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2025-08-03 09:48:08
23036文字
Public サンプル
 

9/21 チヒ柴本サンプル

2025/9/21の剣戟懲悪で出る予定のチヒ柴本サンプルで1話から4話となります!!
1〜3話は、以前投稿した話のリメイクとなっております。


懺悔と今年一番怖い話



 薊の繰り出した二発目はひらり躱された。
「避けるなよ」
「流石に二回目は頭蓋骨陥没するわ」
「石頭なんだからするわけないだろ」
「アホか。自分の拳のヤバさ自覚してないやろ」
 しかし、よく考えれば命中していたら話が中断していたので、かえって避けられてよかったかもしれない。
 鼻の下に触れ、鼻血が止まっていることを確認すると柴は「水もらうで」とこちらに声をかけて大股でキッチンに移動すると、勝手知ったる他人の家とばかりに食器棚からコップを取り出した。冷蔵庫のドアが開いたと思ったら、すぐに「何も入ってないやん!?」と驚く声。
「いつ帰れるかもわからないんだし、冷蔵庫に食料なんて入れられるはずないだろ」
 そう返すと、ないわー……と心底呆れられたが、足りない人手を体力と気合いで埋めているのだから、帰れないのも当然だった。
「後で何か買いに行くか」
「ご飯買う。朝ご飯どころか、このままだと昼も夜も食べるものがない」
「俺も朝食ってないし、腹減ってきたわ」
「その前に風呂入らなきゃ。立ってるんだし、ついでに風呂の準備しといて」
「人使い荒すぎやろ」
 何か言いたそうに眉間に皺を寄せたが、柴は無言のまま風呂場に入っていった。そうして一分ほどしてから、お湯張りをしますと電子音が壁のリモコンから聞こえてくる。
 それからまた戻ってきた柴の手には二つのコップ。その一つは薊のために用意してくれたものらしいので、有り難く飲ませてもらう。氷も何もない常温の水道水。神奈備本部で早朝にコーヒーを飲んだきりだったので甘露水とまでは言わないが、数時間ぶりの水分は薊の五臓六腑に染み渡った。
「それで? 何がどうなったらチヒロ君とセックスする流れになるんだよ」
「酔っ払っとったから、その間のこと丸々覚えてへんくて」
 えっ、と声を上げた瞬間に思わずコップを強く握ってしまった。そのせいで、ひびの入る音が響く。
「まさか、酔っ払うまで飲んだの? 年上の余裕と包容力でチヒロ君に酒の飲み方を教えるんだって息巻いてたくせに、チヒロ君よりも先に酔っ払って前後不覚になった挙句、セックスまでしたの?」
「言わんといて!? アレだけ言うといて、やらかしてる俺が一番ダメージ受けてるから!!」
「確かに。ノーダメージだったら今頃ここにいないだろうしな」
 柴が声を張り上げながら腰を気遣うような動きは見ていて違和感を覚えるが、それよりも先に聞かねばならないことがある。
「まさかとは思うけど……チヒロ君に突っ込んだの?」
「身も蓋もない言い方すんな!」
 大事な友人の忘れ形見。その彼と一夜の過ちを犯したのも罪深いが、突っ込んだか突っ込まれたかでも薊の中で罪の重さは変わってくる。どう足掻いても重罪だが。
 柴は相変わらずグラスを弄びながら、一瞬だけ薊に視線を向ける。
 そして、口の中でもごもごと何か言ったが聞こえなかったので「勿体ぶらずに言え!」と一喝した。
「まあなんや、その……
 歯切れの悪い物言いに、つい拳を握って顔の高さまで持ち上げる。ダメ押しの早く言えという圧に柴は慄いたが、それに背を押されたのか沈黙を置いてから「突っ込まれました」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「え、ネコになることだけは断固拒否してたお前が!? チヒロ君に突っ込まれたの?!」
「大声で復唱せんといて!? 何なら俺が一番ビックリしとるんやから!?」
「それも……そうか」
 昔を知る薊が声を上げるくらいなのだから、当の柴が驚愕しないはずはない。
 相当意気込んでいたくせに酒に酔い、一夜の過ちまで犯しているのだから柴の受けた精神的ダメージは計り知れない。薊も似たような展開になったなら、翌朝全てを理解した瞬間に土下座してから、呼び出しがあったと言ってーー逃げ出して柴に泣きついたに違いない。柴が現在、薊の家にいるということは同じようなことをしてきたのだろう。
 もう少し落ち着けば国重の墓に頭を下げに行くか、千鉱の元に帰るはずだ。
「で? チヒロ君にはなんて言って出てきたんだよ」
 柴が千鉱にどんな言い訳をしてきたのかと興味本位の質問だったが、それを聞いた途端に柴は喉に水が引っかかったのか、勢いよく咳き込んだ。
「何? 急に咳き込んだりして」
 訝しげに見ていると、あからさまに視線を逸らされる。
「イヤ? 何もないで?」
「顔を逸らしてる時点でまだ何か隠してるのが丸わかりだぞ」
 茶化すような態度を指摘すれば、柴は仕方ないと言うように大きなため息を吐いた。何となく薊が無理に言わせようとしたというような流れになってしまったが、今はそれを脇に置いて話の続きを促してやる。
「これは、俺がチヒロ君から聞いた話なんやけど……
「なんで急にホラーの導入みたいになってるの?」
 朝から怖い話など聞きたくはないが、柴は聞いていろと手でジェスチャーして続きを話し始める。
「三軒目で飲んでたら、チヒロ君が未経験やって話になったんやって。まあそうよな、あれだけ激しい戦いの中で誰かとイチャイチャしてられへんやん?」
「そうだね。そんなことに現を抜かしている暇があるなら、チヒロ君なら情報収集を優先しようとするだろうし」
 十五年間を箱庭で過ごしていた。そして唯一の家族だった父が殺されると、今度はこの犯人である毘灼を追って全国を文字通りに東奔西走していたので恋愛に構っている暇などあるはずもない。
 ただ襲撃されるよりも前、二次性徴を迎えた千鉱に性についての授業をしたことがあった。柴だけでは流石に気まずいと言うから、この時ばかりは薊も六平家に出向いて用意しておいた中高生向けの保健体育の教科書で勉強したのを覚えている。だから最低限の知識だけは持っているはずだが、きっと千鉱のことだ。柴と別行動したときにより多くの知識を得ていたに違いない。
 そうでなければ初めてで男とのセックスなどできるわけがないので、ほぼ確実だろう。
 そこで言葉を止め、二杯目の水を入れに席を立つ。薊もコップにひびを入れてしまったのでもう一杯入れようとついていくと、急かされていると勘違いしたのか柴が「せっかちか」と呟き、諦めたように息を吐いた。
「知らん女とヤるんも抵抗あるし、かといって知ってる奴が相手でも気まずい。てことで、俺が相手するって言うたらしい」
「どうしてそうなるんだよ」
「俺が一番びっくりしとるわ」
 千鉱の言い分もわかるにはわかる。十八歳で本格的に戦いに身を投じてからは、誰が敵で味方なのかを疑いながら生きてきたのだから、商売女とは言え性行為をすることを躊躇ってしまうのも仕方ない。だが、そこからどうして柴が相手をすることになったのかの詳細をまず教えてほしい。
「何が一番怖いって、俺は丸々覚えてないってことなんよな」
「えっ…………そんな醜態を晒しておいて覚えてないって、冗談抜きで怖すぎない……?」
 導入がホラーじみているだけであとは柴の醜態かと思いきや、最後の最後で今年一番の怖い話だった。
 新しいコップに水を注いで一口で飲み干す。相変わらずぬるいが、水分補給したおかげかさっきよりも思考が冴えてきた気がする。
「ほんで、その話を聞いた後にチヒロ君から告白されて、ごめんって言うて逃げてしもた」
「お前最悪すぎない!?」
 勢い余ってコップを握りつぶしてしまった。破片はシンクの中に散らばったし、コップがプラスチックだったおかげで破片が薊の手に傷をつけることはなかった。薊の武器は己の拳。普段から鍛えているだけあって手も傷つかずに済んだ。
「俺も最悪やと思う。でも考えてみ!? お前も俺と同じ立場やったら逃げてまうやろ!?」
「同意したいけど展開が特殊すぎる」
 友人の子と一夜の過ちを犯し、翌朝に告白されるなど創作でもそうそうないだろう。
「あの場で返事もできんし、かといって濁したまま同じ空間にいてるのも耐えられへんし」
「返事はいらないと言われても、気まずいままになるだろうしね」
「話を逸らそうとしたけど軌道修正もされたしな……ほぼ無意識に妖術使ってて、気づいたら車の中におったわ」
 しかも車の鍵忘れたし……と項垂れる柴の肩を軽く叩いて慰める。
 戦闘でならともかく、柴や薊が口で千鉱に勝つのはほぼ不可能と言っても過言ではない。
 そんな力関係なのに告白されて家で二人きりともなると、言いくるめられた挙句に第二ラウンドに突入してしまう未来しか見えなかった。
 答えを有耶無耶にしたまま逃げたのはよくないが、懸命な判断だったのかもしれない。
「なんて言えばいいかはわからないけど……このままはマズイんじゃない?」
 それな……と柴が答えると、その声に重なるように壁から軽快なメロディが流れ出す。
 話している間に風呂が沸いたらしい。
「割れたコップは片付けとくから、先に風呂入ってこい」
「なら、ついでに食料もよろしく」
 軽い調子で頼むと、柴はお前なあ……と額に手を当てた。
「そもそも、なんで帰りに買ってこんかったんや」
 冷蔵庫に何もないことを把握しているなら買ってこい、と暗に言われているのがわかる。
 それに対してあのね……とわざとらしく肩を竦めると、恨めしそうに告げた。
「決議しても議題の尽きない連日連夜の会議に積み上がる書類。そのせいで三徹して精も根も尽き果ててるのに、用意できるとでも?」
 濃い色の隈を指差すと、柴は眉を寄せまあそうやなと言った。
「だから風呂入ってる間に食料調達よろしく。お釣りでチヒロ君たちへのお土産買ってもいいよ」
 ポケットに入れたままだった財布から一万円札を三枚取り出して押し付ける。柴は何か言いたそうに薊の顔と手元の三万円を見比べていたが、観念したのか脱力して大きく息を吐いた。
「わかったよ。いつもの店でええやんな?」
「うん。食べきれなくても夕飯とか明日にも回せるし」
 明日の午後にはまた出勤なので、食べきれなくても執務室の冷蔵庫に入れておいて夕飯や夜食にすればいいだけだ。
「行ってくるから、今のうちに風呂入っとけよ。帰ってきてまだ寝とるようならメシ抜きやからな」
「わかってるよ。それじゃ、いってらっしゃい」
「おん」
 玄関で靴を履いた柴の気配が消えたのを察知する。もう少しソファーに戻ってダラダラしていたいところだが、風呂から出てすぐに食事にしたいなら今しかない。
 キッチン横の脱衣所のドアを開ける。
 服を脱いでから、買って以来あまり活躍していないドラム式洗濯機に衣類と洗剤を放り込んでスイッチを押す。
 引き出しからハンドタオルを一枚取り出し、薊は風呂場に足を踏み入れた。

 浴室は白とライトグレーでまとめられていた。窓から朝の光を取り込み、視覚効果のおかげか少し広く見える。浴槽の蓋を半分だけ開けると、大柄に分類される薊が足を伸ばしても余裕のある広さの浴槽には並々と湯が張られていた。
 風呂の入り方は人それぞれだが、薊はまず浴槽に浸かってから体を洗う派だ。昔はそれで柴や国重と友情の危機にまで及ぶ大論争になったが、若気の至りだからこそできた喧嘩だった。この歳になれば、そんなことにはまずならない。
 直近で柴と喧嘩になった時の理由は何だったか……確か、きのこかたけのこだったような気がする。
 何だ、全然変わってないやと呟き肩まで浸かると、浴槽の縁からこぼれる湯が波音のように響いた。
 そのまま頭を壁に預けて目を閉じると、柴との会話を思い出す。
「柴とチヒロ君が……
 関係を持ったと聞かされても最初は信じられなかったが、話しているうちに嘘でないことは理解できた。
 いつもと比べて声が小さくて少し掠れていたし、足取りも重心が少しブレていて腰を庇っているような素振りもあるのだから否定しようがない。
 意地でも受け入れる側にはならなかった柴が、自分から抱かれてもいいと言ったのだから驚くのも当然だ。
 酒に酔っていたからとはいえ、柴が千鉱に抱かれることとはまた違う話だろう。
……
 脳裏に描くのは千鉱の姿。
 薊は柴ほど頻繁には会えなかったが、それでも赤ん坊の頃から知っている大事な子供。もう子供という年齢ではないし、口にしようものなら叱られるのだろうが薊からすれば友人の子というよりも親戚の子くらいの位置にいる。
 復讐が終わり、休養を挟んでから始まった千鉱の新たな生活の中にも当然のように柴はいた。
 千鉱が住む家は拠点とするために柴が所有していた不動産の一つ。そこを柴から格安で借りている状態で、あの頃のように一緒に住んではいない。
 今後の生活の話をしている時に、薊も千鉱も一緒に住むものとばかり思っていたが、柴がそれを断った。
 今までのように千鉱に張り付いている必要はないし、薊や神奈備からの呼び出しもある。だから千鉱と行動を共にすることなく、週に何度か顔を出す。国重が生きていた時くらいの……いや、それよりも少しばかり近くなった距離の付き合い。
 父の友や護衛と呼ぶには近すぎるのに、家族かと聞かれると少し遠くなる。
 戦いの最中は共に行動していたのに、終わってからは少し違和感を覚えるような距離の取り方。
 近くにいる赤の他人、がしっくりくるだろうか。
 もうこの世に妖刀はなく、かつての柴の役割は現在緋雪やカザネが請け負っているので、国重が生きていた時のように月に何度も千鉱の元を訪問する必要はない。
 保護者として千鉱を見てきたからというのも理由の一つかもしれないが、振り返ってみれば一定の距離を空けてはいても接点を求めていた気がする。
 亡き友人の息子でずっと見守ってきた存在であることを差し引いても、柴は千鉱を手放したくなかったのかもしれない。
「柴の奴、気づいてないだけでチヒロ君のこと……
 ーーそういう意味で好きなのか。
 まさかね、と思いながら、その感情を吐息と共に吐き出した。
 いくら柴が酒で酔っていたとしても、それだけで一線を越えることだけはあり得ないと思っている。
 そうなると、無自覚なだけで柴が千鉱に対して惚れた腫れた的な感情を持っている可能性しか残っていない。
 混乱のせいで視野狭窄を起こしていることに薊は気づいていないが、その一方で確信めいたものも感じていた。
 当事者である柴よりも先に彼の気持ちに気づいてしまったわけだが、どうやって自覚させればいいのか。
 柴の妖術を持ってすれば逃げ続けることも可能だが、いつまでも逃げているわけにはいかない。そうでなくとも二人は神奈備に協力しているのだから、いつかは顔を合わせることになる。
 なら、遺恨を残す前に柴には自覚してもらい、収まるべきところに収まってもらうのが最善だ。
 どうやって自覚させるかだが、まずは対話から始めてみるべきだろう。あまりに意地を張るようなら、拳でわからせるしかない。
 ふと浴槽のリモコンを見れば、浴槽に浸かり始めてからゆうに三十分は経っている。
「そろそろ出るか」
 柴はまだ戻っていないようだが、薊が風呂から出るのを待っていて冷めてしまったらもったいないので待つくらいがちょうどいい。
 バスタオルで体の水気を拭き取り、ドライヤーで髪を乾かしているとモーター音に混じって玄関の方から小さな音が聞こえてくる。
「おかえりー」
 玄関に直接転移してきた柴の足音が軽い振動として足の裏に伝わってきた。そして、その足音が二人分に増えていることにも気づく。
「誰かいるの?」
 ドライヤーを握ったまま、通路の方を覗くとーー
「チヒロ君……?」
 驚いて名を呟くと、薊の気配か声に気づいたのか、振り返った千鉱が「お邪魔してます」と言って頭を下げる。どうして千鉱は、柴が薊の元にいるとわかったのか。
 そもそも柴の妖術で一緒に転移してきたのなら、道端やエントランスではなく、食料を買いに行った店の近くで出くわしたことになる。
 ーー噂をすれば影とは言うけど、こんな急展開になるとは聞いてない……てか柴の奴、発信機とかつけられてないよね?
 恐らく柴の行動を予測して範囲を絞り、玄力で感知したか、人に聞いたのだろうと予想するも、あまりに早い発見に発信機の存在を疑ってしまう。
 薊の混乱は声にならず、代わりにドライヤーの音だけが家の中に響いていた。