あがさ
2025-10-04 14:42:59
6508文字
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白河夜船





「アンタまた寝てたんでしょ。」

 昼寝からふと目が覚めると、頭上から新八の苦笑が降ってきた。
 基本的に年上には敬語で話すこいつが、こうやってふいに崩れた口調になる瞬間、俺は堪らない気持ちになる。そうやって俺を窘める時、どうしようもない亭主に呆れる女房みてーな声色なの、お前は知らねぇんだろうなぁ。一度指摘してしまったら、もうその音を出してくれなくなるような気がするから、言ってやったことはない。そんな風に俺に語りかけてくるこいつの声を聞くたびに、世界にはちったぁ柔らかい部分が残っていて、そのおこぼれにありつけている、そういう感覚に陥る。

 今朝も、新八の朝の挨拶で目を覚ました。
 実をいうと、新八が朝出勤一番、玄関先で放つ第一声を聞き逃したことは滅多にない。あいつの勤勉さを表すような、早朝にもかかわらずしゃきっとした足取りで外階段を上ってくる足音が、俺の覚醒を促すのだろう。玄関を開けたあいつの「おはようございます」と言う声は、やけにくっきりと俺の耳に届き、目が覚める。微睡から意識が浮上する瞬間にはいつも、泥濘に身体が半分埋まっているような無力感があり、昔から得意ではない。だが、すっきりとした朝の風に運ばれてくるような、寝静まっている家人への配慮から僅かに声量が抑えられたその音と共に始まる一日を、俺は存外悪くないと思っている。起き上がる気はまだしないので、大抵は一度開けた瞼を再び下ろす。布団のぬくもりを引き続き享受しながら、家に入ってきた新八の気配に意識を集中させる。
 あいつが出勤後一番にする日課は、俺や神楽を起こすことだ。
 まず最初に神楽が寝ている押入れに向かい、襖越しに何度か声をかける。早朝からの依頼で時間が迫っている際には多少声を張り上げることもあるが、そうでない場合は基本的には優しい声掛け。妹想いの兄ちゃんなのか、娘に甘い母ちゃんなのか。つまりそんな感じの、まるっこい声色。
 お次は、定春を挨拶ついでに一撫で。動物は何時だって腹時計に忠実なもんで、新八が現れる頃には大抵起き出している。
 そんで、雨が降っている日以外は居間の窓を開け、部屋に新鮮な空気を取り入れる。
 最後に俺の番。神楽の時とは違い、問答無用で和室の襖を開け放たれる。居間と同様に窓を開けながらの「銀さん、おはようございます。朝ですよー」。それでも起き渋っていると、布団のそばまで来て、大声で起きろと喚かれたり、掛け布団の上から揺さぶられたり、終いには布団をはぎ取られたりする。そこまでされると起きざるを得ないため、のそのそと起き上がる。覚醒はしていたが布団から出たくなかったのは本当なので、別に、断じて、新八にそうやって近くまで来て起こしてほしいから狸寝入りをしているわけではない。
 やっとこさ俺を起こした新八は、「もう!どうしてアンタはそう寝汚いんすか。今日の朝食当番銀さんなのちゃんと覚えてるんでしょうね?」などと小言をガミガミ言う。

 それでも和室を立ち去る際に必ずもう一度、
「銀さん、おはようございます」
と、振り向いて笑うんだよな。

 その声を、俺は毎日待っているのかもしれない。
 新八の声で朝目覚め、新八の声を聞いて眠りにつく。そんな毎日を繰り返すことを、待っている。


 長椅子に寝そべったまま、新八の顔を、目線を上げて捉えてみる。相も変わらず、どこにでもいそうな地味な眼鏡。俺を覗き込むその眼差しが、勿体ねーくらいやわこいの。
 怖くなっちまうくらい。

 先程の声の響き。
 その余韻を味わうために、俺はもう一度だけ瞼を閉じた。

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