山城まつり
2025-10-26 13:43:23
22832文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.003

前回:Ep.002 https://privatter.me/page/68f4b11862ced

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロート、更新!!
「キリのいいところまで……」と思って書いたら、2万文字くらいになってしまいました……申し訳ない……。
今回から第二章、「白磁のカタコンベ- Ivory Cataconb -」が始まります!!
カタコンベは地下に掘られた墓地を指すらしく。語感で選びました。

謎が深まる(はずの)第二章。ここから医療ミステリ要素が強くなっていくはずですので、お楽しみいただけたら幸いです。でもミステリー書くのが下手すぎて犯人も目的も、もうバレてたらどうしよう……の気持ちです。難しいですね……。

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


2節:玻璃の檻




夕食を終えた一同は、再び玄関ホール──談話室へと戻っていた。
木の床は冷え切っていて、スニーカー越しの足裏から湿気が上ってくる。天井から降り注ぐオレンジのライトと、壁に一定間隔で取り付けられたランプの群れが窓の外の宵闇を拒絶する。明るい筈、温かい筈なのに──テーブルの上に落ちる橙色の影は静かで、どこか息をひそめているようだった。

「みんな、お待たせしました」

その声に、翠は顔を上げる。
東雲が両手にビニール袋を提げて戻ってきていた。中には、水とお茶、ジュースがぎっしりと詰まっている。オレンジ、アップル、ピーチ、グレープ。……烏龍茶に緑茶、ジャスミン茶まで揃っている。

……いや、多くね?」

思わず、引きつった笑みが零れる。今からやるのはパーティーかよ。そう思案しているところで、唐澤が明るく軽口を叩いた。

「買いすぎじゃね? てかこんだけあってコーヒーはねぇのかよ」

東雲は、疲れたように笑って首を振る。ちらちらと、その横顔が壁掛けのランプに照らされて夕焼け色に染まっていた。

「嫌いなものがあったら困るなって……。僕がたくさん飲むから、そのついでに多めに買っちゃって。みなさん、部屋に持って帰ってください。コーヒーは……眠れなくなったら困るなって」

その笑みの奥に、どこか空虚な影が差していた。翠は僅かに、違和感を覚える。
──声がいつもより掠れている。きっと、疲労のせいだろう。此処に居る誰もが、一人の死に心を痛め、精神をすり減らしているのだから。

「俺、アップルで」

空気を緩めようと、一番乗りで袋からボトルを取り出した。その後に早乙女、唐澤が続く。メディも、怜も、伊織もサナも神楽岡も──それぞれが思い思いにビニール袋に手を伸ばし、手元に飲料を獲得していく。

「私はオレンジを」
「じゃ、俺グレープ」
「ボクはピーチ!」
「俺は水でいい」

雑多に入れられたペットボトルが、早い者勝ちで手に取られていく。
机の上にずらりと並んだボトル群は、遠い町のビル群のようにも見えた。透明なラベルが照明を反射し、夜の静けさにさざめく光を淡く落とす。

東雲は最後に自分の分──水と烏龍茶とゼロコーラを取り上げ、力なく微笑んだ。
沈黙が落ちる。
それを破ったのは、意外な事に怜の低い声だった。

……結局、例の症例の原因、分からないままですね」

その瞬間、空気の重みが増した。
天城浩太の不可解な死。
事故である可能性も否定はできないが、ならばどこかに「小麦を摂取した」痕跡がある筈だ。
レシート、ゴミ、包装紙……
けれど、それは見つからなかった。そして、彼はもともと小麦アレルギーですらなかったのだ。

──だとすれば。
吸入か、接触か、魔法によって刻印されたアレルギーの概念か。
それは〝事故〟と称していいのだろうか。
否──最早それは人為的な異物反応。……〝事件〟である可能性が極めて高い。

……魔法、なら)

怜の声が、脳裏に蘇る。
そんな術式を扱える人間は限られているのだ、と。
薬物を扱う研究者か、医師か、或いは福祉の現場に立つ者か。
築山朱里の職場──介護施設──でも、利用者の肉体に「健康」の概念を薄く刻印して適応させる事は珍しくない。それは先程、己の頭脳が至った結論だ。
ならば、誰もが疑われる。
被害者以外の──全ての関係者が。

唐澤がボトルを傾け、神楽岡は無言で顎に手を当てた。長い沈黙の後、彼は乾いた唇を震わせる。

……怪しいヤツが多すぎや。仲間を疑いたくはないんじゃけど」
「そうっすね。今、此処に居る全員が怪しい。このメンツがやってないっていう〝証拠〟が──今の俺達には必要です」

手にしたペットボトルを軽く振りながら、東雲に視線を向けた。彼は怯えたように、恐る恐る視線を合わせてくる。

「まず、東雲さん。接触してねぇですよね」

彼は直ぐに首を振った。勿論、横に。

「一度も接触してないよ」
「ジュース配ってたじゃないですか。そこに、小麦混ぜたとか」
「しないよ!」

東雲の声が少し上ずる。……まぁ、疑われたら不快にもなるよな。翠はそう考え、瞳を細めた。彼はそのまま、早口で続ける。

「ジュースに小麦粉とか、グルテンを入れたら直ぐにとろみがつくし白く濁る。そんな事、無かったでしょ? 小麦成分なんて入れてないよ」
「ん……確かに……。でも、天城さんのだけそうした可能性は?」
……しないよ……

そう言って一度、口を引き結ぶ。沈んだ空気に、息が詰まった。
唇を濡らした彼は、細く、細く言葉を紡ぎ出した。瞳がふるふると揺れている。それは確かに、疑われたくないという思いと、医師としての葛藤を秘めた震えだった。

……だいたい、僕は何人も救おうとして殺してる。カウンセリングをいかに慎重にやっても──患者の心の闇を取り払えなくて、殺してる。それで眠れない日もあるのに……自分から人を殺したりなんて、しないよ」

その声は、枯れていた。
嘘を吐く声ではない。
しかし──そこには微かな自己嫌悪の匂いがあった。

げほげほ、と咳き込む。彼は口を押さえ、「ごめん」と謝った。……あんたのせいじゃ、ないのに。翠もまた、口を閉ざした。彼を責めようとした事が、心に深く突き刺さって。

……俺も」

そう口火を切ったのは、唐澤だ。彼はジュースのボトルを両手で擦り合わせながら、此方を見ずに続ける。

「そもそも俺は天城と関わりが殆どねぇしな。もし言質取りたいなら、生きてる彼女の方に聞いてみりゃいい。知らねぇって言うだろうよ。俺も、あいつらの事なんて知らねぇ」
……正義のヒーロー『暁翔』が隠れて交際してたのに逆上したとかは?」
「するかよ、そんなガキみてぇな真似」

静かな疑問に、唐澤は鼻で笑って答えた。その伏せた双眸を、翠は横目で眺める。嘘など、誰も吐いていなければそれに越した事はない。ただ──仲間を疑う事が、痛くて、痛くて。

「もし天城が付き合ってんのに逆上して計画したなら、レストランで驚いた俺も演技だったってか? ハッ、俺、そこまで嘘が上手くねぇよ。東雲や早乙女先生、一色は知ってるだろうけどな」
……唐澤さんが嘘を吐いているところ、見た事ありませんので」

怜が溜息混じりに呟いた。それを見て、ふうんと言いながら腕を組む。……見えてこねぇな。何もかも。

「そう言う櫻田、お前どうなんだよ」
「唐澤さん、俺を疑います? 無理ですよ。言ったでしょ、俺は犯罪はしません。ただでさえ医学界にも居場所ないんですよ、自分から人生ぶち壊すような真似しませんって」

表情を変えないまま、そう言い切る。……疑心暗鬼の渦が、仲間内に立ち込め始めている事を悟る。自分は違う。周りが怪しい──そう考えているのは自分一人ではない。誰もが、互いを疑っている。その鬱々とした雰囲気が喉奥まで纏わりついてきて、翠は大きく息を吸った。

……じゃ、早乙女先生はどうなんだよ。酔い止め渡したって聞きましたけど」

唐澤の視線が、今度は早乙女を射抜く。翠もそれを追って、黒目をそちらへと動かした。早乙女は溜息をひとつ漏らし、静かな声でゆっくりと応じる。

「普通の酔い止めです。確認したいのであればどうぞ」

取り出されたパッケージが、皆が見られるよう机の中央へと置かれる。市販薬の簡素な印刷、光沢を帯びた表面。翠も覗き、眉を寄せた。

「すり替えてねぇでしょうね」
「そんなに訝しむなら、天城さんが持っていた薬のゴミから成分分析してみたらどうです。部屋のゴミ箱か、カバンの中にあるでしょう」

淡々とした声音。そこに、悪意も影も無かった。
けれど、どこか決定的に人間臭さを欠いている。──肺の奥底から、湿った空気が漏れ出した。胸中に渦巻く暴風雨、止まらない重い息。それらをぐっと堪え、息の代わりに唾液を飲み込んで仲間達を見据える。

……そういや、早乙女さんと怜と伊織……とサナちゃんは、死体検証に残ったんだよな。持ち物とアナフィラキシーの症状以外に、何か気になるところはなかったのか?」
……不審な点はなかった。……〝不審な点〟はな」
「〝不審な点〟?」

怜の落とした一言に、片眉を吊り上げる。彼は横長の瞳で器用に此方を一瞥して、言葉を継いだ。

「嗚呼。……怪我も、薬物の痕跡も何もない。ひとつ、あったと言うなら──」

怜の声が、途中でくぐもる。
彼は言葉を詰まらせ、やがて切った。

……いや、気のせいだ。何でもない」
……そ。……早乙女さんと伊織は?」
「私と綾瀬は荷物を確認して袋に入れていたので、何とも。遺体を確認していたのは一色だけです」
「ふ~ん……

曖昧に呟きながら、椅子の背に体重を乗せる。
自分は殺してない。ならば、誰かが怪しい。何せ、この嵐の山荘で起こったそれが〝事故〟でないのならば──誰かが、意図的に〝殺した〟という事なのだから。

胸の奥が冷たさを帯びる。
……誰もが何かを言えずに居るような、沈黙の色。

翠は自分が彼等を「疑っている」という事実に気付き、苦く笑った。
──俺は馬鹿だ。彼等が人を殺すなんて、そんな事がある筈がないのに。

きっと、本当にただの事故なのだ。
ただの、不運な事故なのだ。
そうでなければ──。

…………

……まぁ、少し休もうや。明日、また話そう」

神楽岡の声が、沈んだ議論を無理やり締めくくるように重く響いた。翠は腹の奥底に沈殿するわだかまりをいなしながら、「そっすね」と曖昧に頷く。
疑心暗鬼と、不穏と、不可解な死。それらが胃を圧迫して、きりきりと腹部が痛む。
事故だ。きっと、事故なんだ。そう思い込もうと息を吐き、新しい酸素を取り入れようと肺を膨らませ──。

その、直後だった。

──乾いた音。

ペットボトルの塔が崩れ、一本が机から転がり落ちた。
ごとん、液体の詰まったプラスチックが低く響く。

……東雲先生?」

唐澤の声。
次の瞬間、東雲の身体が椅子から滑り落ちた。

隣に腰掛けていた翠の手は、反射で動いていた。
椅子が倒れる、ボトルの群れが崩れる。
そんなものは知らない。そんなものを気に留める余裕は無い。
悲鳴よりも早く、医師としての本能が身体を突き動かす!

「東雲さんッッ!!」

床に倒れた彼の顔は、誰よりも苦しげだった。
唇は紫に変色し、皮膚は青く、青白く。
翠の胸の奥に、稲妻のような恐怖と衝撃が走った。

彼のジュースを疑うべきだと思った。
だが、違う。決定的にこれは、違う。
──彼は被害者だ。邪なる神に利用された、哀れな犠牲者だ。

怜が傍に駆け寄り、腕をまくる。
袖の下の肌は朱く腫れ、呪われたような歪な痕が浮かび上がっていた。

「不整脈、チアノーゼ……アナフィラキシーか!? ショック兆候が出ているッ! 櫻田──」
「分かってる、でもエピペンなんて持ってねぇよッ!」

アナフィラキシーショックが起きた時に、救急医療を受けるまでの間、症状を一時的に緩和する自己注射薬──エピペン。
アドレナリンを筋肉内に素早く注射できるそれを、アレルギー既往歴のない翠が持っている筈もない!

「僕が〈構術〉するよ、サナッ!」
「はいっ、分かりましたご主人さま!」

伊織が慌てて指で手刀をこしらえると、空中に図形を描き出す。
足元にサナの薄紅の魔法陣が浮かび、伊織の手の動き、紡がれる魔術式に合わせて文字列が書き込まれていく。
光が立ち上がった。構築された数列を交えた糸が形を変え、透き通った注射器へと変化していく。

「もらった!」

翠はそれをひったくり、東雲の大腿へと突き立てた。
筋肉が反応し、針が沈む。
指先が震える。
東雲の手が、空を掴むように宙を泳いだ。

それはまるで──救いを、誰かに求めているように。
彼の唇が、微かに動いた。

「うん……ありが、とう……そうだ、よ、ね……

東雲は誰かに話しかけるように、酷く穏やかにそう呟く。
見えない誰かへ、手を伸ばす。掴んでくれと、訴えるように。

「そっちに行くよ──」

身体を起こしかけて、糸を切られたように意識が途絶える。
ぷつん。彼はどさりとその場に倒れ込み、後味の悪い沈黙だけがそこに残された。
翠は彼の身体を精一杯支える。腕に感じる息遣い──まだ、生きている。

「幻覚……?」

そう、眉をひそめる。
アナフィラキシーによる神経症状か? しかし、そんな知見は極めて稀だ。
天城も、東雲も──アナフィラキシーで倒れた。〝そこ〟に、何か共通点があるに違いない。

(天城さんも、幻覚を見ていた可能性は……?)

思考が鋭く走る。
これは、ただのアナフィラキシーショックで片付けてよい案件ではないのかもしれない。
ならば、何が問題? 何が、原因?
アレルギー症状を起こす原因。幻覚を見せる原因。そして、死に直結するような思惑。
それは、一体。考え得るのは──。

「──シナプス・リモデラーの副作用ですねェ」

不意に、歪んだ声がした。

振り返る。
そこには、痩せた男が立っていた。
血色の悪い頬。笑っているのに、目が笑っていない。

「誰だ、あんた」

厳しい視線で彼を穿つ。
男はにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべたまま、口唇をゆっくりと動かした。

「シナプス・リモデラーはPTSDの治療薬。重度のトラウマに起因する記憶を再構築し、トラウマ反応を低減させることを目的としたお薬です。しかァし、脳の高次機能に作用するこれは、治験段階で幻覚・幻聴、短期記憶障害、重度の頭痛などが報告されているんですよねェ。センセイ達はそれを、学会では言わなかったんですねェ。流石です、お医者サマ」

くつくつと笑う声。翠は目つきを険しくし、あからさまな警戒をかざして彼を見据えた。

……なんでそんな事まで知ってる。あんた、誰だよ。質問に答えろ」
「ヒヒッ……。私、ですか。私はしがない研究員ですよ。アルカミア製薬、シナプス・リモデラー担当の幸田こうだって者です。だから私は、シナプス・リモデラーの事を誰よりも知っている。そう、誰よりもね……
……知ってるって、どういう事だ。シナプス・リモデラーが、どう関わってくるんだよ」
「ヒヒ……

幸田というらしき男は笑みを崩さぬまま、大袈裟な身振り手振りで台詞を継ぐ。怪しく、歪に、おぞましく。

「そうですねェ。言うならばこれは、神の思し召しでしょうか。再臨した魔法の父が引き起こす、人類救済のうた。かの神の目的はふたつ。神を生み出す事。そして、人類を救う事。神は、私にそう教えてくれました」
「救う? 人を殺して、救う? 意味がわからねぇんだよ。それから、シナプス・リモデラーは──」

そこで翠の背筋が凍った。
男の口元が裂け、笑いが深まる。
まるで、理性を超えたものの笑いだった。

……あんた、何を知ってる?」

そう、努めて落ち着いた声色で問いかける。幸田は肩をすくめると、「さァねェ」と楽しそうに言葉を投げた。

「言っておきますが、私はなァんにも、知りませんよォ。吐かせたいならば、警察を呼んでごらんなさい。最も、この嵐の山荘では警察なんて、呼べませんけどねェ。ヒヒ……
「とぼけるなッ……
「とぼけてなんて」

幸田はかぶりを振り、顔色を変えた。笑みを失った顔面には、薄ら寒い不気味さが漂っている。

……私はその神に、教えてもらっただけです。どうすれば、人が救われるのか。どうすれば、人を救えるのか。それに、感銘を受けただけです。だから私は、かの神を信じている。口なんて割ってやりませんよ。……それが私なりの正義だ」

翠は固唾を飲み込んだ。
──この男には、届かない。言葉も、感情も、何一つ。
けれど、己はただの医者だ。彼が何かをしたという証拠はどこにもない。犯行に及んだ証拠など、どこにもない。
だから、彼を拘束できない。
容疑者も、関係者も、この国では黙秘権が認められている。本人が口を割ろうとしなければ──事件は永遠に、闇の中だ。

「もう、誰にも止められないでしょう。全てはもう、終わった事なんですよ」

その声が、雨音に溶けて消えていく。
風が窓を叩き、雫が天蓋を弾く。
雷鳴が遅れて、夜を震わせた。

夜は、翠達を置き去りにして深く沈んでいった。