250817 新刊②

スモロ♀「sugar&spice」※R18



01 be blinded by neon lights


 街の中心部ともなると、夜が更けてもまだまだ明るい。街灯やネオンサイン、看板などがあちらこちらで輝き、『人間など寝せてやるものか』とけたたましく主張している。
 基本的に仕事一辺倒で多忙ゆえ、休みは単発でしか訪れない。そんな貴重な日は家にこもっていることの方が多いローにとって、その目映さは新鮮だった。ドレスの裾が揺れ肌を撫ぜる感覚、カツカツと足下で高らかに響き渡る音もまた、彼女にとっての日常とちがうものだから、というせいもある。
「いい式だったな」
 思い出して言えば、隣を歩くスモーカーは嗚呼と肯首した。だが、彼にしてはどこか力のない肯首だった。柄にもないことを頼まれて、緊張し、疲れたのだろう。
 特別失敗したわけでもなければ、涙を誘うほど盛り上がったわけでもない。差し障りのない、ごくごくありきたりな上司代表の挨拶は、言葉足らずを自覚している男が紙と睨めっこを重ねて仕上げたものだと、ローは知っている。
 だから笑ってやった。この世の終わりのような渋面を引っさげて(或いはほとんどの人間にしてみれば人一人殺してきたような顔で)いた数ヶ月前を思い出して、つい笑う。
「ロー」
 スモーカーは察しがいいので、彼女が何を面白がっているのか悟ったのだろう。咎めるように名前を呼ばれたが、要するに「それ以上言ってくれるな」という警告だ。
 だがローは、この男のことなど一欠片も怖くない。むしろその文句が油となって、からかいの火種がボッと燃える。
「いやぁ、悪い。だって、あんなにペンと握っては置いてを繰り返したわりには当たり障りも面白みもねェ挨拶で、そんだけ疲れてるもんだから」
「止めろ……。あんな思いはもう沢山だ。お前もやってみりゃ分かる。何が一番キツいって、あんなもんをおれの同期や上司やらも聞いてるってことだ。どうとちったりふざけたりできる? ……少なくともあいつらの前でそんなマネ、おれはできん」
 よほど嫌だったのだろう。普段決して口数の多い方ではない男が、ありとあらゆることを思い出して、なんとも饒舌に愚痴を吐き出した。
 ローは、彼が言う『美人で辛辣な同期』も『大柄で自堕落な上司』も顔見知りで、何なら円卓も同じだったので、彼が淡々と挨拶する様子さえも面白がって見ていたことを知っていたが、言わないでおいた。どうせ職場であの二人に直接言われるだろう。それもローが語るよりもっと一方的かつ散々な言い方で揶揄されるにちがいない。
 そういえば動画も撮られていた、となれば何コンボ揶揄いを決められてくるのだろうかと想像して、止めた。それは今の楽しみでなくともいいな、と思ったからだ。
 なら今は、何を楽しむのか。非日常を享受したこの空気感。きっと、それが一番いい。
 スモーカーの部下の結婚式並びに披露宴への参列の帰り道、二次会までお邪魔させてもらった。己が浮かれた気分であることを理解しているローは、普段なら自ら進んで口にしないだろうことを提案する。
 なぁ、スモーカー。
 同じ方向だから、と並んで歩いて来た男のことを、そっと引き留める。
「折角だし、二人で三次会でもしないか」
 おあつらえ向きな繁華街のど真ん中、ざわめく人波でも充分届く程度の声量は出ていたはずだ。それでも男の反応が鈍かったのは、ローが外で飲むことを好まないと知っているからだろう。(厳密に言えば、家で飲む方が気楽でいいというだけで、断固拒否の姿勢でいるわけではないのだけれど。)
 黙って瞳を覗き込まれて、思わずキュッと唇が窄む。疲れていただろうか。柄にもないことを言った自覚がある分、どうにも自信はなかった。
 しかし数拍おいて、どこがいい、と彼は聞いた。
 てきとうな居酒屋でいい、と和食を好む女は返した。
 そのことを解っているスモーカーは、黙って先を歩き出す。彼の動きに合わせて、引き出物の入った紙袋が揺れた。
 迷いなく歩いて行った男がのれんをくぐった店は、絵に描いたような酒場の様相をしていて、飲んだくれた人間たち特有の活気と酒や油の匂いが充満していた。
 男が振り返って言う。おまえが好きな店だと思う、と。スモーカーが言うならそうなのだろう。如何せん、彼はこちらの好みをよく知っている。
 カウンターと座敷、どちらも空いていると言われたので男が返すより先にローは「座敷で」と答えた。久しぶりに履いたヒールがそろそろ痛かった。一度脱いで、この地味な苦痛から解放されたい、という強い気持ちが勝って、口を出していた。
 どうぞ、と畳の座敷席へ案内される。ヒールのストラップを外し、ほんの少しだけ足を崩して腰を落ち着ける。熱をもった足先から、じわじわと疲労が解けていくのを感じた。
「何を飲む?」
「とりあえずビール」
 店員を呼んで、生ビールを二つと、メニューを見ながら好きなものを頼んでいく。ローはそれなりに大食漢で、披露宴で出てくるお上品なコース料理では満たされないし、二次会は酒を飲んだり話したりすることに振り切っていたため、今は食べる気満々だった。体躯に見合うだけ食べるスモーカーも、止めやしない。
 あっという間に卓の上は料理で埋まり、ローは両手を静かにすり合わせた。
「乾杯しよう」とローが言う。
「何に?」とスモーカーが尋ねた。
 女は少し悩んだ後、口角をキュッと上げて、こう言った。
「すてきな夜に?」
 思ってもいないな、と男は分かっていただろうが、ジョッキを合わせてくれた。
 結婚式を振り返り、あれやこれやと話していく。あの余興はどうだった、ムービーがこうだった、やっぱり挨拶なんてやるもんじゃない、と舌先はどんどん加速する。周囲の喧騒に紛れぬよう、声はどこか大きくて、付き合わせる顔は少しずつ距離が縮まる。
 それに伴うように次から次へと杯は空き、皿は空になった。皿はともかく、グラスが空っぽだとどうしても満たしたくなり、次の酒を頼むのを繰り返した。
 と、スモーカーの口が唐突に止まる。あまりにも不自然な挙動を、女は心配した。
「どうした?」
「いや……おれの後ろの座席が『あの二人は披露宴後にワンナイトでもするのかな』と言ってるのが聞こえてな」
 一瞬意味が分からなかったが、脳がぎゅるぎゅると回ったあと、納得の嗚呼が出た。男の大きな肩口からこっそり覗くと、それは若いカップルのようだった。
「おれたちは、そういうふうに見えるのか」
「まあ、正装で引き出物っぽい袋持って、二人だけで仲よさげに話してりゃ、そうも見えるの、かも」
「ふうん」
 言い出したくせに、すでにどうでもよさげに返事をするので、話は男の中では終了したものだと思っていた。
 その後、清酒を二杯ほど飲んだ頃合いで、お開きにすることにした。会計はトイレへと離席したかと思っていたスモーカーが払っていたようですんなりと退店できた。
 少し千鳥足になっているのを何とか隠しながら、帰路を辿ろうとする。
 すると、名前を呼ばれた。後ろを振り返るよりも先に、彼が近づいて屈む気配の方が幾分も早かった。
「ホテルにでも行くか」
 ワンナイトのお誘いの言葉としてはあまりにもあけすけだった。しかし、アルコールで思考力が幾分か落ちているローには、それくらいストレートな物言いの方が誘いとして判りやすくて、効いた。耳元でヒソリと囁かれたのも、ポイントが高い。鼓膜をビリビリと震わせた低音が脳にたどり着くと、勝手に錯覚を起こして、身体の芯が熱をもつ。
 そういえば、久しぶりなのだった。
 沈黙のまま、男の手を握ったのが答えだった。彼の薬指にはめられた指輪だけが熱気の中にあっても、冷たかった。

  *

 駆け込むように入ったため、気付かなかったが、二人が営んでいたのは随分と可愛らしい装飾がされた部屋だったらしい。どろどろに汚れた身体をシャワーできれいにし、再び転がったベッドから見上げた天井には、シャンデリア風の照明がぶら下がっていた。ベッドのカバーにもフリルがあしらわれているなど、まるでお姫様にでもなってしまったかのようだ。
 そんな部屋で素っ裸だったことに今更ながら気付き、思わず笑った。
……一人で笑ってると不気味だぞ」
 すると、いつの間にかシャワーから戻ってきたスモーカーが、眉をひそめている。
 失礼だな、と言いながらも思っていたことを話した。男は女の言うとおりに辺りを一瞥すると、趣味が合わないなと溢した。同意する。趣味の合わないものに囲まれてセックスする、これほど滑稽なものはない。
「そういえば、あの子たちも面白かったな」
「誰が」
「居酒屋のカップル。私たちを見てワンナイトって言ってた」
「嗚呼、……深夜ドラマの見過ぎだな」
 こともなげに言う男の言葉に、ローは再び同意した。結婚式帰りに男女二人が酒を飲んでいただけでワンナイトしていたら、どこもかしこもそんな不貞な奴らで溢れているだろう。
……いや、実際そうなのかもしれねェけどな。わたしたちの預かり知らないところでは、そんなドラマみたいなことが日常なのかもしれない」
 ベッドからゆっくりと身を起こすと、スモーカーはすっとペットボトルを差し出してきた。黙って受け取って喉を潤すと、また手を差し返される。寄越せと言う意味だろうかと察して飲みかけを渡せば、同じように口を付けた。喉の中心で喉仏が上下に動くのがやけに目に付く。
……もうすぐチェックアウトの時間だ。帰るぞ」
 瞬く間にペットボトルを空にした男は、これまたこともなげに言った。ボトルを握る左手の薬指をシルバーリングが占有している。
「命令するな」
 そう言ったローの胸元にはいくつもの鬱血痕が浮かんでおり、それに似合わないシルバーリングの通されたネックレスが揺れている。スモーカーと全く同じデザインなのは、一緒にオーダーメイドした代物からだ。指輪を指に付けていないのは、外科医という仕事柄、邪魔になるからだ。
 散らばった正装たちを身に付け直し、二人はチェックアウトした。
日が昇ったばかりの空はまだ少し薄暗く、あれだけ騒がしく見えていた電飾たちは、息を潜めて眠っている。人の影も少ない。
 コップ一杯分ほど残された浮かれた気持ちのまま、手をつないで帰る。
「家に着いたらどうする?」
「流石に寝る。午後は出なきゃいけないからな」
「そうだっけ。じゃあわたしはオフだし、もう一回寝るか」
………………
「何で黙るんだよ。そんなに悩むことじゃないだろ」
「いや、どっちの『寝る』かと思ってな」
……あーあ、寝不足でバカになってるなァ、うちのダーリンは」
 呆れた声を出しながらも、まんざらではないと思っている辺りはローも寝不足でバカになっているのかもしれない。変なところばかりが似たもの同士である。
 なんだかんだ言いながら、同じ家へと帰り、同じベッドに入って、同じだけの熱を共有し、同じだけの幸福を享受し合うことだけが、ネオンライトが消えた今となっても残る、確かな真実だった。