月見
2025-10-05 12:22:15
23063文字
Public シャリエグ
 

10/19シャリエグ新刊進捗

本編後馴れ初めと揉め事と……な本になる予定。
※ザべ君に難民時代男性経験があったことを仄めかす描写有り




1.


 静かに開かれていく扉を見る。
 サイド3、ズムシティに佇む軍本部の一角に、エグザベは拘留されていた。
 拘留といってもかつてサイド6で放り込まれた薄暗い軍警の拘置所とは違う。
 一見すれば単に士官室の一室と言えるような、けれど窓の一つもなく、寝台やシャワー、トイレと最低限の設備のみ整えられ、天井の一角には監視カメラが備え付けらえている部屋だった。
 私物の一つもありはしない、無機質で機械越しの視線に溢れたそこが、ここしばらくのエグザベの居場所だ。
 キシリアによるギレン総帥暗殺からの巨大兵器であったイオマグヌッソによるクーデターと、当のキシリアの死。
 ジークアクス、ジフレド、キケロガに赤いガンダム、そして謎の白いモビルスーツ。
 なにもかもが混沌と混乱に満ちたあの暗い宇宙を越えた先、エグザベはたった一つだけ、潰えようとしたものを引き留めることは出来て、けれど当然それで全てが終わるわけも無い。
 混迷の中で、最終的にエグザベはクーデター実行犯の一人、それも実働部隊の隊長として捕縛された。
 計画の詳細は何も知らされていない、悪しざまに言えば現場の使い捨ての立場のたかが少尉とはいえ数少ない、否、ほぼ唯一と言っていいキシリア陣営で事の現場に居た生き残りの身。
 新政権樹立に向けた混沌の中で、事情の聴取のためにも捕縛は当然であり、それ以外にも頭を失えど、失ったからこそ統制の取れないギレン、キシリア両陣営の泥沼の争いに巻き込まれないための保護の側面も恐らくは、あった。
 ただしそれが人道に悖るものか、あるいはキシリア陣営の生き残りの身柄にどれだけ、どのような利用価値があるかを測り、弾いた算盤通りに使う前に壊れるのを厭うたからか。
 この小さな箱に放り込まれてから、詳細な聴取にもエグザベは正直に、キシリア旗下として把握していたこと、行ったことは一つも反抗することなく明かした。
 結局巻き込んだだけとなった少女の行動や行方、そしてあの宙で刃を交えた男の語った思惑についてだけは口を噤みつつ。

 上層部の意向は分からないが、エグザベがこの部屋でやりとりをした調査官や食事を運んでくる下士官にとってはクーデター実行犯の一人としてジオンに混乱を巻き起こした犯罪者であり、その上で軍事法廷にも掛けられず階級を思えば妙に好待遇を受けている厄介者なのだろう。向けられる態度も幾らか働くニュータイプの感応能力が拾う思惟も棘のあるものばかりだった。
 そう、未だエグザベの処分は決まらないようで、投獄にしろなんらかの温情にしろ、あるいはと過っていた処刑も、なにも言い渡されることは無かった。
 することも出来ることも無く灰色の小部屋に仕舞い込まれたエグザベは、ただただ息をして日々を過ごす。あまりにも多くが起こり過ぎた日々を振り返りながら緊張の糸の緩まぬ日々を。

 それが終わりを告げたのが今日だった。
 未だ己の処遇は分からないまま、朝食のシリアルバーと共に寄越された「迎えが来る」とだけ告げられた言葉。
 誰が、どういうことで、と問うも告げた士官も「俺が知るか」と吐き捨てるだけで。
 ギシリと軋みやすいベッドに腰かけてエグザベは俯く。何も分からない。己の未来が何一つ。
 明日どころか数時間か数分先にきっと大きく動くだろう自分の立場が、行く末が欠片も見えない。
 ぐ、と寄った眉根にきつく顰められた目元、唇。そっと足を下ろしている床がぐにゃりと歪んだ気がした。気を張り詰め、力を入れて踏みしめなければ転げて倒れて、そのままになるような足場。それは駄目だとかぶりを振る。
 とにかく結果を聞いて、それを自分なりに受け止めるしかないのだと、受け止めて、進めるところまで進むしかないのだと言い聞かせた。
 その中で過るのはあの昏い宙で掴み引き留めた存在のこと。己を律することも忘れて激情をぶつけた相手のこと。
 責任を、未来を創れと分不相応にも叱責した男のことだ。
 捕縛される前に身を預けていたソドンで再開した灰緑の瞳だ。見知ったそれよりどこか色を変えた気がするその目で、視線で貫かれた時のことだ。
 彼は、シャリア・ブルは言った。「責任は果たします、君に誓って、必ずや」と、強く、深く。
 その時ちかりと瞬いた輝きに、どうしてかエグザベの喉はヒュ、と鳴り指の先までチリリと痺れる何かが、走ったのだ。
 あの視線を、声を思い出すたびに震える何かがあり、けれどその何かは未だ分からない。
 これだけ時間があったのだから自己対話なりで探ってみれば良かったものを常に張り詰めた神経はどうにも、そちらに思考を割かせてはくれなかった。
 それでも、とエグザベは息を吐く。自分が思わず、そして心の底から吐いた言葉に返されたあの答えは、今も胸の内をじんわりと熱くさせる。
 シャリアは責任を果たすと言った。必ず、と。叶うのであれば、彼がそうして創っていく未来を、秩序を、この目で見たいものだ。
 それは純粋に誰もが虐げられない秩序の敷かれた、ニュータイプが、ニュータイプでなくとも、ニュータイプであっても、自分らしく生きられる世界を望んでいるからか。
ああも全霊を賭けてぶつかりあった相手が誓ってくれたものだからこそ特に思うのか。
 ぐるりと回る、不安と諦観とが混ざり合い空回りもし続けている思考では中々判別は付かなかった。
 ほつりと胸に宿る確かな望みは沈めるべきか抱き続けるべきか。そっと何とは無しに己の手のひらを見つめ直したところで、閉ざされていた扉が、決して自ら開くことは許されなかった扉が、音を立てて開いていく。

「遅くなってすみません。迎えに来ましたよ」

 開いた先、部屋の中と同じく無機質な廊下にはまさに今の今までエグザベが追想していた相手、シャリア・ブルその人が、静かな微笑みを湛えて佇んでいた。



「ようやく決まったは良いのですがお察しのとおり上も下もごちゃごちゃと酷い有様ですからね、正式に通達が降りるのを待っても居られない」
 一足先に迎えに上がりました。いつかのようにスーツにコート、黒縁眼鏡をかけたシャリアはエグザベを灰色の箱から連れ出してそう言った。
 エグザベ・オリベ少尉はシャリア・ブル中佐が指揮する特務部隊に所属することになったのだ、と。
 表立っての、通常の命令系統の外。ジオンが新たに戴くことになる君主直属の部隊であり、そこであらゆる特命をこなすために動くのだ、と。
 それはつまりエグザベにはなんらか処罰が下るでも、軍から除籍されるでもなく、これからも軍人として、今度は一時のことではなく正式にシャリアの元で働くのだということ。
「仕事が仕事です。少数精鋭、人員は私の希望を押し通させてもらいました」
 そう語る言葉に含まれているのは、エグザベを下に置くのは上からの命令ではなくシャリアの意志であるということ。
状況の変化に付いていけずただただ、その広い背に置いて行かれぬように並ぶ。
「あ、ありがとう、ございま、す?」
 礼を言うべきだ、恐らく。シャリアの希望で、ということは、もしかしたら本来自分には別の辞令であったり、あるいは何らかの処分が下る可能性があった。
 どんなものであれ受け止めるつもりであったが、最終的にこの身に降り注いだのは奇しくも小さくも望んでいた「彼が創っていく未来を見る」どころか共にその手助けをするもの。
 エグザベはどこか白んだ思考から戻ることが出来ず、辛うじて呆けてたどたどしい礼を口にするので精いっぱいだった。
 ぐにゃりと、ガタリと歪み軋んでいた足元が静かに均されていく心地がする。

 立って、歩きやすくて、それが酷く。

「エグザベ少尉?」
 いつの間にか歩みを止めてしまったエグザベに気付いたシャリアが立ち止まり、振り返る。鼓膜を震わせるバリトンにエグザベはハッと意識を引き戻して「すみません」と慌てて足を進めた。
 進む廊下には次第に人通りが増えていく。ざわざわと忙しなく人が歩き、喋り、視線が行き交う。
 その内の幾つかは並んで歩く自分たちに向けられもしていたが、シャリアはもとより気にもかけず、エグザベもそれらに意識を割く余裕はなかった。
 そうして廊下を越え各部署の執務スペースを越える中で、エグザベはシャリアに声をかけ立ち寄らねばならない部署へと足を向けた。


「え……処分……?」
 向けた先で、突き付けられた事実にエグザベは呆然と立ち竦んだ。
「まあ、申し訳ないがそういうことだ。運が悪かったな」
 大して思ってもいなさそうな謝罪と慰めが適当に寄越される。
「あ、あのっ」
「もう用はないだろ、こっちから言えるのは今のとおりだよ」
 追いすがるもあまりに冷たく、ぞんざいに振り払われてやり取りは続かない。どうにもならない、動かない事実なのだとエグザベに知らしめていた。
「少尉、どうしました」
 さっさと場を離れてしまった事務官を見送るだけのエグザベに、なにかあったのだろうとシャリアが近づき、問いかける。
 純粋に気遣う眼差しと声音がじくりとエグザベの肌を焼いた。
「ああ、いえ、その」
 口籠る。しかし正式な辞令前とはいえ彼の部下として働くのであれば、この状況は報告すべきだろう。業務に、確実に支障が出るのだから。
「今回の件でグラナダに借りてる部屋の荷物は押収されていたんですが、どうも私物一式、処分されてしまったみたいで……
 しかるべき調査の後、問題なければ私物は返却されるはずだった。それが何時、どのような手続きと方法でかを確認してみれば、返って来たのは無情にも「手違いで全て廃棄された」という事実。
 部屋の中身がそれなのだ、当然部屋に戻る権利もありはしない。そもそも現在キシリアが管轄していたグラナダの基地や官舎は封鎖中で、仮に今も登録があったところで戻れるものではないし、今回シャリアの部下という配置がされたのだからそちらの意味でもあの部屋を使用し続けることは不可能だ。
 くるくると、エグザベはシャリアへ事態の説明をしながら半ばどうでも良い振り返りが頭の中で繰り返されるのをどこか遠くで感じている。
 処分。廃棄。エグザベの、僅かばかりでも持ち得ていたものが全て。ぐらぐらと、再び踏みしめる床が撓むのを感じる。
 そも、エグザベの私物、例えば軍用端末も私物のそれも、身分を証明するIDもなにも、あの日母艦であったチベに持ち込んだものは当然艦と共に宇宙の藻屑となっている。
 捨てきれない、手放しきれない、戒めともお守りとも言えた、ルウムで暮らしていた頃に使用していたもう動かない携帯端末ごと。
 そして更に今回、一応の自宅であった部屋に置いていたものもなにも、消えた。
 服や通帳等日々の生活に使うものだけではない。スクール時代、友人となれた同期たちからもらったもの、写真、そうした所謂思い出の品と呼べるものも、不要だと捨て去られてしまった。ああそういえば目の前の男に贈られた私服もか。
 エグザベはじわり、じわりと頭の奥が冷えていくのを感じる。一つ一つ、消えたものを思い起こすたびに脈によって送られていくはずの血が逆にざぁざぁと引いていくような心地だった。
 駄目だ、と思考を、追想を打ち切る。割り切れと浮かんでくる物たちの姿を掻き消し、今実際直面する問題だけに意識を集中する。
慣れている、何もかも吹き飛ぶのは、ある日突然全てがひっくり返るのは何もこの時勢で自分だけではないのだ、と。
 要は着の身着のまま放り出され、宿無し文無しということなのだ。まさか口座の凍結なり財産没収はされていないだろうが、あらゆる身分証もカードも物理的に消失している今、いくら口座に金があろうが引き出せず身元の証明も出来ない。
 辞令が降りる前とはいえ軍に籍はあるのだから、IDだけでも今すぐ再発行してもらえないだろうか。
 要望したくとも、先ほどの事務官の棘のある、面倒をかけるなという冷たい態度を思うと難しい気もして。
 ああほら、要らない感傷に浸るより考えるべきこと、問題はこんなにたくさんある。命があるだけ運が良い。そう、自分は運が良いのだ、危うい足元を強く踏みしめて立たなければ駄目だろう。
 白く血の気の引いた指先を隠すように握り込み、波立つ胸の内を当たり前に落ち着けてエグザベは現実を見る。
ああ、シャリアに向けた声に深刻さは滲んでいないだろうか。顔は、適当な困り笑顔に留められているだろうか。
 エグザベは引き攣りかける喉を堪えて「参りました」と努めて軽く笑おうとする。財布もIDも綺麗さっぱりですとお道化て。
 何もかも空っぽになってしまったことを、それでも深刻なことではない、ただ、物理的少々困るだけであるとするために。
 シャリアから事務に進言してもらって最低限の証明を発行してもらうか、まさか部下の内定をもらって早々に「金を貸してくれ」とも言えないだろう。
『通常通り』の思考が回り始めたエグザベは己の状態に密かに安堵しながら改めてシャリアを見上げ、ひた、と動きを止めた。
「なんですって?」
 はは、と頭を掻こうとしたエグザベに、シャリアの重く低い、唸り声に近い声が落ちる。
 静かな、不思議に輝く灰緑とその中のフローライトが、酷く硬質に研ぎ澄まされている。
……あの、中佐?」
 ちり、とエグザベの脳髄に固い、熱い棘のような思惟が刺さる。少なくとも目の前の男と比べればお世辞にも高くない受信能力でも感じる、感情の乱れ。
 それは即ち相当に大きな感情の動きということで、その種類は、憤り? エグザベはぱちぱちとバイカラーの目を瞬かせてシャリアを見上げる。
 その視線を分かっていたかのようにシャリアは一度その長い睫毛に縁どられた目を閉ざし、次に開いた時には常の底が読めない静かな色に戻っていた。かちり、とエグザベの呆けたそれと視線がかち合い、ゆるりと細められる。
 穏やかを模るように緩められた目元でシャリアは少し待っているようにとエグザベをその場に留めた。
え、とエグザベが聞き返す暇も無い。シャリアはツカツカと磨き抜かれた革靴を鳴らして先ほどエグザベが無碍にされた窓口へと向かっていった。





「さて、購入した君の服や家具が届いたら仕舞うとして、こんなものでしょうか」
 半日後、エグザベは路上で野宿でもなければ借り受けた金で安ホテルに泊まるでもなく、立地とセキュリティ、質も上等なマンションの一室に引きずり込まれ目を白黒とさせていた。
 シャリアのセーフハウス、と言いつつほぼ本宅だというそこに、「ほぼ使っていない部屋があるのでそこを使いなさい」と提案という名の決定事項として連れ込まれたのだ。
 身分証は窓口に向かったシャリアがその場で発行をさせたため、自力でどうにか出来なくはなく、エグザベ自身は固辞したもののシャリアは譲らなかった。
 努めて冷静に、淡々と、しかし性急に強引に、エグザベは彼の自宅へと連れられる。更に道中のタクシー内で忙しなく端末を操作していたのはエグザベのための衣服やベッドを始めとする家具の手配だというもの部屋に連れられてから明かされた。
 厚遇、という他無い事態に、しかしエグザベの背には一筋冷や汗が伝ったことをシャリアは気付いただろうか。
『勘が良い』男であり、察しても不思議はないはずだが戸惑い立ち尽くすエグザベに対してそちらのフォローを入れる気は無いようだった。
 再び手にできた身分証に、それを使用して契約した使用の端末。小さな箱から取り出されてからあっという間に自由を、身分を取り戻したはずなのに、目の前に広がるのは綺麗に舗装された一本道で、そこを往く以外は許されないような心地がうっすらとエグザベを襲っていた。
 都度、「上官となった者としての責任」「個人的に君を放っておけない」「私の身勝手ですよ」と純然たるシャリア個人の厚意であり、彼がエグザベを慮り労っている、目を掛けられていることを示されてなお、落ち着かない。
「それでは、これからよろしくお願いします。エグザベ
「ぁ、は、はい。よろしくお願いします、シャリア・ブル中佐」
 広く、汚れ一つないリビングのフローリングに立ちながら、さらと伸ばされた手に、やわらかな声に、エグザベは誘われるように己の手も差し出し、握り合う。
 足の裏に伝わる固く安定した、艶のあるフローリングの感触はどこか、非現実めいていた。
 たった半日であまりにも大きく変容した己の立場、身の置き場はひたひたとエグザベの内を染めていく。
 そうして後日、どうしてここまで良くしてくれるのか。部下だから、目を掛けてくれているからの範疇を越えていると口にして。
「想う相手と共に在るため、浅ましく打算を巡らせたからですね」
 そうなんでも無いように、なのにあまりに重く感じるやわらかな声で口にされて。もう一度、エグザベを纏う環境は大きく動くこととなったのだ。



 結局、エグザベはシャリアの告白と言えるそれを、受けた。
 打算で、下心ですと衒いも無く告げた男が向けるまなざしと、近づく距離。
 エグザベに正式に辞令が出て、目の回るような忙しい生活がスタートする、そんな最中だ。
 夜のリビングでお互いソファに身を預けて晩酌をしている最中だった。
 琥珀色の液体の入ったグラスをローテーブルに置いたシャリアが立ち上がり、エグザベの前に佇み熱く蕩けるような声で告げた、そんな夜。
 間接照明が幾つも重なり灯されたリビングはどこか甘く静謐な空気で満ちており、繊細なカットが施されたグラスがそれを受けてきらきらと淡く光る。
 シャリアの灰緑にふと浮かぶ光はそれらを反射しているからだろうかとエグザベはぼんやりと思い、見つめ返した。
 きっとあれは見惚れていたのだと今は自分を納得させている。じくじくと疼くような熱を湛えた視線と、吐息で囁くような声なのに身体の芯から、頭の奥からズンと揺らすようなシャリアの告白に、エグザベの舌はかさりと乾いて言葉を紡ぎ返せない。
「エグザベ君、君の叫びが、光が私に生を思い出させた。私という形を照らしてしまった。ええ、狡いことを言います。君の望んだ責任を幾らでも果たします、そのために君が欲しい。君も、私をこの世に望んだ責任を取ってください」
 君という存在がどうしても、欲しい。好きなのです。君を私という命の楔にさせて欲しい。
 シャリアは幾つも幾つも、空を埋め尽くす光弾のようにエグザベに語る。想いを注ぐ。
 エグザベが何かを言おうとして言葉を詰まらせるのがいっそ幸いとでもいうように、ひたすらに如何にあの宙でエグザベの言葉が、声が、感情が存在が響いたのか、照らしたのか、眩しかったのかを語り注ぎ、欲した。
 ぐらりとエグザベの頭が揺れる。芯が熱くて、痺れて、シャリアが紡ぐ言葉の一音一音がダイレクトに脳髄を、身体の内を揺さぶる心地だった。
 自分に向けられる想いも欲もそのまま捻じ込まれ分からされていると、真実重く深く欲しているのだと理解するしかなかった。
 そうまでされてなお、エグザベは彼にそうも想われる程のことを成したともその価値が己にあるとも、思えはしないのだけれど。
 必死で、夢中で、自分の理屈を彼に叩きつけただけで。自分が、シャリアという男に必死だっただけで。
「ぁ……
 靄がかって茹る思考に呑まれている内に、矢も楯もたまらず降り注ぎ浸み込んでいく言葉に溺れている内に、視界一杯にシャリアの眼の色が広がるほど顔を寄せられていることに気付く。
「好きです、エグザベ君」
 全身が揺れる。足元がぐにゃりと歪み、震える。濡れた吐息が唇に触れ、そのまま合わさって。喰らい、つかれる。
「ん、ぅんッ」
 呼吸ごと奪われるように覆われて、ただでさえ纏まらない思考が、感情が、そのまま流されていく、溺れていく。
 ぼやける視界は灰緑とフローライトの輝きに染まり潤んで、エグザベはそれでも必死に自身を手繰り寄せた。
 口内に潜り込む舌の熱さもぬろりと舐る動きもどうにか追いやりながら、自分のシャリアへの感情を振り返る。
好ましく思ってはいたこと、あの時ああも激情に駆られるくらいには特別視していたこと。
熱の籠った目で見られて、こうして答えも待たずに深く触れられて、微かに恐れと、けれど嫌悪ではないものがあった。
「っは、ぁ、待って、待ってくださいっ」
 ソファに縫い留めるように囚われた腕を渾身の力で押し返し、エグザベは荒い息のままシャリアを睨め付けた。
 呼吸を阻まれたことでじんわりと涙が滲むバイカラーアイに、見据える灰緑が深みを増したことにエグザベは気付かない。
「ぼく、は、所謂『綺麗な身体』というやつでは、ないです。ええと、恋愛関係からのそれのためでは、なく」
 理由は、お分かりですよね。自分の経歴を知っているだろう貴方ならば。エグザベは性急な口付けのためではなく掠れた声で告げる。
 逃れられない暴力だった。生き延びるために明け渡さざるを得ない、そんなことが数度だけ、あった。
 ジオンに拾われ検査もして、少なくとも肉体的に今なにか問題は無い。精神も、現実との折り合いを付ける割りきりが幸い上手く、それ以上にとにかく必死だったお陰で皮肉にも健全なまま保てて入る。
 だが良く思わない相手も多いだろう。打ち明けた過去の欠片を、シャリアはどう受け止めるだろうか。
 濁流に吞まれるように流されるのは、シャリア相手であればもう良いだろう、という一つの割きりのような、諦観のような、それ以外の何かのような。
 そんなものを抱えながらもエグザベの理性が明かすべきだとしたもの。果たしてどう返されるかと身構えて。
「────っ」
 訪れたのは抱擁だった。全身で成される、きつく力強い抱擁。広く厚い胸に抱かれ、幾度も唇を、喉元を吸われ食まれながらエグザベは抱きしめられる。
「今、君という人が私を受け入れてくれることが全てです」
 君はせいじつで、うつくしい。どうしようもなく。唸るように震える声が鼓膜を揺らした。
「貴方が、君が、受けた傷を痛ましくこそ思っても、君自身を厭うことはありません。生き抜いて私の前に現れてくれた巡り合わせだけを貴びます」
 本当に、どうしてきみのようなひとが、わたしのまえに在るのか。おそろしい。
 最後に喉の奥でくぐもるその言葉は、エグザベには届かなかった。ただ、一回り大きな身体で籠める力がまた一段増す。

「もう良いですか? 君をください」

 全身を逆さに撫で上げるような急いて、焦れて、熔かすような声で求められる。この身に受けたものを開示してなお、果てが見えないほどに。
……───」
 今度こそエグザベは身を任せた。全身の力を抜き、抱き締められるまま、抱え上げられるままに降り注ぐ口付けや撫でつける指先を、手のひらを受け入れる。
 ベッドに横たえられるその時も、覆い被さるその背に腕を回さなかったのはただ、強すぎる抱擁で腕も指先も痺れていたから。 そう、誰にともなく言い訳をして、はだけられていく自分も、乱雑に衣服を脱ぎ捨てていくシャリアも受け止めていった。


 そうして始まった夜はどこまでも優しく丁寧で。エグザベへの負担を欠片もかけはしないとばかりに気を使われた、お手本のように綺麗なセックスだった。
 そうまで丁重に扱われたからこそ、関係を受け入れられたのだろうか。
 そうまでひたすらに尽くされたからこそ、どうしても拭いきれない緊張があり続けたのだろうか。


「終わりにしましょう」

 唐突に突き付けられた新たな変化。エグザベはただただ、凪いで受け止めるしかない。
…………は、い」
 どうにか吐き出した声は思ったよりもずっといつも通り、掠れても潰れてもいなかった。
「ありがとうございます」
 シャリアはやはり静かに笑う。伏せた目元に落ちる睫毛の影が見えて、相も変わらず綺麗な男だと場違いに思った。
エグザベは告げられた別れとこんごの手続きについて淡々と算段もする。
 この三か月、短いと言えるだろう期間にどれだけ遠慮しても固辞しても、時にありがたく受け入れもした彼からの贈り物の数々は、さて狭い官舎に入りきるだろうか。
 彼の言う引っ越しの手配にそれらの発送が組み込まれていたとしたらそれが問題だ、と。置いていったら、処分しておいてもらえるかな、とも。
 エグザベの思考は半ば現実逃避と言えるのかもしれない。それくらい、たった三か月、否、これに至った多くの出来事は膨大で激しくて、そこに更にやって来た波は大きいものだった。
 ぐらり、ぐしゃり。足元がまた崩れて乱れていく。シャリアの顔は逸らされることなくエグザベを向いていて。
だけれどそこに今まで見えていた熱は見つけられない。
 ただ、妙に冴え冴えとした光を宿す灰緑が嵌っているだけだ。そうか、本当にもう良いのか、彼は。
 エグザベはゆっくりと事実を咀嚼する。うねると錯覚した床を懸命に踏みしめれば正気が戻ってきた。
 じんわりと精神が、自身の在り方が現実に重量を伴って全身を巡り、両の足で立つ。
 うん、大丈夫だ。これなら立てる、歩ける。変わらない。ふ、と落とした吐息は確かな安堵。そして感情が、思考が切り替わるスイッチでもあった。
 まずはただすべきことだけで頭を一杯にして、身体を動かす。そうやって生きてきた。それだけでは駄目だとあの宙で理解はしたけれど、もう少しだけ、今は、その手法を使いたい、とエグザベは誰かに無駄な許しを請う。
 そうやってシャリアが望むように、この熱に浮かされたような関係を終わらせて、この部屋を出る。
 そのための一歩を踏み出そうとしたところで、再び声がかけられた。
「それから、最後に一つお願いが」
 エグザベがシャリアの前から離れようと足を浮かすより前に、シャリアの足が踏み出される。エグザベの方へ。
「なんでしょうか」
 ぱち、と瞬き、彼の難しい意図を探るより先を促す方が早いと問いをかけて。

「最後に抱かせて欲しい」

 向けられる言葉と伸ばされる腕は、エグザベの理解の範疇を優に、越えていた。