ねぶくろ
2025-12-06 10:25:47
11537文字
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仕方のない人

浅沼さんと阿倍さんの話を書きました。FAです。
BLです。



 ホテルのエントランスを抜ける。阿倍あんばい陽太郎ようたろうは今なお不貞腐れた表情の浅沼あさぬま南桐みなひさを振り返ると、「日本には、まだ少し滞在するんですよね?」と言葉をかけた。こちらを一瞥した彼が、「詳しいことは言えない」と素っ気なく返答を拒否する。秘密主義の公安警察に属する浅沼は、いつも詳細なスケジュールを共有してくれない。当然のことなので、阿倍も深くは聞かずに「そうですか」と頷いた。
「またご飯に行きましょう。美味しいお店を紹介します」
 阿倍がそう言えば、浅沼は疑わしそうにこちらを睨んで駅へと一歩を踏み出した。
「じゃあね」
「はい。また」
 軽く手を振って別れ、阿倍は帰路に就いた。浅沼とは異なる路線の電車に揺られて、ジャンクション駅で乗り換える。途中でふと、浅沼の食の好みを聞こうとチャットアプリを立ち上げた。今日はありがとうございました、と文字を打ち込んで、いくつか誘おうと思っていた店を列挙する。和食とラーメン、健康志向の定食屋。今度はご飯に行きましょう、と言葉を結んで送信する。阿倍はスマートフォンをカバンに仕舞うと、揺れる車窓へ視線を放った。

 返信がないことが気になりだしたのは、連絡をして三日が経った夕方のことだった。
 浅沼は、仕事の関係で数日から数ヶ月ほどスマートフォンが触れないことも少なくはない。それこそ、彼が日本にいない間は連絡を取ることが不可能になるほどだ。しかし、普段阿倍が連絡をするのは彼が休暇で一時帰国している時に限るので、そこまで連絡に間が空いた経験はない。
 今回も休暇で帰ってきているはずだけどな、と不思議に思って彼とのチャット画面を開く。数日前に送った阿倍からのメッセージには、既読すらついていなかった。その事実に、目を瞬いて首を傾げる。彼は連絡を疎かにするような人物ではない。むしろ、筆まめな性質だ。これまで、阿倍の誘いに三日も既読がつかなかったことはない。何かあったのだろうか、と不審に思いつつもスマートフォンを閉じる。
 阿倍は、帰宅ラッシュで混みあっている電車内で、吊革につかまりながら思考を巡らせた。
 もしかしたら、通知に気付かないまま放置しているのかもしれない。帰ったらもう一度メッセージを送ってみようか。あるいは、休暇を機に遠出をしている可能性もある。もう少し様子を見た方がいいだろうか。
 催促するほどの用事ではない。もう少し待った方がいいだろう。折角の休暇中に催促をするのも申し訳ないし。
 そんなことを考え、──更に五日。そろそろ良いだろうかと送った追加のメッセージに対しても、浅沼からの既読はつかなかった。

     *     *     *

 警視庁刑事部の捜査一課は、『強行犯』と呼ばれる凶悪犯罪を担当する部署だ。相手にするのは、殺人や強盗、暴行、傷害、誘拐や立てこもりに、性犯罪、放火など。目にする現場は軒並み凄惨だ。阿倍をはじめとした捜査一課の面々は、職務に際して感情のスイッチを切ることができるように訓練されている。
 阿倍は、自身のデスクで書類を作成していた。同僚からは『ぼんやりして見える』と評判の真顔で、現場写真と実況見分の際に確認した事項をまとめていく。血の海になった写真を見ながら、正確に指を動かし続けた。一刻も早い解決を望む心情とは裏腹に、阿倍の表情にその激情は表れない。淡々と報告書をまとめ、判を貰ってファイルにまとめる。阿倍は、資料室から過去の類似した事件のファイルを持ってこようと席を立った。
 そう言えば、浅沼さんから連絡がないな。──意識が事件から離れたのは、ずっと目の前に突きつけられていた現場写真から解放されたからだろう。阿倍は警視庁内の廊下を歩きながら、音信不通の期間について計算していた。
 彼と最後に会ったのが、十一月の二十二日。今日が十二月の六日なので、ちょうど二週間。浅沼とのチャットは動かず、依然として既読すらもつかない。もしや、既に日本を発って戦線に復帰しているのだろうか。
 別れ際に、詳しいことは言えない、と言葉を濁した彼の言葉を思い返す。その声音や表情から、彼の底意を測るのは難しい。阿倍の立場で彼のスケジュールを知るすべはなく、出来るのは彼からの返事を待つことだけだ。一度催促した以上、さらに追加のメッセージを送るのは迷惑だろう。どうしようか、と頭を悩ませていれば、ふと廊下の先に見覚えのある顔を見つけた。
 黙っていると圧のある、二十代そこそこの青年。スーツ姿なので、刑事部の人員だろう。襟元にバッジをつけていないので、捜査一課の同僚ではない。どこで見たのだったか、と記憶を探って、彼が浅沼の部下だと思い至った。丁度浅沼のことを考えていたので、渡りに船と「あの、すみません」と声をかける。浅沼の部下は、立ち止まると「なんでしょう」と素っ気なく阿倍を見た。
「浅沼さんの部下の方、ですよね。……浅沼さんは、お元気ですか?」
 尋ねれば、青年は目を瞬いた。訝しむような眼差しに、公安部の人間は皆こういう顔をするな、と関係のないことを考える。秘密主義の部署であることも相まって、探られることへの抵抗感は他部署よりも大きいのだろう。扱っている事案の重大性を考えれば当然の意識だ。
 しかし、流石に初対面で上司の名を出せば訝しがられて当然だろう。名乗った方が良かったか、と阿倍が言葉を継ぎ足そうとしたところで、彼は「捜査一課の阿倍陽太郎刑事ですか」と口を開いた。今度はこちらが目を瞬いて、「はい。俺は阿倍陽太郎です」と首肯する。なぜかはわからないが、浅沼の部下に阿倍の名が知れているのは既知の事実だ。
 青年は阿倍の顔を見つめて、かすかに億劫がるような気配を漂わせた。何を隠すべきか、あるいは何を言うべきか考えるように、彼が黙り込む。阿倍はその表情を眺めて、少し考えてから口を開いた。
……。あの、部下の貴方がここにいるということは、上司である浅沼さんもまだ日本にいるはずですよね。先日から連絡がつかなくなって心配しているんですが、何か知っていることはありませんか?」
 問いかけに、青年は逡巡を振り切ったように頭を振った。
「当人が連絡をしていないことについて、第三者である俺が口外することは出来ません」
 その言葉に、阿倍は「そうですか」と物分かり良いふりをして頷いた。──引き下がった風に見せて、隙を衝く。
「口外できない、ということは口止めされているんですね。……何があったんですか?」
 踏み込めば、彼は視線を尖らせた。捜査一課に見透かされたことでプライドが刺激されたのだろう。向こう気の強さも、公安部の面々に共通の資質だ。それから、彼が浅く息を吐いてかすかに笑う。彼は皮肉っぽい笑みをこちらに向けて、煽るように小首を傾げて見せた。
「捜査一課の本分は足で稼いで証拠を固めることでは? 推測で思考を進めるのは冤罪の素ですよ」
 俺から言えることはありません、と彼が立ち去る。阿倍はその背中を見送って、こぶしを硬く握りしめた。

     *     *     *

 病室のドアが開いたので、視線を遣った。入り口に佇んだ阿倍陽太郎の姿を認めて、「思ったより早かったな」と悪びれもせずに思考する。連絡が取れないことを不審に思うまでに二週間。情報を掴むまでに一週間といったところか。正味一週間でここにたどり着いたのは、及第点だ。やっぱり、能力的には自部署に欲しい。──そんなことを考えながら、彼を見遣る。
 病床に伏せた浅沼の姿を確認すると、阿倍は感情を堪えるように唇を硬く結んで、こちらに近づいて来た。言いたいことが山ほどあるといった顔だが、浅沼は無表情で彼を眺めるにとどめた。相手の出方がわからない状態でカードを切る気はない。
 浅沼が運び込まれたこの病院では、入院患者への面会は一度につき一時間までと定められている。面会可能時間は午後三時から午後七時まで。六時半を少し過ぎた今の時間では、面会終了までの猶予は三十分もない。入院先を突き止め、職務を終わらせて定時に退社したその足で来たのだと考えれば妥当な時刻だ。それを織り込んで部下に緘口令を敷いたと知ったら、阿倍は怒るだろうか。
 浅沼の考えていることを推測する余裕もないのだろう、阿倍はベッドの脇にあった椅子を引き寄せると「浅沼さん、」と堪えかねたように口を開いた。そこから先は言葉がまとまらないのか、声が続かない。浅沼は常と変わらぬ穏やかな声で「ひさしぶり」と応じた。
「悪いけど、今の俺じゃ陽ちゃんの相手はつとまらないよ」
 茶化すように笑えば、彼がぎゅっと眉間にしわを寄せた。
……怪我人に無体を強いる趣味はありません」
 彼は気持ちを整えるためにか、一つ息を吐き出すと浅沼を見た。
 包帯で視界が半分隠され、腕と言わず脚と言わず胴体と言わず、まだ完治していない傷だらけの体。内臓にも損傷があるとかで、栄養を補助するためにつけさせられた点滴のスタンド。起き上がることさえ不自由な身で彼を見返していれば、阿倍は「……容体は、」と絞り出すように問いかけた。
「経過は順調。重篤な後遺症もない。回復が遅いのは年だな」
 端的に応じれば、彼は「そうですか」と目を伏せた。
……無事で、よかった。一時は生死を彷徨ったと聞きました」
 どうして連絡してくれなかったんですか、と非難するような声音に、問い返すような目を向ける。浅沼は阿倍から目を逸らさずに、口角を持ち上げて薄く笑った。
「連絡する必要はないでしょ。したってどうせ話すくらいしかできないんだから」
 その受け答えに、流石に何かを察したのだろう。彼が戸惑ったような顔をしてこちらを見つめた。表情が薄く、感情の乏しい表情。眠たげに見える目元の奥に、狼狽と困惑を読み取って、内心で安堵する。──良かった、どうやらまだバレてはいない。
 こちらの思考など知る由もなく、阿倍は浅沼の底意を探るようにこちらをじっと見ながら、言葉を返した。
「なんで今日はそんなに冷たいんですか? 俺は浅沼さんと話したくて来ました」
「そう。でも俺には話したいことなんてないよ」
 にべもなく言い放って、彼に微笑みかける。浅沼は有無を言わさぬ調子で言葉を重ねた。
「疲れてるんだ。もう帰ってくれない?」