250817 新刊②

スモロ♀「sugar&spice」※R18



240214 Give me an answer?


 青地に金箔のロゴがあしらわれた小さな紙袋は、見るからに高級そうだった。それはあまりスイーツに頓着のないローでさえも見聞きしたことがある、チョコレートブランドのものだった。
 本日の日付は二月十四日 ── 世はまさに、バレンタインデイ。だから、チョコレートをもらうこと自体は、さしておかしいわけじゃない。
 だが、己に向かってその袋を差し出した相手に意外性がありすぎた。そのため、ローは思わず閉口せざるを得なかったわけである。
 電車を待つ人々の声や隣のホームで響くアナウンス、風の音が二人の間を颯爽と駆け抜けていくため、無言がいやな間となることがなかったのは、幸いかもしれない。考える時間を得て、女は静かに言う。男の奥に見える広告看板にでかでかと書かれた『バレンタイン』の文字が目に入っているのに、意味が分からない、とは言い訳できまい。
……わたし、なにも用意してないけど、」
 この国の文化において『バレンタイン』と言えば、女性が意中の男性に愛をこめて贈る……なんて企業がつくり上げたイメージが四方八方へと拡大した、チョコレートの商戦となりつつある。
 それでも、ローは甘いものをとにかく食べる質でもなければ、友だちと仲良く交換して楽しむなどという暇もない多忙な身だ。バレンタインのマーケティング対象からは縁遠い、と自負して生きていた。
 幸いなことに、職場は義理チョコ文化を撤廃しているため、少なくともこの二、三年はずっと無関係だった。甘い香りに包まれながら、赤やピンクで彩られた街並みや楽しげに声を上げて浮かれている人々を見る、そういう『いつもよりか街の雰囲気が明るい』ふつうの日でしかない。
 だから、ローの手元にはチョコレートなんて流行りのものはなくて、彼が見返りを欲しているのだとしたら、とんだ早とちりだな、と思ったのだった。いや、見返りを求めるたちだったと知らなかった自分の目測が誤っていた、とも取れるだろうが。
 けれども相手は「だろうな」と一言だけ溢した。そんなことは想定の範囲内です、とばかりに。
 鼻からローの好意など期待などしていないようなあっさりとした言い草は、少しばかり癪に障る。そんな苛立ちが思わず手に出た。男が差し出す袋の側面を、ぺシぺシと指先で叩いてやった。
「じゃあ、なんだってんだよ、これは」
「これまで世話になってきた礼の代わり、だとでも思えばいい」
 さばさばとした答え。礼、とローが小声で繰り返すと、男はそれを無理やり女の手に握らせる。大きくて熱い手のひらの感触にギョッとしたのは、少なからず自分の方に下心があるからだと、分かっていた。
……あんたがお礼チョコだとかを贈る、マメなタイプだとは思わなかったよ、スモーカー」
 それでも邪心を押し殺して、意味深に口角を上げるだけの笑い方をすれば、男はもともとの厳めしさに拍車をかけるように眉間の皺を増やす。ムッと唇に力が入っているのは、喫煙を我慢しているから。本当は煙草を吸いたいのだろう。このホームには、喫煙所が設置されていない。
 甘いものはそんなに食べないんだ。そう言って突き返すのは無粋だった。自家用車通勤が主なはずの男が、わざわざ駅まで足を伸ばしてまでこれを届けたことを考えると、それをどうやって無碍に出来るだろうか。義理だとしても、彼の中で「そのくらいの手間をかけてもいい」と思わせる存在になれているのだとしたら、重畳だ。
 ローは受け取った小さな紙袋を目線に合わせて掲げて「ありがたくもらっておく」と返した。スモーカーは何を考えているのかイマイチ分からないしかめ面のまま、「また世話になったら悪いな」と言った。多分、彼にしては珍しくも、冗談と思しきことを宣った。
 数駅だけ共に乗り合わせ、ローが先に最寄り駅へと降りる。窓越しに目が合ったので、またと袋を掲げて見せてやった。すぐさま走り出してしまったので、男がどんな顔をしていたのかは分からない。
 ただ、持ち上げたことで電球の灯りを受けてきらりと光ったロゴの文字に、女は目を細める。小さいものとはいえ、有名店のものともなればそれなりの値はするはずだ。こんなサプライズをされて、黙っていられるわけがなかった。
 ── この想定外には想定外を返してやらねば、気が済まない。
 かくしてその年のローのバレンタインデイは、すぐさまホワイトデイの始まりへと切り替わった。あの、何一つとして期待していなさそうな男の鼻を明かしてやる、と男への恋情に生来の負けん気の強さが絡まった感情でそうさせたのだった。
 ……が、あまり人付き合いが多い方ではないローは、年上の男をあっと言わせるものなんて想像できなかった。あーでもない、こーでもない、と診察時間の隙間でウンウン頭を悩ませる羽目になる。気が付けば仕事と共に一日が終わる日々、進みゆくカウントダウンに、じわじわと焦りは募った。
 ローは知っている。まだ大丈夫と思っていても、時間はあっという間に過ぎていくのだ。
 頭やネットの中で想像を膨らませるのに限界を感じていた最中の早上がりの日、一駅となりにある大型百貨店に駆け込んだ。ふと見ればホワイトデイの贈り物と題して、様々な品がおススメされている。少しだけ勝機が見えた気がして、ほう、と一息。
 キョロキョロと辺りを見渡しながらいろいろと物色して見ていると、背中から女の声が届いた。トラファルガー先生、という、落ち着いた音に振り返る。
「あ、っと、刑事さん」
 確か、スモーカーは『ヒナ』と呼んでいた。事件の時は慌ただしくてきちんとした挨拶もないまま終わったが、男の同僚だったはずである。
「こんばんは。お買い物かしら」
「あ、まぁ、そんなところです……
 クールそうな見た目とは裏腹、彼女は実にフランクに話しかけてきた。スモーカーもそうだが、警察官はそれなりに会話上手なのかもしれない。同じ対人職であるはずなのに話し下手なローは、少々たじろぎながらも言葉を返した。
「最近まではバレンタインをやっていたのに、今度はホワイトデイだなんて、世の中忙しいものよねぇ。……何か、お返しを探しているってところかしら」
「嗚呼、はい。スモーカー、さんからもらったチョコにお返しを、と」
 慣れない敬称をつけながらぼそぼそと話すと、ヒナは眉根を寄せ、眉尻を上げた。まるで恐ろしいものでも睨むかのような表情。そして訝しむような声で、尋ねられる。
……スモーカーくんが、チョコレート?」
「そう、です。……職場でも配ったり、」
「ないわよ。彼、そんな行事ごとに頓着するような男じゃないもの」
 見事なまでの一刀両断に思わず「は?」と口が丸く開いた。ぐるぐると回る思考。ヒナはその間もくわしく教えてくれる。
「むしろ逆ね。うちの課では数少ない女性職員の方が男性陣にチョコをあげるのよ。……当然、その『お返し』はしっかりもらうけれど」
 女はそこまで話すと、嗚呼と息を吐いた。先ほどまでパッチリと開いていた瞳が、呆れたように半分になっていた。それでも十分、美しさは損なわれていない。
「なるほど。そういうことあのスモーカーくんも、こんな企みをするのね。呆気よ、ヒナ呆気」
「たくらみ」
「ねぇ、トラファルガー先生。あなた、彼の誕生日は知っていて?」
 突如として降りかかった彼女からの問いかけに、ローは首を横に振った。まだ、そういうプライベートに踏み込むような話はしたことがない。カルテに書いてあった気もするが、覚えていない。それが、この問答に何か関係あるのとでもいうのか。
 いつ? と尋ねてみる。ヒナは微かな笑いを堪えながら、次のように答えた。
「三月の十四日よ」
 反芻思考。頭の中に浮かんだカレンダーには、バレンタインデイと双璧をなす文字が書かれている。ローが今、目的としていた日にちそのものだ。
 ローは彼女が笑っている理由も、スモーカーがわざわざチョコレートを渡してきた本当の意味も、全て分かってしまった。そして、あの男に「こいつはちゃんとお返しをしに来るだろう」と予想されているだろうことまで思い至って、なんだか耳が熱くなる。デパートの暖房のせいにしたい気持ちにさせられた。
……なぁ、これって『脈ありだ』って捉えていいってことなんだよな?」
 思わずため口になっていることにも気付かぬまま、ローがヒナを見やると、彼女は愉快そうな笑みをさらに深めた。是、である。言葉なんてなくたって表情だけで分かった。
 その遠回しな肯定を嬉しく思うくらいには、スモーカーという男が好きだった。
「彼が好きそうなもの、いくつか教えましょうか?」
……なんでそんなに協力してくれるんだ」
「理由が必要? ……そんなふうに耳を染めてしまうようなあなたのいじらしさと、同僚をからかってやるため、かしらね」
 はっきりと言い切る姿には、好感と信頼を抱けた。ローは笑い返しながら「存分にからかってやってくれ」と返す。こんな、回りくどい真似しかできないあの男の不器用さを鼻で笑ってもらわねば、騙されかけたローとしても、面白くないのだ。
 スモーカーの好みを教えるから、最後は自分で決めるといい、とヒナは言った。私が選むのでは意味がない、彼の望みはそうではないだろう。それじゃあ面白くない。嬉々して候補を上げ連ねるヒナの顔は、とてつもなく楽しそうだ。
「ネタばらしをしたらどんな反応をしたか、教えて頂戴。ふふ、とても愉快だわ。ヒナ、愉快」
 ……あの男は、彼女になにか恨みでも抱かせるようなことをしているのではないか? そうじゃなければ、これだけの手間をかけて揶揄われることなんてなさそうなものだが。
 美人はときに怖いものである。今まさに、その瞬間を目撃している、とローは思った。
 贈り物の目星がついたことで、先ほどまで感じていた猛烈な焦りも、随分と和らいでいた。このままなら、いいホワイトデイが迎えられる気がする。
 チョコレートよりも欲しいと思っていたものが手に入りそうな予感に、ローは初めて、商戦に身を委ねる人々と同じ空気を胸いっぱいに吸ったのだった。