山城まつり
2025-10-18 18:07:10
15635文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─ Ep.001

前回:Ep.000 https://privatter.me/page/68eb72ac11edb

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299


シャルラッハロートの診療録、第二期の第一章前編です!!!
気合で書いたんですけど、気合とノリで書きすぎて文章おかしいところあるかも……。めっちゃ不安です。でも頑張りました。頑張ったので載せます。
今回、『クリムゾン・ジェネシス』……ま~~~たスロースタートです。事件が起きないよ……。
改稿時の自分に丸投げな仕上がりとなりましたが、楽しんでいただけたら幸いです。
ちなみに、これを載せている時点で第一章の後編も執筆完了しているので、近いうちに載せられると思います。よろしければお楽しみに!

一文でも、感想くれると嬉しいな……とぼやいておきますが、勿論強制はいたしません。嬉しいだけです。

それでは、どうぞ。

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました。


1節:神は平穏に微睡む




「ひゃっほ~~~う!! 海風最高~~~!!」

ざん、と波が跳ねた。
潮の飛沫が光を散らす。フェリーの二階デッキで、少しこじゃれた黒いTシャツを着た青年──櫻田翠さくらだひすいは両肘を手すりに掛けたまま、風の中で目を細めた。
十一月の海はまだ冬の気配を抱いていない。涼しさの中に夏の名残りを引きずり、吹く風もどこか生温なまぬるい。髪を撫で、頬にかかるその暖風は柔らかく、潮の匂いの奥に、干した網とエンジン油の臭いが混じっていた。

「気持ちぃねぇ~~~!」

左隣で、黒髪を二つの団子にした少女・メディヴァが両手を挙げる。白いシャツが風を孕み、まるで翼のように閃いた。……最も、既に彼女の背には一対、宙に浮いた蝙蝠こうもりの羽が生えているのだが。

「騒ぎすぎだろ、ガキか」
「おにーさんも騒いでたよぉ?」
「俺の中身は永遠の少年なのさ……
「じゃあボクも、中身は少女のまんまだよぉ」
「中身は、じゃなくて見た目もだろ、クソガキ」
「ひどぉい」

メディがぶぅ、と頬を膨らませる。これから観光だってのに、こんなところで機嫌を損ねるのもちょっと不味いか。そう思案して、ぽんぽんと彼女の頭を叩きながら「ウソウソ、冗談。拗ねるなよ」と言っておく。膨らんだ頬を人差し指で押さえると、その風船はすぐに弾けた。メディはにへらと笑う──翠の不安が杞憂であると、その表情が語っていた。

「見えてきたよ!」

そう、今度は右隣から声がする。指を差しながら瞳を細めたのは、琥珀色のマッシュヘアにシャルトルーズイエローを宿した瞳を持つ丸眼鏡の青年、綾瀬伊織あやせいおりだった。フェリーの先、海霧の向こうに赤い鳥居が浮かんでいる。紅葉の山が金と緑を織り交ぜ、雲間から漏れる朝の光を反射して。
宮島──かつて平清盛が〝神の島〟として築き、海上に神殿を浮かべた場所だった。

伊織はカメラのファインダーを覗き込んだ。観光に行くと言っているのに、フェリーのチェアで本を読んでいる男──一色怜いっしきれいが、組んでいた長い脚を下ろしながら書籍をバッグに収める。到着の気配を察したのか、客室からぞろぞろと自分達の仲間がデッキへと降りてきた。

翠は深く息を吸う。肺の奥に、潮の味が広がった。

……まさか、俺が観光客みてぇな事、してるなんてな」

苦笑しながら目を閉じる。フェリーの汽笛が鳴るのと同時に、思考が昨日へと遡った──。







十一月七日、金曜日。
広島国際会議場──フェニックスホール。

ホールの天井は、格子のように組まれた中に埋め込まれた照明で覆われ、舞台に立つ者の表情を白く照らしていた。
翠は椅子の背に寄りかかり、無機質なスポットライトを見上げる。スライドの青白い光が目に刺さり、瞬きで瞳を潤そうとしても、頑なにドライアイを誘ってくる。

壇上に立つのは、広島県広島市、中区に構える天璇大学附属病院と、近隣の製薬会社、アルカミア製薬の合同チーム。発表タイトルを──〝シナプス・リモデラー〟。
それは重度PTSD患者の神経回路を〝再構築〟し、トラウマを上書きする新薬なのだそうだ。
過去の記憶を書き換え、痛みの感情を別の情動で置き換える。開発には「置換」の力を持った大悪魔が関わっているのだとかなんだとかで……いや、聞くだけで背筋が冷えるんですけど。翠はそう、眉をひそめた。

ぎこちなく壇上に上がり、ぺこりと一礼をした医師が穏やかに口を開く。天璇大学附属病院の医師なのだろうが、彼の事はよく知らない。「精神科医の、東雲綾人しののめあやとと申します」と言っていたから、東雲、というのだろう。精神科医なのだと聞いて、外科医とちょっぴりの内科医の自分が知らないのも当然かと納得する。天璇で、精神科病棟があるのは手術室ともICUとも、そして一般病棟とも違うフロアなのだから。

「──トラウマを上書きする。過去の記憶を書き換える。そう聞くと、恐ろしい人格支配の薬のように思えてしまうかもしれませんよね」

翠の内心を代弁するような彼の言葉に、思わず顔を上げて東雲の双眸を眺める。ちらと周りを伺えば、幾人かの医師達がうんうんと頷いているのが見えた。

「シナプス・リモデラーは、患者の記憶を〝削除〟する禁忌の薬ではありません。あくまで〝上書き〟して、トラウマの記憶の上に、一冊の本を乗せて考えを逸らす……或いはトラウマを記憶と結び付けにくくする、そんな薬なのです」

その言葉に、空気が少し軽くなったのを感じた。東雲のつづる「やわらかい言葉」が、場に満ちた緊張感を取り払っていく。確かにこのおっさん、精神科医だ。人を言いくるめるのが非常に上手い。

「恐怖を、安堵や希望の感情で包み直す。神経ネットワークの可塑期を利用して──」

清らかで、どこまでも正しい説明。そして、発言者の東雲が纏うたおやかな雰囲気。それを聴衆は神妙な顔で、ときには緩んだ目元で、頷きながら聞いている。

……まるでタヌキだな。顔もタヌキに似てるけど)

翠は足を組み、胸の奥にうっすら笑みを浮かべた。
刹那、小さな息遣いが聞こえたものでふと隣を見遣る。そこではメディが爆睡をキメていた──頭に静かにチョップを入れてやる。「ふご!」と寝息が途切れるのを聞き、そして発表が終わったのだろう、割れんばかりの拍手の嵐で耳を満たして視線を戻す。入れ替わりに、次の男が現れるのを見た。

「天璇大学附属病院、心臓血管外科の早乙女蓮司さおとめれんじと申します。私が試みたのは、術後ストレスに対するシナプス・リモデラーの応用です。ICU症候群、術後の身体イメージ障害に苦しむ患者への治療的介入として──」

早乙女蓮司。その名前はどこかで聞いた事がある。どこだったか、翠は記憶を手繰り寄せた。早乙女、早乙女……

「ああ、電子レンジ先生! 母さんの手術執刀したうちの一人の──」

思わず、少しだけ大きなトーンの声が漏れた。即座に、メディを挟んだ二つ隣の席の怜に睨まれる。翠は口笛を吹きながら目を逸らした。

……櫻田、五月蠅うるさいぞ。それに失礼だ。早乙女さんは──」
「あーハイハイ、だから言葉の綾ですぅ。分かってますよ怜センセ、早乙女先生は優秀な心臓外科医なんでしょ。神楽岡かぐらおかさんと教授の椅子取り合ってる」
「取り合っとらんわ……少なくとも俺はやけど」

逆隣から一つ椅子を空けた席、つまり翠の右に二つの席から茶髪の髪をかき上げた中年の医師、神楽岡陽誠かぐらおかようせいが苦笑いしながら挟んでくる。翠はそれに無視を決め込んで、早乙女の紡ぐスピーチに耳を傾けた。

彼のスライドは、術後の患者が穏やかに笑う映像でフィナーレを迎える。お辞儀をひとつして壇上を降りる早乙女に代わり、スポットライトの中に足を踏み入れたのは頭をイカしたソフトツイストアップショートにした筋肉質な男性だった。確か──脳外科医の唐澤徹からさわとおる先生。翠は彼の事も、最近知った。唐澤と先程の早乙女は、二十年前……病死した翠の母親、櫻田和葉さくらだかずはの手術を執刀した医師達なのだから。

「ショック状態にある患者達の予後改善に、意思決定を助けるための応用を──」

緊張しているのか、やや淡々とした平らな声。整えられた口調の奥に、シナプス・リモデラーとかいう優れたように〝見せたがっている〟発明品を自慢したいというような、狂気を孕んだ熱さえ感じる気がした。
翠はうんざりしたように天井を仰ぐ。

「トラウマの上書き、ねぇ。……狂人の祭典だな」
「顔に出ているぞ、櫻田」

怜が、小声で言いながら睨みつけてくる。

「早乙女さんも唐澤さんも優秀だ。愚弄するな」
「愚弄してねぇよ。怪しいつってんの。前科持ちの天璇の事、そう簡単に信じられねぇんだよ」

翠が呟くと、怜は溜息を吐いた。翠の後ろの席で伊織が小さく笑う。

「でも、みんないい先生なんでしょ。信じてあげようよ、ヒスイ先生。東雲先生も、優しい先生だよ。僕がカウンセリング受けてた頃、すごく親身に寄り添ってくれた、〝患者の心が分かる〟先生なんだから」
「何、疑ってる俺が悪いの?」

頬を膨らませてやる。伊織が困ったように、「悪くないけど」と眉を下げた。

「きっと、怖い研究に見えても、真摯に患者のためにやってる事なんだよ。どんな薬だって最初は非難されてきた。でも、それを受け止めて、信じて、開発を諦めないから──今の医療がある」
「う……正論パンチ、だな……

そう言われてしまうと何も言い返せない。翠は少し口角を引きつらせながら、視線から免れようと椅子の背もたれに再び身を預けた。
──それと同時に、壇上を降りて戻ってきたらしい東雲が右隣……つまり翠と神楽岡の間に腰を下ろす。大きく息を吐き、胸に手を当てるその動作はどこか弱々しく、けれど彼の柔らかな印象を一層強めていた。

「はぁ、緊張したぁ……

ばくばくと吼えている心臓の音が、隣の翠にまで聞こえる気がした。横目でそんな彼を眺めていると、その視線が東雲のシルバーの瞳にばちりと合う。

「あ、櫻田先生」

名乗った記憶はないんですけど、と答えようとした。けど、見た目だけで分かる優しい彼に、そんな棘のある言葉を選ぶのは失礼か。そう思案して「はい、何ですか」と答えたが──喉元から出た声は、眠気と退屈さとの葛藤で消耗し、これまた棘を従えたような色をしていた。ちょっぴり反省。
けれど東雲はにこ、と穏やかに笑うと、口に手を遣って「発表どうでした? ちゃんと出来てたかな」と小さく告げて。……あぁ、これは棘があったとか気にしてない顔だ。安心した。

「そうっすね、まぁ、頭おかしいなーって思いながら聞いてました」
「えぇっ!? あ、頭おかしい……? なんで……?」

素直に言えば、東雲は慌てふためきながら大きな黒目がちの瞳を彷徨わせた。……さっき伊織に諭されたのに、うっかり本音を言ってしまった。翠は「すみません、間違えました」と一言言って、唇を濡らす。

「ま、良かったんじゃないですか。学会素人の俺でも分かりやすかったですよ、シナプス・リモデラーがいかにヤバいかとか、いかに怪しいかとか」
「うぅ、櫻田先生、それ褒めてないよ……。ヤバかったかなぁ、怪しかったかなぁ……

東雲が頭を抱えてうんうんと唸っている。即座に怜から冷たい視線で穿たれた。席が隣だったら殴られてたな。メディ、真ん中に居てくれてサンキュ。そう思いながら彼女を見れば、反省しない事に、またも鼻から風船を膨らませて眠っていた。思わず手が出る。デコピンだ。

……でも、まぁ」

メディが額を抱えて「いたぁ……」と嘆いているのを確認しながら、そう言って東雲に視線を戻す。東雲が顔を上げ、此方を見た。

「患者のために何か手を打とうってしてるのは、最高にイカしてました」
「櫻田先生……!」

彼の顔が一気に明るくなる。それを横目で見て、翠も口元を持ち上げた。伊織がひょっこりと席から身を乗り出し、「格好良かったですよ、東雲先生」と場を盛り上げる。東雲は照れくさそうに、頭を掻いて笑っていた。

「そ、そんなことないよ……僕、魔法も大して上手くないし……僕の得意魔法、特殊メイクだよ。医者としても……
「折角褒めたんですから、ちゃんと受け取ってくださいよ。返事は『ありがとう』、これだけでいいんですって」
「そ……そうかなぁ……
「そうっすよ」

東雲は、そばかすだらけの顔をふにゃりと緩める。

……ありがとう」

その声に、翠の胸が温かくなった。照れ隠しに「はい、よろしい」と上から目線に言ってしまったが、愛嬌という事で許されないだろうか。
そうこうしているうちに唐澤のスピーチが終わり、やがて会場が暗転──休む間もなく、次の発表が始まった。

「運動誘発アナフィラキシーと医療魔法によるアレルギー抑制剤の──」

学会は、まだまだ長く続きそうだった。
秋の夜のように久遠に続く学会、星空のような天井。翠はそれを見上げ、肩で大きく息を吐いた。

(やっぱ、向いてねぇな。こういうの)

思考を放棄し、ぼんやりと壇上を見つめる。霞んだ視界の中で、発表が滞りもなく進んでいくのを、翠は静かに眺めていた。