山城まつり
2025-11-07 21:19:26
19505文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.005

前回:Ep.004 https://privatter.me/page/69073e099df80

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロート、更新~~~~~!!
今回から第三章「黒鉄のパラダイム」が始まります。
パラダイム、ね……。「支配的な物事の見方」という意味ですが、これ、わりと大事だったりします……(ひそっ)

いつものごとく約2万文字の大ボリュームでお送りする今回Ep.005。前回〝あの医者〟が怪しい、という話になりましたが、新たに起こる殺人で、事件がさらに加速していきます。果たして、誰が犯人なのか。作者的には「ひぇぇ……もう真犯人、バレてるかな……」とびくびくしています。ストーリーがミステリとしてChu!稚拙でごめん……。

皆様の応援で本作は成り立っております。Very Very 感謝……。
今回も応援くださると嬉しいな!などと、言ってみたり……。

とにもかくにも、もし読まれる方におきましては楽しんでいただけると幸いです!

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


1節:暮夜の気配




外では暴風が唸っていた。
窓ガラスが軋み、泣き喚くように鳴っている。季節外れの台風かと思うほどの風圧に、山荘の壁がびりびりと震えた。昼と夜の境などとうに曖昧で、まだ正午にも達していないというのに空は早くも闇に呑まれている。黒雲は天球一面を覆い、その色も、音も、光も……まるで翠の荒れた胸中をそのまま映しているかのようだった。
──この嵐は、己が呼び寄せた呪いなのか、それとも。

「──櫻田、今の悲鳴は……ッ!」

背後から、怜の焦りを孕んだ声がつんざく。振り返ると、怜、伊織、サナ、神楽岡、早乙女、唐澤、東雲──仲間の全員が駆けつけてきていた。
翠が見ていた視線の先に、二つの人影が倒れている。
床にはあかが滲んでいた。乾きかけた鉄の匂いが、木造のロッジの温もりを蝕んでいる。

……ッ!!」
「そん、な……

怜の目が見開かれ、息を呑む音がした。
伊織とサナは吐き気を堪えるように口に手を遣り、神楽岡も、早乙女も、唐澤も東雲も──死者二人から一定の距離を保って立ち尽くしている。
血。椿の華のように咲いた、深紅の咆哮。
痣。呪いのようにそれは広がり、死者の皮膚を紅く染めている。
築山と、幸田。二人は、並ぶようにして冷たく横たわっていた。

翠は呼吸を忘れた。心臓が喉の奥で暴れる。
──また、死んだのだ。今度は、自分の目の前で。
少なからず抱いていた〝どんな人でも救ってみせる〟という信念が、足元からぼろぼろと崩れ落ちていく。この光景は、ただ胸の奥を深く、鋭く抉ってくる。……絶望以外の、何者でもない。

張り詰めた空気の中、メディが一歩、また一歩と近づいた。
彼女はかつて、魔界の危険因子を殺す仕事を担っていたからか。それとも、悪魔としてのさがが、死と近いところにあるからか。どちらにせよこの場で最も、冷静を保っているように見えた。

彼女の小柄な身体が、血に染まった床の縁で止まる。そして、死体の隣にそっとしゃがみこんだ。翠は、その細い指が二人の頬に触れるのをただ見ていた。

……もう、助からないね」

メディの声は、驚くほど静かだった。
いつも怠けてふざけてばかりの少女が、今だけは一切の冗談を捨てている。
翠は知っている。彼女がこういう時、決して嘘も揶揄からかいも吐かない事を。
現状が事実として告げられた瞬間、胸の底がぎゅっと痛んだ。

……櫻田、見ていたのか」

続く怜の声は冷静だった。けれど、そこに微かに震えがあった。
喉の奥が狭まる。無理やり空気を吸い込んで、乾いた息を押し出すように答えた。

……見た」

掠れた声。息の粒が喉を裂くように痛い。
伊織が口元に手を当てたまま、微かに揺れる声で問う。

「ヒスイ先生、二人は、どうして……

その声は、恐怖と絶望と、仄かな医師としての責務を混ぜ込んでいた。
翠は彼の声を聞き、己の中で医師としての自覚が軋む音を聞く。
そうだ。俺は、医者だ。
死を前にして、立ち止まる事など許されない。
原因を解き明かさなければならない。診断しなければならない。
この事件に関わっているのは──きっと、あの薬なのだから。

……見ての通り、築山さんは刺殺。凶器は包丁。殺ったのは……幸田さん」

その言葉に、空気が重く沈む。それを切り裂くように、翠は続けた。

「幸田さんの死因は、恐らくアナフィラキシー
「アナフィラキシー、だと?」

怜の声が鋭くなる。

「まさか、小麦──」
「かもしれねぇ。伊織、後で幸田さんの遺体、〈構術〉で検査してもらえる?」
「も、勿論いいけど……

伊織の声が消えると共に、沈黙が場を満たす。
風の唸りだけが、外から絶え間なく響いていた。
その時、翠の脳裏に蘇ったのは──幸田の声だった。

『──せんせい、せんせい』

紅潮させた頬、恍惚とした微笑と、虚ろな瞳。
あれは確かに、正気の声ではなかった。

遺体に視線を注いでいたメディが幸田の服をふと持ち上げ、そして直ぐにその手を下ろす。そして、瞳を伏せたまま、低く呟いた。否──言葉を投げた。翠に、確かに。

「おにーさん、まだ言ってない事、あるでしょぉ」
……メディ、知ってたのか?」

そう問いかければ、彼女は首を横に振る。だが、翠の言いたい事を察している事はもう明らかだった。

「さっぱりだよぉ。でも──この傷、きっと手がかりでしょ?」
「傷、やと?」

彼女の声に、神楽岡の眉がぴくりと動いた。彼はふと此方に視線を投げる。次につづられる声は、確かめなければという責任を宿した音だった。

「翠、まさか胸に……

翠は僅かに頷いた。
幸田の遺体に歩み寄り、服を捲り上げる。医師達に、この〝手がかり〟を見せてやる。そこにある、白く盛り上がった手術痕。刹那、数人の息が止まった。
右第四肋間に小さな切開の傷跡。心臓手術──弁膜症の、MICSアプローチの痕だった。
神楽岡が翠の……死体の近くまで歩みを進め、覗き込んで表情を険しくする。

……天城に続いて幸田も、か。もう、間違いねぇじゃろ」

胸に、冷たい予感が走った。
やはり、そうなのか。〝彼〟が、彼こそが──。
神楽岡の次の言葉が、その疑念を肯定するように響く。

「早乙女」

一斉に、一同の視線が彼に向く。
仄かな紫を宿したような艶やかな黒髪。眼窩の彫りは深く、黒縁の眼鏡の下の瞳は長い睫毛に讃えられて。
彼は、その視線を受け止められないとでも言うように目線を泳がせた。その姿を捉え、射抜きながら、神楽岡が続ける。

「お前しかやらんやろ、早乙女」
「な、わ──私ですか!?」

彼──早乙女が、震えた声で叫んだ。
神楽岡は腕を組んだまま、微動だにしない。唇が、冷静に言葉を紡ぎ出す。

「被害者の過半数に心臓手術の痕がある。弁膜症患者にやるMICSのアプローチや。……この痕、どう見てもお前のやり方じゃろ」
「な、何故私が……ッ!? 考えを改めてください、どうして私が殺す必要があるんですかッ!!」
「それは──」

そこで、言い淀んだ。その淀みに重ねるように、唐澤の声が真っ直ぐに響く。

「俺も、早乙女先生が怪しいって踏んでました」
「唐澤……

神楽岡の目線が、唐澤へと向く。早乙女はさらに動揺したように視線を彷徨わせ、がたがたと揺れた声で強く訴える。

「唐澤! 貴方まで──!」

だが、それに唐澤は臆さない。厳しい視線で早乙女を穿ち、静かに言葉をつづる。

「だって先生、未来ある者しか治さないじゃないですか」

その無配慮な言葉に、空気が一瞬で凍り付いた。
早乙女の表情が硬直する。唐澤の視線は氷の刃のように冷たい。
軽口ばかりを叩く朗らかな彼の顔には、今や一片の温度もない。

「天城も幸田も、先生にとって〝未来の無い人〟だった。だから殺した」

翠は息を詰めた。
──そんな事、あってほしくない。早乙女さんは、人を救う医者の筈なのに。
その偶像崇拝にも似た思考が、信じていたいと願う幼い自分が、彼の言葉を否定しようとしている。
だが、その声を遮れなかった。唐澤の声があまりに冷徹で、現実の延長線上にある真実なのだと悟ってしまったからだ。

早乙女は唇を震わせ、声にならない声を吐いた。
その隣で、伊織が慌てて言葉を探す。

「で、でも……本当に、そうなんですか。そうだとしたら……昨日発作を起こした東雲先生だって、仲間じゃないですか。それに天城さんも、幸田さんも、未来が無いなんて、そんな──」
「いや」

唐澤が酷く静かに遮る。その声音は、氷よりも冷え切っていた。

「天城、浮気してる
「え──!?」

伊織が目を丸くする。サナは息を呑み、けれどメディだけは微動だにしない。
翠の脳裏に、財布の中のプリクラと、左薬指の二つのペアリングが蘇った。
あの、見知らぬ女性の笑顔。二人から愛されていた証明の指輪。
唐澤が、双眸を伏せた。

「俺だって驚いたよ。だって天城は『オブリビオンの暁』だ。あの正義のヒーローが、まさか……
「しょ、証拠はあるんですか……?」

伊織の恐る恐る告げた問いかけに「ああ」と言葉が返る。そう言って、彼は淡々と言葉を重ねた。

「天城浩太。昨晩気になって、魔法AIで調べたんだ。東京の病院──東京臨海総合病院にカルテがあって、家族の欄があって。そこに〝妻〟の名前が記されてた。築山朱里とは、別の女性だった」

沈黙。
雨が窓を叩く音が、さらに強くなる。
では、築山のあの言葉は何?
『〝先生〟も──楽しんできなさいって、言ってくれたのに』
先生。つまりそれは、早乙女先生、という事なのか。
……知っていたのか? 愛する彼の傍に居る、もうひとつの人影を。
知っていたのか? 自分と彼の関係が、歪んでいたという事を。 

「浩太さま、朱里さまと別のお方と、結婚されていたんですか……? それって、日本で大丈夫なんですか……?」
……。」

サナの鈴のようなやわらかな疑問に、唐澤は黙して応じない。
──これが〝善くない事実〟である事は、最早明確だった。
伊織の唇が彼を庇うように震え、掠れた声が漏れる。

……築山さん、その事、知ってたんですか」
……知ってたと思う。本命が結婚相手で、浮気相手が自分。知らずに続く筈がねぇからな」

唐澤の低い声が、静かに部屋を締め付けた。
唇は歯を噛んだ。──あの、二人が。
築山の笑顔。それに応える、天城の微笑み。
全てが、壊れていく音がした。

「幸田も、不気味に思って調べたら天璇のカルテにあった。ADHDとASD自閉症スペクトラムに、統合失調症まで患ってる。早乙女先生の基準では〝未来が無くなった〟扱いだろうよ」

唐澤の言葉が、刃のように早乙女を刺す。それで終わらず、彼はさらに言葉を突き付けた。

「天城は東京臨海で五年前、幸田は三年前に天璇で心臓手術を受けてるらしい。そして早乙女先生、あんたは十五年前から四年前までを東京臨海総合病院で過ごした。分かりますよね、早乙女先生。あんた、馬鹿じゃない。状況的に、二人の手術をあんたが執刀した可能性が高いって事。……いや、もう確定でしょう」
……っ、なんて、事を……そんな、私は──! 私はしていません! 彼等なんて、知りません!」
「嘘も大概にしてください。手術をしたっていう〝記録〟が残ってる。……まさか、患者の顔を忘れたなんて言いませんよね」
「──!!」

早乙女は蒼白になり、後ずさった。
唐澤は一歩、二歩と詰め寄る。

「櫻田」
彼は此方を振り向いた。
「この怪死、ただのアナフィラキシーによる〝事故〟だと思うか?」

翠は喉を詰まらせながら答える。真実に、足を掛けたような感覚があった。

……いや。これは、明確な殺意を持って行われた殺人だと思います」

その言葉に、怜が静かに頷いた。

……シナプス・リモデラーが使われている可能性が高い」
「怜、気付いてたのか」

翠がそう問うと、彼は重く頷いた。

「シナプス・リモデラーは、脳のシナプス再構築を促す薬。記憶の結合も、感情の制御も、全部〝書き換え〟られる。もし人体の情報自体を変換できるなら──突然アレルギーを起こす事も、幻覚を見せる事も……人間を超えて神になる事さえ可能かもしれない」
「そんな馬鹿な話がありますかッ!! シナプス・リモデラーは──」
……早乙女さん。貴方は術後の患者にこの薬を服用させられる立場にいました。もし、シナプス・リモデラーがその名の通り〝人体の情報を書き換えられる霊薬〟ならば……
「一色! 貴方まで……ッ!!」

早乙女の声が、割れそうなくらいに震えた。だが怜は、唐澤は──もう彼に情を向けてはいなかった。理性を、向けてはいなかった。
唐澤がつかつかと距離を詰め、早乙女の胸倉を掴み上げる。

「何を──ッ!」
「とぼけるな……
「離しなさい! 唐澤、冷静になって──」
「──とぼけるなッッ!!」

彼の声が爆ぜる。手に、ぎり、と力が籠る。
早乙女の眼鏡の奥の瞳が恐怖におののき、唇が結ばれた。

「あんたが、あんたが……ッ! あんたがやったのか、あんたが殺したのかッ!! なぁ、答えろよ……お前がやったんだろ、早乙女蓮司!!」

雷鳴が轟く。窓の外で、稲妻が瞬いた。
天蓋を劈く、天空の唸り。東雲が慌てて二人の間に割って入った。

「や、やめましょうよ、こんなところで……ッ」
「東雲先生、引っ込んでてください」
「だ、だけど……仲間同士で争うなんて──」
「引っ込んでてくださいッッ!!」

唐澤の怒号が、山荘の天井を震わせた。
東雲は怯えたように肩をすくめ、縮こまる。

「あなたは呑気すぎる! もう三人も死んでるんですよ!! 緊迫感が足りない、絶望感が足りない! この場の誰かがやったとしか、もう思えないでしょう!! シナプス・リモデラーを使えるのは、此処に居る誰かだけだ!!」
「だけど──」

言い淀みながら訴えようとした言葉を、唐澤の怒りが遮った。

「あぁ、あなたには分からないでしょう! 精神科なんて、死人も殺人も日常茶飯事なんでしょうからね!」
「!!」

その言葉に、東雲の目が見開かれる。唐澤はそれに怯まない。

「死なんて、見慣れてるんでしょう! いいご身分だ! 死が、殺人が怖くないなんて、腹立たしくないなんて──」
「──ふざけるな!」

その瞬間、東雲が叫んだ。
唐澤が言葉を止める。
今まで震えていた彼の声に、怒りの熱がこもった。

「僕だって……怖くないわけないだろ! 不安じゃないわけない、怒ってないわけ、ないだろ!!」

息が震え、涙が滲む。

「僕だって、殺したさ。救えなかった患者、見殺しにした命──山ほどいる! でも、全員の顔を、忘れるわけがないだろ!! ずっと呪ってるんだ。僕自身を、救えなかった僕自身をッ!!」

その声に、早乙女が反応し、顔を伏せた。眼鏡の奥に隠れていた瞳が、揺れていた。
翠は見た。彼の唇が小さく震え、何かを呟こうとして、飲み込んだ様子を。

「唐澤先生、君は……君の方が、何も分かってないんだッ!!」

東雲はそう吐き捨て、踵を返した。扉が強く閉まる音が響く。

残された空間に、沈黙だけが残る。
オレンジ色の明かりが照らす木造の壁が、どこか色褪せて見えた。どこか、色調を失ったように見えた。
外では、雷鳴がまたひとつ落ちる。
サナがびくりと身体を震わせ、メディは依然として目を伏せたまま、二つの死体を見つめている。

翠は、拳を握り締めた。
──どうして、こんな事になったんだよ。
仲間を疑い、罵り合うために、此処へ来た訳じゃないのに。
嵐に閉ざされたこの空間が、心を蝕んでいく。自分達を繋ぐ糸を、削っていく。

やがて、神楽岡が静かに唇を震わせた。乾いた、掠れた声だった。

……兎も角、今一番怪しいのは早乙女や。早乙女には部屋で謹慎してもらう」
「そ、そんな……!」

早乙女は顔を上げる。怜が、穏やかに言葉を添えた。

「貴方のためでもあります。貴方が静かにしていても事件が起これば、潔白が証明される」
「逆に、何も起こらんかったら容疑が強まるけどな」

神楽岡の声が低く響く。
早乙女の肩が震えた。唇が何度か開きかけ──けれどそれらは、結局言葉にはならなかった。

……私は、私は……

その先を、神楽岡の冷静な声が遮る。冷たく、鋭く……その言葉は、他人の翠からしても、痛みを呼び起こす色をしていた。

「早乙女、戻るぞ。お前らも全員解散や」

外では、雷雨がさらに激しさを増していた。
空は泣き叫ぶように、山荘の屋根を打ち付けている。

翠は、深く息を吐いた。
嵐の音が、鼓膜に焼き付いて離れない。
──立ち込める暮夜の気配は、振り切れる気がしなかった。