雨の花

【邪神の弁当屋さん】お弁当の日で謹慎処分中実りと死の神のところに噛みつきリンゴちゃんが遊びに行く話。


祖父とのふたり暮らしは決して楽ではなかったが、笑いの絶えない穏やかな日々を過ごしていた。祖父は善い行いを褒め、してはいけない行いを叱り諭す大人であった。
冬を越すごとに体の自由が利かなくなってきた祖父に代わって料理当番を買って出れば、顔のシワを一層深くして褒めてくれるのが嬉しかった。
隣に立つ祖父に習い危なっかしく持っていたナイフの扱いが上がるにつれ、不格好に剥いていたじゃがいもの皮むきが上手くなり、へんてこだった料理の味付けや見た目が自分でも上達していくのが楽しくて嬉しかった。
美味しい美味しい、と料理を口に運ぶ祖父の姿にはにかみ得意げに胸を張った。
その日も食べ終わった皿をピカピカに洗い終え、いつもと変わらない柔い日光がそそぐ窓辺に置かれたロッキングチェアに座っていた祖父に駆け寄り顔を覗き込む。

屈託のない呼び掛けに祖父は何も応えなかった。

たったひとりの家族の葬儀は事務的に行われ、引き取る親族のいない子供は同じく身寄りのない子供たちを引き取っている協会に預けられたが、上手く馴染めなくて逃げ出した。
とうに帰る家を失い路地裏で彷徨っているのを大人に見つかり今度は孤児院に連れていかれた。名前を馬鹿にした子供と大げんかの末、また飛び出すように孤児院から出ていった。
居場所のない子供が行着く先など多寡だか知れており、路地裏の一角でくり広げられる無意味な鬼ごっこに子供は腹の虫をおさえ逃げ回る。
捕まれば腫れ物を扱うように穏やかに語りかけ、とって付けたような物腰の柔らかい顔をする大人が嫌だった。
同情されることはつまり可哀そうに思われていること。物乞いするほど惨めで落ちぶれていない、ひもじくなれば盗みを働き鳴きっぱなしの腹に足しにもならない物を入れた。
自分ひとりの力で生きていける。大人の力なんか必要ない。大好きな祖父が付けてくれた名前を女の子みたいと馬鹿にする人たちがいる場所に行きたくない。放っておいて。
そう駄々を捏ね悪態を吐き噛みついた。大抵の大人はそれで怯み、その怯んだ隙に逃げるのが常套手段だった。



――してはいけない行いをしていると分かっていた
――だが、自分では止められないところにまで来てしまっていたのも知っていた

――心の片隅で誰か自分を止め叱り諭してくれる大人が現れるのをサティはずっと無意識に待っていた



普段と何ら変わらない日になるはずだったある日、息するのを忘れ目が離せない離すことなど到底不可能な威圧感が幼い子供を貫いた。
真冬の寒さを彷彿させる荒々しくも静かな眼光。淡々と現実を突き付け語る畏怖に言葉を声を失い、碌に目を合わせない所か自分が噛みついた大人が気遣いで被せてくれた上着に身を包まるだけで何もできなかった。
その後、何度も脱走した孤児院に連行され心配げな大人たちが話しかける言葉を右から左に聞き流す。

「(言われた言葉が頭の中から離れない……)」

良くも悪くも数多いる身寄りのない子供のひとりではなく、ただのひとりとして面と向かい諭すおっかない弁当屋に亡き祖父の面影を重ねた。
長く使い込まれている上等な革の上着をぎゅっと掴み、もう一度彼女に言われた言葉と背筋がゾクっとするほど恐ろしいのに頼りたい気持ちが浮かぶ顔を思い出す。
指先が悴むくらい冷たい雪解け水みたいな声が何度も何度も同じフレーズをくり返すたび、心の底に溜まっていた澱が流されていくような気がした。

「(生きる、理由……)」

明確な目標もなく半ば自暴自棄に暮らしていたサティは、薄らぼんやりとだが自分の力だけで稼いだ金であの弁当屋から弁当を買うことを当面の目標に鈍色の日々に別れを告げた。