1.
この春は、メリニ王国の魔術師たちにとって、新たな時代の始まりだった。
本日、メリニ国立魔法アカデミーが正式に創立されたのだ。式典会場には、真新しい制服に身を包んだ初年度の入学予定者八名が、緊張した面持ちで並んでいる。彼らの保護者や関係者たちの熱気と、期待に満ちたざわめきがホール全体に満ちていた。
ノーム系とエルフ系の魔法、霊術までもを同時に学べるメリニ初の学府として、アカデミーは王国中の注目を集めていた。
真新しい建物の匂いの中、会場には、各地の新聞社や魔術研究機関の記者たちがひしめき合う。人々の熱気と、ペンが紙の上を走る音がさざ波のように広がっていた。
この国が新たな一歩を踏み出したことを告げるための式典――その司会を務めるのは、若き官吏カブルーだ。手際のいい采配と、時に小粋なジョークを交える軽妙な進行を買われ、彼はこういった式典によく駆り出されていた。
人当たりの柔らかさと、場に応じて瞬時に言葉を選べる頭の回転の速さ――それが彼の武器だった。
「ただいまより、メリニ国立魔法アカデミー創立記念式典を開会いたします」
カブルーの澄んだ声が響き渡る。
壇上から客席を見渡すカブルーの視線は、自然と来賓席の一角へ向かう。そこには、エルフの外交官ミスルンが静かに腰を下ろしていた。いつになくきちんと梳かれた髪には、細いリボンが小さく編み込まれ、わずかに揺れている。
あのリボンは、式典前に会った時、解けかけていたのをカブルーが結び直してやったものだった。指先に触れたミスルンの銀糸のような髪の感触を思い出し、カブルーはそっと目を細めた。
(あの人の髪はね、俺が結んだんですよ)
心の中で誰にともなくそう呟き、少しだけ得意げな気分になった。
初代校長に就任した王妹ファリン殿下と、特別講師を務める王宮顧問魔術師のマルシルの挨拶が終わった。大きな拍手が会場を包み、ミスルンが壇上に呼ばれる。
本アカデミー設立には、エルフの国の大使館の協力が欠かせなかった。本国から教師を招聘し、資格試験時の試験官を大使館から派遣することを約束するなど、制度面でも大きな支援を行った功績は大きい。そのため、代表である彼に感謝を込めた花束の贈呈が予定されていた。
──だが、予定は少しだけ狂う。
花束贈呈役の少女が、緊張のあまり壇上に上る階段の手前でつまずいた。手にしていた花束を下敷きに転んでしまう。
会場に一瞬、沈黙が訪れ、やがて困惑したざわめきが広がる。少女は顔を真っ赤にして花束を拾い上げたが、茎は折れ、花びらは痛々しく散り、どう見ても渡せる状態ではなかった。
その様子を見ていたカブルーは、咄嗟に動いた。
「……本日は、アカデミー創立にあたり多大なご尽力をいただいたミスルン殿に、私からも感謝の意を表したく存じます」
そう言うと、彼は自分の胸元に挿していた鮮やかな黄色の一輪をそっと抜き、ミスルンに差し出した。
ミスルンは、一瞬だけ目を見開いた。
──それは、エルフの文化において「私の心をあなたに捧げます」という意味を持つ、古式ゆかしい告白の所作だった。
カブルーは、ミスルンの瞳に戸惑いと困惑が浮かんだのを見逃さなかった。
「?」
戸惑われたことに戸惑って、かすかに首を傾げるカブルーに、このまま壇上で恥をかかせるわけにはいかない。そう思い、ミスルンはゆっくりと、意を決したように指を伸ばした。そして、カブルーの手から静かにその花を受け取った。
その瞬間──
「……まさか、あれって……!」
関係者席の一角で、マルシルが目を輝かせていた。彼女の脳裏には、エルフ恋愛大河小説『ダルチアンの一族』第四巻の名シーンが鮮明によみがえる。誓いのプロトコル、騎士が花を捧げる場面。まさに今、目の前で完璧に再現されているではないか!
そして、客席のあちこちでも、胸の前で固く手を組み、瞳をきらめかせる者が続出していた。
実はマルシルがあまりにも熱心にインタビューのたびに『ダルチアンの一族』をおすすめするため、今やメリニ城下では、六十年以上前の作品でありながら全二十四巻の大作『ダルチアンの一族』略して『ダル族』が大流行中なのだ。
「完璧に『ダル族』……!」
観客たちとマルシルの心は一つになった。
こうして式典は無事に進行した。しかし、カブルーの一輪の花は、思いもよらぬ波紋を呼ぶことになる──。
2.
式典の翌朝、メリニ城の談話室は、いつになくざわついていた。人種や職位に関係なく、下働きの女中から賓客対応のフットマンや侍女、時には王までもおやつをつまみに現れる、まさにメリニの象徴のような皆の憩いの部屋だ。
今、この部屋で交わされるのは、広報部のイケメン新人についてでも、料理長の新作魔物ケーキの話題でもない。部屋を満たすのは、熱を帯びたひそひそ話と、好奇心に満ちた高揚感。そう、話題の中心は昨日の「一輪の花事件」だ。
「見た? あの瞬間。まさに『ダル族』四巻の再現だったわよ!
母に聞いたことあるわ! あれは、騎士が忠誠を誓う貴婦人に花を捧げる儀礼が由来で、転じて、恋愛における『これからあなたを口説きますよ』っていう宣言になるんですって!」
湯気の立つハーブティーを片手に、マルシルが興奮した面持ちで語る。
その隣では、普段はしとやかな配膳係のチーフが、タブロイド紙を握りしめて天を仰いでいた。
「私も見たかった……!」
紙面の一面には、『カブルー執務官、公開告白!?』の見出しが踊り、妙に美化されたカブルーが跪いて花を差し出し、頬を染めたミスルンが手を伸ばして受け取ろうとしている絵が描かれている。
「その絵は嘘だけどね。立ったままのほうが『ダル族』っぽいから、そのままでよかったのに」
一応訂正するマルシルの隣から、魔物研究所の若手研究員が紙面を覗き込む。彼女もまた、『ダル族』の熱心な読者だ。
「まんまだったわよねー! カブルーさん、完全に狙ってたでしょ。花だって黄色だったし。『友情』『親愛』と見せかけて、裏に隠された意味は――」
「「「『あなただけ』!」」」
息ぴったりの彼女たちを、周囲は苦笑しながらも見守っていた。彼女たちの周りには、タブロイド紙を囲んでわいわいと盛り上がる人だかりができている。『ダル族』を読んでいない者でも、自分に直接関係のない身近な色恋沙汰は、格好の話題となる。
「花で告白とか、エルフの国育ちのカブルーらしいな」
「ていうか、あの人たち、とっくに付き合ってるもんだと思ってたわ」
「俺も」「私も」
「前に、前庭の回廊でキスしてたって話、誰かがしてなかったか?」
「こないだ市場で、カブルーがミスルン殿の腰を抱いて歩いてるの見たわよ」
「ミスルン様をお送りするとき、上着を着せかけようとすると、カブルー様がすっ飛んできて『僕がやりますので』ってやるのよね」
その会話を聞いていた周囲の人間は、顔を見合わせる。
「それで、まだ付き合ってないの?」
談話室に、短い沈黙が落ちる。だれもが、今さらながら事の重大さに気づいたようだった。
「かわいそう……」
誰ともなく視線を交わしてうなずきあった。
「よし、オレたちでカブルーを応援してやろうじゃないか!」
「恋の行方は、私たちが見届ける!!」
こうして、カブルー応援隊が結成された。
「誰か、横断幕作れよ!」「うちわもいる?」
3.
一方その頃、当のカブルーは、城の文書室で淡々と報告書の整理をしていた。
式典の進行記録、来賓の対応履歴、そして花束贈呈のトラブルに関する簡易報告──。
「……まあ、無事に終わったし、よかったよな」
彼は一人ごちて、書類の山を整えると伸びをした。
今日の勤務は午前中で終わりだ。帰る前に少し休憩しようと、いつものように談話室へ向かう。カブルーにとって、老若男女を問わず、城の人々と他愛もない話をするのは何よりの息抜きだった。
だが、廊下の空気がどこか妙だ。いつもならすれ違いざまに一言二言会話を交わす同僚たちが、なぜか目を合わせず、むずむずと口元を引き結んでいる。かと思えば、遠目でこちらを見ながらひそひそと囁き、ニヤニヤと笑っている者もいる。
(まさか……背中に『蹴ってください』とか貼られてないよな?)
さりげなく背後をちらりと確認するが、もちろん何もない。
訝りながら談話室の扉を開けると、カブルーが入った途端に、それまで賑やかだった部屋の空気が一変する気配があった。
「――なに?」
普通なら自分の陰口でも言われていたかと身構えるシチュエーションだが、人気者街道を歩んできたカブルーにはそのような経験がなかった。純粋に訳がわからず眉をしかめたカブルーに、同僚の男が「まあまあまあ」と近寄ってくる。
「カブルー、お前は今日もう終わりだろ。こんな所にいないで早く帰れよ。あ、そうだ。ミスルン殿にでも会ってきたらどうだ?」
「ちょっと、なんだよ!?」
肩を掴まれ、回れ右をさせられる。そのままグイグイと部屋の外に押し出された。
「あ、私昨日ミスルンさんと話したよ。注文してた本がやっと届くって言ってたから、書店にいるんじゃないかな!」
マルシルの声を最後に、扉がバタンと大きな音を立てて閉められた。
「――ほんとに、何!?」
訳もわからず、カブルーは仕方なく談話室を後にした。日もまだ高い城下をぶらぶらと歩き、長年ねぐらにしている酒場の地下の部屋へと向かう。
いい加減、セキュリティのしっかりした部屋を借りようとは思っているのだが、城内に部屋をもらっていることもあり、そちらに泊まり込むことが多くなっている。元々の部屋は、たまに寝に帰るだけになっているため、なかなか重い腰が上がらない。
ついでに書店の前を通ってしまうのは、天気がいいから散歩がてら遠回りしただけだ。久しぶりに時間があるから、何か面白い本でもあれば買ってもいいだろう。
そういえば、マルシルにずっと勧められている『ダル族』も、まだ読んでいなかった。最近城下でも人気らしいし、話題についていくためにも読んでみるのも悪くない。
書店につくと、店主が「『ダルチアンの一族』第四巻完売しました」と張り紙を店頭に貼っているところだった。
「よお、騎士さま。残念だったな、お姫さまとすれ違いだ」
カブルーを見て軽口を叩く店主の言葉に、彼は思わず「なんで騎士?」と心の中で首を傾げた。店主が指差した方向を見ると、少し先にミスルンの姿が見える。受け取ったばかりの書籍らしき包みを抱え、新聞や雑誌、菓子類を売っている売店の前で立ち尽くしていた。
カブルーは軽く手を挙げて店主にあいさつし、心なしか早足でミスルンに近づいた。
「ミスルンさ――」彼は声を掛けかけて、言葉を止めた。ミスルンが目を見開いて、売店前のスタンドに丸めて挿された新聞を凝視しているのに気付いたからだ。
(何を見ているんだ?)
そう思い、さらに近寄ろうとしたカブルーに、ハッと気づいたミスルンが、かすれた声で自分を呼ぶ。
「カブルー……」
「お前、その、昨日の……花は……」
ほんの一瞬、唇が言葉を探すように動き、瞳が揺れた。
だが、次の瞬間には姿がふっと掻き消えた。
「ミスルンさん!?」
(街中で転移術は使わないでくださいって、いつも言ってるのに!)
呆然としながらも、カブルーはミスルンの見ていたあたりに視線をやる。そこでようやく、タブロイド紙に載った自分たちの絵姿を目にした。『カブルー執務官、公開告白!?』の見出し。美化されすぎて分かりにくいが、跪いて花を差し出す自分らしき男と、頬を染めて手を伸ばすミスルンらしき相手。捏造だ。普通に立って渡したし! なんか背景に花が舞ってるし!!
「なんだこれ!!」
4.
「……違う。いや、違うわけじゃないけど……これは違う!」
呆然としながらも、カブルーはタブロイド紙を一部買い求め、近くのベンチで読み終えて頭を抱えた。
あれが、エルフの間では告白になるだなんて知らなかった。確かに花は渡したが、あれは場をつなぐための咄嗟の判断で、告白のつもりではなかったのだ。
記事によれば古い習慣らしいし、考えてみれば、自分を育てたエルフの養母は過保護のあまり、カブルーをそういった色恋沙汰の知識に触れさせようとはしなかった。知らなかったのも無理はない。
──ただし、まったく気持ちがなかったわけでもない。
〈さとり〉事件の後、自分の感情を恋だと自覚したカブルーは、それ以来、少しずつ距離を詰めようと努力していた。食事に誘う頻度を増やし、いい雰囲気を作ろうと試みた。しかし、顔に触れてみても「何かついてたか?」と返され、腰に手を回しても「支えなくても足腰は弱ってないが」と、まるで介護の延長のように受け取られてしまう。
そんな風に言われるたび、カブルーはため息をつきたくなる。
(……俺たち、今までどれだけ距離が近かったんだ?)
初対面の迷宮で、それこそトイレの介助までしたせいで、ミスルンにはつい気軽に触れてしまい、世話を焼いてしまう。今のように意識する前から、周囲に「恋人なの?」「距離近すぎない?」と言われることが多かったのを思い出す。
周囲が正しかったのだ。今までの自分たちの距離感が、いかに異常だったか。これ以上、距離の詰めようがない。なのに何の進展もないことに、カブルーは焦りを感じていた。
そして、図らずも公開告白になってしまった今回の一件。
ミスルンは、あの花を「口説きますよ宣言」として受け取ってしまったらしい。今まで何をしても伝わらなかったのに、そんなつもりじゃなかった時に限って、自分の想いがしっかりと伝わってしまったのだ。
「……いっそ、この誤解に乗っかるか?」
そしてその夜、ミスルンはエルフ大使館の執務室で、小さな花瓶に生けた黄色い花を見つめていた。
昨夜から、きっと勘違いだと自分に言い聞かせ続けていた。カブルーがエルフの恋愛仕草を知っているとは限らない。ましてや、ミスルンからしても割と古い作法で、パッタドルあたりの若い娘なら一笑に付すような古臭い習慣だ。
しかし、今日街中で目にしたタブロイド紙の見出しによれば、トールマンの多いこの街で、その意味が正しく受け取られているではないか。
「カブルーが……私を?」
その言葉は、誰にも届かないまま、夜の静けさに溶けて消えた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.