山城まつり
2025-11-07 21:19:26
19505文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.005

前回:Ep.004 https://privatter.me/page/69073e099df80

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロート、更新~~~~~!!
今回から第三章「黒鉄のパラダイム」が始まります。
パラダイム、ね……。「支配的な物事の見方」という意味ですが、これ、わりと大事だったりします……(ひそっ)

いつものごとく約2万文字の大ボリュームでお送りする今回Ep.005。前回〝あの医者〟が怪しい、という話になりましたが、新たに起こる殺人で、事件がさらに加速していきます。果たして、誰が犯人なのか。作者的には「ひぇぇ……もう真犯人、バレてるかな……」とびくびくしています。ストーリーがミステリとしてChu!稚拙でごめん……。

皆様の応援で本作は成り立っております。Very Very 感謝……。
今回も応援くださると嬉しいな!などと、言ってみたり……。

とにもかくにも、もし読まれる方におきましては楽しんでいただけると幸いです!

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


2節:継承する呪い




ぼーん、ぼーん──。
ロッジのどこかで、古びた時計が午後二時を告げた。
外は変わらず、バケツをひっくり返したような雨。人をこの密室に閉じ込めるように激しく、そして絶え間ない。木々の葉を叩く連打が、まるで外界を覆い隠す帳のように聞こえた。
全てを閉ざすように降りしきる雨の中で、アナログな鐘の音だけがやけに異質だった。

翠は右手にカレーライスを乗せたトレーを抱え、左手でドアノブを握った。
バランスを崩すことなく、完璧なフォームで。この慎重さが、己を繋ぎ止める命綱のようにも、何かを恐れているようにも思えた。

此処は、謹慎処分となった早乙女蓮司の客室。
午前十一時半、シナプス三銃士を除いてレストランに集まった時の神楽岡の言葉が脳裏を過ぎる。
──『お前が一番天璇から関わりが薄い。もし早乙女が殺したんなら、殺す可能性が一番低いヤツが世話の当番になるんが安全や』
合理的な判断だ。だが、どこか残酷でもある。そう、翠にとっては。

……俺が死んでもいいのかよ)

胸の内で、密かにそう愚痴っておく。しかし同時に、もう一人の自分がか細く囁いた。
──早乙女さんは、そんな人間じゃない筈だ。
誰かを選び、切り捨て、殺すような人間だとは、どうにも思えない。

……

だがもし本当に、彼が〝未来の無い者〟を裁く狂人だったら?
ぞくり、背筋を冷たいものが走る。喉がひりつく。あの真剣な表情も、強い意思も──全てが虚構だったというならば、彼は最早、人道を捨てているという事なのだから。
翠は唾を飲み込み、僅かに震える手を抑えつけてドアノブを回した。

かちり。薄い、異界遮断結界の気配を感じる。
空調に温められた空気が肺に入り込み、冷えた身体の隅々へと染みていく。

「早乙女さん、メシです」

そう、短く声を掛けた。
バスルームを通り抜ける足音。背後には、伊織とフェリックスが連なっている。
彼等は、念のため同行してくれていたのだ。──正確には死人が出て満身創痍の翠が廊下でフェリックスとばったり出会い、長丁場の会話を振られそうだったところを伊織が助けてくれたのだが──そうやって身の安全を確保するために複数人行動をしている事が、この部屋の主を危険だと糾弾しているようで、喉が詰まる。

「あぁ……

ベッド脇のチェアに腰掛けていた早乙女は、げっそりとした表情で顔を上げた。日中だというのに薄暗い世界が、彼の眼窩に深い影を落としている。

「ありがとうございます」

その声は、掠れていた。

「いえ。カレーですけど、大丈夫ですか。嫌いとか……

翠がそう訊ねると、早乙女は薄く笑みを浮かべた。その笑みですら、翳った色を取り払えない。

「ええ、大丈夫です。嫌いなものもアレルギーも特にありませんから、お気遣いなく」

そして一拍置いて、問い返す。

……櫻田くん、貴方が食事を持ってきてくださったのは?」
「あー、神楽岡さんの指示です。食事も水も与えない謹慎は謹慎じゃないですから。それはもう、監禁っすよ」
「神楽岡先生の……。苦手な方ではありますが、その気遣いだけは感謝ですね」

乾いた笑い。
翠は気まずくなって、「そっすね」とだけ返した。
トレーをチェアの前のテーブルに置く音だけが、静寂の中へと沈んでいく。

──此処に居る男が、本当に事件の犯人なのか。
疑うには整いすぎている。証拠も動機も、トリックも……整然と、美しく並べられていた。そう、まるで誰かが仕組んだパズルのように。

だが、彼の顔を見ていると胸が痛む。
こんなにも他者を気遣い、罪を背負ったような目をする人間が──本当に殺人を犯すのか。本当に、誰かを意図的に傷つけるのか。
理性が信じるなと警鐘を鳴らす一方で、感情がそれを否定した。

……何かがある。絶対に。でも──)

その先が霧のようで、つかめない。全てが曖昧で、確信に至らない。
ただ一つ言えるのは……この沈黙の中で、この一連の思惑の中で、何かが狂っているという事だった。

「綾瀬と、そこの彼は……?」

早乙女の穏やかな声。フェリックスが目元に朗らかな、どこか冷酷なしわを寄せながら「僕はただの野次馬さ」と答えた。
伊織は唇を噛み、しかし真っ直ぐな瞳で告げる。

「僕は……早乙女先生が本当に犯人なのか、分からなくて。自分の目で確かめたかったんです。違うなら、みんなに違うって言いたいから」

早乙女は瞬きをひとつして、薄く微笑んだ。悲しげに、寂しげに……そして、苦しげに。

「そうですか。……皆さんの時間を私の事に割かせてしまい、申し訳ないです」

その言葉が、胸に刺さる。その言葉が、頭を殴る。
どこまでも優しい響き。それが、逆に怖かった。

……こんな人が、本当に)

翠の思考はまとまらないまま、居心地の悪い空気が広がっていく。話そうと唇を震わせても、言葉が全て溶けていき、吐息だけが漏れていく。……何やってんだよ、俺。何か、喋らねぇと。何か、彼に言ってやらねぇと──。
しかし、結局何もいい言葉は見つからなかった。ただかちかちと、時計が時間を食む音が残響する。窓の外の雨がガラスを叩く音が、時を埋めていく。

本当に、そうなのか。それとも、これが彼の思惑通りなのか。それらが混ざり合った思考で、脳がヒートアップしていくのを感じる。頭がぐらぐらする。全てこの室内を満たす温かい空気がそうさせたのだと責任転嫁し──何かを口にしてやりたいという思いを振りほどけないまま、タイルカーペットの上を踏みしめ、踵を返した。

……それじゃ、失礼しました」

喉の奥が、痛い。言いようのない後悔が、苦しい。
彼に何もしてやれない。何も、答えを見つけられない。
そのもやもやとした思いを置いて行こうとドアに向かっているところで──背後から、小さな声が落ちた。

……櫻田くん。貴方、母君にも似てきましたね」

翠の足が止まる。
後ろの伊織とフェリックスも、同じように動きを止めた。動きが止まった、気配がした。

「俺、ですか」

振り向けば早乙女は皿の上の湯気を眺めている。けれどその視線は、カレーでなく遠い何かを見つめていた。

「そりゃ、まぁ。親子ですので」

軽く答えたつもりだった。だが彼は、緩やかに首を振る。

「いえ──呪いの方も」

翠の視線が鋭くなった。
雷が落ちる。窓の外が白く光り、一瞬だけ室内の全員の顔を青白く照らす。
雨が激しくなり、嵐の気配が、まるで呼応するように空気を震わせる。

──これが、俺の気持ちとリンクしているかもしれないと思ったのか。
そう思案し、唇をゆっくりと開く。

……それを知ってるのは、母さんのオペを執刀したからですか」

低く、問う声。早乙女は少しの沈黙の後、静かに頷いた。

「そうです」

翠は再び部屋の奥へと歩を進め、ベッドサイドまで近付いた。早乙女は双眸に翳りを宿したまま、翠のエメラルドの黒星を捉えた。

……和葉かずはさんが、死んだ理由、」

その呟きに、翠は答える。声は、驚くほど冷静だった。

「知ってます。父から聞きました。魔法感受体の切除で、魔法因子を外に放出できなくなった。体内に溜まった魔法因子が魔法の塊になって、全身が壊死した──って」
「ええ。それで、間違いはありません」

早乙女の声は、痛みを噛み締めるように細かった。

──翠の母親、櫻田和葉さくらだかずは
彼女の死の瞬間、そこに居た医師の一人が早乙女蓮司だ。彼女を救おうと奮闘し、そして救えなかった哀れな医師こそ……目の前のこの男なのだ。
フェリックスが言葉を挟む。

「櫻田青年には酷だが、その死は医学に多大な貢献をした。以後、魔法感受体の切除は禁忌として扱われている。彼女の犠牲が、未来の命を救ったんだ」
「フェリックスさん!」伊織が咎める。
……すまない、あまりに無配慮だったね。だが、事実だ。彼女は異質だった。概念を、異界との接続なしに出力できた。まさに、神のような人間だった」

その並べられた事実は淡々としていて、色が感じられなかった。翠は瞳を伏せる。そうしている姿を一瞥し、フェリックスは言葉を重ねる。

「それを魔法省が危険視したのも当然さ。魔法を使えなくすべきだと論じたのも筋が通っている。……誰も、間違ってはいなかった。まさか、魔法感受体の切除で彼女が、末裔まで遺る呪いを被る事になったなんて──運命が、意地悪だっただけだ」
「──違う」

思考するより、言葉が口を突くのが先だった。きょとんと此方を見るフェリックスに、翠は首を振った。

「世界は、意地悪なんかじゃない」

──あの時、メディにそう教わったから。あの時、自分はそう気付いたから。
その声は、静かで……けれど強い声だった。

「世界は母さんを生かそうとした。生まれたままの存在として、生かそうとした。けど──人間の身体が耐えられなかった。ただ、それだけです」
「ヒスイ先生……

伊織の声が震える。翠は微笑んだ。

「早乙女さんも、唐澤さんも、仙田教授も……誰も悪くない。母さんは、俺とひいろに愛を遺してくれた。それだけでもう、充分なんです」

早乙女の瞳が僅かに潤む。声が、微かに掠れた。

……それで、貴方は苦しめられているのに、ですか」

翠は苦笑して、首を振った。横に、緩やかに。

「俺は神にはなりません。最期まで、人間です」
……そう、ですか」

静寂が落ちた。
時計が時を刻む音が、再びビートのように木霊する。
衣擦れの音も、瞬きの音すらしない静けさの末、早乙女がぽつりと呟いた。

……それでも私は、彼女を救えませんでした」

右手が震えていた。持ち上げたそれを眺め、彼は言葉を継ぐ。

「思えば、最初から無謀なオペでした。溢れ続ける魔法因子に耐え兼ねて臓器が壊死していくのを現代医学でどうにかしようなど……無謀な試みでした。怖かった。今でも、あの日の震えを覚えています」

拳がゆっくりと握られ、力が籠められ、赤が白に変わる。ぶるぶると震えるそれに、翠は怒りと、後悔と、葛藤の感情を見た。自分を責めているような様子を見た。

「だから私は、未来の無い者にはもう、オペをしないと決めたんです。もう、あんな苦しみを背負いたくないから。人を殺す絶望を、二度と味わいたくないから」

彼は、微かに笑った。
「馬鹿ですね、私は」

翠はその横顔を見つめた。
彼の表情は、赦しを求めながらも、自らを罰している人間の顔だった。

天城浩太あまぎこうたに、幸田昭こうだあきら──私の手術痕がありました。確かに、ありました。なのに私は、顔すら覚えていない。非道です。無情な医師です。患者のためでなく、自分が傷つかないために選別をしていたのかもしれない」

早乙女の肩が震える。静かな息が、嗚咽のように漏れた。
彼はそのまま、言葉を紡ぐ。自分の過ちを、並べ立てるように。

……ある医者に言ったんです。『手の届く範囲の患者は全員救う』なんて無茶な事を言う人でした。心臓に何かが詰まっていると患者が言えば開胸し、脳を宇宙人に弄られたと言えばCTを撮らせる。狂気だと思って止めました。でも──今なら分かります。あの人は、誰も見捨てたくなかっただけなんです。私が誰も殺したくないように、あの人も誰も、殺したくはなかった」

瞳の奥に涙が溜まる。つう、と彼の頬に雫が伝った。嗚咽が漏れ、唇が、静かに震える。

……私はその人を糾弾したというのに、自分も同じ理想を追いかけていた。自分が、命を選ぶ医者になった。その罰を今、受けているのかもしれません」

翠は息を詰めた。
喉の奥が痛い。
何かを言いたかった。けれど声にならず、息ばかりが零れていく。

早乙女は微笑んだ。雨を降らせながら、微笑んだ。

「勿論、私は本当に、殺した覚えがありません。神になった覚えなど、ありません。シナプス・リモデラーも本当にただ、シナプスを繋ぎ変える科学的効果を持つ薬であり、霊薬などでは無い筈です。少なくとも……私は、そう思いたい」

フェリックスが唇を歪める。責めている声音でも叱っている声音でもなく、ただ〝問う〟概念だけを宿した口調で、彼に問いかけた。

「だが、本当にそうなのかい? もしシナプス・リモデラーが人体を書き換える薬なら、この謎はあまりに美しく解ける」

早乙女は視線を伏せ、微かに頷いた。

……それが、最も美しい答えです。ですが──」

彼はそう落とすが、その続きは紡がれやしなかった。代わりに細く、「いえ」と否定がつづられる。

……私はもう、自分を信じられません。だってこんなにも綺麗に、私が殺した証拠が揃っているんです。私は──『知らない』事すら、信じられない」

その声は、静かな絶望を湛えていた。翠は思わず、拳を握る。

「早乙女さん……

早乙女は声に従って顔を上げた。
やつれた頬、疲れ切った眼差し。
けれど、その笑みはどこまでも穏やかだった。

……あまり此処に長居してはいけませんよ。私はきっと、人殺しなんですから」

室内を照らすオレンジが、色を失った気がするのはどうして。
こんなにも誰かを想う人間が、全員から後ろ指を指されるのは、どうして。

翠は言葉を失い、ただその背を見つめていた。
──自分が神になった時、彼のように〝身に覚えのない罪〟で裁かれるのか。〝過失ですらない咎〟で、恨まれるのか。
不安と、恐怖と、絶望で──手を強く、強く握り締める。ぎり、と肌が小さく啼いた。

雨が窓を叩く水滴の音が、罪の鼓動のように響く。
近くなりつつある落雷が、嘲笑うように轟く。
まるでそれは、己の未来を見ているようだった。