もち粉
2025-11-15 00:57:54
11217文字
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いつくしみ深きあなたへ


カブ→ミス
お見合話の来たカブ
※カブの妻と子孫を捏造しています

「スズメの約束」の続編


カブルーは、王都から半刻ほどの距離にあるアトリエを目指し、馬を走らせた。
城下の喧騒がすっと遠のき、代わって広がるのは、野の匂いと――
秋の夕暮れに滲む、どこか淋しい紫の空。

ミスルンのアトリエは、低い丘の斜面に沿って建っている。
外から見るとこぢんまりしているが、「アトリエ」と呼ぶにはあまりに立派だった。
千年前、メリニの貴族が愛妾のために建てた屋敷だという。

裏手には窯があり、まっすぐ空へと昇ってゆく煙を目印に、カブルーは馬を進めていった。

夕陽を背に、戸を叩く。
しばらくして扉が開き――ミスルンが顔を出した。

……カブルーか。どうした?」

泥のついた手を無造作に布で拭いながら、どこか意外そうな顔。
それでも扉を押さえて、あたりまえのようにカブルーを中へと招き入れる。

……その服、どうしたんです?」

カブルーの視線が止まるのは、見慣れない藍色の作業着。
膝には、まだ乾ききらない白っぽい粘土の跡がある。

ふふん、と得意げな表情を浮かべてミスルンは言った。
「作務衣というらしい。トシローの故郷では、陶芸家はこういうものを着ているんだそうだ」
広げた手の指先を胸に添えながら、ミスルンは続けた。陶芸を始めると聞いて、トシローがわざわざ送ってくれたという。

――いつの間に、あのトシローとそこまで仲良くなったのやら。
……それにしても、形から入るの、結構好きだよな、この人。


「それで、どうしたんだ? アトリエに来るなんて珍しいじゃないか。明後日なら、本宅に戻る予定だったのに」

……ちょっと、話したいことがあって。……迷惑でした?」

「いいや。お前の来訪に、迷惑などあるものか」
ミスルンは、柔らかく微笑んだ。
「すぐ行くから、居間で待ってろ。着替えてくる」

――こういうふうに、自分が彼の特別だと思いたくなるような言動を、ミスルンがするのはいつものことだ。
……期待してはいけない。

馬を繋いで水をやってからアトリエに入ると、土と水、それにほんのり薬品めいた匂いが鼻をかすめた。
作業の途中だったのだろう。台の上には、釉薬の染みが乾きかけた布と、ミスルンの愛用する手帳が置かれている。

作業場を抜けて居間へ移ると、そこはいつも通り整っていた。
窓辺には、出来上がったばかりの真新しい鉢がいくつも並んでいる。

やがて、部屋着に着替えたミスルンが戻ってきた。手には作業場から持ってきた手帳をぶら下げ、それを卓にポンと置く。

「相変わらず書いてるんですか? ずいぶん長く続いてますね」
「うん。毎日、いろんなことを書いている」

ミスルンが手帳をつけ始めたのは、どうやら自分の身体の欲求をうまく掴めないことが理由だった。
最初は体調の記録のためだったが、今では旅の記録に始まり、買物メモからとりとめのない思いつきまで、何でも書いているらしい。

――彼は、言葉にするよりも、文字に残すほうが得意なのかもしれない。

もしそうなら、あの手帳の中には……自分への答えも、あるのだろうか。

ミスルンは火鉢の上に薬缶をかけながら、いつもなら我が物顔で座るくせに、うろうろと落ち着かないカブルーを見上げた。

「とりあえず夕食を作る。おとなしく座ってろ」


 ◇

栗のポタージュにキノコのサラダ、秋野菜と肉の炒めもの。
簡素だが滋味深く、ミスルンの料理の腕は見違えるほど上がっていた。

腹を満たし、少しのワインの力も借りて、ようやくカブルーもいつもの調子を取り戻した。ソファに移って談笑する。

「それで、補佐官が言うんだ。
『カブルー様もまだ若いんですから、隠居エルフのミスルン様とばっかりつるんでないで、もっと女の子と遊んだらどうですか』って。
俺たち、寂しい独り者同士がなぐさめあってると思われてたらしいですよ」

カブルーの話に、ミスルンが吹き出すように笑った。

「お前がそんなふうに思われる日が来るとはな。以前は、街を歩けば様々な女性に声を掛けられていたものだが」
「いや、彼女たちは、あくまで友達ですよ」
「そうか? お前を巡って争い始めた者たちを見たのも、一度や二度ではないが?」
「あれは――ちょっとした行き違いってやつでして……

カブルーは、ごほん、とわざとらしく咳払いしてごまかす。

「最近は、政務が忙しくて、さっぱりですよ。
……今、俺が政務の隙間を縫ってでも会う時間を作ってるのは、ただひとりだけですよ」
「だからそんなふうに思われるんだ。
――しかし隠居エルフか。私としては、今が人生本番くらいのつもりで過ごしているのだがな」

思いを込めて視線を送ってみるが、ミスルンはいつもの調子でそれをかわし、「隠居かぁ」とくつくつ笑い続けている。

……ああ、まただ)

小出しに気持ちを示そうとすると、いつもこうやって、するりとかわされてしまう。

「それで! なんでそんな話になったかって言うとですね――

しまった。
カブルーは内心、舌打ちする。
声が力んでいた。この人の前だと、どうしても「いつも通り」ができない。

……縁談が、来てまして」

ぽつりと、落とすように言った。

ミスルンの手が、ふっと止まる。
くるくるともてあそんでいたグラスの中で、ワインだけが遅れて渦を巻き、やがてゆっくりと静止した。

……うん。それで?」
「それでって……そういう話です。ただの、報告というか……
「それ、私に言ってしまっていいのか?」

――いつか、自分が彼に言った言葉だ。
今度はそれを、自分に返される。

……いいです」

カブルーは、目を逸らさずにそう答えた。

本当は、いいわけがない。
彼は名ばかりとはいえ、いまだ西方の外交官の籍を持っている。

それでも――
なにか、ほんの少しでも。
彼の目に、声に、指先に。
動揺が走ってくれないかと、カブルーは言葉を重ねてしまう。

「相手は、地方貴族の娘さんです。絵姿はまだですが、領地経営にも参加していて、しっかり者で……周囲の評判も、いいそうです」
「ほう。それは優秀だ」
「うん……だから、どう思います? 悪い話ではない。南部は、これから重要になる地域ですし」

「南部?」
「ええ、そうです。あなたと偶然会って、スズメを作った、あの場所です。
あの日、本当は彼女の父親との会談があったんです。でも、急に流れてしまって……だから、あのススキ野原で、あなたに会えた」

カブルーの脳裏に、銀色の波を割って現れたミスルンの姿がよみがえる。
ふたり並んで、風の中で、黙々とスズメを編んだ午後。

なめらかに動く、ミスルンの指先。
ふいに、その指が頬に触れた。
熱を帯びた感触が、今でも鮮やかに残っている。

――あの時間は、きっと、自分にとってだけじゃなく、彼にとっても特別だったと。
そんな風に、どこかで思っていた。

けれど。

「ああ!」
ミスルンがぱっと顔を明るくして頷いた。それならばと、縁談相手の名前をあっさりと当ててみせた。

「なんで知ってるんです!?」
「実はあの時、件の鉱山主の屋敷に十日ばかり逗留していてな。
スズメの作り方を教えてくれたのも、彼女だ」

そうかそうか――とまるでじぶんのことのように感慨深げに頷いたミスルンは、優しげに笑って、やわらかな声で、カブルーに鉄槌を下した。

「この話、受けるといい。彼女は聡明で明るく、自立心がある。
赤茶色の髪と、鳶色の瞳で、容姿も悪くなかった。
お前とは、似合いの夫婦になるだろう」

――冗談だろう?

けれど、その言葉は、どこにも届かない。
目の前が、すっと暗くなった。
空気が冷たく変わって、体の芯が急に硬くなる。ミスルンの声が、遠ざかる。

黙ってしまったカブルーには気付かず、ミスルンはひとり楽しげに話し続けた。

「ならば、あの日お前が会談の予定をキャンセルされたのは、私のせいだったかもしれないな。
娘が、どうも父親が王都からくる役人との会談の場に、自分を同行させてお見合いを目論んでいるらしい、行きたくないというものだから、仮病の芝居に協力してやったんだ。
その日お前に会って、王都の役人とはお前の事だったかと知った。
だからもし、今回の見合いを娘が了承したなら、あの日の夜、見合いに行かなくて損をしたかもしれないぞと、娘にお前の話をしたからかもしれない」

――カブルーは、息をするのを忘れていた。

喉の奥が焼けるように痛む。目の奥が、ジンと熱い。
耳に入ってくるミスルンの声は、ちっとも意味が頭に入ってこない。

ミスルンの話は止まらない。
カブルーの感情とはうらはらに、穏やかな声音のまま、自分が仲人でもあるかのように、娘の気質や趣味までも話しだす。

(やめてくれ)

胸の奥で、何かがきしむ。

(やめてくれ……もう、これ以上、)

ミスルンの声が遠くなり、近くなる。
目の前の光景が、まるで水の底にあるようにゆがんで見える。

「彼女となら、お前も幸福な家庭を――」 

その言葉に、張り詰めた糸がぷつりと切れた。

……うるさい」

その声は、自分のものとは思えないほど、感情がなかった。

「なに?」

ミスルンの耳が、驚いたように動く。

「もう、結構です……あなたに、俺の結婚相手を選ばせる気はない」

言い終えるやいなや、カブルーは立ち上がり、ソファ越しに一歩、ミスルンへとにじり寄った。
その顔を見て、ミスルンが初めて口を閉ざす。

「あなたは、いつもそうだ。俺がどれだけ――どれだけ、あなたを想っているか……!」

怒りと悲しみが絡まった声が、絞り出される。
感情のままにミスルンの肩を両手で強くつかんだ。痛みに思わず顔をしかめたミスルンに、カブルーはさらに言葉を叩きつける。

「何度伝えても、はぐらかして、逃げて……俺の気持ちを、聞いてもくれないくせに!」

……カブルー、落ち着け」

「落ち着けるもんか!」

感情の堰が決壊する。
その勢いのまま、ミスルンを抱きしめた。
体重に任せて、ソファへと押し込む形になる。

カブルーは、ミスルンの髪に顔をうずめた。

苦しかった。
どうにか呼吸を整えようとするが、息が詰まる。

ミスルンの髪からは、陶芸の土と、花のような匂いがした。
懐かしくて、ひどくあたたかい匂いだった。

昂ぶった感情の余韻に、カブルーの肩が微かに震える。

「俺は、ずっと……ずっと、好きだったんです。たぶん、あの日、初めてあなたの笑顔を見た日から……ずっと!」

……

ミスルンの腕が動いた。
けれど、それは、カブルーを抱き返す動きではなかった。

ふわりと、頭に触れる。
撫でるような優しい手つきだった。
それから手は、肩へと滑り、
そっと距離をとるように、ミスルンはゆっくりと半身を起こした。

「カブルー」

名を呼ばれるだけで、胸の奥が軋む。
痛みと、それでも滲む希望とがないまぜになって、張り裂けそうだった。

「カブルー」

もう一度、頭を撫でながら、優しく呼ばれる。

「私は、お前を、愛しているよ」

そのとき、慈しみのあふれるその声に、カブルーははっきりと悟ってしまった。

――この人が、俺と同じ熱量で、俺を求めてくれることは、
きっと、永遠にないのだと。

「なあ、カブルー。ウタヤの遺児よ、愛し子よ。
お前は若く美しい。こんな年上のエルフにかまけてないで、トールマンの女性を妻に迎えて子供を作って、幸せになりなさい。
お前はこの地で根を張って、大地と共に生きなさい。
もし許されるなら、私はこの地にある限り――お前の子々孫々を、見守ろう」

それは、カブルーの求めたものとは、あまりにもかけ離れた、拒絶だった。
穏やかで、優しくて、けれどこれ以上ないほどの、確かな拒絶。

……でももし、お前が結婚したくないならしなくていい。お前の人生は、お前が決めるべきだ。私は、それを尊重する」

「お前が心のままに生きることが、私の何よりの望みだ」

声が出づらくて、喉が渇いたような気がした。

「愛しているよ」

カブルーは、目を伏せた。

聞きたかったはずの言葉を、ようやく聞いたのに――胸の奥に刺さるのは、こんなにも静かな絶望だった。
この人は、こんなにも優しくするくせに、カブルーの未来を、一緒に歩いてはくれないのだ。


ソファの前に膝をつき、うなだれたカブルーの頬に、ミスルンの手が触れた。

「今日はもう遅い。客間を用意するから泊まっていきなさい」

そうしてミスルンは、座り込んだまま動けずにいるカブルーを居間に残して、するりと出ていった。

カブルーは、あの日以来初めて触れられた頬をそっと押さえた。


 ◇

東の空がわずかに白みはじめたころ、カブルーは喉の渇きと頭痛で目を覚ました。

カブルーはソファに座ったまま、呆然と夜を明かしていた。気づけば、眠ってしまっていたようだった。
結局、客間は無駄になってしまったかもしれない。ミスルンには、悪いことをした。

――水を飲もう。

ふらりと立ち上がり、静かな廊下を抜けて台所へ向かう途中、ふと――目に入ってしまった。

書斎の扉が、わずかに開いていた。

かすかにミスルンの気配が残る書斎にそっと足を踏み入れる。もしかしたら、昨夜の俺の言葉に彼も心を乱してくれていただろうか。彼もまた、ここで眠れぬ夜を過ごしただろうか。

書斎もまた、他の部屋と同じように簡素だった。机の上には、ページを開いたまま、ぽつりと置かれたあの手帳。

――手帳。

クリーム色の紙の上に、淡い青のインクで綴られた文字――
見間違えるはずもない、ミスルンの流麗な筆跡。
いけないと思いながらも、カブルーは、吸い寄せられるように内容に目を落とす。

窯の温度、釉薬の配合、迷宮での観察、旅先の植物の記録。
美味しかった料理、見知らぬ人に受けた親切、街中で仲良くなった猫のスケッチ。あのスズメの絵もある。
……そして、そこにはカブルーの名前が、いくつもあった。


〈カブルーに回復が著しいと褒められた。最近何か美味しいと思ったものはあったかと尋ねられたが、覚えていない。
今度から、そういうことも記録していくことにする〉


〈カブルーに「そんな顔するんですね」と言われた。あの時、私はどういう顔をしていたのだろうか〉


〈パッタドルを手伝いに行ったが驚いた。もう私の指示を仰がねばならぬものなど、ほとんどない。
彼女は自分で判断できている。あとは自信をつけさせてやればいい〉


〈彼に好きなものを選ばせたい。
それが私でないとて、それでいい。
だがどうも最近のカブルーは、意味ありげな発言をすることがある〉


〈最近の美味しかったものを並べたら、クリーム系の料理が多い。私は、そういうものが好きなのかもしれない〉


〈カブルーと市場に行った時、小さな親子連れが通り過ぎた。
カブルーがしばらく目を向けていた。あのとき彼が何を考えていたかは聞けなかった〉


〈いつか彼にも子供ができるだろうか〉


〈それはこの地に根付くということだ〉


〈つらい思いをしてきた子だ。しあわせになって欲しい〉


〈フレキとリシオンから手紙がきた。相変わらずフレキは字が汚い〉


〈カブルーの目は、五月の空のような色だと思っていたが、光の加減で色が変わって見えるものだ。湖の底のような澄んだ色に見えるときがある〉


〈彼は自分の目の色を好んでないように思う。いつか話してくれるだろうか〉


〈カブルーの顔に触れた。暖かった。豊穣の大地の色だ〉


〈カブルーが私の髪色をススキの穂と同じ色だという。手触りは、どうだろうか。自分で触ってみたが、やはりよく分からない〉


〈たまに、私の手帳を気にしている。見てはいないようで、気にしている〉


最後のページには、ただ一言。今しがた書かれたばかりのようにインクが乾ききっていなかった。



〈彼の幸福を願う〉


カブルーは、立ったまま、しばらく動けなかった。
手帳からあふれだす、ミスルンの真意がカブルーの胸をひたひたと満たしていく。
それはたしかに、ミスルンにとっての、まぎれもない愛だった。

恋ではない。
所有しようとせず、ただ記し、見つめて、願い続けてくれるような――優しく、深い感情。

自分と同じ気持ちを返してはくれないけれど、それでも、ミスルンは確かにカブルーを愛してくれている。

カブルーは、そっと手帳を閉じた。

そして気がついた。
インク壺に隠れるように、あの日カブルーの作ったスズメが置かれていたことを。

堪えていた涙があふれる。
誰にも届かない、小さな声が胸の奥にこぼれた。

(ありがとう――