su7ga0
2025-08-24 12:02:58
28363文字
Public 則さに
 

春暁の形見

過去に書いた則/さ/にの再掲です。
審神者の養成機関についての設定が色々とあります。続くかもしれないし続かないかもしれない。


 
 
 
 記憶の中の一文字則宗は、在りし日の私にこう言った。
……しかしお前さんはあれだなぁ。自信が無い、意気地がない、矜持が無い」
 過去の私は、彼へこう言い返す。
「矜持なんてあるとお思いですか。いまだに私は自分の能力に疑問しか浮かびませんよ」
 教官の一文字則宗と共に、大学校の外の大通りを歩いていた時のことだ。
 教官から頼まれた資料を外部へ渡す使いの帰りだった。
 約束した資料を受け取りに行った教官の待機室は相変わらずの混沌ぶりだったけれど、その日は少し様子が違っており、数振りかの刀が黙々と本を並べ直したり埃を払ったりと忙しそうに働いていた。
 その混沌の影から突然顔を出した一文字則宗は、私を見るなり「やっと来たな。どうだ、目付けが要るだろう? 僕を連れて行け」と嬉しそうな顔をしたのだった。
 彼はどうやら私が来ることを事前に知っていたようで、了承の返事を待たず、勝手に出掛ける準備を始めた。一文字則宗の様子に呆れ返る教官から聞いたところによると、大学校の清掃スタッフから部屋のあまりの混沌振りに苦言を呈され、掃除の最中だったらしい。私のお使いの目付け役は、ちょうど良いサボりの口実となったようだ。
 私は一文字則宗と出会って以来、顔を合わせると声をかけられるようになっていた。
 廊下でたまたますれ違った時。中庭の隅のベンチで昼を食べている時。初めの方はただの偶然なのだろうと思っていたが、不思議なことに彼は人の波の中からでも私を見つけ、微笑みながら手を振ってみせた。
 無礼があってはならないと思い、気持ちばかりの反応を返しつつも、何故ただ一度茶を飲んだだけの私のことをそこまで気にかけるのかと不思議に思っていた。
 もしかすると何か思惑があるのかもしれないという懸念は、教官の言葉によってすぐ打ち消された。一文字則宗は、彼なりに出来の悪い私のことを心配していたらしい。
 しかし、私のような学生は大学校内に多くいるのだ。一文字則宗は、私のようにうだつの上がらない学徒など多く目の当たりにしているだろうに、何故私を気にかけるのか。納得のいかない顔をする私に、教官は言葉を重ねた。
「あいつが君とお茶をする少し前に、南泉が消えたんだ。それで、ぼくの手元にいる福岡一文字の刀はあいつだけになってしまったからね……寂しかったんだろ」
 教官は徐々に霊力が低下し続けており、その原因はついぞ分からなかった。審神者としての力の源泉を少しずつ失っているのだから、使役している刀の顕現を保てなくなり帰霊させるのは当然考えられることだ。しかし、その事象をすっかり失念していた私は、教官に何と声をかけて良いのかが分からなかった。
 教官はいつもと変わらない眠たげな瞼をしていた。頭の中で言葉を選んで、なかなか口に出せないでいた私の目に、その眼差しはどこか慚愧の色をたたえているように映った。
 刀剣男士が寂しさを覚える。
 それは、器物としての性質が濃い個体の彼らとばかり接してきた私にとって、頭から抜け落ちていた事柄だった。人の姿を模した神でありながらも、中身は血の通った存在であると私へ教えてくれたのは教官だ。その教官を主として持つ一文字則宗が、機微に富んだ感情を持つとしても何の不思議もない。
「ぼくは審神者を引退した後も、席を公の機関に置かせてもらった。だから、政府の意向に添うことができる気性の刀を残すようにしたのだけど、そうすることで一文字の中ではあいつが一番最後まで残ることになってしまった。……済まないとは思うが、こればっかりは自分でもどうにもならない」
 胸に穴が空いた心地がしたのは、教官が一瞬の間だけ自分を責め悔いる表情を見せたからなのか。それとも、一文字則宗が抱えているであろう寂寥に同情する心が湧いたからなのか。ともかくそれを聞いたことを機にして、一文字則宗へ向ける私の感情がやや軟化したのは事実だ。
 大学校の構内で私を見つけて快活に声をかけてくる一文字則宗へ、今までは軽く一礼しただけで終わっていたところを、僅かに手を振り返してみるようになった。と言っても、刀剣男士へ手を振る姿を他人に揶揄されるのは堪らなく嫌だったので、表情を変えないまま彼の方を見て、腰の辺りで指をひらひらとさせただけだ。
 しかし、たったそれだけでも、一文字則宗はとても嬉しそうに笑った。
 目を細めて満面の笑顔を浮かべる彼は、まさしく絢爛と咲き誇る花だった。私が僅かにでも心を開いたことが、一文字則宗は大層嬉しかったようだ。
 一文字則宗が私へ向けたのは、神が戯れに寄越した憐憫のようなものかもしれない。偶然が重なったところに現れた、何ともうだつの上がらない臆病な審神者未満の人間を、たまたま気にかけてみただけなのかもしれなかった。
 教官の本丸が在った日のことを、私は深く知らずにいる。一文字則宗がそこでどのような考えを持ち、仲間の刀とどのような行動を共にしてきたのかについては、憶測を飛ばすことでしか思いを馳せるすべを持たない。
 教官の本丸が解体された日。教官の霊力が緩やかに目減りしていく中で仲間の刀を失った日。監査を行う刀として政府によって選ばれた由縁から、刀派の中でたったひとり残った一文字の祖が、今までの日々をどのような思いで見つめてきたのかを考えては胸が痞えた。
 私のような未熟な人間に同情されることなど望んでいないとしても、それでも彼の かの一文字則宗の心へ、ほんの少しでも安らぎが訪れれば良いと思った。
 一文字則宗との邂逅からしばらく経った頃、私は雑用でよく呼びつけられるようになっていた。
 部屋の中にある筈の資料の捜索だとか、必要なものの調達を頼まれるようになり、言われた用事をこなす内に、勝手の良い小間使いと認定されたようで、言葉を交わす回数が増え、少しばかりの軽口を叩けるまでになっていた。
 環状線に添った並木道の歩道は夕暮れ時を迎えている。ビルに阻まれながらも赤い夕焼を覗かせる太陽を横目に、大学校への帰路をふたりで歩んでいた。
「うはは。お前さんは術師にはなれぬだろうなあ。あれは審神者とはまた違う職だ」
「まあ……学校に来た人たちはほとんど審神者を目指していますし、実際、教わる内容も審神者になることを前提とした講義が大半ですし……
「そうさなあ。術師を最初から志望する奴は稀だが、欠かすことは出来ん職だ」
「そもそも彼らは一体どのような仕事をしているのですか? 私は勧誘で外部からここへ来ましたから、彼らの行う仕事の内容を全て分かるわけではありませんし、そもそも手を付けている事柄が多岐に渡りすぎてよくわからないのですが……
「言うなれば何でも屋よ。為す事の質によって仕事は様々に渡る。札を作ったり結界を作成したり、政府に就く刀を顕現させているのもあ奴らだ。審神者が物に宿る思いを汲み取って我らへ力を与えるのに対し、奴らは自分の生み出すものに寸分の狂いも許してはならん。加えて淡々と目の前のものを片付けていく精神力が要る。ある意味での職人だな」
「へえ」
「お前さんには向かぬなあ。これで良いのかと悩みながら作成し、出来上がった札を信用できるかね」
「できませんね」
 私の他人事のような返事に、一文字則宗は可笑しそうに笑った。
「大学校へ入って術師を目指すような奴は、末は政府主導の開発の中核を担ったりする。術師の大半は、うちの主のように引退した審神者か、或いは、審神者では無くとも力のある神職だ。お前さんの朋輩に術師志望の奴がいたら懇意にしておいて損はないぞ」
 一文字則宗の言葉に、ここを出て術師になるのだと語っていた同級の一人の顔がよぎった。確かに彼の成績は抜きん出ている。彼の、確固たる信念を内に秘めた凛々しい横顔を思い起こしつつ、反面では何ともお粗末な自分のことを考えた。
……私は審神者を目指すのではなく、身の丈にあった人生を細々と歩んでいた方が正解だったのかもしれません」
「また卑屈になりおって」
 卑屈ではない、事実だ、と反論しようとしてやめた。
 今までに何度も似たようなやり取りを繰り広げて、その度に話の終着点は一文字則宗からの慰めの言葉だった。半人前の甘ったれが自分の未熟さを棚上げして、耳障りの良い慰めの言葉を欲していると思われるのは癪だったので、私は少し口をつぐむ事にした。
 会話を重ねていく中で知り得ていったことだが、この一文字則宗は私を突き放すようなことを決して言わない。どこまでも私を導こうとする姿勢は、刀派の祖として道を切り拓き、先頭に立つものの気質を窺うことができる。
 教官が言ったように、彼が刀派の中でひとり残ってしまった寂寥を抱えているとしたら、私は彼の寂寞を埋める砂となり得るだろうか。私を慰めることで一文字則宗が安寧を得られるのならば幸いだと思ったが、真実は分からない。
 大学校は現世の政府庁舎の近くにあるので、黙ったままふたりで並んで歩く街路樹の並木道は、庁舎での仕事を終えて帰路を急ぐ人の姿が見受けられた。
 春を過ぎ、本格的な夏を迎える直前に、季節は足踏みしているようだった。気温がなかなか上がりきらず、妙に肌寒い日があった。それでも、傾く陽射は夏の力強さを見せ始めていた。瞳を刺す日差しに顔を顰めた。
 私よりも背の高い彼の影は、歩道沿いの植え込みに濃い影を落としていた。その影を見ながら、講義で教壇に立つ彼のよく通る声を思い出した。快活に、一片の慈悲も無い戦闘の惨たらしさを語り、自らの「物」としての性質を説く論調は饒舌でさえあった。その裏では、自分も遠からぬ未来に消える身であることを怯えていたのだろうか。——彼もいずれは顕現が保てなくなる時が来る。
「どうした、急に黙り込んで」
「いいえ」
「なんぞ悩み事でも思い出したか。相談なら乗ってやるぞ」
……いいえ」
 彼がいなくなる日は、近い将来に必ず来る。
 こうして言葉を交わすことが無くなり、「教官の一文字則宗」という存在すら霧消する時が来る。
 そうよぎった心に湧き上がったのは、途方もない恐怖だった。
 ただ、恐怖を抱くほどに、彼へ思慕の情が芽生えていたのだと思うにしては、共に過ごした時間の長さは微々たるもので、胸に満ちる哀惜と焦燥の説明がつかなかった。
 私と彼の関係は、目上のものに少しばかり気に入られ、小間使いに呼ばれる程度のただの学生と、その指導を行う政府の刀なのだ。この学舎を卒業してしまえば、日々の煩雑さに呑まれ、記憶の中に埋没する一過性の繋がりでしかない。
 彼が消えることに寂しさを覚えたとしても、恐怖を感じるようなことはないのだ。
 どうして一文字則宗が消えてしまうことが恐ろしくて悲しいのか。
 真実に気が付きながらも、私はそれを認めたくなかった。認めてしまえば、いずれは消える彼の枷になるようなことを仕出かすかもしれない。刀派のものを見送った一文字則宗へ、余計な煩わしさを背負わせることだけは避けたいと思った。
 ひと呼吸を静かに終える間に、恋情の走りともつかない感情を彼へ抱いていた事実を無かったことにしようと、抱えた思いから目を背けた。
 まだ青いうちに、この心を縊っておかなければならない。
 自分へ言い聞かせるように決意を秘める一方では、物事へ正面から向き合う事を避けてばかりいた、私の今までを現したかのような思考の癖と、彼への思いを検する自分へ冷ややかな気持ちを覚えてしまった。いつもこうだった。大学校に入って以来、劣等感に苛まれ、「出来ない」理由を探すことが増えた結果、悪癖が自分でも分かるほど顕著に現れていた。
 だが、自分の虚栄を満たす生温い殻の中から抜け出さなくては、いつまで経っても私を導く先達たちの思いや期待に応えることはできない。自分を正しく見せるための言い訳はいい加減に止めなければと、静かに決心を固めるきっかけを与えてくれたのは紛れもなく彼だった。
 隣を歩く一文字則宗の顔を横目で見上げた。
 彼は夕暮れ時の薄闇の中、考え込む私を見つめて微笑んでいた。
 少し引けば解けそうな程のか細い縁で繋がる、美しい刀の付喪神。自分にどれだけ嘘をつこうとも、彼には嘘を見せてはならないという意地くらいは、私にもあった。
……審神者には向いていないと思いつつも、地味に前進するのは、目の前の道がそれしか無いからです。ここまで来たら審神者にならなければ、教官にも、私を送り出してくれた両親にも申し訳ない……もちろん、あなたにも」
 様々な事柄へ出来るだけ嘘をつかないようにと考え、言葉を選んで紡いだ。一文字則宗は金の髪をそよがせ、淡い碧色の瞳を笑んだ形に細めていた。煌びやかな刀派の祖。彼は私の言葉に頷き、微笑んだまま前方の彼方を見遣った。
……その意気を忘れるなよ。僕はな、お前さんは審神者に向いていると思うぞ」
「なぜですか?」
……お前さん以外にも、可愛がっていた後進がいてな。甘味が好きな奴だった」
 束の間だけ息を詰めてしまった。
 私以外にも気にかけていた学生がいたのかと消沈する心は、彼の次の言葉を聞いて後味の悪いものに変わった。
「そいつはついこの間、今生での別れを僕に告げたよ。顕現を解いて還れば、僕らはそれきりだからな。そいつの前には、堅物で気位が高いのが還った。僕が後釜を任せた奴は、刀派のなかで一番最初に還った……そいつらにはもう二度と会えない。隠居するなんて宣いながら、僕だけこうして残っちまった」
 彼の纏う白の洋装は刀派で揃いの意匠だと聞いたが、私は福岡一文字の刀は彼しか目の当たりにしたことがなかった。一文字則宗の刀派の刀が揃った様は、さぞ壮麗だったことだろう。
「主には言えないのに、お前さんにならこぼしても良い気になってしまった。僕にそんなことを思わせるような奴が、審神者に向いていないはずがない」
……誰かに話すことで楽になるのなら、それで良いのでは無いのでしょうか」
……すまん」
「いいえ。私こそ、こんな時にうまく言葉を選ぶことができなくてごめんなさい」
「いいや、お前さんにこうして話すことができて良かった。すまなかったな」
 彼らを刀を器物として扱うことなど、できるはずがないと思った。
 夕闇を見つめる一文字則宗の、悲しみを濃く映した瞳を私は今でも忘れられずにいる。