ぷの
2025-07-22 16:45:21
24211文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - 小さな喧嘩・オフィスラブ

🛁にセクハラする🦚の話。
※レイチュリワンウィーク - こぼれ話・真相の前の話になります。未読でも大丈夫!

【1】

 目の前で繰り広げられる光景に、レイシオは体ごと石膏頭を背けて本を広げた。ソファに並んで座っているアベンチュリンは、脱いだ帽子で顔を隠して天を仰いだ。
 向かいのソファでは、男女が濃厚で熱烈なキスをしている。利息で膨れ上がった負債についてアベンチュリンが話を始めたところ、まだ序盤だというのにメンタルの弱い社長は半泣きになってしまった。そこにほぼ愛人しかしていない秘書が飛び込んできて、借金が返せないなら一緒に死ぬの死なないのと愁嘆場が始まった。仮に担保にすると言われても、カンパニーはこんな使い物にならなそうな命に用はないだろう。
 ここに来る前、「口を回すのは僕に任せて、君は横にいてくれればいい」と言ったのはアベンチュリンだ。早くなんとかしろ。向けたレイシオの背中が発する不機嫌を正確に読み取った彼は、これみよがしに嘆息した。帽子をテーブルに置いて立ち上がり、応接室のドアを開けて、外に控えている本物の秘書に声をかけた。
「アレじゃ話にならない。まともな代打を呼んでくれ」
 聞こえてくる会話から、話し合いは相手を変えて仕切り直しになるようだ。秘書たちは謝罪を繰り返して水飲み鳥のように何度も頭を下げながら、場違いな社長と愛人を外に片付けた。
 淹れ直したコーヒーを置いて秘書が退室すると、二人だけになった部屋はくだらない一幕などなかったかのように静かになった。アベンチュリンはソファに戻って来ずに、室内に飾られた絵画などを眺めている。興味がなさそうな様子を見るに、ほとんど価値はないのだろう。
「ねえ教授、キスしたことある?」
 唐突に投げかけられた問いにレイシオの動きがぴたりと止まった。意図を捉えあぐねて、目に入った一文を指でなぞる。「油断することなく、あなたの心を守れ」、古い教典の引用だ。
 アベンチュリンは足音を立てずに近づいてきて、ソファの肘掛けに腰を落とした。レイシオが本から顔を上げると、両手で石膏の頬を包んで固い口に柔らかな唇を押し当て、すぐに離れた。一連の動作は流れるように済んで、避ける隙はなかった。
 至近距離でこちらを見つめるネオンカラーが愉快そうに細められる。レイシオの肩に手を置き、アベンチュリンは口の端を上げて首を傾げた。
「ひんやりしてるんだね。初めて?」
 今起こったことを脳が処理するのに数秒かかった。遅延から復帰したレイシオは無言でアベンチュリンから顔を背けた。
「今のは数に入らない」
 咄嗟に出た反論は思春期の純情な少年のようだと自分でも思った。
 先頃結んだばかりの戦略的パートナーという関係には前例がなく、まだ表面だけの付き合いしかないアベンチュリンについて知っていることはほとんどない。
 アベンチュリンは会うたびに人の神経を引っ掻こうと爪を立ててくる。ビジネスパートナーから逸脱したこの行動もその一貫だろう。吐息も届かない兜の外で起こったことで、実際にかすめたのは気配だけ。その程度の悪ふざけに動揺した、という事実にレイシオは動揺していた。アベンチュリンはくすくす笑った。
「そうかい、残念。そのうち数に入るのをいただこうかな。楽しみたいから油断しないで、教授」
 ドアがノックされて開く。アベンチュリンは立ち上がって待ち人を迎えに行った。社長の無礼について謝罪され、それを鷹揚に受け入れるところから始まった会話は、完全にアベンチュリンのペースだ。要望を全て飲ませて、一方的な話し合いはスムーズに決着した。



 レイシオはいつも石膏頭をかぶっている。ドレスコードのある場では弁えるが、他では外せなくなった。あの悪ふざけ以来、アベンチュリンが隙あらばレイシオに顔を近づけてくるようになったからだ。
 レイシオはその度に顔を背け、自分の体を引き、アベンチュリンの体を押しやる。基本的に不意打ち狙いでしつこく粘りはしないが、頻度が頻度だ。それに、職場だろうと外だろうと人目があろうと場所を選ばない。
 それは、移動中の車内でも。後部座席に並んで座ったアベンチュリンは、レイシオの腿に手を置いて身を寄せ、抱きつくように腕を引っ張った。
「危ないから窓に寄りすぎないで。強化ガラスだけど、強い衝撃があったら割れないとも限らない」
「君が離れたらそうする」
 そう返せばパッと離れたものの、レイシオの反応を面白がっている様子が見え隠れしていて、注意は取ってつけた建前にしか聞こえなかった。
 ちょっかいをかけられるのにうんざりしたレイシオは、次の場所に移動するとき一人別の手段で行くことにして乗車を断った。だが、アベンチュリンはきっぱりと首を横に振った。
「絶対にダメ。街全体の空気がピリピリしてるのわかるだろう? 君がどこに所属してる誰だろうと、外から来た人間というだけで住民の尖った神経に触る。頼むから単独行動はやめてくれ。僕には君の安全を守る責務がある」
 有無を言わさずレイシオを運転席の後ろに詰め込んで、アベンチュリンは部下と交代して助手席に座った。
「これならいいね?」
 まるでレイシオが我儘を通そうとしたかのような態度だ。
「その口を閉じていればな」
「そんなことしたら死んじゃうよ」
 断続的な渋滞に捕まって、暇潰しにアベンチュリンが地元局のラジオをつけた。一分と経たないうちにリスナーからの便りを読み上げる陽気なDJの声がチャイムで中断され、今さっき発生した爆弾テロの速報が流れ出した。
 車内の面々は黙りこみ、聞き終えると顔を見合わせ、一斉に溜め息をついた。爆発で無惨に破壊された現場は今晩宿泊する予定のホテルだった。代わりのホテルは見つからない。歓迎されていないカンパニーの人間を泊めるこの辺りで唯一のホテルだから、テロの標的にされたのだ。
「荷物を置いてなくて良かったね。この足で船に戻ろう、やり方を変える」
 運転手がラジオを止め、レイシオの隣の部下が検問と渋滞を避けて目的地へ向かうルートをナビに入れる。方々に話を通してカンパニーの艦船の自由を確保したアベンチュリンは、船で待機している人間に戻り次第発つと連絡した。車はそっと地元民だけが愛用するような細い裏道に入った。
「教授が僕とダブルベッドで寝てくれるなら、泊まれる場所があったんだけど」
 ほら、と差し出された端末で売りに出ている小さな空き家の情報を見せられて、レイシオは腕組みして顔を背けた。レイシオの横から覗き込んだ部下は、「地下室があっていいですね」と暢気にコメントした。
「ところで総監、まだ教授にセクハラ続けるんですか?」
「いつコンプラ違反で刺されてもおかしくないですよ」
 部下たち二人の言葉にレイシオは思わず顔を向けた。誰もアベンチュリンを止めないから、この隊はそういう文化なのかと思っていた。だが、目に余る様子ではあったらしい。対象がレイシオに限られていて、当のレイシオから明確な意思表示がないから様子見をされていただけで。先ほどの乗車拒否で口を出す気になったようだ。
「セクハラとは失礼な、アプローチしてるんだよ」
「うち社内恋愛禁止じゃないですか」
「そうだっけ? 仕事ができない言い訳にされようと、どんな犯罪に利用されようと、恋愛に罪はないと思うけど」
 ね、とアベンチュリンは軽く首を傾け、レイシオに向かってキスを投げた。レイシオは再び助手席から顔を背けた。
「社内ルールはどうでもいいです。教授に訴えられる前に止めましょうよ。せっかく結んだパートナー契約があっという間に解消されて、理由がセクハラじゃあまりにも情けない。そうなる前に乱れた風紀を正さないと」
「アハハ、トパーズみたいな言い方」
「お小言係をしてると似てくるんです」
 アベンチュリンはケラケラ笑って、グローブボックスから取り出した小物を後ろに放り投げた。受け止めて開いたお小言係の手の上には、小さな次元プーマンの人形が乗っている。ついでに取り出した拳銃を懐にしまうのを横目で見ていたレイシオに、アベンチュリンはウィンクを飛ばした。石膏頭は窓の外を向いたまま動かしていないというのに、勘が鋭い。
「そうだね、教授に訴えられたら負けちゃうかも。知ってる? すごいんだよ、お抱え弁護士」
「権利侵害にとにかく強いですよね。ご存知ならなおさら自重してください」
「引き抜けるかな」
「絶対に無理です」
 断言したお小言係はレイシオ専属の弁護士たちの経歴と引き抜きできない理由をつらつらと並べた。アベンチュリンの部下たちは、突然据えられた戦略的パートナーという不明瞭な肩書きの人間を無警戒で受け入れたわけではないようだ。アベンチュリンが初耳の情報もあったらしく、感心した様子で聞いている。
 レイシオは技術開発部の顧問で、広い意味ではカンパニーの人間と言える。だが、雇用されている身ではなく、身内と呼ぶには遠い。さらに二つの部門にまたがって所属する人間は異例だ。戦略投資部と技術開発部の関係は比較的良好ではあるが、警戒されるのは当たり前だろう。
「忠誠心は信用ポイントだけじゃ買えないからね」
「そうですよ、私たちでよくおわかりでしょう。仮に引き抜けるとしても、浮気者を仲間にするのは面白くないです」
 お小言係の言葉に、運転席の部下も頷く。二人の反応に、アベンチュリンはポカンと口を開けて呆気にとられている。まだ付き合いの浅いレイシオから見ても、ここのベテランの部下たちは忠実だ。カンパニーではなく、部門でもなく、アベンチュリンに。なぜ当の彼が驚いているのか不思議でならない。
「さては君たち、僕のこと大好きだね?」
 照れ隠しで茶化したアベンチュリンに、お小言係は次元プーマンの人形を投げ返した。
「お互い様でしょう。もしお一人だったら、撤退せずにこれ幸いとテロ組織に接触するんじゃありませんか。先程の家の売り主、総監ですよね。獲物はかかりました?」
……まだだよ。チラッと見ただけでよくわかったね」
「もう、またですか? これだから総監には護衛が必要なんですよ。一人でフラフラ危ないことしないように目を光らせてないと。今日は教授もいてくださってよかった」
 軽い口調だが、二人がかりで釘を刺すくらいには上司のスタンドプレーに頭を痛めているのだろう。アベンチュリンが勤続たった数年のうちに何度も死にかけて病院に担ぎ込まれたのは、レイシオも何度かその場に居合わせて知っている。
「隊の安全確保は君の責務だろう。当然そこには君自身も含まれる」
「なんだい君たち、息ぴったりじゃないか。そんなに念押ししなくても一緒に船に戻るってば」
 拗ねたように口を尖らせて、アベンチュリンは手の中でくるくる弄んでいた次元プーマンをグローブボックスに帰した。

 「風紀を正す」なんて言葉は、雑談の中でアベンチュリンのいたずらを軽く諌めただけだと思っていた。ところが、アベンチュリンの部下たちは実際にレイシオを守り始めた。言っても聞かないと諦めているのか上司を止めはしないが、レイシオが死角から狙われて危ういとき、腕を引いたり体を押したり間に物を挟んだり、その場で気づいた者が助け船を出す。
 今も離れたところからハンドサインで知らせてもらい、不意打ちをかわして本をアベンチュリンの頭に乗せたところだ。星間シャトルの発着ターミナル、ひっきりなしに人が行き交うロビーでもおかまいなし。レイシオの油断を突くために、わざわざ待ち合わせ時間よりずいぶんと早く来て待ち構えていた。表紙が当たった額をさほど痛くもないくせにさすり、一人攻撃側のアベンチュリンは数的不利にむくれている。
 アベンチュリンとレイシオの馬鹿馬鹿しい攻防は、いつの間にかアベンチュリンと彼の部下たちのゲームにもなっていた。レイシオと一対一だったときより、アベンチュリンの奇襲は鋭くなっている。
「君たち、ちょっとは手加減してよ」
「悔しかったら本気を出してください。訓練になるので歓迎ですよ」
 戦略投資部の仕事をしていると忘れがちになるが、彼らは会社員だ。本来、商談に武力は必要ない。たびたび物騒な場面に出くわすのは、債権を回収するというシンプルに嫌われる役目のせいである。しかも相手は武力を持つ面倒な組織であることが多い。訓練という言葉は、彼らの仕事を端的に表している。臨機応変な対応は一朝一夕で身につくものではない。
「訓練なら、僕を巻き込まずに君たちだけでやってくれ」
「それじゃ面白くないよ。魅力的な景品がなくちゃやる気が出ない」
 歩きながらアベンチュリンはすすすと近寄ってきて、レイシオの腕に抱きついた。その額を指で弾く。痛がりながらも剥がれない。
「教授は一般人にしては動けるよね。護身術は念のため?」
「危害を加えられたことがあって覚えた」
「えっ、それなのに護衛をつけてないのかい?」
 アベンチュリンは不穏な気配をじわりと滲ませて顔をしかめた。レイシオの腕を抱え込む力が強くなる。
「普段から警戒するほどではない。危険な場所に行く時は連れている」
「本当に大丈夫かなあ……。まあ、僕らと一緒にいるときは安全を保証するよ」
 ね、とアベンチュリンはそばに立っている部下に顔を向けて同意を求めた。
「総監より教授の方がずっと守りやすいですしね」
 部下からの当然の評価に、一人でフラフラしがちな上司は口を尖らせた。
「今は君のせいで安全ではないな」
 腕を離せと振るが、けばけばしい引っ付き虫はしがみついて離れない。
「いいじゃないかキスくらい。死にやしない」
 アベンチュリンは抱えたレイシオの腕を引いて立ち止まらせ、つま先立ちで伸びあがった。レイシオが対処するまでもなく、部下の一人がひょいと彼の帽子をずらして顔にかぶせた。
「もう! 分厚い被り物をしてるんだから、そんなに完璧に守らなくたっていいだろ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
 帽子をかぶり直している隙に、レイシオはアベンチュリンから腕を取り戻した。ターミナルの出入口の向こうに迎えの車がいて、運転手が手を振って呼んでいる。
「あーあ、やりにくいったらない。僕より君たちの方が教授と仲良くなってるし」
「狙い通りでしょう」
「まさか、大誤算に決まってる。人の恋路をよってたかって邪魔してくれてさ」
 アベンチュリンは部下の言葉を冗談めかして否定したが、おそらく的を射ているだろう。どんなに近くに寄ろうと、レイシオを見るアベンチュリンの目に浮わついた熱があったことは一度もない。むしろ、かわされることを楽しんでいるように見える。
 危険な現場に連れて行くには不安がある一般人のレイシオに、ふざけた攻防を通して害意に反応する癖をつけさせた。同時に、アベンチュリンの部下たちが実力を備えた信頼できる仲間であることも教えた。つまり、オリエンテーションというわけだ。上手く乗せられたのだろうが、不快ではない。
 レイシオは内心アベンチュリンのことを見直していた。けれど、口には出さなかった。「じゃあ、お近づきの印にキスしていいかい?」そんなふうに混ぜっかえされるのが目に見えているからだ。