山城まつり
2025-11-02 20:18:33
19341文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.004

前回:Ep.003 https://privatter.me/page/68fda6ebb25a3

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロート、更新!! 第二章「白磁のカタコンベ」の後半を公開します!!
なんかプロットよりも早めにストーリーが展開されてます あれれ~? おかしいぞ~? この調子で最終章まで引っ張れるんか……?と不安がいっぱいですが、まぁやれる範囲で頑張ろうと思います 応援してクレメンス……
てかメディが全然出てこん 第三章はどこかに登場シーンを、入れたい……っ

今回も例によって「キリのいいとこまで……」とやったら2万文字くらいになってしまいました……読まれる方、しんどいですよね……すみません💦
まぁあの 頑張ったので楽しんでいただけたら幸いです。

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


4節:無慈悲な証明




結局一睡も出来ないまま、世界に朝が訪れていた。
それは、ただ時間の区切りとして訪れただけの、名ばかりの朝だった。
霜月の雨は止む気配を見せず、外界は仄暗いまま。雷が遠くで白い閃きを見せ、空の奥に潜む何かの輪郭を照らしている。

木製の床は湿り、壁紙さえも水分を吸って重たく沈んでいた。
翠はスニーカーの底が滑るたびに舌打ちを噛み殺し、欠伸を堪えながらロッジの二階、東廊下を抜ける。
通り抜けたラウンジには、昨晩の空気がまだ残っていた。沈黙と、違和感と、医師達が抱える痛みの残り香。それらを振り切るようにラウンジを通り過ぎると、広々とした空間はオレンジの光で満たされた廊下へと再び姿を変貌させる。

目的地は、西側の個室だった。
天城浩太──昨日、命を落とした男の部屋。

そこで足を止める。扉に埋め込まれた213のプレートが、確かに此処が辿り着きたかった場所なのだと教えている。翠は息を吸いこんで、ゆっくりと吐き出した。

「失礼しまーす……

死人に挨拶してどうするんだよ、と思いながらも、そう言わずにはいられなかった。言ったところで誰も答えてくれないのに──その思いは胃の奥で、軋んで不快感をもたらして。
不穏な心境を押し殺すように、ドアノブを握る。触れた瞬間、冷たさが掌に染みた。
それはただの金属の冷えではなく、まるで〝拒絶〟の温度のようだった。

薄暗い部屋に足を踏み入れる。
微かな機械の駆動音。クーラーが唸りを上げ、霊安室のような冷気が部屋を満たしていた。昨日の検証の後、怜と伊織、それに早乙女が遺体を此処に運んだのだという。

ぽす、ぽす、と床が情けない音を上げる。翠は身震いをひとつして、ベッドのある方へと足を進めた。ユニットバスを通り抜け、死角から、広いベッドルームへ。
そこには──小柄で、寂しげなひとりの人影があった。

細い線を描く背中。
緩く編み込まれた茶髪。
天城の一回り大きい上着を纏い、ベッドの傍らに腰掛けていたのは、昨晩涙していた女性。
──悲劇に巻き込まれたか、悲劇を呼んだ哀れな人間……築山朱里だった。

……築山さん」

呼びかける声が、部屋の冷気に吸い込まれる。
築山は、涙を使い果たしたような目で此方を見上げた。
化粧もなく、髪も無造作に束ねられている。きっと、自分の事すら手に付かないほど、心を痛めているのだろう。その姿があまりに痛々しくて、翠は無意識に頭を掻いた。

……あなたも容疑者の一人です。不用意に近付くと、疑われますよ」

築山は微かに笑った。その表情が悲しくて、喉が、狭まる。

「分かってます。でも……彼の傍に、居たかったんです」

声は、とっくに掠れていた。
祈るように、彼女はベッドの上、天城の左手の袖口を握り締める。
まるで、〝戻ってきて〟と呼びかけるように。この此岸に、引き止めるように。

数十秒の静寂が、短い筈なのに重く垂れこめた。雨音と雷鳴だけが窓の外で音を奏で、室内の静けさを際立たせている。いくつか稲妻が外を白く染めた後、築山はそっと唇をほどいた。

……彼ね、本当にいい人だったんですよ」

沈黙がもう耐えられないとでも言うように、言葉が紡がれる。その声はまるで、追悼の歌のように静かで、重く、苦しくて。

「私なんて不釣り合いだって思ってたけど、彼はちゃんと考えてくれた。私がいいって、言ってくれた。テレビでは明るくしてたけど……実は料理が下手で、裁縫の玉結びも出来ないような、不器用な人で。甘いものが好きで、いい景色が見られる場所も好きで、喉が渇きやすいらしくていつも何か飲んでて……だからこの旅行も、絶対に幸せになるって、思ってたのに。信じてたのに。私、天璇にかかったけど……〝先生〟も──楽しんできなさいって、言ってくれたのに」

翠の胸が、軋んだ。
こんなにも切実な愛の言葉を、死の後でしか聞けないという事実が、胸を締め付ける。

「なんて、今更私が言っても、仕方ないですね。浩太はもう……戻ってこないのに」
……。」

手を伸ばそうとしたまま、そこに縫い留められてしまう。
声を掛けても、慰めても、他人の自分が言ったところでそれはただの綺麗事になるだろう。薄っぺらい、悼みになってしまうだろう。だから、翠は何も言えなかった。掛けようとした言の葉が喉奥から次々に消えていって、何も言えなかった。
──沈黙が、二人の間を埋めていく。
時計の針が、かち、かちと音を立て、時間を食んでいる。
まるで、空気を軽くしようと奮闘しているように。

築山は袖から指先をほどき、ゆっくりと立ち上がった。
ベッドのフレームがきぃと軋む。そして、眠るように横たわる天城の布団を胸元まで引き上げた。

……ごめんなさい」

それは悲愴の雨に打たれながらも、誰にも泣き顔を見せたくない人の声だった。
翠は結局、何一つ口には出来なかった。
ただ、彼女の背中を見送る。
細く、小さく、崩れてしまいそうな危機感を携えた背中を、部屋を出るまで見送った。扉が閉まる最後の瞬間まで──己の手も、口も、何も紡げやしなかった。

彼女が部屋を出た後、室内には冷気だけが残された。生きる者を拒否するような、死人に適した温度。横たわる彼の身体が、もう此方には戻ってこないのだと証明するようなその温度が、翠の目頭を熱くする。

不運な事故。残酷な事件。
だが、築山が彼を殺したとは思えなかった。

もし、彼女がアレルゲンを故意に与えたのだとしたら──あの表情を繕える筈がない。少なくとも翠は、そう思っていた。
それほど冷徹な人間なんていない。それほど冷酷な人間とは、思えない。

ベッドの傍らに立ち、そっと布団を持ち上げる。人型をした彼を包む布団は、吸うべき体温という概念を与えられず、冷たく重くなっている。
胸腹部の上で丁寧に手を組んだ天城の左薬指。
そこには、金と銀のペアリングがふたつ、嵌められて光を孕んでいた。

……すみません」

呟きながら、ポケットから薄手の手袋を取り出す。冷たい指先にぴたりと合う感触。指の温度が奪われ、心までも冷えていく。
翠はそれに気付かぬふりをしながら、静かに天城の腹部に手を添え、シャツを捲り上げた。
白い肌。血色のない陶磁器のような皮膚。
そして──右胸下に弧を描く小切開の痕がある。

……弁膜症?」

天城さん、弁膜症を患ってたのか。そう静かに思案しながら、思考からその術式の記憶を引っ張り出す。
第四肋間。右乳房下から腋窩えきかにかけての線。
それはMICSミックス、心臓弁膜症の低侵襲手術によく使われるアプローチだった。
翠は服を戻しながら、小さく息を吐く。肺から、湿った息が漏れ出した。

……あんた、築山さんにも言ってねぇ事とか、ないよな。築山さんが隠してる事とか、ないよな」

木壁がその言葉を柔らかく跳ね返した。
天城は何も答えない。
もう、何も答えない。

……人間関係のトラブルとか、恨まれたとか。芸能界、仄暗いって聞くもんな」

唇は動かない。
それでも、それでも──翠は問わずにいられなかった。
助けられなかったから。救えなかったから。
もしかしたら、まだ生きていたかもしれないのに。
彼女と二人で、笑えたかもしれないのに。

喉の奥が熱を帯びる。唇を噛み、唾をひとつ、飲み込んだ。

……死にたくなんて、なかったのにな」

落とした言葉は、自分を責める色を含んでいた。
救えなかった自分を、運命を呪う色を含んでいた。

……十五年前のクリスマス・イヴが脳裏に蘇る。
あの日、雪の降り積もる紙屋町の街路で、隣を歩いていた妹はトラックに撥ねられた。己を庇って、跳ねられた。
足元を穢す赤。紅、朱、あか。冷えゆく彼女にいくら温もりを当てがっても、温度は奪われていく。広がる血だまりは、雪を真っ赤に染めていく。
あの時感じた無力さが、喉奥にせり上がる。
俺は、無力だ。医者は、無力だ。
本当の奇跡を起こせるのは結局、神だけなのだ。無慈悲に微笑む、神だけなのだ。

……ごめんな」

唇から零れた言葉は、掠れていた。
翠は震える声でそれだけ言って、踵を返した。天城から逃げるように、踵を返した。
ドアを開けた瞬間、外気がぶつかってくる。湿った温かさが、肺を刺した。その温度に、思わず身震いする。──誰かが死んでいる中、自分は生きているのだという事実が、足に冷たい枷を嵌めていた。

「──翠」

不意に、聞き慣れた声が横から響く。それに従って、顔を上げた。
そこに立っていたのは、神楽岡だった。自分より高い背丈。中肉なのに骨ばったよく動きそうな手には、財布が握られている。

「よぅ会うな。何やっとったんじゃ」
「神楽岡さん……

彼は口元に小さく笑みを刻んで、財布をデニムパンツのポケットに押し込んだ。──それは、話が長くなっても構わないという合図に思えて。

「天城の部屋に用か? まさかとは思うが、お前が殺して、証拠を隠滅しようとしとったとかやないやろうな」
「まさか。知らない人を殺す理由なんてありませんよ」
「天城を抱いて、そん時トラブったとか」
「馬鹿言わないでください。だったらこんな公の場で殺しませんよ。あと、俺は天城さんと昨日、殆ど接点ねぇんですよ」

むっとしたように睨みつけてやれば、神楽岡はからからと笑った。

「ははは、冗談や。お前が人殺しなんかするタマやない事くらい、前の事件でよう分かっとる。信じとるんやからな、こう見えても」
「はっ、俺だって信じてますよ。……前回あんな事言っておいて、今更人殺しましたなんて言ったら、俺、一生蔑みますから」
「前回……なんか言ったか? ……ああ、〝患者のための医療は裏切らん〟ってヤツか」
「そうです。覚えといてくださいよ。あれ、割と感動したんですから」

神楽岡は、大袈裟に肩をすくめてみせる。眉が下げられたその顔は、「悪い悪い」という答えと、「そんな無茶な」という嘆きをないまぜにしていた。

「しゃあないやろ。お前んとこの悪魔の〈呑噬どんぜい〉──いくら魔法省時代にラプラスと契約しとったゆぅても、もう三十年前の話やけぇ。加護も薄れとる。全人類が忘れた〝魔法抗体〟の事、覚えとるだけ奇跡なんやけぇな」

その名を聞いた瞬間、翠の胸がひやりとする。
〝魔法抗体〟。
もう、誰も覚えていない筈の言葉。

──前回の一件、魔法抗体を巡る医療アクシデントは、メディの〈呑噬〉を持って「誰も記憶していない、そんな概念は存在しなかった」という結末で幕を下ろした。……起こった全てを覚えているのは目メディ本人と体が概念化する呪いを持つ翠、そして大悪魔ラプラスと契約し、「全てを知り続ける」加護を受けた魔法省──魔法規制管理省の高官だけ。
だが、最近分かったのだ──目の前の彼、神楽岡もまた、ラプラスと契約した人間だったのだと。契約したまま、省を去った人間だったのだと。
〝全てを知り続ける〟加護を、その身に宿したまま。

「てか神楽岡さんはどうしてラプラスと契約してたんです? 異界技術開発局で真実を知り続ける意味ってあるんすか」
「簡単な話や」

目の前の彼は腰に手を当て、片足に体重をかける。

「異界技術開発局の中でも、俺は法に触れんかどうか監査する役職やったんや。魔法執行局の下っ端みたいなモンやな。執行局からの出向で、そのまま居ついてしもうた」
「へぇ。じゃ、つまり〝技術開発の犯罪監査官〟みたいなもんですか」
「そうや。まぁ、出世街道を奪われた可哀想な公務員っつう事じゃ。結局、魔法省も数年でやめて臨床医になったけどな。俺はそもそも、医系技官じゃったけぇ」

神楽岡は笑いながら、急に表情を引き締めた。……ちょっと話、脱線しすぎたか。翠もそう思い、笑みの奥で気持ちを切り替える。

「で──天城の部屋に、何用じゃったん?」
「遺体の確認です。怜を信じてねぇ訳じゃないけど、俺も見ておきたくて。……百聞は一見に如かず、って言うでしょ」
「成る程な」
「神楽岡さんは? 水でも買いに?」
「おう。自販機にな。東廊下のは一番安いヤツが売り切れとったけぇ、こっち来た」
「ふうん」

翠が頷くと、神楽岡は子供を見るような笑みを浮かべた。だがその瞳の奥は、何かを察したように細められている。

「遺体確認、まるで鑑識やな、翠。なんか分かったか?」
「い~や?」

肩をすくめてみせる。両手をぶらぶらと振り、「お手上げ」を示すまでがセットだ。

「怜も言ってたけど、不審な点は特に。ただ……胸に傷跡がありました。弁膜症のMICSアプローチでしたね」
……なんやと?」

神楽岡の顔が一瞬、険しくなった。纏う雰囲気が変わり、翠は思わず息を呑む。

「どうしたんですか。何か、不味い事でも?」
……んにゃ……まぁ……疑いすぎと言うか、俺の偏見かもしれんがな……

曖昧に答える彼の瞳が、泳いでいる。それを捉え、鋭く射抜く。

……何か、思い当たる節でも?」
……。」

彼は数秒沈黙を流すと、眉を寄せ、声を低める。

……翠、今から、ええか」
「え? 別にいいですけど……
「水買いに行くけぇ、その後俺の部屋に来い。怜もおるけぇちょうどええな。人の目がない方がええ。……ちと、話をしようや」

翠は脳裏に浮かぶクエスチョンマークを飲み込んで、黙って頷いた。
目の前のこの男は朗らかで、気さくで、誰より陽気だが──彼がこのような険しい表情をした時、そこに何かの理由があるのだという事を己は知っている。
──弁膜症のMICSアプローチ。
そこに恐らく、彼なりの答えがあるのだろう。

誰も疑いたくないという願いは、叶うのか。
これ以上に何も起こらないで欲しいという祈りは、叶うのか。
神はその願いを、祈りを、言祝ぎを──認めてくれるのか。無慈悲な神は、応えてくれるのか。

……雨が、また強くなっていた。
その音は、まるでこの世界の〝真実〟にノイズを掛けているかのように、洗い流そうとしているように……翠にはそう、聞こえていた。