あがさ
2025-10-04 14:42:59
6508文字
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白河夜船





  
 銀さんが寝ている。
 平日の昼間から、居間の長椅子に寝そべって、堂々と。

 今朝、いつもの時間に万事屋に出勤した。
 僕のここでの朝一番の仕事は、神楽ちゃんと銀さんを起こすこと。いつの間にか、それが日課となっていた。神楽ちゃんの睡眠への執着も相当だけど、耳元で声を張り上げ布団をはぎ取るくらいしないといつまで経っても起き上がらない銀さんを起こすのは、些か骨が折れる。その後三人と一匹で食卓を囲んだのも、いつもの流れ。朝食の後、神楽ちゃんは腹ごなしに行くと言って、定春を連れて遊びに出かけた。僕はこれまた日課となっている掃除を始めたけれど、普段から小まめに掃き清めているため、それも手早く終わってしまった。本日、事前に入っている依頼はなし。でも、飛び込みでやってくる依頼人も少なくはない。そういう依頼を逃さないためにも、なるべく万事屋を無人にはしたくない。加えて今日はなんだか、静かに家の中で何か手仕事でもしたい気分だった。それならと和室に行き、普段は押入れに仕舞っている針箱を取り出す。洗濯後、まとめて繕うために選り分けていた衣類も持ってくる。自分の分も勿論あるが、ほとんどが神楽ちゃんと銀さんのもの。

 汚れ、擦り切れ、ほつれや破れ。神楽ちゃんの服は、どこでどう遊んできたのかと呆れるほどの有様になっていることが多い。それは夜兎の体力を存分に生かす、天真爛漫な女の子に相応しい名誉の勲章。洗濯とお直しは一苦労だけれど、微笑ましいとも思っている。

 対して、銀さん。こちらの繕いが必要な服には、少しばかり複雑な気持ちになる。いい大人なんだから年相応に落ち着いたらいいのに、すぐ誰かしらといざこざを起こしたり巻き込まれたり。また、〈お悩み解決!浮気調査、ペット探し、屋根修繕。なんでもお任せください!〉が売りの万事屋家業の延長線上、穏やかとは言い難い事件で大立ち回りすることもしばしば。それは同じ万事屋銀ちゃんのメンバーである僕と神楽ちゃんにも言えることだけれど、殊更危険な時には、銀さんが矢面に立ち、単独で危険に飛び込んで行ってしまう。そのせいで銀さんの服は普段もさることながら、戦いの後にはとんでもなく損傷が激しい。血糊やその他の汚れがべったりなんてことも。神楽ちゃんの服同様、いやそれ以上に、洗って繕う大変さは筆舌に尽くし難い。

 それでも。

 普段はだらけてばかりなのに、いざという時は己の身を顧みず、誰かを護るために、戦う人。そういう坂田銀時という男の背中を、追いかけると決めてしまったのは自分。だから僕は、彼の戦いの歴史と、護ったものの数を物語る銀さんの服を繕う。
 銀さんという人を近くに感じられる嬉しさ。人間離れしているとさえ思える銀さんの強さへの憧れ。でも、いくら強いからと言っても怪我なんてしてほしくない胸の痛み。その背中に追いつきたいのに、まだまだ追いつけない自分へのもどかしさ。色んな感情が自分の中でシャボン玉のように現れては、消えていく。

 それら全てに向き合い、静かに身をゆだねるこの時間が、僕は嫌いではない。

 裁縫に集中していると、時間があっという間に過ぎていく。ふと気が付くと、窓から差し込む日差しが、朝の柔らかいものから昼時のくっきりしたものになっていた。そろそろ神楽ちゃんと定春が昼食のために帰ってくる頃合いかもしれない。針を刺す手を止め、昼餉の段取りを考えようとしたところで、そう言えば銀さんはどこにいるのだろうかと疑問に思う。自分が和室に向かった際には、まだ居間の長椅子で呑気に漫画雑誌を読んでいたような気もする。その後の動向は、作業に集中していた為分からない。襖の向こうの居間からは物音一つしないから、もしかしたら外出しているのかもしれない。依頼がない日の昼間は、よくふらりと出て行き夕方まで帰ってこないこともあるのだ。大方、パのつく銀の玉でも転がしているのだろう。何はともあれ、針や鋏などが危なくないように簡単に仕舞い、食事の準備をするために居間へと続く襖を空けた。

 そして冒頭である。

 「世の中の大人の皆さんは汗水垂らして働いている時間帯だというのに、呑気に昼寝って如何なものか」「大体、依頼が入っていないなら自分から見つけに行く努力くらいしてくださいよ」、通常だとそのマダオぶりに一言二言物申したくなるところ。でも今日は、見慣れた銀さんの昼寝姿に、何故だか自然と息をひそめてしまった。先程まで、銀さんの着物を繕いながら考えていたことに引きずられているのか。
 長椅子の近くまで寄って、その静かな寝顔を覗き込む。

 今、銀さんはどんな夢を見ているのだろうか。

 ただだらけてゴロゴロしている時とは違い、実際に寝てしまっている銀さんには、たとえ昼寝であっても少し近づき難い雰囲気がある。
 本当は目を閉じているだけであって、何か身に危険が迫ったら直ぐに飛び起きて冷静に対応するのではないか。そんな、ひりひりとした冷たさと、そして寂しい空気を纏っている。

 これでも僕が万事屋に来たばかりの頃に比べると、穏やかになった方だと思う。

 当時のことを思い返す。
 最初のうちは銀さんも、押しかけて来た僕を面倒くさがりながらも一応は──本当に一応という程度だけど──、気を遣ってくれていたのか、僕の目の前で昼寝をするようなことはなかった。
 だから、寝ている銀さんの醸し出す異様な雰囲気のことは、初めて万事屋に泊まった夜に気がついた。

 その日は、珍しく早朝からの依頼が入った日の前日で、僕は朝食の段取りについて考えていた。姉上が勤務先から帰宅するのと同じか、それより少し早いくらいに僕は出勤することになるだろう。姉上と一緒に朝食を食べてから出勤するのは難しそうだ。
「明日、何時に家を出ようかなぁ」
思わず呟いた僕に対して、
「今晩泊まっていけば」
ねーちゃんにはちゃんと電話しとけよ、と足の爪を切りながら何でもないように言った銀さん。

 銀さんのところで助手のようなことをするようになって数週間。バカ皇子の化け蛸事件を筆頭に、土煙や泥やその他よくわからない汚れを被ること多々あり。依頼終わりに銀さんと銭湯に直接行くこともあったけれど、そうするのが憚られるほど酷い状態の時は万事屋の風呂を借りていた。一方で、万事屋に泊まったことはそれまで一度もなかった。初対面時、良く言えば親しみやすく、悪く言えば図々しかった銀さんは、他人への遠慮という概念を持ち合わせていないように見えた。でも、実際に彼の元で働き始めると、その認識は少し外れていたことを知る。人との距離が近いようで、その実、彼の懐の中には誰も容易に入ることはできない。そんな、一歩引いた人との距離の測り方をする人なんだと、僕は銀さんに対して思っていた。だから、まるで昨日も同じやり取りをしたかのように自然な口調で「泊まっていけば」と言われた時、僕はなんだか、野良猫が初めて腹を撫でさせてくれた時のような、ささやかな心の弾みを覚えた。

 余談だけれど、あの晩当たり前のように僕が寝るための布団が存在していたことを、暫く経ってからふと疑問に思い、「客用布団なんてよく持っていましたね」と問うたことがある。すると「あの晩よりちょっと前に、今後新八が万事屋(ここ)に泊ることもあるだろってバアさんが自分ちで余ってるやつ押し付けてきてたんだよ。なんか妙に機嫌よさそうな面してたんで気味悪かったけど、ま、結果すぐ役に立ったんで、バアさんには一応感謝だな。」と、妙に照れくさそうに銀さんは言っていた。

 夜、順番に風呂に入ったあと、朝が早いからと早々に和室に行き、二組目の布団を銀さんの分の隣に並べた。敷き終わり、あとは寝るだけとなった時、せーので同じタイミングで布団に入るのは何となく気恥ずかしい気がして、僕は少しまごついた。でも銀さんは何にも気にしていないようで、さっさと布団にもぐりこちらに背を向けてしまった。慌てて「あ、銀さん、おやすみなさい」とその背中に声をかける。返事がなかったので、まさかもう寝たのかとあっけに取られていると、「おう、寝坊すんなよ」とだけ返事が返ってきた。拍子抜けした僕もそのまま布団にもぐり、大人しく目を閉じた。

 でも、一向に眠気は訪れなかった。

 寝つきは特段悪くない方だと思っていたが、どうしても隣の気配が気になってしまう。気になるというより、勝手に身体が緊張してしまう。出会ってからまだ数週間。けれども、ほぼ毎日顔を合わせ、万事屋として一緒に依頼をこなす時は勿論、何だかんだで仕事をしていない時も多くの時間を共にするようになった。そんな彼の気配は、僕にとっては馴染んできたものでこそあれ、今更緊張するようなものではないはず。そっと瞼を上げ、横目で隣を伺う。その広い背中を覆う掛け布団は、かすかにだが規則正しく呼吸に合わせて上下していて、寝ているのだとわかった。しかし、その気配が、普段の昼行燈具合からは想像もつかないほど、他を拒絶するような冷たさで、僕は知らず知らず肩に力が入ってしまっていたのに気が付く。

 昼間起きている間の銀さんと、眠りについた時の銀さんの雰囲気の違い。

 それはなんだか寂しいことのような気がして、自分でもよくわからないままに胸が痛んだ。そして、自分は銀さんのことの多くを知らないのだと気づく。
 これから知っていきたいと思っている、自分にも。

 あの日から、僕は同じように万事屋に泊ることが増えた。暫くのち神楽ちゃんも転がり込んできて、定春も仲間に加わる。三人と一匹の生活が僕らに馴染んだ頃、気が付いたら銀さんは遠慮せずに堂々と居間の長椅子で昼寝もするようになっていた。それでも、寝ているときの銀さんを包み込んでいる、温もりを手放してしまったような静かな空気は、依然として存在している。

「銀さん、僕、時々怖いんです。」

 三人と一匹でバカ騒ぎをする万事屋での日々。いくらそれが当たり前の日常になっていても、銀さんは、眠ってしまえば一人きりの世界に行ってしまうようで。
 銀さんが、過去から抱え続けているもの。桂さんを筆頭に、昔の銀さんを知っている人たちが話す内容から、嫌でも察することはできる。でも、それを僕や神楽ちゃんは銀さんから直接教えてもらったことはない。気にならないといえば嘘になるが、言いたくないことを無理やり聞き出したいとも思わない。いつか、僕たちに話したいと思ったときに話してくれれば、それでいい。一生話してくれなかったとしても、それでもいい。銀さんが僕たちと一緒に、万事屋 ここにいてくれるなら、それで十分だから。
 銀さんに、朝は「おはようございます」と挨拶ができて、夜は「おやすみなさい」と伝えられて、そうやって毎日を続けていけること。
 それが、僕にとって大切なことだから。

 ですから銀さん、いつ寝てもいいですが、必ず万事屋僕らの、僕のそばで寝てくださいね。

 そんなことを考えていたら、銀さんの瞼がぴくりと動く。だから、僕は彼の睫毛がゆっくりと上がっていく様を眺めながら、こう声をかけたのだ。

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