山城まつり
2025-11-22 20:28:09
23964文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.006

前回:Ep.005 https://privatter.me/page/690de3ced41ed

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

お久しぶりのシャルラッハロート更新!!第三章「黒鉄のパラダイム- Obsidian Paradigm -」の後編を公開します~~!!
いよいよ物語も終盤!次回更新で謎を解き明かしますので、最後の推理パートとなります。
そして今回、山城といえば……の手術シーンを盛り込みました!分かりやすく書けてるかはわからないのですが……。改稿の余地、あり……!
ちなみに参考文献は最後に記載してあります。気になる方はどうぞ。

応援(リアクション)などくださると……とっても、励みになります……!
クライマックスの第四章「紅蓮の創世」はちょっと、執筆に苦戦しているので更新が空くかもしれません。何卒ご容赦を……。

それでは、どうぞ!

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


6節:黒鉄のパラダイム




神楽岡の客室に彼を運び込んだ頃、空はようやく、長く振り続けた雨を止めかけていた。灰の雲はやや薄くなり、微弱に空の緋色を透かしている。夕方の宮島はまだ泣き崩れながらも、どこか希望を見出そうとしていた。
否、それは希望か──それとも、誰かの思惑か。

天井のスピーカーが低く唸り、音質の悪い島内放送を紡ぎ出す。
──『宮島、弥山ロープウェイは、本日十八時に特別運航いたします。次の便は、天候次第で明日の午前九時二十分から、通常運行いたします』──

翠はスマートフォンを取り出し、画面を明転させた。現在時刻、十七時五十分。──あと十分でロープウェイが出る。神楽岡を搬送する、唯一の望み。彼の状態からすれば、ぎりぎりの時刻だった。
胸の奥に一筋の安堵が灯る。ほうとひとつ、息を吐きながらスマホをポケットへと押し込んだ。

部屋の中は、どこか場違いに明るい。LEDの光が濡れた床を淡々と照らし、空調が止まったままの空気は翠達を嘲るように酷く冷えている。
整えられた隣の怜のスペースと対照的に、少しごちゃごちゃとしたベッドサイド。テーブルには空のペットボトル、メモ、散らばった書類。ゴミ箱の底には紙コップが一つ、転がっている。
──それを見た瞬間、翠の心に静かな違和感が走った。

……何かが、ある。俺達が巻き込まれている事件の鍵が、どこかに)

アナフィラキシー。原因物質の摂取。
もし神楽岡が倒れたのがそれによるものだとすれば、摂取経路は限られている。
昼の食事か? いや、だとすれば発症まで時間が経ちすぎている。ならば──。
……倒れる前に彼が口にしたのは──この紙コップの水だけだ。

翠は喉を鳴らした。冷たい感覚が背筋を走る。
寝かせた神楽岡の布団を引き上げたばかりの伊織に目線を向け、乾いた唇を開いた。声は自分が思うより、硬さと鋭さを孕んでいた。

……伊織、検査の魔術って使えたっけ。〈構術〉でもいいんだけど」
「え? うん……一応あるよ。何の検査?」
「この紙コップ、検査してほしいんだ。──毒物とか、アレルゲンとか、何か……入ってねぇかなって」
……つまり、広義の〝異常成分〟を見つけたいんだね」

伊織が真剣な面持ちで頷き、隣に居た少女へと視線を投げる。

「サナ、いけるかな。あまり使わない魔術だけど……鑑毒かんどく〉で」
「勿論です。ただ……

少女──サナは唇を噛み締め、視線を伏せた。右目に刻まれた電子回路の紋様が、僅かに薄れている。

「〈鑑毒〉は医科魔術の中でも、〈構術〉と同じで──〝生きていないもの〟に対し、広い範囲の〝毒〟を種類までおおまかに特定するとても難しい魔術です……。識別率は六割程度の成功率ですし、さっきの手術で、魔法因子を殆ど使い果たしてしまいました。これが、最後かもしれません」
「サナ……

伊織が迷うように視線を彷徨わせた。けれど翠は短く息を吸い、そして力強く頷く。

「いい。多分──これが、決定打になる」

その言葉に、サナは一瞬不安げに瞳を揺らし……それでも、決意の色をそこに浮かべた。もう、迷いは見受けられなかった。

「分かりました。何か、お力になれるのなら」

伊織の手が、再び空間に紋様を描き出す。淡い光が集まり、空間が揺らめき始める。
発動するための魔術式──彼等が作り出した独自のコードがひとつ唱えられ、光がコップを浮き上がらせる。
紙コップの残った僅かな水が、音もなく吸い上げられた。細い紐となったそれは空中で蛇のようにうねり、やがて陣を成す。
白い光が閃く。陣の中心から光の糸が紡がれ、検査結果を浮かび上がらせた。

──トロポミオシン。その文字列を、光は織りなした。
そしてもうふたつ。……〝鎮痛剤〟と、〝精神薬〟。

翠はその結果に、はっと息を呑んだ。

「トロポミオシン……これ、小麦と交差反応するよな。甲殻類のアレルゲンで──そうだ、ダニとも!」

小麦、甲殻類、ダニ。それらのアレルギーの原因が、ひとつに収束していく。交差反応。それは、あるアレルゲンと構造が似た別の物質に、身体や検査結果が間違って反応してしまう事を指す。怜が腕を組み、低く唸った。

……成る程な。患者達の反応……小麦、甲殻類、ダニ。全て、トロポミオシンの反応だったのかもしれない。だが、何故急に甲殻類アレルギーが発症するのか」
「小麦と甲殻類をわざわざ選ぶのに理由があんのか……? な~んか、どっかで聞いた事あるような……どこだっけな。小麦、小麦……甲殻類……んん……
「小麦、甲殻類……あっ」

伊織が小さく喉を鳴らす。

「──食物依存症運動誘発アナフィラキシー……?」

翠は彼の言葉に、目を見開いた。

「それだ!」

脳裏で記憶が連鎖する。
天城は雨の中を走ってロッジに駆け込んだ。
幸田は刺殺の瞬間、身体を激しく動かした。
そして神楽岡は、風呂に入っていた──。

食物依存症運動誘発アナフィラキシー。特定の食べものを食べた後に運動をする事で発症するアナフィラキシー。原因となる食べ物を食べただけでは症状が出ず、時に重症化するそれは、今までアレルギー既往歴が無くとも発症する疾患だ!

……全員、発作直前に身体を動かしてる……!」

怜が頷いた。

「食物依存症運動誘発アナフィラキシー、確かに有り得る。だが、意図的にそれを狙っていたとするなら──リスクが、あまりに大きすぎる。偶発的な反応を、誰がどうやって操作できる?」
「それは──」

答えようとして、けれどいい考えが浮かばなくて唇を結ぶ。答えのない沈黙。見えない犯人の像。
──その時、重い空気を破るように、扉がノックもなく開いた。

「──探偵ごっこかい、諸君」

甘いテノールの声。低く、ややしわがれており、けれど活力に満ちた音。
そこに佇んでいたのは、金髪に亜麻色の瞳を持つスーツの男……フェリックスだった。

……なんで此処に」

そう睨みつけると、彼は穏やかな笑みを浮かべる。誰もが安心するような、そんなあたたかい、人間らしい笑み。

「たまたま通りかかっただけさ。偶発性のアナフィラキシーをどう誘発するか、興味深い議論だったものでね」
……何か知ってるのか」

フェリックスはその言葉に軽く首を傾げ、「そうだねぇ」とひとつ間を置く。そして、骨ばった手、その指先でふと宙を撫でた。

「運動誘発アナフィラキシーは、薬物によっても誘発される。君達医者なら知っているだろう?」
「ああ。例えばアルコールとか、NSAIDsが関与して──ちょっと待て」

翠の脳裏に、瞬時に閃光が走る。
そうだ。そうだった。忘れていた──!

「早乙女さんが天城さんに渡した酔い止めにも……ッ!!」

ならば、まさか。他の犠牲者にも……
思考が爆ぜる。翠はスニーカーをきゅ、と鳴らし、駆け出した。

「ヒスイ先生ッ!?」

伊織の声が、背に投げられる。それに応える余裕を失ったまま、廊下を走った。

冷たい風。湿気を帯びた床の反射光。
東廊下を抜け、ラウンジを通り過ぎ、西廊下へ──「218」。幸田の部屋のプレートだった。

翠はドアを押し開けた。天城の部屋と同様に、冷房が強すぎる室内。凍てついた空気の中、一目散にベッドルームへ足を運ぶと、ゴミ箱を手繰り寄せて漁り、まさぐった。
レシート。──違う。
ペットボトル。──違う。
そして、紙くずの底から──医薬品のパッケージ。

……あ、った」

机の上から、〝重要資料〟と付箋の張られた小瓶も手に取る。翠が手にしたのは、三つの手がかり。
SYNAPSE REMODELERシナプス・リモデラー〉と印字された、空のアンプル。
ゴミ箱から出てきた、NSAIDsの酔い止め。そして、さらに……

「──モルヒネ。オピオイド系鎮痛剤だね」

背後から、甘い声。
フェリックスが立っていた。
こつ、こつ、と複数の足音が歩み寄る。

「オピオイド系鎮痛剤。確かヒスタミンを直接遊離させて、身体をショック状態に傾ける作用がある、よね」

伊織が震える声で呟く。隣でサナが、怯えたような視線をゴミの群れに向けていた。──幸田が犯人を信じていたという狂気。自分が死ぬと知っていながら、それを摂取したのだという狂気。
メディがそれを横目に、幸田のバッグへと視線を投げている。翠は頷いた。

「これで見えてきた。犯人がどうやって、偶発性のアナフィラキシーを〝確実に〟起こしたのか」
……分かんないよぉ、おにーさん。……簡単に言ってぇ」

無言のままかばんに触れていたメディが、そう言いながら隣に歩み寄り、使い果たされたパッケージとアンプルを見つめる。翠は「だからさ」と一言言って、空気を肺に取り込んだ。

「つまり、俺が考えるにトリックはこう。一度アレルゲンを摂取させ、NSAIDsとモルヒネでショックを誘発しやすい〝下地〟を作る。そこで再度アレルゲンを与えてやる──そしたら発作は確実に起こる。オピオイド系鎮痛剤は運動誘発アナフィラキシーを起こりやすくするからな」
……うにゃ……。一回、どこかでアレルゲンを摂取して、もう一回どこかでアレルゲンを摂取したってことぉ……?」
「そ。……宮島では毎年十一月八日にアナフィラキシーで人が死んでるらしい。同一犯だとするなら……このロッジに来る前に、どこかで何かを仕組まれてた可能性が高い。んで、神楽岡さんの紙コップからトロポミオシンが検出されたって事は……
「ロッジ内のウォーターサーバーに、それらが混ぜられていたという事」
「ああ」

怜の言葉に、低く肯定して頷く。そして、はぁと長い息を吐き出した。

「けど、誰がんな事やったんだよ。しかも、アレルゲンだけじゃなくシナプス・リモデラーも絡んでるし。コレが使われてる以上、俺達の誰か、或いは幸田さんがやったって可能性が高いけど」

そこでフェリックスが笑い、指を振る。

「違う視点から見たまえ。そう、犯人の視点から、とか」
……どういう意味だよ」
「翠くん。ある名探偵がこう言った。『君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大違いなのだ』と。状況を多角的に見たまえ。あらゆる因子を見逃すな。魔法も現実も概念だ。それは時に、新しい視点を教えてくれるものなのだよ」

その声は、奇妙なほど澄んでいた。返す言葉を探していると──背後から、怜の低い声が響く。その声には確かに、疑問と、疑心の色が含まれている。

……櫻田、綾瀬。……お前達は先程から、一体誰と話している?」

翠の口から、「は、?」と乾いた息が漏れた。

「──まさ、か」
刹那、頭の中で糸が繋がっていった。全てが、糸で結ばれて繋がっていった。
「怜、お前──コイツが見えてねぇの?」

フェリックスをくいと親指で指差し、そう問う。心臓がいやに暴れ始めた。その〝嫌な予感〟が当たっていると肯定するように──怜の瞳が、冷たく光った。眉を寄せたその姿は、嘘とは正反対の位置にある。

「何を言っている。誰が、見えていると? 先程から此処に居るのは、俺と、お前と、綾瀬と、サナクシエルと、メディヴァ……五人だけだ」
「うそ、だろ」

世界が、音を失った。
翠は震える手でフェリックスを見る。
彼はそこに居る。確かに、笑っている。
だが──怜には、見えていないというのだ。
彼の言葉が、脳裏に蘇った。

『私は私だ! だが……私を観測している君にとっての私、という事かな。分かるかい、青年』
『僕はあくまで〝君にとっての〟神、幻想だ』

そうだ。幻想だ。
自分達が見ているこの光景そのものが、幻なのだ。

ならば。
己も、幻覚を見せられていたというならば。
──自分達も、シナプス・リモデラーを投与されていた可能性。

……俺達も、被害者だったんだ」

翠の声が掠れた。
それは記憶を改変する薬。
投与された者は、現実と幻の境を見失う。

天城も、幸田も、東雲も。
翠も、伊織も、神楽岡も。
皆が体に取り入れたもの、口にしたもの。
そして同時に──怜だけが、口にはしていないもの。
それが、この幻想を引き寄せ、そして数人を殺した原因。

アレルギー反応。運動誘発アナフィラキシー。NSAIDsによる悪化。オピオイド系鎮痛剤。
そして、翠達を含め、〝全員が口にした食品〟。

それらを繋ぐ線が、ひとつに結ばれていく。

翠は犯人が〝その人〟だと確かめようと、ベッドに横たえられた幸田の胸部に触れた。違う──犯人が〝その人〟でないのだと確かめたかった。

(──……。)

掌に伝わる、ごつごつとした感触。手術痕──否、手術痕に〝見せかけた〟魔法の痕跡。
見た目だけで判断し、触れてはこなかった。傷があるならば、それを疑う事をしなかった。だが──。
……そこにあったのは、手術の痕そっくりに造られた、人工物の感触。

もう、答えなど明らかだった。

早乙女が辞めさせようとした、〝狂気〟を孕む人間。胸の傷を〝作れる〟人間──。
そうだ。〝彼〟は〝それ〟を口にはしていない。あれは、捜査をかく乱する罠だったのだ。
翠の胸が熱く痛んだ。声が、喉奥から込み上げる。

……シナプス・リモデラーって、」
枯れた声が、口唇を震わせる。
「あれ──どんな効能なんだっけ」

幸田に触れる己に対し、訝しんだ目を向けた怜が静かに答える。

「早乙女さんが謹慎していても事件が起きた。彼の発言は真である可能性が高いだろう。──つまり、あれは〝人体を書き換える霊薬〟ではなく、〝記憶のシナプスを繋ぎ変える科学的薬剤〟だ」

翠は震える声で紡ぐ。答えが、もう肺の底に浮かび上がっていた。

「じゃあさ……

一度、言葉を止める。そして、審判を下すように、一息に──。

「──その記憶を司る神経ってさ、どこにあるの?」
「知らんのか」

怜が淡々と告げようとする。

「魔法感受体のすぐ近くだ──、ッ!?」

ひゅ、と息が止まる音がした。それは、己の信頼する仲間が、己と同じ真実に到達した事を告げる音だった。
「まさか」と怜が唸る。横で、伊織が目を見開いた。
翠の脳裏で、稲妻が走る。

「それを、作り始めた人って」

答えがひとつの星を導いている。ひとつの、歪んだ思惑を示している。

「治験段階から、使える立場の人って。──その副作用を、知ってて……全員を救いたいっていう、〝神〟を目指してる人って」

ぼーん、ぼーん──……
時計が十八時を告げる。
ロープウェイが、運転を開始する。

思えばこの天候の変化だって、仕組まれたものなのだ。
〝彼〟は敢えて、ロープウェイを動かした。動かすように、天候を変えた。
それは一体、どうして?
閉じ込めていた籠の中の蝶を解き放ったのは、どうして?

──否、もう分かっているだろう。
それはきっと──……

「──ッ!!」

翠は踵を返し、部屋を飛び出した。後ろに、仲間達が続く気配。
切り裂いた空気がびゅうびゅうと耳元で吼えるのも気に留めず、階段を駆け下りる。雨は殆ど止み、夕刻の宮島には淡い光さえ射している。

その空は、一面の緋色。
幻想と、神秘と、そして絶望の色。

幻とうつつの境界が揺らぐ。
自分の信じてきた世界が、信じていたその姿が、偶像だったのであれば。

(だけど、それでも──放ってなんて、おけるか、ッ!)

走るしかない。
真実へと続く、その高みへ。

玄関の扉を、押し開ける。五人の靴音が、濡れた石畳を叩いた。
ロープウェイへと続く坂道。明かりの灯るそこには、もうすでに何人か、待っている影が見える。その先に、確かめなければならない真実が待っている。止めなければならない男が、待っている。

もう、振り返らなかった。
フェリックスの声も、今は聞こえない。

待ち受ける、紅蓮の創世劇クリムゾン・ジェネシス
──雨上がりの湿った風が、静かに自分達の背を押していた。

────────Ep.007に続く