大学校の廊下を歩む広い背中を追いながら、彼のことをどのように呼べば良いだろうかと考えて言葉に詰まり、煩慮した末、口から出たのは蚊の鳴くような声の「一文字則宗様」だ。
授業が終わると同時にすぐさま講義室を出た彼を慌てて追ったものの、何と言って呼び止めれば良いのかが分からなかった。正解が分からず、自信のない声音は私の心をそのまま映したものだった。
か細い声で名を呼ばれた彼は立ち止まり、金色の髪をなびかせて振り向いた。まん丸く碧い瞳を見開いており、一拍置いて長い睫毛を瞬かせ、私をやや小馬鹿にしたように鼻で笑った。が、下がった眉尻はどこか困ったようにも見えた。
「お前さんなあ、未来の審神者がそんなことでどうする」
「そ、そんなこと、とは」
「今し方講義を聞いておった者だろう? 審神者になれば僕らを使役する側だ。敬って呼んでくれるのは嬉しいが、様まで付けて名を呼ばれるのは流石になあ」
「しかし、どのようにお呼びすれば」
「そんなこと、自分で考えてみろ。……と、言わねばならんところだが、お前さんはひよっ子どころか卵以前の話だから、ちょっとばかりヒントをくれてやろう。……確かに、序列で言えば僕らは審神者よりも上になるわけだが、だからと言って必要以上に推重すると、腹に一物抱えた奴はそこを逆手に取るぞ?」
彼は、戸惑って瞬きを繰り返すしかない私の顔を覗き込むように一歩手前の距離まで近寄り、腰をやや屈めて目線を合わせた。
口元の笑みを深め、一文字則宗は続けた。
「僕らを敬う気持ちを持ってくれるのは、お前さんが尊き心を持っていることの証だろうよ。しかし、本丸の扇の要となるのは審神者だ。その要が麾下のものを自分より上の存在として扱い続けると、どうなると思う?」
「……えぇと」
「言霊というのはお前さんもよく知っているだろう。嘘もいつかは真になって、そのうち立場を取って代わられるかもしれん。刀にも色々いるからな。気位の高い連中は、自分を扱うものが人間の小娘だということに、はたして納得をしてくれるかな?」
吊り上げた薄い唇は尚も言葉を紡いだ。
「刀らの下僕として働かされるのならば、まあ、まだ救いはあろうなぁ。だが。もしもお前さんに対して、主従を越えた執着を持つ刀がいたとしたら……」
私の顔を覗き込む淡い蒼色の虹彩。その中で光が弾けていた。
刀の付喪神と初めて私的な言葉を交わした緊張と本来の用事を忘れ、美しい色の瞳と完璧な比率で整った表情の造形に心を奪われたのも束の間、一文字則宗は恐ろしい見解を語った。
「その時は、隠されても自業自得よ」
揶揄いの色を濃く含んだ低音の声音に、私の未熟さを見透かされて心臓を掴まれた心地がした。
一文字則宗は、将たるものとしての自覚を持てと言ったのだ。
人の気配が薄い学舎の、更に人気のない廊下の片隅。私は初めて一対一で対峙した付喪神へ、どのように言葉を返せば良いのか分からず顔を強張らせるしかできなかったが、本来の目的を思い出して呆けた意識を奮い立たせた。
懇意にしている教官に借りた本を返そうとしたのだ。「私の刀がちょうど君らの授業の補助に入るから、そのついでに返してくれれば良い」と言われた。だから、授業が終わってすぐに彼を追いかけ、声を掛けて、この有様だ。
「わっ、私はただ、先生から借りた本をお返ししたかっただけです」
「うはは。知っておる、主から言われておったからな。僕の主はそこそこ年季の入った男だから、お前さんみたいなひよっ子と話すのが楽しくてつい揶揄っちまった。すまんすまん」
屈めた姿勢を伸ばして一文字則宗は笑った。
「揶揄った」と平然と言ってみせ、笑う付喪神に対して湧き上がった憤りはすぐに失せた。この古刀は、鎌倉から数えて一千年を越える月日を眺めてきた。審神者未満の私などが敵うような御仁ではないのだ。
携えた本を渡して一礼し、すぐに去ろうと踵を返したが、一文字則宗は私のことを声をかけて引き留めてきた。
「どうだ。茶でも飲んで行くと良い。主も研究所からじきに戻るし、お前さんの方も午後は休講だろう?」
「でも……」
「良いだろ、気を悪くさせた礼だ。僕が直々に茶を淹れてやるぞ。味の保証は無いがな」
着いて来い。一文字則宗はそう言って上機嫌に笑い、私の返事を聞かずに歩き出す。突然の誘いに大いに戸惑ったが、茶の提案を受け入れるにしても断るにしても、とりあえずは話を付けねばならないと思い彼の後を追った。
——霊力の適性が見出されたことで政府からの勧誘を受け、審神者や術師を養成する大学校へ入学して二年目の春のことだった。
構内は芽吹の季節の陽光に包まれて、これから始まる新たな未来への期待に満ちていた。春の大学校の輝くような空気の中で、将来の展望を頭の中に描いていた頃の自分のことが否応にも思い起こされた。
見るものが全て新鮮に映ったのは、入学してすぐの頃だけだった。彼と初めて出会った頃の私の目には、春の輝かしさは全く真逆の光景として映っていた。審神者を目指すと決めた瞬間から、膨大な量の身につけるべき知識が眼前にそびえ、次々と出される課題と行われる試験に必死に食らいついていたものの、成績はさほど芳しくなかった。
特に、これまで存在を馬鹿にさえしていた、目に見えない力を操る為の概念の習得は、私にとって困難を極めた。
それまで、「上手く説明のつかない事象」を体験したことが無かったのも相成ってか、霊力という、可視化できないエネルギーの存在を認識するところから私はつまづいていた。
この学舎が何たるかを幼い頃から理解して門扉を叩いた人間とは違い、私は大学校へ入るまでは市井に生きる只人だったのだ。審神者や術師を血縁に持つ同期らが易々と課題をこなしてみせるのを尻目に、一人溜息を吐くことも少なくなかった。
適性があるのと素質があるのとでは意味合いが違ってくるのだと、解る頭を持ったのが入学した後というのが少し悲しかった。
そもそも、大学校に入りたての頃の私は刀の付喪神というものがよく理解できておらず、そこから生まれた齟齬が今に至るまでの蟠りを育てていったような気がする。
見目麗しい男性の容姿を持ちながら、人ならざるもの。神の末席。
刀剣男士なるものについてそう聞かされて大学校へ入学した私は、入学してしばらく経ったのち、すぐにその認識を改めた。
彼らは、見た目は全くの人間であるのに、ひと度刀を振るえば、血と脂に塗れて戦うある種の兵器だ。
そんなものらを束ねて使役する職を目指していることが、時折うそ寒くさえ思えた。彼らは怖い。
加えて、二回生よりも上の学生らの表情は、上級になるにつれて据わった目をした陰惨なものになっている。言葉少なに廊下を歩く彼らを見ていると、自分の選んだ道は本当に正しかったのだろうかと問う気持ちがどうしても芽生えた。
今思えば、政府の人間の巧みな勧誘に乗せられ、安直な選択をしたのだろう。只人などに崇高な目標など持てるはずもなく、自分の選択は、目の前にチラついた高額の給金と生涯の補償に釣られた格好にしか見えなかった。
構内で度々目にしていた刀の付喪神らも、見た目こそ美しいが、その煌びやかさに目を奪われたのは最初だけだった。講義で教鞭を振るう彼らの思考は徹底的に物としての性質を突き詰めており、「有事に我らを折る覚悟の無い者は審神者である資格が無い」と人の姿で語る様は恐ろしかった。
そんな中、外部から講義にやってくる教官に何となく質疑を投げかけ、会話を重ねるうちに親しくなった。
親しくなったきっかけはごく些細なものだが、教官との出会いは僥倖だったと思うのだ。審神者になれば、恐ろしいものらに囲まれて、それらの指揮を取りながら得体の知れない異形と戦うことになる。その事実に気がつく事が遅れた私の後悔を、教官は見透かしていたようだった。
教官は語った。
「我らは人の見た目を模した器物である」、と、彼らが事あるごとに言うのは意図的なもので、この学舎に属する刀ならば尚のことその性質は強い。何故なら、雛の頃からよく言い聞かせておかないと勘違いをする輩が出るからだ。
思考の根っこの部分に、刀剣男士が器物の付喪神であるということを染み込ませていないことには、審神者の職務を遂行する中で、情が邪魔をして判断が鈍ってしまう事があるかもしれない。しかし、彼らと分かり合えないことには、その真価を発揮できない時もある。
本当のところの彼らはもっと血の通った考えを持つ存在で、今代の主に愛されることを大なり小なり願っている。将来自分の本丸にやって来る刀らを大事にしてやれ。と、教官は自分の今後を模索して燻る私へ教えてくれたのだった。
教官は元々は審神者だった。ある時から、霊力が徐々に目減りしていく事象に苛まれていた。本丸が戦闘の拠点としての役割を保てなくなる前に引退し、それからは後進を育成することを生業としていた。席を政府の研究機関に置きながら、外部へ指導や講義に訪れている。
本丸こそ持つことが出来なくなったものの霊力が尽きたわけでは無いので、審神者だった名残りとして幾振りかの刀を身の回りに置いて彼らに仕事を割り振っていた。
一文字則宗も教官の刀の内の一つだ。先程まで受けていた授業の中で、戦に赴く当事者として戦闘教義を語っていた。
私が初めて差し向かいで顔を合わせ、言葉を交わした刀は、師の刀でもある福岡一文字派の祖である。教本で上げられていた「一文字則宗」の性質や、耳に入ってきた噂のとおりに、彼が一筋縄ではいかない癖を持つことは、実際のやり取りの中で身に沁みて痛感した。
刀の付喪神と対峙した緊張は徐々に胸の内を侵蝕した。このような刀らを束ねることが本当に自分にできるのかという焦燥に変わり、私のそんな内心など全く知らない一文字則宗は、機嫌良く構内の廊下を歩いていた。
「お前さん、甘いもんはイケる口かね。主が隠していた甘味を出してやろう。あいつは良い歳こいて洋菓子が好きでな」
「い、いや。本をお借りした上にそこまでは……」
「なんだ、つまらん。たまには菓子でもつつきながら若人の話も聞きたいと思ったのだがなぁ」
一文字則宗は振り向き、なじるような視線を私によこす。何故、大した用事があるわけでも無い私にここまで構うのだろうか。それに、まだ審神者になれるかどうかすら分からない人間の話など聞いたところで面白いわけがないだろう。そう思った私は、つい本音をこぼしてしまった。
「私の話が、貴方の実になるようなものとは思えませんが」
一文字則宗はにんまりと笑った。見た目は御伽噺から抜け出た西洋の美男子を思わせたが、たたえた笑みの底の知れなさは、湿度のあるこの国の異形そのものだ。
彼らのような異形を従えて戦う覚悟を最初から備えて、先達たちは審神者になっていったのだろうか。彼の笑みにそんな疑問が胸に湧いた。
「実になるかと問われれば、ならぬだろうな。だが、お前さんがどんな考えの持ち主なのかは知ることができるだろう?」
「はあ……」
一文字則宗は歩みを止めずに進み続ける。私の考えを知って一体どうするのだろうと考えて、「ただの暇潰し」という結論に行きつき、小さく溜息を吐いた。状況に流されるままに歩みを進め待機室へ辿り着き、結局、上手い具合に一文字則宗の口車に乗せられてしまった。
「ほら、中に入れ」
一文字則宗はドアを開けて私を部屋の中へと誘った。一礼して入った部屋には誰もおらず、中は相変わらずの様子だった。
何度か訪ったことのある教官の待機室の中は、背の高い本棚がひしめき合ってそびえ立ち、机の上に書籍が雑に積まれていたり、何かの書類が机の上に出しっぱなしだったりと、整頓の手が入った様子は全く窺えなかった。
客員として大学校に招かれる立場にありながら、この教官は一室を構内に持っていた。中はまさに「巣」と言っても過言のない様相だが、巣の主は何がどこにあるのかを熟知していたのだから不思議なものだ。この本を借りた時も、教官は所在を思案する間もなく、積まれた書籍の小山の中から目当ての本を引き抜いて取り出していた。
この部屋だけでそのような有り様なのだから、本腰を据えている研究室は一体どのようになっていたのだろうか。少し考えてみると身震いがしそうだった。
「てきとうにその辺に座ってくれ」
一文字則宗は、携えた本を本棚からはみ出た小山の一部にしてしまうと、そのまま奥へと引っ込んだ。手伝いたいと思ったが、台所事情の勝手までは分からなかったので大人しくしている方が無難だろうと辺りを見渡した。
とりあえず座っても問題のなさそうな椅子を引っ張り出し、元は応接の用途として存在していたであろうローテーブルの上に積み上げられた物を退かしてスペースを作った。ソファーには大判の判例集が積まれていたが、かろうじて座れそうな隙間を見つけたのでそこに座ることにし、一文字則宗が戻ってくるのを待った。
本棚に阻まれた部屋の奥から、機嫌の良い鼻歌と物音が聞こえた。
刀の付喪神が。しかも、名門の誉高い福岡一文字の祖が茶を淹れて自分を持てなそうとしている事態は、よく考えてみれば恐ろしいことだ。しかし、状況をどう切り取ってみても、体良く暇潰しに付き合わされようとしているのだ。恐ろしいが、従っていた方が良いだろう。じきに教官も帰ってくるという。それまでの辛抱だと思いながら本棚に詰まった書籍の背を眺め、私は一文字則宗を待つことにした。
***
一文字則宗が淹れてくれたのは、変わったところの何もないただの紅茶だった。
添えられていたのは教官が隠してこそこそ食べているという何処かの有名ホテルのチョコレートで、「お前さんに出したと言えば文句も言われまい。客に出せば、僕も相伴に預かることができるしな」と、企んだ笑いを浮かべていた。
もしかすると自分もこれを食べてみたかったのではないかと、積んだ書籍の上で虫食いのようにマスが抜けたチョコレートの箱を眺めていた。
一文字則宗が私へ尋ねてきたことは仔細に渡ったが、私の個人的な出自に関してを聞くことは全くなかった。付喪神に自分の情報を教えることが禁忌であることは真っ先に教わる。本名を隠すすべを扱えるようになって、ようやく審神者としての一歩を踏み出す準備が整うのだ。彼は私を卵以前の存在と言っていた。学業に対して思うことばかりを聞かれるのは、うっかり口を滑らせて要らぬ情報を聞いてはかなわないと思ったのかもしれない。
この学校へ来たことへの理由から始まり、先程の授業の中での所感。苦手な分野と得意な分野については特に掘り下げて問われた。私がどんな考えを持つ人間なのか、興味深く話を聞いて咀嚼していたようだった。
様々なことを聞かれたなかで、才気に乏しい自分がはたしてこの学舎に存在しても良かったのだろうかとこぼした時、一文字則宗はそれまで好奇心を湛えていた瞳の色を一転させた。
不味いことを言った。これは説教でもされる前触れかと心の中で沸いた焦りは、瞬時に愚鈍な自分に対する自嘲に変わった。しかし、発破をかけられるか失望を投げ掛けられるかと身構えた私を他所に、彼が語ったのは予想外の言葉だった。
「……ここに居るということは、誰かに呼ばれたということだ。為すべきことがあるということだ。それが無いものは、そもそもこの学舎へ来ることは出来んよ」
それまで調子良く相槌を打ち、私の話の合間に自分の身の上も面白おかしく語っていた刀は、いやに真面目な顔をして言った。
「出来が悪かろうと、やる気が無かろうと。ここにいる者らは必ず誰かに呼ばれている。それが一人なのか、一振りなのか。はたまた刀や人間以外のものなのか。あるいは複数であるのかは分からんが、呼ばれたことには意味がある。お前さんにも、紐つけられた縁が必ずある」
「……そうでしょうか。私は、自分がそのようなものと縁のある類の人間だとは思えませんが」
唸る溜息をついて、一文字則宗は続ける。
「お前さんのことを待っているものへ、少しでも良いから思いを馳せてやることだ。いつか必ず解る時が来るだろうよ」
一文字の祖は、強い眼差しで私を見た。淡い色彩であるはずのその瞳の中に滾るような熱い色を見た気がして、耐えられなくなった私は逃げるように視線を逸らしてしまった。
「まあ、お前さんを呼んだものの正体が明かされるのが、いつになるのかは分からんがな」
彼は、すぐに先程までの調子を取り戻し、今度は自分の主である教官へ本を借りるまでに至った経緯を尋ねてきた。今しがた語ったことを全てどこかへ押しやるように様々な質問を投げかけ、妙に明るい話し振りは、どこか取り繕ったようにさえ聞こえた。
自分の主を偏屈と称しながらも、敬愛する心が端々に見てとれる彼の言葉は、優しい印象を残しながらも私の心を上滑りして流れていった。
頭では先程の彼の言葉がぐるぐると巡っていた。
私が呼ばれてここへ来たというのならば、まだ見ぬ何かが私を呼んだ理由は何なのだろう。呼んだ理由へ辿り着くまでにこの学舎での学びを経なければならないのなら、この刀から話を聞くことも必然のうちに入るのだろうか。
そんなことを考えながら茶飲み話は続き、いくらか時間が過ぎた頃に一文字則宗はふと顔を上げてドアを見つめた。
「ようやく帰ってきたな」
視線の先。開いたドアの隙間から待ち人が顔を覗かせた。
中年というにはまだ若いのに、枯れた枝を思わせる佇まいはずっと変わらない。この部屋の主である教官は、眠たげな目でちらりと私を見た後に真向かいに座る一文字則宗を見、続いて随分と中身の減ったチョコレートの箱へと視線を向けた。
「則宗。お前、それを狙ってたな」
「うはは。なかなか美味かったぞ」
減ったチョコレートのうち、それをほとんど食べたのは一文字則宗だ。溜め息を吐いた教官は鞄を机の上に乗せる。
「則宗よ。ぼくは、貸した本を預かって、別のものを彼女に貸してやってくれと頼んだはずだが?」
教官は痩せぎすの背中を丸め、溜め息混じりの抑揚に乏しい声で一文字則宗をなじる。しかし、当人に響いた様子は皆無だった。
教官は書籍の小山から一冊の本を引っこ抜き、抜いた本を私に差し出してチョコレートの箱を回収した。随分と減った箱の中身を無表情に見つめ、がりがりと後頭を掻いていた。
「頼まれごともこなせない刀には、これ以上食わせられない。それに子供じゃあるまいし、箱のままお客に出す奴がいるか」
「おお、年寄りの密かな楽しみを奪いおって。まあ良い。久しぶりに若者と語らう機会を得てなかなか楽しかったぞ」
ふたりの会話を呆けながら聞いていた。
一文字則宗は、教官から私に新たな本を貸す言伝を預かっていたという。彼は、それを黙ったまま、私を茶飲み話に付き合わせていたのだ。
古刀の付喪神の考えることはよくわからないが、彼にとって特に意味を持たない暇つぶしは、私にとっては実りのあるもののように思えた。「呼ばれたから存在している」との一文字則宗の言葉は、予想外にいたく胸に響いた。
学業の成績の振わなさが自分のせいであることは間違いない。しかし、彼はそこを詰めることなく「自分を呼んだものの思いを考えろ」と語った。
一文字則宗の言葉はただの慰めなのかもしれない。努力が至らないから結果を出せないでいる自分のことを棚上げするつもりはなかったが、誰かが私を必要とし、縁を手繰って呼んだのだと彼が語った言葉は単純に嬉しかった。
「……私、そろそろ帰ります。ご馳走さまでした」
ふたりの話は既に今後の予定の擦り合わせにシフトしていた。長居をするものでは無いだろうと思い席を立つ。
「ああ、すまないね。こいつの相手をしてもらって。大変だったろう」
「いいえ。ありがとうございました。こちらの本、お借りしますね」
教官に礼を述べた後、一文字則宗の方へ向き直った。師の刀でもある彼のことを、何と呼べば良いのかやはり分からなかった。
「……お茶をありがとうございました。お話してくださったこと、本当に嬉しく思います。心に留めておきます」
「そうか。励めよ」
「則宗。お前一体何を話した」
「僕はただ、迷える若人に助言を与えただけさ」
「お前の場合は助言になっていないことがあるから信用できない」
一文字則宗は喉に詰まるような笑いを漏らす。笑うたびに錦糸の髪が揺れた。
「またおいで、若者。今度は叱られない茶請けを用意しておくよ」
一文字則宗は、春霞の煙る淡い空色の瞳を細め笑っていた。改めて向き直った彼は優しげな笑みを浮かべていて、初めて言葉を交わした時のような得体の知れなさは窺えなかった。
こんな風に微笑むこともできるのかと思った時には、私もつられて笑っていた。
まだ私が審神者になる前の、彼と初めて出会った時の話だ。
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