山城まつり
2025-10-19 18:36:24
13217文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.002

前回:Ep.001 https://privatter.me/page/68f358be12331

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロートの診療録、更新~~~~~!!
更新ペースがえぐいんですけど、多分ここから来週までは更新できません。というのも、今プロットを練り直してて……。
いやですね、初稿プロットがめちゃくちゃ短くて。12万文字くらいまで引っ張れない気がしたので、今増量中なんです。大学もあるから全然平日書けなくて……暇がほしい……どうして、2科目勉強しかしてないのに6時間もかかるんだ……?
とまぁ、弱音はここまでにして。今回から事件が始まります!いや、序章長すぎ~~~~~。

よければ楽しんでいってくださいね!

※2025.1023 修正しました
※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


6節:灰燼のディザスター




ロッジの玄関をくぐると、温かい空気が全身を包んでいった。
ストーブの匂い、木の床の軋み。まだ新築の香りに、洛陽色の照明。吹きさらしの雨音が遠ざかり、ジャズの優雅なメロディが満ちる。

フロントで神楽岡がチェックインを済ませている間、翠はロビーの自販機の前に立っていた。
金属の冷たさが、指に心地よい。ボタンを押すと、缶コーヒーが落ちる音が響いた。

プルタブを開ける。炭酸にも似た音が短く弾け、深煎りの豆の芳香が鼻をくすぐった。
口に含む。苦い、熱い。けれど──今はその渋さが、荒れた心に必要だった。

「──いやぁ、本当に大雨だねぇ」

突然、隣から声がした。
急に声を掛けられたもので、酷く驚きながら振り返る。そこには、すらりとした長身の男が立っていた。
あでやかな金髪。亜麻色の瞳に、洒落た口髭。
濡れている様子はなく、それどころか、まるでこの嵐の中でただ一人、風に触れていないように見えた。

「そうっすね、最悪ですよ……

翠は曖昧に返す。缶を傾けながら、横目でもう一度その男の姿を眺めた。
スーツは古風だが、仕立ては完璧だ。胸に飾られたリボンさえも、彼を讃えるアクセサリーと化している。
その身なりは、どこからどう見ても洗練されている。そう、時代錯誤なほどに。
翠の口が、動いていた。

「てかおっさん、誰ですか」
「僕かい? ふふ、よく聞いてくれたね」

男はばちーん、とウィンクを飛ばして口元を笑わせた。
骨ばった手、人差し指が伸ばされ、それは宙を泳いだ末に彼の顔を差し──。

「僕の顔──見た事あるだろう?」
「んん……?」

翠の目が細まる。
確かに、どこかで見た事がある。どこだ? 彼を見たのは、一体……
──肖像画? いや、白黒の写真でも見た記憶がある。
そうだ、思い出した。彼を自分は見た事がある。
……そう、魔法史の教科書の中で!

……あぁーーーッ!! フェリックス・ジョン・レナード!?」
「正解!」

男は指を鳴らした。指先から星のマークが具現化し、飛び出して空に消える。……言わずもがな、ちょっとした遊びの魔法だ。そして目の前にいるこの男こそ、異界を発見した魔法革命の父──科学者フェリックス・ジョン・レナード。

「いやぁ、久しぶりに自分の名前を呼ばれた気がするねぇ」

翠は思わず、半歩退いた。目線を厳しくし、彼を穿つ。警戒の色が全身から滲み出した。

……どういう事だ。だって、あんた──」
「ふふ、君のその混乱は分かるよ。どうして百歳を越えたエルダリィ老人が、こんなに青々しく、麗しいのかって」
「そこまで言ってねぇ」

傍から見れば、ただの陽気な中年男性。だが、彼は1880年、異界発見の論文を書いた時点で五十を超えていたはずなのだ。
現代の魔法医療である程度の延命は出来ても、不老は成し得ない。創造。変容。破滅。それは魔法に、そして世界に刻まれた第一原則であり、生物のことわりの中にいる以上、変えられないものなのだから。
だから、この男は怪しい。フェリックス本人であろうと故人の模倣であろうと、どの道〝生きている〟事は咎められるべき罪なのだから!

「答えは簡単さ──」

フェリックスはそう言って、ばっと両手を広げた。翠の緊張が高まる。彼は、どうして生きている? 彼はどうして此処に居る? その理由とは。その、真意とは──。

「答えは、僕が〝幻想〟に身を委ねたから!」
……幻想?」

右眉を吊り上げる。フェリックスはふふんと鼻を鳴らすと、「聞きたいかい?」ともったいぶる。翠は僅かに頷いた。──聞きたいに、決まっているだろ。

「幻想とはそもそも、この世界に落ちる影のような存在なのさ、青年。太陽があるから、影がある。暴きたいと思う者が居るから──幻想は現れる」
……はあ」
「だから僕は幻想なのさ。フェリックス・ジョン・レナードが死んだ現代でも、僕に会いたいと願う人が居るから、こうして現れる」
「じゃあ、あんたはもう死んでるって事? んで、今此処に居るのは亡霊だと」
「それは違う! 私は私だ! だが……私を観測している君にとっての私、という事かな。分かるかい、青年」
「分かりません。さっぱりです」
「だから──」

翠は長くなってきた話を流し聞きしながら、溜息を吐いた。こういうタイプ、相手にしないのが正解だったな。生きていても故人の模倣でも犯罪だ、だから怪しい。……というような、抱いた考えが薄れてくる。犯罪者でも幽霊でも本人でも、兎に角めんどくさい男だという事が分かったからだ。

「──で……。ちょっと! 聞いているのか!? 青年!!」
「すみません、聞いてませんでした」
「ガーン!!」

はは、と乾いた笑いを送っておく。
……だが、心のどこかで引っかかる。
この嵐の夜に、現実感の無い男が立っているという事に。それだけで、何かが崩れ始めている予感がした。

「おぉい翠、話の途中かぁ?」

背後から、見知った声──神楽岡だ。フェリックスが手をひらひらと振って場を後にする。そこに残されたのは、翠だけ。自販機の明かりが、床を白く照らしていた。

「いや、何でもないっす」

翠は缶を持ち上げ、苦笑した。神楽岡の声が、ロッジの壁に甘く響く。

「部屋割りの発表や。集まってくれ」







ロッジ一階、玄関前のエントランスホール。「ウォーターサーバーあります! ドリンク無料!」と大きく貼られたポスターは真新しいコンセントやWi-Fiが整備された、談話室の役割も担うそこに全員が集まった。
外は相変わらずの大雨。窓の外を流れる水が、まるで滝のように見える。
翠の後に、廊下の奥から東雲が慌てて戻ってきた──「またトイレっすか?」と聞けば、彼は恥ずかしそうに「口喝が酷くて。ドリンクが無料だったみたいだから……お水、飲んでました」と頬を掻く。
神楽岡が、手元のメモを見ながら声を張った。

「部屋割り発表するぞ。俺と怜、伊織と東雲、早乙女と唐澤、メディちゃんとサナちゃん、翠は……一人部屋な」
「え、俺だけ? いいんすか」
「離島からわざわざ来てらったんやしな。VIP扱いじゃ」
「やったね。ありがたく、一人でのびのび休ませてもらいます」

メディがそんな翠にすり寄り、瞳を細めた。

「おにーさん、ボクと一緒じゃなくてごめんねぇ」
「むしろサンキュ。サナちゃんと楽しめ」
「えへへ、はぁい」

サナがぴんと手を挙げ、「了解です! メディさまと楽しみます!」と微笑んだ。メディは彼女の手を握り、伸びやかに告げる。

「サナ、二人きりの逢瀬、楽しもうねぇ」
「おうせ……? は、はいっ! メディさまがそう言うなら!」

ちょっと待てい。コイツ、純粋無垢なサナに変な事教えねぇだろうな。ぎろ、と彼女を睨みつけておく。メディはわざとらしく口笛を吹いた。
そのやり取りに、小さな笑いが起こる。早乙女が眼鏡を押し上げ、静かに告げた。

……お支払いですが、そもそもロッジに行かないかと昨日神楽岡先生に提案したのは私達です。費用は持ちます」
「俺も払う。指示出したんも、誘ったんも俺や」

神楽岡が応じ、早乙女の肩を叩く。早乙女は嫌そうに、肩に乗ったたくましい手を振りほどいた。

……助かります。今日だけは」
「今日だけは、て言うなや」

空気が柔らかくなる。神楽岡は、チェックインの時にもらった資料に目を流しながら「そんで」と再び声を張る。翠も、怜も伊織も──全員が、彼の若々しい顔立ちを眺めた。

「夕飯は十八時半。風呂は自由やが、露天行きたい奴は十七時に此処集合や。各自ゆっくりしとけ」
「雨天の露天風呂、僕、行きます」

東雲が穏やかに微笑んだ。翠もうんうんと頷き、茶化すように隣を見る。

「裸の付き合いかぁ。そこで一線超えちゃったりして。な、れ~い♡」

すぱん。刹那、物凄い勢いで頭をはたかれる。言うまでもない、怜だった。

「ふざけるな。誰が超えるか、そんな一線」
「えぇ~」

伊織がくすくすと笑い、その傍でサナが首を傾げる。

「一線って何ですかぁ? 反復横跳びの大会とか、ですか?」

メディが即座に訂正した。

「サナは知らなくていいんだよぉ、オトナの話だからぁ」
「ほぇ…………

笑い声があたたかなロッジを包んでいった。鼻に抜ける木の香り、耳を癒すジャズの音色。肌は暖気に包まれ、視界は明るいオレンジで。
翠の胸に残っていたざらつきが、溶けて消えていく。脳裏に響いていた警鐘が、その音を忘れていく。
……あぁ、全てが気のせいだったのだ。杞憂だったのだ。
そう胸に安堵を広がらせて、ふざけようと息を吸って──。

──その瞬間だった。



「──きゃあああああああッ!?」



「!?」

悲鳴が、ロッジの上階から響いた。
全員が、迷う事なく動き出す。
翠の足が、誰よりも早く、階上へと続く螺旋階段を上がっていった。

二階、ラウンジ。
床に、一人の男性が倒れていた。翠は彼を知っている、先程、ロープウェイに乗っていたカップルの男の方だ。
傍らで女性が彼の身体を抱き、泣き喚きながら揺すっている。その隣に、滑り込むようにして膝を付いた。直ぐに、女性が泣きながら此方を見上げる。

「あ、ぁ、あ、かれ、彼がッ! 彼がッ!! ねぇ、しっかりして、しっかりしてぇッ!!」
「医者です、彼はどうして!?」
「あぁ、あ、分かりません、急に倒れて──ッ!!」
……失礼します」

鼻に右手を翳す。視線は、胸腹部に向ける。
……呼吸がない。右手を、首の頸動脈まで下ろす──脈も、ない!

「──心停止!」

そう、鋭く叫んだ。
刹那、医師達はそれぞれに散っていった。

翠の手は、自然に動く。男性を即座に寝かせ、心臓の真上……胸骨を強く、速く圧迫する。胸骨圧迫。心停止した患者に行う、最優先の行動だった。

「脈がない、ヒスイ先生!」
「分かってる、伊織、救急に連絡!」
「分かった!!」

手首で脈を取っていた伊織がスマートフォンを開き──そして硬直する。

「ヒスイ先生、電波が届かない……ッ!!」
「ならば、固定電話から掛けましょう! 私がフロントに行ってきます!」

早乙女が駆け出し、それと入れ替わりに東雲がAEDを持って現れた。即座に胸元のシャツが取り払われ、パッドが定位置に貼られる。胸部──そこにひとつ違和感を覚えたが、今はそれを気にする余裕は無い。
AEDの電極が、男の身体の解析に取り掛かる。翠は季節外れの汗を腕で拭い、膨れ上がる嫌な予感を抑えようと唾を飲み込もうとした。……喉が痛んで、上手く飲み込めない。

『──ショックは必要ありません。直ちに胸骨圧迫を再開してください』

機械音が淡々と告げた。ショックの不要──つまり、彼は心室細動や無脈性心室頻拍ではないという事!
心臓が小刻みに震える心室細動。心拍が速すぎる故に血液を全身に流せない無脈性心室頻拍。心停止した波形がそれでないなら、考え得るのは……

……まさか、フラット……

違う。そう即座に脳裏で否定する。
声が震えた。でも。でも、まだ救える。救えると、信じたい。
翠は手を動かし続けた。ひたむきに、祈り続けた。

「まだ、まだ助けられるッ!! 帰って来い、帰って来いよ!! 連れのヤツが待ってんだぞ!! 死ぬな、死ぬなぁッ……!!」

どん、どん、と規則正しく心臓が圧迫される。華奢な男の身体はそれに従って跳ね、AEDの無機質な音声と電子音だけが流れていく。
死なせてなるものか。もう俺は、誰かが死ぬのを見たくない。自分の前で、誰かが死ぬのを、見たくない。

だが──。

……櫻田、やめろ」

怜の指先が、圧迫を続ける己の手を押さえた。それを気にせず、心臓を圧し続ける。嫌だ。やめてなるものか。助けられる──不穏な気持ちを、それで上書きし続ける。
翠の叫びが、空間を震わせた。

「まだ、まだ救えるだろッ!! 救える魔法、ねぇのかよッ!! 〈蘇脈そみゃく〉でも何でもいいから……ッ!! まだ、まだ──」
「──やめろ」

咎める怜の声は静かで、悲しく、そして何より重かった。
翠の腕が、ぴたりと止まる。

……瞳孔散大。対光反射消失。……もう、死んでいる」

力が入り、血管が浮き出た己の細い腕。その力が奪われてだらりと落ち、翠は信じられないとでも言うように顔を上げた。恐る恐る、怖がるように顔を上げた。

「れい……、いおり……

彼等は瞳を伏せている。「大丈夫だよ」と笑ってくれるのを期待していたのに、彼等はそれを、口にしてはくれなかった。

「かぐらおか、さ……

神楽岡ならば。東雲や、早乙女や、唐澤ならば。何とかしてくれる筈だと信じて、彼等の顔を視線で追っていく。だが彼等もまた口を引き結び、唇を強く、強く噛みしめている。

「あぁ、あ──ッ!!」

男に寄り添っていた女性が、声を上げて泣いた。その悲痛な叫びを聞いて、翠の胸が締め付けられる。喉が焼ける。目尻に、涙が溜まっていく。
耳の奥で、雨音だけが響いている。──外の世界は、まだ泣き続けていた。

「うそ、だろ……?」

誰にともなく呟く。涙が一筋、頬を伝って落ちていった。
掠れ、潰れた声に重ねるように、外の雨がさらに強くなる。
十一月八日、土曜日。広島県の神の島、宮島で──ひとつの命が空へと散っていった。

嵐は、まだ止む気配を見せなかった。


──────Ep.003に続く