もち粉
2025-11-01 23:25:35
14149文字
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天燈節の夜に


カブミス
おまつりデートお着替え付き


しばらく走って辿り着いたのは、大通りの脇にある小さな古着屋だった。色褪せた看板は紙製の花で飾られ、吊るされた布服が風に揺れている。観光客は素通りし、地元の人間だけが出入りする目立たない店だ。

「ここで服を選びましょう。その、いかにもお貴族様な服では目立ちすぎますから」

古着屋など足を踏み入れたこともないのだろう。躊躇するミスルンを、カブルーは抱きかかえるようにして店内へと誘導する。

店内は布の匂いと埃っぽい空気に包まれていた。扉を閉めると外の喧騒が遠ざかる。壁際には色褪せた外套や鞄が掛かり、奥から恰幅のいい女性の店主が顔を出した。

「すみません、この人に合うサイズの服を至急見繕っていただきたいのですが」
「いらっしゃい! ……あらまぁ、かわいいカップル!」
「えっ……?」

カブルーの動揺をよそに、店主はミスルンに話しかける。

「お嬢ちゃん、観光かい?」
「あの、こちらはお嬢ちゃんではなくて……
「おっと、ごめんごめん、あんたの奥さんか!」
「奥さん!?」

(ちょっと貴方からも何とか言って……

しかし横を見ても、ミスルンはただ物珍しげに店内を見渡しているだけだった。誤解されたくないという欲が、そもそも彼には存在しないのかもしれない。

カブルーがもう一度訂正しようと声を上げかけた時、ミスルンの手がカブルーの腕を引き、耳元にそっと囁いた。

「正体が露見しにくい方がいいのだろう? 私とそう見られるのが嫌でないなら、黙っていろ」
「イヤとかでは……ないですが……

裏返りそうになる声を、カブルーは慌てて咳払いで誤魔化した。
(ていうか、貴方はいいんですか!?)

カブルーが混乱しているうちに、店主は次々とラックから服を取り出してきた。

​「あなた細身だからねぇ……うちにはあんまり……これはどうだい? あ、試着室はあっちにあるからね」

​カブルーが止める間もなく、フリル付きのブラウスや、華やかな刺繍の入ったスカートが次々とミスルンの腕に山と積まれていく。
さすがにそんな物をミスルンに着せるわけにはいかない。​そのまま試着室に向かおうとするミスルンの肩を掴んで止め、カブルーはようやっと訂正した。

​「あの、すみません。この人は男性でして……できれば、外套とか、身体を覆えるものをお願いしたいんです」
​「あらまあ、あなたエルフだったの! 耳が見えなかったから、てっきり」

​店主はようやく、ミスルンの種族を認識したらしい。エルフの特徴である長い耳を失ったミスルンは、耳が髪に隠れている時にはよくトールマンの小柄な女性と誤認されていた。彼自身は、それを訂正することも、否定することもほとんどなかった。

「ああでも、うちはトールマン向けがほとんどでねぇ……あなたのサイズだと、どうしても女の子向けになっちゃうのよ。でもこれなら、帽子もお揃いであるし、そんなに派手じゃないわ」
店主が出してきた外套には、裾とあわせの部分に控えめな刺繍がされていたが、全体としては落ち着いた印象だった。街に溶け込むには、ちょうどいい。

エルフはもともと男女差が少ない種族なので、服装にも男物女物の区別がほぼない。
あまりピンと来てなさそうな本人に代わって判断したカブルーはミスルンにその象牙色の外套をやさしく着せかけた。

そのまま襟元のボタンを一つ留めてやったが、ミスルンは自分で指を動かす気配もなく、少し腕を広げて突っ立っている。

​(普段は着替えとか、使用人にやらせてるんだろうな)

​仕方なくカブルーは膝をつき、下の方までボタンを留めていく。一番下まで留め終わって、見上げた瞬間、ドキリとした。
ミスルンの黒い瞳が、カブルーの心の奥まで覗き込むように、ただ真っ直ぐに自分を映していた。
慌てて立ち上がると、何かを誤魔化すように彼の手に帽子を押しつけた。

​「はい、いいですよ。帽子は自分で被れますね?」

脛の半ばまで長さのあるうっすら黄味がかった白い女性物の外套を羽織り、つばのない帽子を深く被って耳を隠したミスルンは、鏡の前で外套の裾を軽くつまんで姿を映した。

​「……どうだろう」
​裾を揺らすように左右に体を回してみせ、カブルーを見上げる。

​「……ええと(これは……褒められ待ち?)」

​カブルーは言葉を詰まらせた。
鏡に映るミスルンは、確かにミスルンなのに、見慣れた彼とはまるで違って見えた。

少し良いところのお嬢さんといった風情だろうか。トールマンの女性サイズでも大きめの外套からのぞく手足が、エルフの華奢な骨格を際立たせる。髪を帽子に収めたことで、顔立ちの良さがかえってはっきりとわかった。片目が義眼なことも、すれ違う程度ならば気づかれないだろう。

​「似合ってます。ええ、すごく」
​努めて真面目に告げると、ミスルンは小さく笑った。口にしたのはただの感想なのに、なんだろうこの罪悪感。

「そうか!」

その微笑みは、つい先ほどまで彼を覆っていた重苦しい空気を打ち破るようだった。
貴族でも、外交官でもない。何のしがらみもないただの普通の人のようで、今まで見たどんなミスルンよりも自由に見えた。

――ほらもう。この人時々、嘘みたいに可愛い。

このあやういほどのあどけなさに、何かを試されてるような気になって、カブルーは頭の中で世界の首都名を唱えた。

​「じゃあ、これでいい。外套と帽子をもらおう」
​「毎度あり!」

 ◇

支払いを済ませて店を出ると、通りにはすでに祭りの灯がぽつぽつと灯り始めていた。赤や金の飾り布が夜風に揺れ、人々の笑い声が広がっていく。

「そういえば――」と、歩きながらカブルーが口を開いた。
「ここに来た目的のひとつだったんですが、博士に会えたんですよ」
「博士?」
「この国で大規模な農地除塩を成功させた方です。もしメリニにも来ていただけたら……大きな助けになると思うんですけど」
「ふむ……お前の頼みなら、ひと言添えてやろうか」
「えっ、いいんですか」
「ただし今は祭りだ。仕事の話はここまで」

話を打ち切ると、ミスルンは屋台をきょろきょろと見回した。その様子は、ほんのり頬を染めた少女のような無邪気さだった。楽しげな横顔を見ているうちに、カブルーの口元は自然と緩んでいた。

……なんか、デートみたいだな)

思わずよぎった言葉に、カブルーは慌てて首を振る。動揺を悟ったのか、ミスルンが怪訝そうに見上げてきた。

「どうした? やはり変だろうか?」
「いえっ、大丈夫! これなら誰にも気づかれませんよ!」

急にわざとらしい笑顔を浮かべると、カブルーはごまかすように足を速めた。


​そうだろうか、とミスルンは内心で反芻した。彼は通りを見渡しながら、ゆっくりと歩く。
確かに、この国についてから常につきまとっていた、無関係な周囲からの憐れみと好奇の視線がない。

ミスルンは、飾り布の間を抜けるようにして歩きながら、ふと立ち止まった。
人の流れから一歩離れて、目の前を通り過ぎる人々を眺める。

……本当に、誰も気づかない)

祭りの音楽と雑踏の熱気の中を、潮の香りを含んだ涼しい風がすっと通り抜けて肌をなでた。人々はウキウキと提灯を見上げたり、家路を急いだりしていた。

療養中、誰も来ない部屋で、廃人同然にベッドにぽつねんと横たわっていた時、自分を残して世界は音も色もなく、みんな真っ白に溶けてしまったのかと思った。
だが今は違う。周囲にはこんなにも人がいるのに、自分が透明な存在になってしまったかのようだ。誰も自分を気にしない。誰にも見られていない。

​ミスルンは軽く帽子を押さえ、夜空を仰いだ。まるで、深海から水面へ浮上したかのような感覚だった。久しぶりに呼吸ができた気がした。
​ここにいるのは、「ケレンシル家の息子」じゃない。「カナリア隊の隊長」でもない。「西方エルフの外交官」でもない。誰かの期待に応える必要もなく、誰かに憐れまれることもない。何者でもない、ただのミスルンだった。


――ひとりだ。


​そう思った瞬間、手のひらに暖かいものが触れた。ぐい、と引かれて、曖昧に溶けかけていた自分の輪郭が急に形を得たような気がした。

​「ちょっと! ぼーっとしてないでくださいよ。後ろ見たらいないから、びっくりしましたよ」

ミスルンがいないことに気づいて、駆け戻ってきたらしいカブルーが、軽く息を切らせて大げさに肩をすくめてみせた。

​繋がれた手を慌てて振り払おうとしたミスルンだったが、すぐに祭りの人波に押されて足を止めざるを得なかった。

​「……迷子になられても困りますからね」
​カブルーはそのままミスルンの手を握って歩き出した。

​「子ども扱いするな」
​「してませんよ。ただ……今夜くらいは俺に任せてください」

​カブルーの言葉に、ミスルンは小さく目を伏せる。誰の目にもとまらない自分、まるで小さな子どもみたいに、ただカブルーに手を引かれて雑踏を歩いた。手を払う気になれないのは、そんな欲もないからだと言い聞かせて。


だがその時、通りの向こうから、先ほど広場でミスルンのことを噂していた長命種たちの姿が近づいてくるのが見えた。

​「……!」
​カブルーは考えるよりも先に体が動いて、ミスルンを引き寄せた。
​「な――
​「しっ、こっち見られてます!」

​道端の石垣側に追いやられたかと思うと、正面から腕ごと抱き込まれる。背中に回された手が、カブルーの胸にミスルンの顔を押しつけた。
すれ違う人々からは、ただの仲睦まじい恋人同士のじゃれ合いにしか見えない。

……カブルー」
「すみません! 今だけ、今だけですから!」

カブルーの身体に包まれたまま、長命種たちの集団を横目で見送った。夜風に冷えていた身体がじんわりと温まる。この男は、手だけでなく、全身の体温が高い。
胸の奥が妙にざわめいて、知らぬ感情がこみ上げる。

……行ったみたいですね」

身体を離そうとしたカブルーの腕が緩んだ瞬間、押さえられていた二の腕が自由になったミスルンは、自分から腕を伸ばした。ほんの刹那、カブルーの背中で腕を宙に彷徨わせ、けれど次の瞬間には引き寄せていた。もう一度、彼の胸に顔を埋める。

「ミ、ミスルンさん……?」

どぎまぎと片手でミスルンの肩を包んだカブルーに、ミスルンの声が問いかける。

「お前が今日、私をさらったのは、私を憐れんだからか……?」
​「違います。憐れんでなんかいません。俺は……俺はただ……
​即答したカブルーは言葉を選び、唇を噛みしめた。

​「ただ、イヤだったんです。あなたが、なんか、あんな風に……可哀想なものみたいに扱われていることが……

​そのまま口をつぐんでしまえば、祭りのざわめきにすべては紛れてしまっただろう。けれどカブルーは続けた。

​「あなたの耳や目を、体の傷を、痛ましげに見る人もいるけれど……、俺は、それはあなたが悪魔と戦った証だと思うから。欲を食われて、一時は廃人同然だったというあなたが、生きて、這い上がって、再起した。……それは、勲章ですよ」

ミスルンはしばらく動かなかった。胸に額を押しつけたまま、指先がかすかに震え、やがてゆっくりと、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。​

​「……口のうまい」
​低く、吐き捨てるような声。怒りではなく、ほどけかけた感情が滲んでいた。
泣きたいのか、笑いたいのか――自分でも分からないような震え声だった。

​カブルーは、ほっと息をつき、そっとミスルンの背に回した腕をほどかずにいた。祭りの灯が頭上を流れ、ふたりの影を石垣に重ねて揺らしていた。


 ◇

​わあっと、遠くからひときわ大きな歓声が聞こえてきた。
見上げれば夜空に向けて、火を灯した無数の紙の灯籠――ランタンがゆっくりと舞い上がっていく。橙の光は、星々に混じるように空へ散っていき、歓声はざわめきに変わった。

​「……綺麗だ」

思わずこぼれたカブルーの呟きに、ミスルンも小さく笑みをこぼした。

​「お前は初めてだったな。せっかくだから、やってみるか? どこかでランタンを売っているはずだが……
​「あそこじゃないですか? 人が並んでる」

腕の中から抜けて歩き出したぬくもりに、名残惜しさを感じながらも、カブルーは海岸に抜ける手前でランタンを売る屋台を見つけて立ち止まった。

​「絶対にここを動かないでください。誰かに呼ばれても、ついて行っちゃダメですよ」と真剣な顔で言い聞かせ、ランタン売り場の列に並びに行くカブルーを見送って、ミスルンは石段に腰掛けた。

別にカブルーが心配してくれたほど、自分は傷ついていないと思う。傷つきたくないという欲を失っているからではない。カブルーがあの迷宮で、"誰に何を語るかを選んでいい"と教えてくれたからだった。

――誰彼構わず、個人的な話をする必要はない。

​事実、この街でミスルンは、自分に何があったのかは語らなかった。ただ、「カナリア隊での任務中に事故に遭った」で押し通している。どうしても必要のある相手には、カブルーが編み直してくれた過去の話を掻い摘んで話した。
​そうしていると、それが本当だったのか、編集された記憶なのか――時々、境界が曖昧になる。
それは、過去の自分の醜さと弱さから目を逸らしているのかもしれない。それでもミスルンは、あの話のおかげで前に進めるようになったと思っている。
​あれは、ミスルンの心の再構築だった。


あの会話がなかったら、ミスルンはきっと、今ここにはいなかっただろう。抜け殻のまま、打ち捨てられていたはずだ。

――私は、大丈夫なんだ。カブルー……

空に浮かぶ無数のランタンを眺めながら、もう一度自分の心の中をゆっくりと探ってみる。安定している。

準備ができた、と思った。

己の過去と向き合える。未来を掴むために踏み出せる。
だから、別にこんな石段でひとり待っている必要もない。私は自分の足で歩けるのだから。

空を見上げる。
舞い上がったランタンの橙の灯が、星々に溶け込むように広がっていく。
自分の未来だって、あの星の中にあってもいいはずだ。



カブルーは、ぐいと横からミスルンが列に入ってきたのを見て驚いた。

​「ミスルンさん? 待っててくださいって言ったのに」
​後ろに並んでいた夫婦連れに「すみません」と会釈をして、ミスルンの分のスペースを作る。

​「いい、私も並ぶ」
​ミスルンは、列に体を寄せた勢いで、するりとカブルーの手に細い指先を滑り込ませてきた。驚きながらも反射的に握り返してしまった。横を見れば、ミスルンは何もおかしいことはないとばかりに、何食わぬ顔をして前を向いている。今さら離すのも変になって、ふたりは手を繋いだまま列に並んだ。

カブルーは、​後ろから聞こえてくる「可愛らしいこと」とくすくす笑う声については、聞こえないふりをした。

​(いや、これは……そう見られてた方が正体バレにくいから……それだけ!)

決して、このままメリニまでさらえそうだなんて思っていないから!


 ◇

売り場で二人分のランタンを受け取る。薄紙に包まれたそれは、驚くほど軽かった。

砂を踏んで海岸に降りれば、潮騒と夜風が頬を撫でた。背後では街の灯りと祭囃子がきらめき、目の前には暗い海原が広がっている。波間に映る橙の光がゆらめき、まるで水面に星を散らしたようだった。

大勢の人々が紙のランタンを手にし、火を灯し、海に向かって空へと放っていた。ランタンは夜の潮風を受けて舞い上がり、やがて海と空の境界を越えていく。願いが天に届くという、この地の風習だ。

​カブルーは、自分の手の中のランタンに火を点けた。紙袋のような灯籠がふわりと膨らみ、じわじわと温もりを増していく。

​「……願い事して飛ばすんですよね」
​「そうだ。声に出してもいいし、出さなくてもいい。唱え終えたら、指を離せ」

​少しの沈黙があった。

人々の賑やかな声や、はしゃぐ子供たちの笑い声が満ちる中で、ふたりだけが静かに向かい合う。

指先で紙の感触を確かめながらカブルーは迷った。

(この国に来た目的を思えば、メリニの除塩作業が成功するよう祈願するべきなんだろうけど……
まあいいか。これは自腹で買ったものだし。

――どうかこの人が、自分の欲を取り戻して、生きたいように生きられますように。

​「――いくぞ」
ミスルンが声をかけ、ふたりは同時に手を離した。

​ふわり。
​ランタンは夜風に乗り、橙色の光を抱いて空へと昇っていく。無数の光に混じりながら、やがて星と区別がつかなくなっていった。

​見上げるミスルンの横顔は、焔の色に照らされて柔らかく見えた。欲を奪われたこの人は、何を願ったのだろうか。

​「……ミスルンさん。願いごと、しました?」
「秘密だ」

​ミスルンは、じっとカブルーを見つめ、それから肩をすくめて楽しそうに笑った。
ただのひとりの人間としての笑みだった。