月見
2025-10-05 12:22:15
23063文字
Public シャリエグ
 

10/19シャリエグ新刊進捗

本編後馴れ初めと揉め事と……な本になる予定。
※ザべ君に難民時代男性経験があったことを仄めかす描写有り



2.


 シャリアとエグザベの交際は上手く行っていた、もとい、非常に甘く甘く、満ち過ぎていたとすら言えるだろう。
「ちょ、中佐! 良いです、そのくらい自分で買えます!」
「そう言って貴方全然買う気配が無かったじゃないですか。渡したカードも使った形跡も無い」
「気配って。腕時計も買い直さなきゃって言ったの一昨日です。残業続きの平日に買いになんて行けませんよ」
 やっと訪れた週末の休日。エグザベを伴ったシャリアが時計の専門店に入ろうとしたところを必死に引き留める。
 エグザベでは主に金額的な理由で決して選ばないだろう高級ブランド店だ。
 ただでさえ、部屋に勝手に揃えられた私服の数々は本来覚悟をして買わなければいけないくらい質の良いもの揃いの上、エグザベがどれだけ申し出ようと代金を教えても受け取ってもくれなかった。
「エグザベ君?」
……はい、シャリアさん」
「はい、よろしい。でもねえエグザベ君、贈らせてください。君の肌に触れて、君の時を刻むものです。私が選んで、私がその腕に付けたいのです。君は何も気にする必要はない」
「え、ええ……
 そっと腕を取られて微笑まれる。操縦桿を、銃をも握ってきたはずなのに長く繊細な指が、エグザベの骨ばった手首にそっと巻き付いて撫ぜた。そこに漂う空気の、見つめる眼差しの甘さと、炙られるような熱。
 優し気なのにどこか突き刺すようにすら感じられて、エグザベは居心地悪く身を捩る。
 落ち着かない。エグザベの中のやや投げやりな気持ちがもう流されて買ってもらえと囁く。
 実際時計は常に使うもので、質の良い物であれば頑丈で長持ちもするだろう。連れ込まれそうになっている店舗のメーカーも、一度は憧れたことが無くもない。
しかしエグザベの理性と矜持がそれをしかと押さえ込み、「なら」とシャリアを押し留めた。
「僕が本来買うような、僕が選んだものでお願いします。それが駄目なら貴方が選ぶものと同じものを僕から貴方に贈らせてください」
 なにもかも、ひたすらに注がれるのは落ち着かないし、情けない。エグザベとて何も無一文ではなく、口座には年齢や階級に見合った生活が出来る程度の貯蓄はある。
給与も、懐が厳しいジオンからしてみれば十分なほど振り込まれている。それこそかつてより上がったくらいだ。
 エグザベの強い意思で発された提案に、シャリアははたと瞠目すると肩を竦めて両手を上げた。降参の意だ。
……君には敵いませんね。では、最初の提案のとおりに」
 引いてくれた。自分の意を汲んでくれたと、エグザベの胸にやわらかな達成感と充足感、感謝が湧いて浸透していく。
 そしてはたと、そもそもシャリアが無茶を収めるのは当然のことであって感謝のし過ぎはおかしいだろ、と浮つきかけた気を引き締めた。
 典型的なドアインザフェイスなんじゃないか、と頭を振りつつ。
ちらと見上げた先で本当に残念そうに眉を八の字にしながら微笑む顔を見ると、やはり我慢をしてもらったことに絆されそうになる。
そんなことを、もう幾度も繰り返してきていた。
 最も、結局競り負けてシャリアの申し出のまま、エグザベの部屋には上等な小物や服が増えることも多かった。
あるいは一般家庭で育ち、一時比喩ではなくゴミを漁るようにして食べられるものはなんでも口にしてきた舌には不相応なほどの美食を与えられもした。
 如何に木星船団を指揮し、一年戦争の英雄の片割れでもある勲章持ちの左官とはいえ資産は無限ではないだろうに。
 交際関係にあろうと一方的に庇護されている訳でもそうされるべきでもない。自分に湯水のような金を使うのは不健全で、嬉しくない。
 シャリアから贈られるもの以外に本来自分が手を出す価格帯の私服も数着、自分の財布から購入したのもエグザベなりの意地だった。
 もっとも、未だ落ち着く気配を見せない時勢は幾らでも特務部隊に仕事を運び、贈られたハイブランド品も自前で購入した低価格でカジュアルな品もクローゼットの肥やしを主な業務としてはいたのだが。
「じゃあほら、駅前のモールに行きましょう。ついでにそろそろ冷蔵庫の食材と柔軟剤が心許ないのでそれも補充で」
……君は本当にしっかりしている。少し寂しいくらいです」
「はは、なんですか、それ」
 行き先を変えて歩き出すエグザベに、シャリアのしみじみとした声がかかる。
エグザベは軽く笑いながら、内側でほんの少し、くしゃりと顰められるものを覚えていた。
 しっかりなんて、していない。業務に関しては優等生でいるが、私生活においては自分はそこまできっちりとしている訳ではないのだ、と。
 シャリアと暮らしているから。シャリアの生活にも関わるから、しっかりと、気を張っているだけ。
 とはいえこの張り詰めも、エグザベにとって決して悪いものではないのだ。
 緊張は、疲れる。けれど緊張し続けて、気を張り続ける必要があるから張り詰めて生きてきた。『今』必要なこと、目の前だけを意識して、なんとか立って歩いてきた。
 それは強制的なもので、エグザベが好もうと厭おうと関係ない、そうしなければ生きられなかったから。
 けれど今のこのささやかな緊張感は、エグザベがそうしたいと望んでのものでもある。
 共に暮らす、どうしてか自分に想いを寄せてくれている破格の男のためにもなるから、彼に損害が行かないように、彼に呆れられないように、強制ではなくエグザベがしたくてしている。
 そう思えば悪くない。今日もシャリアの目に映る自分と、自分が認識している素の自分の小さなずれを感じつつ、それを修正する気はやはり起きないまま放置する。
『すっかり、この人にハマってるよなあ』
 些か強引に始まった関係はけれど、思いのほかエグザベの日々を、胸の中を充足させてはいた。決して、シャリアから好き勝手に降り注ぐ物質的な贈り物が要因ではなく。
「────」
 ふと、小さな引っ掛かりを覚えてエグザベは足を止める。まただ、と。
「エグザベ君?」
「あ、いえ、なんでもないです、うん。すみません、行きましょう」
 綺麗に舗装された道路。元々ジオンの中枢が置かれているだけあって治安の良いコロニーだが、その中でも特に上流層が生活する区画なだけはある。
 何につんのめることも無く二人は、エグザベは足を踏み出した。
 ちら、と横を見ればシャリアはやはり細やかに、目ざとくそれに気付いて優しく目元を緩める。その視線に、知らず、微かに背筋が震えた。
 そう、まただ。エグザベは過る既視感を振り払う。隣を往く男は最強のニュータイプとして名高く、とりわけ感応方面の能力に優れている。それこそ、『心を読んでいる』ように。
 少なくともある程度の感情の揺れ動きは拾われるだろうことを思えば、あまり愉快でない思考は少なくとも今は止めておくべきだろう。
 素直すぎる、分かりやすすぎる、そう呆れや微笑ましさ、時に苦言として送られる不本意だが肯定せざるを得ない気質だが、思考の切り替え自体は得意なのだとエグザベは誰にともなく言い訳する。
 そうやって、なんでもないように並んで歩き出した。新しい、自分に見合った時計と買い足す日用品を二人で見て回れる楽しさだけに、集中する。
 足を進め、目当てのモールに辿り着く頃にはエグザベが既視感を覚えた視線も既に無い。ただただ、充実した半日を過ごすことが出来た。



 既視感。引っ掛かり。
 それはシャリアの視線に、眼差しの負荷さと、冷静さだった。
 シャリアが贈る、施す多くをエグザベが受け取る時、口にする時、気後れや自制の奥から歓喜が覗くのを待つように見つめてくる目だ。
 厚意で渡すものが喜ばれるかを気にし、待つのは当然だが、それだけではないとエグザベの本能が感じている。もっとなにか固く、底が知れない、無機質とは違うけれど、なにか。
──監視を、されているような
 リン、と頭の奥で小さく鈴が鳴るように浮かび上がるも、それは酷く感覚的なもので、それ以上エグザベが読み解くことは出来ていない。
 見定められているような、そう、試されているような。何とも言えない不可解さを、シャリアの灰緑は伝えてくる。いつもより少しだけ暗くて、何かが足りない灰緑。
 その灰緑に足を取られ沈んでいくような錯覚も、エグザベは奥底で感じるだけで表層の自覚には至っていなかった。
 そうやってエグザベを観察する瞳が、エグザベがシャリアから差し出された贅沢や過剰な甘やかしを良しとせずに押し返せばすぐに消えることも。ただ瞬けば違和感が消えるなあと、そこまでで止まっている。
 いつもエグザベが一人頭を捻る横で、薄く靄が掛かったように影を落とす灰緑が瞠目し、気付きを得たように明度が上がる。一筋明かりが、灯るのだ。
 シャリアは宿ったそれを自分で眩しがるように目元を歪め、一瞬、本当に一瞬、彼の身を纏う空気が重く渦を巻く。
 その重さはエグザベも察するところであり、だからこそ小さな困惑は積もっていく。そしてそんな困惑以上に、
──なにか、無理をしてないと良いけど
 あれもこれもと抱え、思いつめていた男だ。エグザベが繋ぎ止め、乞うた責任のために奔走するシャリアは多忙を極め、その両肩に伸し掛かる重責はエグザベの比ではないだろう。
 その多忙さが、重さが、まだ先の長い世の混乱が、シャリアの心身を歪め、その発露が時折垣間見せる不可思議な態度だとしたら。解消を望むのは当たり前のことだった。
 エグザベは自身が感じる不快感めいた違和感より、シャリアの健やかさを重視する。
 これ以上彼の負担にならないよう。彼と、恋人と呼ばれる関係である相手と善き生活を送れるよう。
 エグザベは自らの足で世に立ち、健全に緊張を続けることを選ぶのだ。
 そんなエグザベの姿を、精神を、シャリアがやはり眩し気に、薄っすらと影を落として見つめていることに、気付かずに。



 想いを告げられた夜のように、多忙を縫って二人は肌を合わせもした。
 やはりどこまでも行儀よく、丁寧な労わりに満ちたセックスを。
 それは行為それ自体だけでなく、行う日についてもだった。優先されるべきはエグザベの予定で、エグザベが翌日朝から仕事、とりわけMSを駆るような案件が入っている夜は、シャリアは深く触れてくることは無い。唇を合わせ、口内を深く熱く貪るまでに留める。
 そして繋がる夜がエグザベの予定の身を優先するため、それこそエグザベ以上に多忙を極めるシャリアは翌朝早々に家を出ていくことも多い。
 組み敷く身体をことのほか丁寧に扱う分、使う時間も長いというのに、だ。
 何度か「貴方明日は早いのだから」と咎めても、触れる手付きは優しいのに行為自体が止まることは無い。
 そして、かつて経験した単なる暴力とは全くの別物の行為は、その優しさは、その分エグザベに性交による快楽というモノをこれでもかと教え込んだ。
 甘く蜜で浸し、それでいて極力エグザベに負担の無いよう、終えた後にも世話をし尽くしてくる。
 こそばゆさと申し訳なさと、情の伴うセックスというのはこうもやわらかく甘やかなのかという驚きを、エグザベは毎回感じていた。
 積み重なる優しい夜は確かに、エグザベにこの関係への、シャリアへの信頼を与えていく。
 だからこそ無理はしてもらいたくなくても、「君は本当に理性的だ。もう少し、そんなものを放り出してくれて良いのに」と少しだけ歪に微笑んで結局部屋へと引きずり込まれる。
 そう、身体を重ねるのは何時だってシャリアの寝室だった。広い、ベッドの上だった。
 シャリアの気配に満ちた部屋の中で、シャリアが普段眠るシーツの上でたっぷりと時間をかけて愛される。
 ぐずぐずと乱されながら、薄暗い部屋で外も内側もシャリアで埋められることがほんの少し、溺れるような息苦しさを感じるのはきっと自然なことなのだろう。
 はふ、と息継ぎをするように乱れたシーツを這いずって、それを優しく引き戻されて奥を染められて。
 けぶる視界に映るシャリアはなにかを堪えるように眉を顰めながらも恍惚と頬を色付かせていて。
 この息苦しさと気持ちの良さは彼も同じなのだと、ひそかな安堵を覚える日々だった。



 シャリアはそう、エグザベにとてもやさしい男だったが、過剰なほど甘やかしてくる男だったが、当然そうではない、職務においては公正で冷徹な面はあった。
無論それはエグザベも歓迎すべきことなのは間違いない。誰が公私を越えた贔屓など欲しがるものか。
「ぁ、」
「少尉?」
「どしたのエグザベ君」
 ある日特務部隊に課された仕事。アルテイシア・ソム・ダイクンの正式な即位式に向けた各調整、根回し。
 その中でとりわけ当日の警護に関する協議が繰り返されているが、今日から加わる人間の中に見知った名前があった。
 基地の奥まった場所に位置している部隊の執務室で行われるブリーフィング。デスクに広げられた資料を見下ろしながら、エグザベは一つの記憶をよみがえらせる。
 良い意味ではない。エグザベの出自もどこでか知ったらしいその大尉はかつてキシリアの近衛隊長であり、キシリアの起こしたクーデターはともかく、それ以外は最終的に事故で片付けられたイオマグヌッソの一件で生き残ったエグザベに対して一定の悪意を持っている男でもあった。
 男はそれこそエグザベの元難民、それもかの『ルウム』の難民でありながらキシリアの元で尾を振り、今はまんまと処分一つもされずに新政権の、公王のお抱え部隊に所属していることに対してどんな媚び方をしたのかと見下す目と思惟を向けてきていた。
 その際にあからさまにルウムの惨状を引き合いに出して煽られたのは、大抵のことを受け流し飲み込んでしまうエグザベをして印象深い。
 良くない方面で。
 そんな相手が参加する協議。思わず声を上げてしまえば、シャリアも、同じく特務部隊に、といってもこの三人だけの極小部隊ではあるのだが、所属しているコモリも気付いて何かあったかと問うてくる。
「いえ、なんでもないです。知った名前が居るなと思っただけで」
 エグザベの視線の先をコモリはぴたりと読み当てる。
「あ、今回から参加のこの大尉? あんまり性格良くないって評判なんだよね。能力は問題ないんだけど」
 エグザベ君もしかして絡まれたことあるの?
 心配するように名簿とエグザベを交互に見やるコモリに「いや、そんな大したことでは」と誤魔化すも、その言葉選びは肯定していると同然で。
 やってしまったなと口にした直後に反省するが、そのまま、今回の打ち合わせは自分は不参加で他の仕事に回るのはありだろうかと微かな期待が首を擡げる。
 実際部隊の責任者であるシャリアと、事務的な補佐官であるコモリが居れば足りることではある。エグザベはエグザベで他にも溜まっている業務もあるのだし。
 などという不純な打算を危うく巡らせかける。そんな考えが過るくらいには、この大尉から受けたたった一度だけの蔑みがエグザベを深く突き刺していることに、当のエグザベは自覚が無い。
 そして、そんな甘えは聞き届けられないのは当たり前で。
「ふむ、少尉には申し訳ありませんが、当日有事の際にはMSで動いてもらうことになる貴方は今日の打ち合わせには参加してもらわなければ困りますからね」
「あ、いえ勿論です! 問題ありません」
 当然、貴方たちに目に余るような暴言も嫌がらせも看過する気はありませんので、とささやかに頼もしい言葉まで送られればちらと胸に淀んでいた薄曇りはサッと晴れる。
 大丈夫。エグザベはそっと頷き気を引き締めた。それに害意しかない視線も思惟も慣れている。そんなものを気にしている暇など無いのだ。
 すべての相手とそりが合うなどありえない。規則と倫理に照らし合わせて度を越えない限りは時に耐え、平常に努めることは大事だ。
エグザベは軍服との襟を正す気持ちで背筋を伸ばした。元々、いつだってピンと伸ばされているのだけれど。
 シャリアにもコモリにも、気を遣わせたようで申し訳ない。そんな後ろめたさも覚え、より一層自分を奮い立たせて。
 そしてコモリの労わりも、シャリアの公正さもありがたいと、良きものだと笑みを浮かべた。


 そんなエグザベの気負いは、ある意味無駄にはならなかった。
 件の大尉は打ち合わせ中も恐らく特にエグザベに突っかかりたいのがよく分かったが、立場を弁えつつ発言を求められた際にはパイロットとしての目線で的確な意見を述べる相手に的外れな反発は許されない。
 そうした分別は持ち合わせている手合いだからこそたちが悪いと言えるのかもしれないが、最低限の公私は分けているところはエグザベのなけなしの好感度を上げたとも言える。
 それでも長い打ち合わせが終了し、めいめい解散していく中ですれ違いざまに投げつけられた言葉。
「浅ましい」
 ただ、一言。その一言にこれでもかと詰め込まれた嫌悪と蔑みに、バイカラーアイの中心がきゅ、と収縮する。して、それだけだ。一呼吸のちには全て元通り。
「何事も無く終わって良かったです。話もかなり進みましたね」
 心からの安堵とねぎらいを籠めて二人を見やれば、コモリは眉を顰め大尉が去った方を睨みつけ、シャリアは表情を消してエグザベを見つめていた。
 エグザベにだけ聞こえる程度の声量でも、感応に優れたニュータイプである二人には向けられる悪意も、シャリアに至ってはその具体的な言の葉とて拾い上げられる。
「なるほど、どこかで手は打った方が良いかもしれませんね」
 そうして低く、這うように潜められた声にエグザベもコモリも思わず身を竦ませた。
「中佐……?」
「見当違いの上にやたらに溜め込んでいる。いずれ良からぬ牙を剥く可能性も高い」
 よく分かりました。そんなことを呟き、すみませんとエグザベに謝罪を口にする。
「え?」
「君を囮して測るような真似をしました。不快だったでしょう、彼はルウム戦役に参加もしていましたし」
「ちょっと中佐、なんですかそれ」
「、ああそういうことですか。なら気にしないでください。まああの大尉も、腹の内はともかく仕事ぶりは問題ないようだし、コモリや貴方にまでならともかく、僕相手に関してはそう過敏にならなくても」
 特にシャリアはエグザベとは違った意味で難しい立場でもある。あることないこと、悪意から崇拝から恐れから、陰謀論めいたものが彼の周囲に飛び交っているのを耳にしたのは一度や二度ではない。気を付けるべきはそちらだ。
男の顔と声で蘇った彼の語る惨劇は綺麗に仕舞い込む。乱されては、感情に呑まれてはいけない。あれを繰り返さないために、自分たちも、それこそあの大尉とて働いていくのだから。そう考えているのに。
「エグザベ君」
「エグザベ少尉」
 同僚と上官、双方から咎める声がすかさず飛ぶ。先ほどと違い今度はエグザベだけが首を竦めるが、二人の棘のある、困ったような視線が弱まることは無かった。
……本当に君という人は」
 ──また、だ?
 チリ、と頭の奥で鈴が鳴る。何かを拾いかける。
シャリアは小さく息を吸ってほぅと囁くようにした言葉を途中で止めて、そのまま、エグザベに如何に事態を軽く見るべきではないかを、起こりうる問題を冷静な上官の顔で語った。
コモリも一瞬、エグザベ同様訝し気に柳眉を跳ねさせたがシャリアの『講義』に頷いていく。エグザベを、心底思いやりながら。
エグザベはまだ一つ己の至らなさを知り、周囲に恵まれていることを実感し、だからこそしかと足を踏みしめる。
彼らに、彼に甘え過ぎないよう、彼が誇れる相手で在れるよう、今一度。
理性と意欲とに瞬く菫のバイカラー。チカチカと輝くそこを、やはりシャリアは眩し気に眼を顰めながら見つめていた。




 そんな日々を繰り返して。
 エグザベは少しずつ、シャリアへの情愛を降り積もらせていった。信頼と、だからこその緊張感も。
 想えば想うほど、シャリアから向けられる視線に気負う気持ちもまた重なっていくのは否定できない。
 どれだけ甘やかされても、それこそ全てを受け入れたら堕落してしまう。向けられる期待と厳しさも、応えなければ失望させてしまうかもしれない。
 エグザベはシャリアに注がれた赤ワインで舌を湿らせながらそっと、なにとはなしに思った。

「     」

 一つ仕事の山を越え、明日は二人揃っての休日だからと開けた上等のワイン。最も、エグザベにとってはいつも大抵上等なものなのだが。
 合わせるのは出来合いの、といっても量も質も十分なローストビーフに付け合わせのサラダは色鮮やかな根菜のスライスが彩り、砕いたナッツを混ぜたドレッシングまで美味しい。
 ほかにもチーズの盛り合わせやドライフルーツ、評判のパン屋のバケットとちょっとしたパーティと言えるような食卓だった。
 お互い日々の苦労を労い合い、杯を重ねながら、ふいに浮かんだその思考。
 瞬きにも満たない間だけの思いはすぐに奥底に沈んだ。サラダのルッコラを咀嚼しながら視線を上げれば珍しくシャリアの視線はエグザベではなくどこか、空を見ていた。
「シャリアさん?」
「ああいえ、なんだったかな。そう、君のギャンですがようやく修繕とアップデートが終わるようです。近々稼働テストの声がかかるでしょうね」
「本当ですか! 嬉しいです、それにしても僕にあれを戻すのは苦労されたのでは……
「まさか。あのギャンは君という優秀なパイロットに相応しい機体です。こうして新体制のために働いてくれている君が万全に実力を発揮できるよう再整備するのは当然でしょう」
 自然に切り替えられた明るい話題。純粋に、今のジオンに戦力は足りませんから。という捕捉には二人して苦笑いを浮かべた。
 和やかな、良い夜だったとエグザベは認識している。この三か月ですっかり慣れた甘く穏やかな情に満ちた夜だったと。
 少しだけ違ったのは、同居と交際を始めてから初めて共に過ごす夜だというのに身体を重ねずに終えたことだろうか。意外に思いながらたまにはただ身体を休めるのも良い、そう思って。




 その翌朝、突き付けられた別れは、エグザベにとってあまりに唐突だった。

「君に落ち度はありません、私の問題なのです。私の事情で君を手に入れ、斬り捨てる。怒っていただいて構いません」
 そう本心から申し訳なさそうに促す言葉に従う気にはなれなかった。人の心は移ろう、当たり前のことだ。
「貴方がそう決めたのなら僕に何かいうことはありません。人の気持ちは、きっとそういうものだから。僕は貴方と違って色々と至らないし、上手くない」
 シャリアの問題だとは言うが、実際は自分がなにかしてしまったのかもしれない。
それこそグラナダでのニャアンに対してもきっとそうだったと、距離を縮め信頼を得ることは出来なかっただろう少女を思い浮かべて自嘲する。
 そうやって思考をあちこちへと伸ばさないと、混乱で震えだしそうだった。情けない。
 自分を奮い立たせて平静を組み上げて、なのに。


「最後に抱かせて欲しい。君を」
……意味が、分かりません」
 突き付けられた要求には首を横に振るしかない。たった今自分はこの男に別れを告げられたはずだ。恋人ではいられない、共に暮らせはしないと。
 そんな相手を、別れた直後に抱きたいというのはどういうことなのか。
 じり、と無意識に一歩下がる。明るいはずの部屋が一段、暗くなったような気がした。
「止めてください、シャリアさん、中佐っ」
 嫌です、とエグザベははっきりと拒絶した。心が離れた相手と身体を繋ぐ気は無い。例え、エグザベ自身に想いがあったとしてもだ。否、想いがあるからこそ嫌だった。
「ええ、すみません」
「なんで──ッ」
 シャリアはただ、謝罪を重ねる。そうしてエグザベ腕を掴み、強引に寝室へと引きずり込む。シャリアのではなく、エグザベの寝室だった部屋に。
 ひ、と喉が引き攣り、くしゃりと目元が歪む。どれだけ床を踏み締めても身を捩っても、シャリアはびくともせず容易くエグザベを引き摺った。
 初めての夜、口付けられてエグザベが一度押し返せたのはシャリアがそれを甘んじて受けただけなのだと思い知る。
 止めて、やめてください、やめろ! 最後には礼儀もなにもかなぐり捨てて拒絶する。
「──」
 シャリアの部屋の物よりは小さな、狭いベッドに放られて押し倒されて、そこで吐き出した叫びに一旦、動きが止まる。
 分かってもらえたのか。淡い期待と信頼はけれど、爛々と彩度を増した灰緑に、差し込むフローライトの光に貫かれて消える。
「いくらでも非難してくれて良い。君にはその権利がある」
「っなら、止めてください! 説明してください! なんなんですか、好きでもなくなった相手でしょう、溜まっているなら昨日何も言わずにすれば良かったじゃないか!」
 捨てられるとも知らない昨日の僕は拒まなかった! 揉み合いにもならない、伸し掛かられ押さえ込まれ、脱ぎ着のしやすい部屋着などあっという間に剥ぎ取られながら非難しても「違います」としかシャリアは返さない。
「ッ、なら哀れみですか! 餞別に抱いてやろうとでも!?」
「そんな訳がない」
 分からない。元より自分が推し量れる相手ではないのだろうが、それでも、何一つ分からない。エグザベは困惑と混乱、言い分を何一つ聞いてもらえず疑問に答えてもくれないことにガラリと地面が崩れていくような錯覚を覚えた。
「エグザベ君、私は君が愛おしい」
「は……──」

「君は悪くない。悪くなどないから、どうしようもないんだ。どうか許さないで。君を傷付けるしかできない私を」


「私は、どうしようもなく君が」


「    」


 吹き込まれた言葉に、シャリアの胸の内に、エグザベは大きな目を更に大きく見開いて、抵抗を止める。忘れた、という方が正解だろう。
──どうして
 掠れ震えた声で最後に上げた問いには、やはりシャリアは答えない。
 ただゆっくり、丁寧に。あまりに身に馴染んだ手付きでエグザベの身体を愛でて開いていく。エグザベの部屋に、領域に、中に踏み込んで暴いていく。
「っ、ふ、んぁ、う」
 シャリアの愛撫に慣らされた身体はエグザベの強張り冷えていく心に構わず高められていった。
 甘い声を上げ、戦慄き思うように動かない四肢はシャリアが優しく退けて。降ってくる口付けも変わらず熱く、エグザベの芯を蕩かすものだった。
 なのに頭の奥はズキズキと痛む。これは嫌だと叫んでいるのに、積み重ねてしまったシャリアへの想いと急変する状況への戸惑い、なにより、無体を強いながらも場違いに優しく、ぴくりとも表情を変えない無の様の癖に苦し気な目をする男に、身体が動かなかった。
「な……で、ど、して……
 しゃりあさん。ゆっくりと貫かれ、感じるところを甘やかに揺さぶられながら、快楽を感じているのに欠片も兆していない下肢に救われるような哀しいような気持ちのまま、エグザベは長く、昼日中になる頃合いまでシャリアに抱かれ続けた。

 どうしようもなく君がにくらしい。私自身が、にくらしい。

 途方に暮れたような男の声は果たして音として部屋に響いたものだったのか、頭の中に直接流れ込んできたものだったのか。
 判別もつかないまま、エグザベは夕方にはシャリアが手続きを終えていた官舎の一室に倒れ込んだ。
 送る、などと言ってきたシャリアの頬を一度だけ平手で打ち、よたよたとおぼつかない足取りでどうにか辿り着く。
 とにかく疲れて、混乱していた。喜怒哀楽はまだ追いついてこない。
 ベッドは備え付けのものがある。当然シーツもまだ敷かれていない固いスプリングに身を横たえてくるりと丸まった。
 心臓が痛くて息が苦しい、目の奥が熱い。ぎゅうと自分の身体を抱きしめるも、この三か月、つい数時間前まで散々に抱き締めてきていた男の抱擁に比べればあまりに頼りなくて。
 嗚呼、とエグザベはひしゃげるような息を漏らした。ヒ、ひく、ひぅ、と危うく跳ねる呼吸と共に全身で暴れまわる激情を堪え、沈めていく。 
 ジクジクと疼く胎の中も、胸元も、痺れる唇も舌先も同じように押さえ込んだ。
 きつくきつく瞼を閉じながら今はただ眠ろうと意識を閉じていく。
 今まで幾度となくそうやって多くを乗り越えてきた。危うい足元を踏ん張り立って歩いてきた。
 大丈夫。大丈夫だ、落ち着いて、すべきことだけを考えろ。なんのために何時だって身構えてきた。
 言い聞かせて言い聞かせて、やがて落ち着いていく心身に心の底から安堵して。
 それでも最後まで消えない、今朝まで恋人だった男の顔と、響いた悲鳴のよう声。むごいことば。
「僕には、貴方が分かりません……
 唇を噛み締めながら呟いた声は低く、平坦だった。