仮題:Duet

過去:天舍夏雨・天舍春陽



 春の陽と書いて、はるひ。夏の雨と書いてなつめ。

「見ろよ、なつ! 今日は僕の勝ちみたい! ぴっかぴかの晴天だ」
 開いた扉の隙間からは、その声の通り、輝く光の筋が差し込んでいる。二人は同じような仕草で眩しそうに目を細め、それからどちらともなく視線を合わせた。
「どうだろう……午後には雨が降るって予報にあるよ」
「僕が出掛けるのに降るわけないだろー? 大丈夫だって」
 春陽は夏雨の手から安っぽいビニール傘を軽やかに奪い取り、すぐそばにある玄関の傘立てに乱雑に突っ込んだ。それを見届ける夏雨の視線の先で、同じような味気のない透明の傘がずらりと何本も飛び出し、そして彼らは恨めしげに二人を見つめている。こうやって「いらないだろ」と春陽が夏雨から奪い取るたび、外出先で大雨に降られ、そしてむやみやたらと増えていった傘たちだ。
……はいはい。大丈夫かもね」
 夏雨は今日も同じようなことになるのだろうとは思いつつ、けれども改めて手に取るようなことはしなかった。どうせ別の大雨の日に途中で晴れて、どこかそのあたりに置いて帰ってくることになるのだから。傘立ての許容量を超えることなく、傘はいつも同じ数だけがそこにあった。
 太陽のように笑顔を浮かべた春陽は、そのまま夏雨の空いた片手を取る。同じ大きさの手のひら。温度はずいぶんと違うけれど、それもずっと昔のままだ。
 傘を持たないおかげで身軽になった夏雨は、取られた手を握り返した。玄関から出る前の、二人だけのまじないのような合図。扉を開けるころにはもう二人は一人ずつになる。
「じゃあ、いってきまーす!」
「いってきます」
 通学鞄を持ち直し、扉をくぐる。毎日がその連続だった。


 天舎春陽と天舎夏雨は双子のきょうだいである。
 春陽も夏雨もいつも、お互いを正反対の自分自身だと認識していた。
 赤が好きな春陽と青が好きな夏雨、晴男の春陽と雨男の夏雨、アウトドア派の春陽とインドア系の夏雨……
 対照的な部分は挙げてゆけばきりがなく、だからこそ、内面的に似ている部分は際立って珍しいものだった。
 春陽がどう思っていたのか、本当のところでは定かではない。ただ、夏雨は確かに、自分と春陽にはとある共通点があると信じ、自分がそう感じているということは、春陽もそうなのだろうと確信めいたものを抱いていた。双子とは、いや、俺達はそういうものなのだと、直感的に感じていた。
 

「はる、これ。読み終わったなら戻すよ」
「おー。貸してくれてありがとな」
 一冊の本が、散らかった春陽の机から取り上げられる。夏雨はそのまま、手のひらに収まった文庫本のページをぱらぱらと捲っていった。とうの昔に夏雨が読み終えた近代作家の短編集で、その独特さゆえに少々読みにくいのではないかと懸念していたが、存外春陽もさらりと読了してしまったらしい。
 外では図書室や本屋にはまったく目もくれず、本など読まない春陽だが、彼はどうしてか夏雨の蔵書にだけはよく興味を示し、勝手に本棚から取り出し、読み終えては勝手に返すということを日常的に繰り返していた。
 幼い頃からずっと、二人は同じ部屋で生活をしている。子供部屋はもとより広いこともあり、特別拡張されることもなく、ふたつのベッド、ふたつの学習机、そしてふたつの物置と本棚が鎮座するばかりだった。
 パーソナルスペースという概念は、双方、相手には通用しない。そのため、私物には触れないという意識も働くことはない。相手のものは自分のものだし、自分のものは相手のもの。なにもかもが共有物で当然だった。
 だから、夏雨は自分の蔵書を勝手に読まれても何も言わなかったし、そこに何か書き込みがあっても、文句をつけることはなかった。ただ、少し眉間にしわを寄せて、その殴り書きのようなペンの跡を見つめるだけだ。睨んでいるわけではないが、ただ、幾分癖のある文字の解読にはいささかコツが必要だった。
……はる、また書いてる」
「いいじゃん、読書記録ってやつ」
「読書記録は別のノートにつけるものだよ。はるのは……落書き」
「まあ僕、落書き得意だからね」
「得意な割には汚いけど」
 あはは、と適当に受け流すように笑って、春陽は自身のベッドから体を起こした。手に持ったスマートフォンに視線を落としながらも、声は確かに夏雨に投げ掛けられている。
 視界に写らなくても、その一挙手一投足は手に取るようにわかる。そういうものだった。
 だから、夏雨の手が止まるのと、春陽が声を掛けるのは、ほとんど同時だった。
「その短編、良かった。なつもそう思ったんだろ?」
……うん、良かった。全部面白かったけどね」
「だなー。やっぱなつの本、当たりが多いわ」
「はるの好きそうな本だとは思わなかったけどね。よく見てる映画とは、全然違うでしょ」
「映画は映画、本は本だよ、なつめくん」
 口角を上げた春陽は、視線だけを夏雨に寄越した。優し気な垂れ目はいつも快活な春の日差しのような光を湛えているが、この時だけは、夏雨と揃いの、どこか曇った鈍い光を孕んでいた。その眼差しを認め、夏雨はひとつ瞬く。吊り上がったまなじりがゆるやかに弧を描く。
 それは言葉にせずとも伝わる、二人の合図のひとつだった。秘密の同意を示す合図。そうと決めたわけでもない。ただ、十六年をともに片割れとして生きてきて、自然と身についた動作であった。
 誰に隠すわけでもない、けれども潜めたやり取りを済ませると、春陽はいつものようにからりと笑ってみせた。笑うときに眉間が寄るのは、夏雨とは正反対だった。
「映画は好み合わないのにな、僕たち!」
……はるの観てる映画って、なんていうか、賑やかだし……うまくいきすぎるもん」
「いいじゃん、ご都合主義。現実じゃありえないんだから」
 春陽はそのまま再びベッドに体重を預け、スマホの向こうに天井を見つめ始めた。夏雨はそれ以上話しかける気も起きず、自身の整然とした勉強机に腰かけ、無理やり返してもらったばかりの文庫本を改めて開く。
 そして、ペンを執った。

 ――「悪魔」って案外近くにいるんじゃね?
 (筆圧の強い、癖のある字。)

 ――誰のことが言いたいの?
 (筆圧の弱い、滑らかな文字。)

 横目にちらりと、片割れを見やる。薄く微笑んだ瞳が、わかっていたといわんばかりにこちらを見つめていて、二人の温度は一致した。



 *ホントウの悪魔とは、自分を悪魔と思っていない人間を指して云うのである――自分では夢にも気付かないまんまに、他人の幸福や生命をあらゆる残忍な方法で否定しながら、平気の平左で白昼の大道を濶歩して行くものが、ホントウの悪魔でなければならぬ。*
 *――夢野久作「鉄槌」 青空文庫より引用*