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su7ga0
2025-08-13 23:49:23
22300文字
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愛を知るということ
過去に書いたち/ょ/も/さ/にの再掲です。
仄暗いです。
1
2
3
「もうダメみたい。息をしてない。
……
瞳孔が開いてる」
「
……
そうか」
「最後まで頑張って、私の顔を見て逝ってくれた。
……
本当にいい子だった」
明け方。
私は自分の部屋で息を詰めて、その命が終わる瞬間を見守っていた。
小さな体は柔らかく、まだ温かい。
撫でてあげれば息を吹き返しそうにさえ思える。
でも、もう瞳は散大して虹彩が真っ黒になっていた。
静かに瞼を押さえて瞳を閉じさせると、ただ眠っているだけのようだ。くったりと私に身体を預けている。体にも四肢にも、どこにも力が入っていない。
――
本丸で飼っていた猫が死んだ。
数日前から不調で、痩せ細った体はもう骨と皮ばかりだった。物を食べる体力も残っていなかった。
私が審神者になる前に実家で飼っていた猫だった。
私によく懐いていたので本丸へ就任するときに猫も同伴しても良いかをダメ元で聞いてみたら、予想外に肯定する返事が返ってきた。
嘘か誠か、審神者によく懐いた動物は身代わりになってくれるという。それを聞いたとき、己の半身のようにして過ごしてきた猫の身を害してまで生き長らえたくはないと思ったけれど、猫は私の心配をよそに長寿の部類に入った。
この猫の出自は実家近辺をうろついていた野良で、成猫の頃に家に来たから正確な歳は分からない。大体これくらいだろうという歳を病院で教えてもらい、家に上げた日を誕生日として歳を数えていた。
それを踏まえて見積もっても普通の猫の寿命を越えていたから、もしかしたら猫又にでもなってくれるのかもしれないという馬鹿げた願いは叶うことなく、猫は眠るように腕の中で死んだ。
命があるものはいずれ終わりがくる。
猫のいる本丸ということで、やって来た刀剣たちは驚いていたが、同時に彼らは良く猫を可愛がってくれた。
歌仙は台所で猫と食材の攻防を繰り広げでいたし、燭台切はいつもこっそりとおやつをあげていた。猫は、取り込んだ洗濯物の上に座るのも好きだった。畳んだタオルの上に香箱に座っている姿を、堀川が呆れて微笑んでいたのを覚えている。
誰にでもよく懐くてきとうな性格で、そんな猫のことを殊更に気に入っていたのは大倶利伽羅と豊前江だった。
服に毛が付くことを散々説明したけれどふた振りは気にしたそぶりが無く、猫を膝の上に乗せて顎の下を掻いてやる大倶利伽羅の姿をひと気のない場所でよく見かけたものだ。
大倶利伽羅が静かな優しさを猫に向けるのとは対象的に、豊前江は愛おしさを前面に出して名前を呼び、猫の遊びの誘いに乗っていつまでも構ってやるような可愛がり方をしていた。
そんな風に、みんなに愛された幸せな猫だった。
歳をとるごとに、良く遊んでいた玩具に興味を示さなくなり、ひとつひとつ出来ることが欠けていった。
そういえばイタズラをしなくなった、と思う頃には、遊びをけしかけても反応することが減った。
高いところに飛び乗らなくなり、立ち上がる際によろめくようになり、歩けなくなり。食餌は私の手のひらに乗せたものしか食べなくなった。
ふくふくとした愛らしい口元は最期まで変わらなかったけれど、体は骨がはっきりと分かるほどに痩せていた。
後生の何年かは皮下に点滴を続けていた。
その点滴も、体調が悪化すると三日おきだった間隔が毎日になった。病院に連れていく手間が増えて審神者業に支障をきたす事は避けたかったから、私は皮下点滴のやり方を教わった。
他にももっと、してあげられたことがあったのかもしれない。そんな思いは心の底に今も沈んでいる。命の灯火が少しずつ目減りしていくのを見守るしかできなかった。
私以外にも、刀たちに構われて、たくさんの思い出を胸に残して逝った。
幸せな一生を送ったと思う。
痩せた背中を撫でてやる。
元気な頃は食べることが大好きだったのに、死ぬ間際の三日ほどはもう水も飲まなくなっていた。
抱いていた猫の身を、いつも眠っていた猫用のベッドへ静かに横たえさせた。
じっとその姿を見ていると、実は眠っているだけなのではないかと思ってしまう。いまにも弱々しく鳴き声を発して、私がちゃんと近くにいるかを確かめそうな気がする。
でも、横たわる身はもう呼吸をしていない。
末期の呼吸はついさっき聞いたばかりだ。顎を上げ、息を深く吸って吐いた後。ふう、とひと心地ついたかのように黄泉へと旅立っていった。
その身が二度と起き上がることは無いという実感が湧かず、ベッドに寝かせた猫をもう一度かかえた。
背をすくい上げて首を支え、四肢を腹の上に丸く収めて胸に抱く。
きつく抱かれることに抵抗もせず、喘鳴のような呼吸の音もしなかった。
とことこと弱々しくも鳴っていた心臓の鼓動も感じられない。
――
ああ、本当に死んでしまったんだと、そう思った瞬間に悲哀が突き上げてきた。
情けないほどに涙が溢れては顎を伝い、抱きしめた猫の毛並みを濡らしていく。
柔らかな被毛の感触だけは若い時から変わらなかったけれど、毛繕いをする体力と気力はすでに失われていたから、もつれた毛並みを梳いてやるのは私と山鳥毛の役目だった。
嗚咽で震える背中に山鳥毛の腕が回り、肩をそっと大きな掌が包み込んだ。
静かに寄せられた厚い胸に額を押し付け、私は猫を抱きしめて泣いた。
「
……
頑張ったな。立派に、精一杯自分の命を生きた」
労うような静かで低い声に、私は何度も頷くことしかできなかった。
本当に頑張ってくれた。
刀たちを使役して戦う役を担い、本丸を預かる審神者となった私に、命の続く限り生きるとはこういうことなのだと体現して見せてくれたのではと思ってしまう。
猫は、本丸の刀たちが好きだった。
刀たちが出陣して帰ってくるのを門の屋根の上でいつも待っていた。私よりもひと足早く彼らの帰還を労うのは、元気な頃の猫の日課だったのだ。
猫は猫なりに、私の仕事を手伝っていたような気がする。
猫は本丸の皆から愛情を向けられていたけれど、猫自身が、私以外で一番懐いていたのは山鳥毛だった。
山鳥毛と初めて出会った頃の猫はもう随分と歳をとり、動作もゆっくりとしたものになっていた。山鳥毛はそんな猫に調子を合わせるように穏やかに接してくれたから、猫の方も懐いたのだろう。
山鳥毛は、私の腕の中で命を終えた猫の姿をじっと見つめていた。
「後で毛並みを整えてやろう。こいつは、櫛で毛を梳かれるのが最期まで好きだったな」
山鳥毛は私の抱える悲しみに寄り添い、静かに背中を撫でてくれた。彼が猫に向ける眼差しは慈愛に満ちている。私の愛した小さな命を、山鳥毛も慈しんでくれていた。
思い出すのは山鳥毛と恋仲になって間も無くの頃だ。
猫と山鳥毛は、最初から仲が良かったわけではなかった。
始めの方はお互いに距離を測りかねて、遠巻きに様子を窺っていた。
何度か山鳥毛に猫への接し方を教えてあげたけれど、今まで馴染みのなかった生き物にどうやってふれあえばいいのか、なかなか理解が難しい様子でいた。だけど、それは猫の方も同じだったようだ。
山鳥毛と恋仲になる前は、私の部屋に寝起きするのは猫と私だけだった。
そこへ山鳥毛が訪うようになり、彼が私の部屋で過ごす時間が増えた。猫はどうやらそのことが面白くなかったようで、私の後をよく付いて回るようになった。
台所へ小腹を満たすものを探しに行ったり、借りていた本を返しに行く私の後を付いて回る猫と、それに続く山鳥毛。
猫が私の後を付いて回るのはまだ理解ができたけれど、なぜか山鳥毛も私の姿を追って来た。聞いてみれば、休みの日などになると、どうしても気が抜けて無意識に私の姿を追ってしまうと山鳥毛は照れ臭そうに言っていた。
ふたりと一匹がぞろぞろと歩く姿は、他の刀たちの目にどう映っていたのだろう。それを思うと少しだけ気恥ずかしい気がしたけれど、嫌な思いは抱かなかった。
猫は、山鳥毛が私に話しかけるとそれを遮るように大きな声で鳴いた。
まるで会話の邪魔をしているようで、私が体を撫でてやると落ち着き足元へ擦り寄って甘える。甘える姿をこれ見よがしに山鳥毛へ見せつけているようで、「ヤキモチやいてるんだよ」と乱が嬉しそうにしていたことを思い出す。
猫と山鳥毛とはそんな仲だったはずなのに、山鳥毛はいつしか私と並ぶほどに信頼を寄せる存在として猫に認められていた。山鳥毛が粘り強く、猫に慎重に接していた賜物だ。
山鳥毛の内番着の上着が好きで、上着を脱いだまま少しでも放置するとすぐにその上へ陣取っていた。
畑仕事に行かねばならないのに猫を無下に退かす事も出来ず、困って苦笑いをする山鳥毛を何度も見た。戦場では鬼神のような気迫を見せる彼が、猫一匹に振り回される様子は微笑ましかった。
同時に山鳥毛の優しさの内実を思って、猫にさえも向けられる誠実さが堪らないほど尊いものに感じられた。山鳥毛は鋼から生まれた身を持つものなのに、そこらの人間よりも他者を愛して慈しむことを知っている。
山鳥毛は以前、それは顕現を行った私に似通ったのだと言ってくれたことがあったが、私はそんなにも慈愛に満ちた心を持つ自覚はない。
猫の額を指先で柔らかく撫でながら横になり、そのまま一緒に昼寝をする山鳥毛を見るのが好きだった。
愛したひとと愛した命が寄り添っていてくれている姿は、何ものにも変え難く愛おしい光景だった。
思い出は次々にあふれた。
涙は止まりそうにない。
山鳥毛は私の背中を撫で、魂の抜けた猫の亡骸を見つめて労いの言葉を紡いだ。
「頑張って生きたな。
……
本当に、よく生きた」
「いい子だった。
……
最後まで、一生懸命息をして。少しずつ、できなくなることが増える度に、命が終わることを教えてくれて、そうやって、旅立ってくれた」
「そうだな」
「
……
なんで、生きているものは、死んじゃうのかな?」
嗚咽を堪えきれなかった。
睫毛を伝い、涙の粒がこぼれ落ちていく。
張り裂けそうな悲哀を沸き上がるままに口にした時、山鳥毛の表情が仄かに揺れた気がした。隠そうと努めてはいるけれど、瞳は悲壮に曇っている。引き結んだ唇を薄く噛み締めていた。
「生きているものは儚い。命のあるものはいつか死ぬ。それが定めだ。ならば、出会わずにいた方が幸せだったか?」
山鳥毛の言葉は静かに響いた。
緩く首を横に振る。
私が猫と出会った時は、死に別れる悲しみなど遠い将来のことのように思っていた。いつのまにか私を追い越して逝ってしまう日の覚悟なんて、最初からできているわけではなかった。
ただ、大好きだから一緒にいたくて、そばにいてくれる妹か弟のような存在が愛おしい。そう思って、今まで多くの時間を共に過ごしてきた。
腕の中の小さな存在はたくさんの幸せを齎してくれた。
「一緒にいられて、私は幸せだったよ。出会うことができて嬉しかった。だから、悲しくて辛い
……
」
語尾は情けない涙声に震えた。
山鳥毛は私の方をただじっと見つめている。
「
……
あいつは言葉を使えなかったが、こんなにも深く愛されてとても幸せだったろう。側から見ていた私がそう思うのだから、きっとそうだ」
気が付けばカーテンの隙間から青くほの白い光が一条差し込み始めている。明け方の薄暗い部屋の中で、山鳥毛は物悲しい眼差しを私に向けていた。
出会わなければ別れの悲哀に涙することはなかった。
しかし出会うことがなければ、共に過ごす喜びを知ることはなかった。
豊かな感情に彩られた人生か。もしくは波風の立たない凪の道を往くか。
もしも、二つに一つを最初から選ぶことができると言われたら、私はどちらを選択するのだろうと思った。
涙が粒となって落ちていく。
山鳥毛は私の背中を抱き寄せ、包み込むように抱きしめてくれた。
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