を舐めてみろなんて言われたら気持ち悪いだろう。少しは懲りろ。
 ティームはウィンの眉が歪んで嫌な顔をすることを期待していたのに、ウィンはすっと顔から全ての表情を落とした。
 なまじ顔がいいので迫力が出る。
 だがティームが戸惑って瞬きをすると見間違いだったかのように片方の眉と口端をくいっと上げてウィンがゆっくりとティームの手を掴んだ。
「言ったな」
 大きな口が開いて、低く囁かれる。
 その声は今までウィンから聞いたことがない甘さを含んでいて、ティームは反応が出来なかった。
 掴まれた手の中で、ウィンの親指がティームの中指の腹をぐっと押した。滲んでいた赤い線から、くぷりと小さな赤い玉が盛り上がる。
 ティームは痛みに眉を顰めながらもその様子を見てしまった。
 ウィンの目が細まり、開いた口からは尖った舌先が顔を覗かせた。
 顔が近づき、赤い玉がピンクの舌先に舐めとられる。
「あ、」
 そのままウィンの唇に掌を押し付けられた。まるでウィンの口元を覆うようにウィンの手を重ねられたティームの右手は、遅れてその衝撃を脳に伝達した。
 温かい濡れた感触にぴくんと腕が痙攣する。
「せんぱい」
 ウィンの咥内で傷口が舐められている。
 その事実にティームは完全にフリーズしてしまった。そして次の瞬間、水に浸かるように右手から全身に向かって甘い痺れが巡ってきた。
 なにこれ。
 甘い痺れが最後の到達したのが心臓で、バクバクと動悸が激しくなる。
 息苦しさを感じてティームがふっと息を吐くとウィンの目が上がりティームを捉えた。更衣室の白い蛍光灯の灯りに墨色の目が艶々と輝いていて目が逸らせない。
 最後にもう一度ペロリと指を舐められて、ウィンが手を離した。細かく震える腕を抱き込むように手元に引き寄せてティームはグッと奥歯を噛む。そうしないと身体を覆っている甘い何かに声が震えそうだった。
「ほんとに、舐めた
「少なすぎて分かんねぇ」
 濡れたところからじくじくと熱が腕に這い上がってくる気がして、ティームは傷口を見る。するとそこにはもう線すら無くなっていて、ただウィンの唾液で濡れているだけだった。
 嘘だろ。
「なぁ、もう少しくれよ」
 ウィンの声が近くて顔を上げると視界いっぱいにウィンの顔があった。思わず仰け反ると後頭部にガツンとロッカーが当たる。
「ウィン先輩」
 ティームの顔の横にウィンが手をつく。カタリとロッカーの硬い音が耳のすぐ近くに聞こえて、ティームはウィンとロッカーに挟まれて身動きが取れなくなった。もとより痺れが全身を這いピリピリとした感覚に足元から力が抜けそうで、立っているのがやっとだった。
 呼吸が荒くなる。あまり大きく息をするとウィンの顔にかかってしまいそうでティームは顔を逸らして避けた。
 そうしたことでおあつらえ向きにウィンの前に首筋を曝け出すことになり、ウィンはうっとりと楽しそうに笑う。
「やっぱり雰囲気出すには首だよな」
 ウィンの指がするりと耳の後ろから首筋を撫で下ろし、ティームの肌と制服の襟元の隙間に入り込む。
「ほんとに本当に吸血鬼なの?」
 普段他人に触れられる事がない素肌に指を這わされて、触れられたところからカッと熱くなった。ティームの身体はカタカタと震え続け、顔ももう戻す事が出来ず目だけでウィンの動きを追う。薄く笑う口元に先程までは確かに無かった人にしては鋭い犬歯がチラリと見えた。
 ティームは目を見開き、ウィンを呼ぼうと口を開くも声帯がうまく機能せずぱくぱくと動かすだけに終わった。
 吸血鬼だ。
 うっすらと口を開いたウィンがそのままティームの首元に顔を埋める。片方の手はシャツの中を滑りティームの素肌の肩を掴み、もう片方はティームの横のロッカーに囲いを作るように置かれている。いつのまにか足の間に膝を入れられていて、逃げる事はもう出来なかった。
 ペロリとウィンの熱くて厚い舌が首筋の薄い皮膚を舐める。唾液をたっぷり塗しているのか濡れた感触に身体の震えが加速した。
 そのまま舌先で頸動脈の位置を確かめるように何度も這わされ、ある一点で止まるとちゅっと唇で吸い付かれた。ぬるついた歯の切先がティームの肌に、とつっと充てられる。
「うそ待って」
 噛まれる、と頭の中がゾワリとして咄嗟にウィンのシャツを思い切り掴んだ。それが合図だったかのように、ウィンは牙をティームの肌に潜り込ませた。
 強い電流がティームの背骨をバチバチと走り抜ける。
「あぁ!!」
 噛まれている。ウィンに、噛まれている。
 傷つけられたところは歯が潜る一瞬だけ衝撃があり、その後は自分の中にとろりとろりと何かを注ぎ込まれている感覚がして浮遊感に襲われる。血を外に出しているのはティームのはずなのに。
「や、ぁせんぱい
 口から喘ぐように荒い息がひっきりなしに出る。上下するティームの動きに合わせて突き立てられた歯が微かに動いて、小さく濡れた音を立てた。
 ウィンが一度ぢゅっと強く吸うと、ティームの背は弓形にしなり逃げをうつ。口が離れそうになるのをウィンの長い腕が身体に巻き付き押さえつけてきた。
 歯を抜き厚い舌の腹で噛み跡を覆い、暫くすると舐めて離れた。
「んんっ」
 ティームの首元から顔を上げるウィンの口から鉄臭い匂いがして、ティームが視線を彷徨わせるとピンクの舌が口の端についた鮮血をペロリと舐めとっていた。
 本当に血を吸ったんだ。
 じわじわと涙腺が緩み、顔が火照り、口がはくはくと酸素を求める。
 ウィンの手や足もティームから離れて、ティームはそのままずるずるとロッカーを背にへたり込んでしまった。
「あれだけポテチ食ってるのに塩気はねぇのな」
 ウィンの声がいつもと同じ温度で話しかけてくる。動けないでいるティームに濃い影が落ちた。
 ウィンが上体をかがめて、ぼんやりとするティームの耳元にティームの血の匂いを含ませた呼気と一緒に囁いた。
「でもお前の血、悪くない」