もち粉
2025-10-13 22:21:48
10661文字
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誘惑係 〜好感度は、つくれる〜


カブミス
エルフイメージアップキャンペーン

パタちゃんは「盛りすぎ」「引き算」まではたどり着けなかったようです

「いや、なんかオレさぁ、この間……

昼下がりの通りを歩いていたカブルーは、衛兵詰め所の木戸の隙間から漏れ聞こえた知り合いの名前に、思わず足を止めた。
埃っぽい空気に混じって、槍の石突きが床をつつく乾いた音が響いている。

「ミスルンさんに……誘惑されたかもしんなくて」

――はぁ!?)

「なんかこう……オレのこと、じっと見つめてきて……
「唇が、ぷるぷるしててさ……
「しかも腕に触れてきて……褒められて……
「誘惑しに来たって……言われたんだよ。本気にしても、いいと思うか?」

――はぁあっ!?)
(唇がぷるぷるってなんだよ! 震えてんのか?潤ってんの? あのいつも唇カッサカサの人が!? 別人の話?)

カブルーの胸に、言いようのない焦りが去来する。理由のわからない動悸が走り、彼は靴底をキュッと鳴らして、木戸の影に身を潜めた。

*****

『気味が悪い』
『黒魔術を使うとやってきて、術者を攫っていく』
『捕まると皮を剥がれる』
『目が合うと寿命を吸い取られる』
『人を食べてるらしい』

――紙片に並んだ文字を前に、パッタドルはわなわなと震えた。
いかにも素人の走り書きで、なぐり書きのように並ぶのは、惨憺たる評価ばかり。

彼女は、悪魔が去り、海の底から広大な領地を表したメリニ国に外交官として駐在する、年若いエルフである。

若輩者に大任を託してくださった女王陛下の恩寵に報いるため、パッタドルは考えた。外交官の務めとは何か?
――メリニの情報を収集・分析し、本国へ送る。メリニ在住エルフの保護。そして、西方に対する正しい理解を広める広報文化活動。

情報収集はすでに進めている。今この国にいる西方籍のエルフといえば、自分と上司、あとは数名の下働き程度。
となれば残るは、エルフ文化の発信――それこそが、今取り組むべき課題だった。

パッタドルはまず現状を知ろうと、アンケート調査に乗り出した。
石畳を踏みしめ、一軒一軒商店を回っては、アンケート用紙の設置を丁寧に依頼する。
時には人通りの多い広場に立ち、声を張り上げる。汗で官服が背に張り付いたまま、聞き取り調査ではにこやかに筆を走らせた。

――その間、上司は何をしていたか? 何もしていない。
頼めば動いてくれることはわかっていたが、カナリア隊時代から尊敬する隊長に、こんな雑事はさせられなかった。
せめてまとめて報告するところまでは自分の務めだと、パッタドルは歯を食いしばった。

そうして集めた結果は、冒頭の通りである。
報われなかった。

指先でアンケート用紙をぐしゃりと握りしめる。
「ふ……ふふっ」

肩を震わせて俯いたパッタドルの口から、笑いが漏れた。

(いいだろう、メリニの民よ。必ずやこの国での、我らエルフへの好感度を爆上げしてみせてくれるわ!)

――彼女はたいそう負けん気が強かった。

*****

……と、言うわけでですね、ミスルン隊長〉

パッタドルはエルフ語で上司に話しかけた。メリニに来てからは常に共通語を使っていたので、馴染んだ母国語で話せるのは、ほっとする。

〈我らエルフの好感度アップキャンペーンを行おうと思います〉
〈そうか〉

パッタドルの上司であるミスルンは、彼女の努力の結晶であるアンケート結果をパラパラとめくり、無表情にうなずいた。彼はいつもこうなので、パッタドルも気にしない。

〈具体的にはどうするんだ? ここは異国だ。文化の違う相手に心理的に近しく感じさせようとするならば、相手文化の研究が必要だ〉
〈お任せください! 図書館にて最適な文献を入手して参りました!〉

パッタドルがドサドサと机に、大判で薄い書物を何冊も積み重ねた。
質の悪い紙に挿絵がふんだんに入ったその雑誌の表紙には、見目麗しい男女の絵姿と共に、扇情的な文字が踊っていた。

『気になるカレをユーワクしちゃえ☆モテテク30選』
『明日から使える! イマドキ♡合コンテクニック』
『ズルいほどモテる! 誘惑リップ』
『視線ひとつで、心を奪え。 誘惑は、技術だ

〈ほう……便利な書物が出ているものだな〉
〈「雑誌」というそうです。毎月テーマを変えて発行されるのだとか。トールマンは面白いことをいたしますね〉
〈毎月? ご苦労なことだ〉
〈寿命の短いトールマンは、情報の鮮度を重要視するようです〉

エルフの長い時間感覚では、毎月発行されて読み捨てられるなど、日めくりカレンダー並みのせわしなさであった。

ミスルンは雑誌の表紙をいくつか見比べ、無言でパッタドルに目を向けた。
メリニの粗悪なインクはざらついていて、指先に黒がこびりつく。

〈この……「誘惑」という行為を実施しようというのだな。どういうものだ?〉

パッタドルは胸を張った。
〈はい。心理的距離を縮める技術として、非常に優れていると判断しました。我らの言葉で"好感度上昇"に当たるものが、共通語で「誘惑」。そのための手法が「モテテク」かと思われます〉

パッタドルもミスルンも清廉で真面目な貴族であったから、母国語ならまだしも、共通語の俗っぽい単語などとは無縁であった。つい先日まで所属していたカナリア隊の業務でも、「好感度」などという単語を使う必要はなかった。

ミスルンは雑誌のページをめくりながら、パッタドルが付箋を貼った箇所を読み上げる。

〈「8.2秒の法則。目が合ったら8秒見つめてみて♡カレはあなたにメロメロに!」……
〈「まずは褒めて! 褒め上手こそが勝者への道」……
〈「さりげない♡ボディタッチ」……

……なるほど。で、誰がやるんだ?〉

パッタドルは、今まで一度も上司に向かって言わなかったことを言った。

〈隊長、笑ってみてください〉
〈こうか?〉

にこっとミスルンが微笑んだ瞬間、パッタドルは目をそらした。
胸の奥で心臓が痛いほど跳ね上がり、思わず椅子から崩れ落ちかけた体を、背もたれに手をかけてなんとか堪える。

(危なかった……もし隊長があと八十歳お若かったら、私も陥落していたかもしれない)

額の汗をぬぐいながら、深呼吸で息を整える。

(しかしこれは……、想像以上……!)

キリリと顔を引き締めたパッタドルは、この任務の成功を予感した。

〈隊長にお願い致します〉
〈そうか、わかった〉

悪魔に欲を食べられる前、彼は大変な美形で、誰からも慕われる人気者だったと聞いている。
事実、パッタドルがカナリア隊に入るとき、年上の従姉妹は両手を胸に組み、陶然とした顔で語ったものだった。

〈カナリア隊って、今ミスルン先輩が隊長をしてらっしゃるのよね。私が入学したときにはもう卒業されていたけれど、色々と伝説を伺ったものよ。
――入学式のスピーチで、壇上から微笑んだだけで、新入生十数名が目を見開き、声も出せずにその場で倒れたとか。舞踏会では、彼に手を握られた令嬢たちが、その香りに恍惚として、腰が抜けて棄権したとか聞かされたわ。学園の三婆までもが先輩には骨抜きだったって話よ。お会いしたら、どんな方だったか教えてね〉
〈三婆までも……!?〉

パッタドルの世代でも恐れられていた、それでも昔よりは丸くなったという話だったあの三人の女教師を虜にした伝説の先輩とは、果たしてどんな人なのか。
少しだけ期待して入隊した。

実際に対面した上司は、陰気で何を考えているのかわからず、愛想笑いのひとつもない男だった。
優秀な人物であることは間違いなかったが、人からよく見られたいという欲を失っているため、普段の言動はあまりにも飾り気がない。
そのため誤解を招くことも多い彼が、本当は優しい人であることを、パッタドルは知っている。

彼がこれから暮らすメリニで、高い好感度を得ることができるなら、それは上司を知る者としても大きな喜びだった。

(よし……隊長のお力を借りれば、メリニのエルフ好感度は間違いなく爆上げできる!)

パッタドルは勢いよく椅子から立ち上がり、ぐっと拳を握りしめた。

〈では隊長が「誘惑係」です! 頑張りましょうね、女王陛下の御為に!!〉
〈うん〉